原発と放射能に関する特別問題プロジェクト

子どもたちのためのリフレッシュプログラム

支援チームから

 福島のこどもたちは、土はさわらないで、草っぱは拾わないで、線量の高い木々のそばには近づかないで、と言われて過ごしています。幼稚園でもおもいっきり園庭で遊ぶことができません。こどもたちにこのような状況を作ってしまっていることを私たちは忘れてはなりません。
いっしょに歩こうプロジェクトでは、今夏も3つのプログラムを行ないました。@福島の幼稚園教師のリフレッシュプログラム?九州教区のご協力で北海道での全国保育者大会に参加。参加者から「福島の先生たちのお顔を見ていたら涙がでてきました」という声がありました。A山古志・福島ジョイントサマーキャンプ?中部教区のご協力で山古志と福島のこどもたちがキャンプをしました。同じように地震被害を体験したこどもたちが昨年は山古志で、今年は福島でいっしょに過ごすことができました。B長崎・南の島で夏休み?九州教区のご協力で、福島の幼稚園在園児、卒園児、保護者、おじいちゃんおばあちゃん13家族50名が長崎市から船で35分の「高島」という島でそれぞれ4泊から6泊で過ごしました。ここではきれいな貝殻を拾っても、お母さんは「よかったね」と言葉を返すことができました。
いっしょに歩こうパートUでは、こどもたち、幼稚園の先生、保護者たちのリフレッシュプログラムを活動の柱としています。
人体と放射能の関係はよくわかっていません。一度体の中に入った放射性物質は出て行かないと言われていましたが、チェルノブイリのこどもたちの1か月転地療養ボランティア活動を20年行っている野呂美加さんによって、体内の放射線量は低下し、こどもたちが見違えるほど元気になることが報告されています。また相馬市、南相馬市などの地方自治体とひらた中央病院、ときわ会常磐病院などの民間病院の活動により、「原発により福島は汚染されたがやり方次第では被爆も避け、従来通りの生活を続けられる」との報告もされています。こどもたちのリフレッシュプログラムのために、全ての教区のみなさまに引き続きご協力をお願い致します。それぞれ参加者の声はまた、みなさまにご紹介したいと思います。


「長崎の南の島で夏休み」  ー福島から高島へ−
                九州教区  山本尚生

 この夏、九州教区では7月29日から8月21日の間「長崎の南の島で夏休みin高島」を企画し、郡山セントポール幼稚園の在園児、卒園児、その保護者、おじいちゃんおばあちゃんが長崎市から船で35分のところに浮かぶ「高島」にやってきました。
 高島は軍艦島(端島)の目と鼻の先にあり、軍艦島と同じように炭鉱で栄えた島で、最盛期は18000人にものぼる島民が生活していましたが、閉山と共に人口は減り、今では400人ほどが暮らす静かな島です。長崎市からわずかしか離れてないにもかかわらず、島の海水浴場は「奇跡のビーチ」といわれ、泳いで珊瑚礁や熱帯魚が見えるところまで行けます。他にも島内には釣り公園、展望台など探検が出来るスポットもたくさんあります。そこに九州教区信徒が所有する元民宿があり、そこを何とか活用して子どもたちに夏休みを思いっきり過ごしてもらおうと企画されました。
 今回高島に来たのは、13家族50名。こちらで日程を決めるのではなく家族の都合に合わせて滞在期間も決めてもらい長い家族で6泊、短い家族で4泊の滞在でした。プログラムも特に用意せずに海に行きたい家族、散歩する家族、釣りをする家族、それぞれの気分や体調に合った過ごし方をしてもらいました。毎朝7時から釣りに行って、朝から夕方まで海水浴場で遊び、帰ってきてからまた釣り、と子どもたちにはいくら時間があっても足りないようで、帰る頃には肌が真っ黒に焼けて、まさに「島の子」になっていました。
 食事は九州教区にサポーター募集を呼びかけて、約20名が入れ替わり立ち替わり島を訪れ、朝、昼、晩と自慢の料理を振る舞ってくれました。他にも釣り名人、虫取り名人、泳ぎの名人など各遊びの名人も駆けつけてくれて、今まで東北への思いがあってもなかなか現地に行けなかった九州のメンバーと郡山の家族が結ばれていい関係ができました。今度は九州から郡山に行く番のようです。
 ある時、子どもが公園や海でひろってきた松ぼっくりや貝殻を見て「きれいだねえ」「よかったねえ」と言っていたお母さんが後から「今日は2年ぶりに心の底からよかったねえと言ってあげることができました」と語ってくれました。また、郡山に帰ってからあるお母さんがメールで「久しぶりに普通の生活が出来ました。触らないで、拾わないで、近づかないでと言われなくて子どもも満喫したと思います」と書いてありました。お母さんやお父さんたちのその言葉一つ一つに複雑な重みを感じました。
 「去年の夏休みはどこにも行かずただ家の中にいました」これはセントポール幼稚園であるお母さんと立ち話をしていた時に出てきた会話です。親子で「ただ家の中にいました」を想像すればするほど、今回の「南の島で夏休み」を実現したいなあと強く思っていました。そして大きな事故怪我もなく無事に終えることが出来ました。この企画に共感して有機無農薬の野菜を提供してくれた農家のみなさん、天然酵母のパンをどっさり送ってくれたパン屋さん、静岡県の沼津から子どもたちの安全の為、ライフジャケットを送ってくれた幼稚園の皆さん、いろんな方々の協力があり出来た高島プログラム、感謝しています。すでに来年への期待も膨らんでいます。

福島幼稚園教師リフレッシュプログラム… 全国保育者大会に参加して        若松聖愛幼稚園 園長 古川陽子

 7月31日から8月2日にかけて行われた上記の保育者大会に参加させて戴きました。これまで全国の保育者大会には、東北地区が会場になったときのみの参加で、今回で二回目、とても久しぶりの参加でした。
 今回、参加に踏み切ることができましたのも、昨年に引き続き、九州教区のお仲間たちが私たち教職員の被災地での保育を案じてくださり、リフレッシュを兼ねて日本全国のお仲間たちから力を分けていただきに参加してみてはどうかと、費用を工面してくださったからです。心から感謝の思いです。
 行きは初体験のフェリーで、大海原に抱かれながらゆっくりと北海道を目指しました。海と空しか存在しない世界の中では、日常の雑多なことが小さなことに思えるから不思議です。降り立った北海道は、全てを包み込むように私たちを迎えてくれました。お迎えくださった北海道教区の皆様も、本当にあたたかく、また熱心に保育に向き合っておられました。準備されたプログラムも、実り多く内容の濃いもので、大変勉強になりました。今の私たちに必要な、自然の偉大さ、やさしさを存分に楽しむことができました。
 最後の活動報告の最後に、急遽、福島の現状をお伝えする機会が与えられ、越山建藏司祭が皆様の前に立たれました。震災から2年半あまりの月日を短い時間で語り尽くせるものではないと思いますが、語られる「今の福島」の様子にさまざまなことを思いだし、また現在を思いながら司祭さまのお話を聞いていました。最後に「福島の先生たちです」とご紹介いただき、立ち上がって感謝の思いを込めて一礼させていただきました。後日、Facebook上でどなたかがそのときのことを書いておられるのを偶然発見し、「先生たちのお顔を見ていたら涙がでてきました」とあったのを読み、ご好意に甘えてばかりで北海道まで行かせていただいているのに、被災地にあるものとして何のお役目も果たせていない我が身を恥じる気持ちが、少し楽になったような気がいたしました。
 また、私事ではありますが、震災後いち早く私たちの身を案じ、北海道の豊かな食材などを送ってくださった幼稚園へも、お礼のために足を運ぶことができました。福島と北海道。お会いする機会はないだろうと思っていただけに、大変感動的で心に残るものとなりました。北海道へ行く機会が与えられなければ、決して実現することのない訪問でした。
 今回の研修旅行は、大自然の恵と人との出会いが心に残る、思い出深い旅となりました。同行させていただいた福島の他園(小名浜聖テモテ幼稚園)の先生と友好を深められたことも大きな恵でした。北海道で深呼吸し、一度心と体をリセットできたような気がいたしますので、これからまた心新たに、一歩ずつ前に進んでいきたいと思っております。
 このような機会を与えてくださった九州教区の皆様、本当にありがとうございました。

第二回山古志・福島ジョイントサマーキャンプを行って
             福島聖ステパノ教会信徒 岡田和人

 山古志・福島ジョイントサマーキャンプは今年で2回目になりました。去年は福島の子供たちを新潟県の山古志に呼んでいただき、福島からは15名程度の参加で自然に囲まれた昔懐かしいような風景と、いまだに残る中越地震の爪あとの中でのキャンプにいろいろ考えさせられました。
 「第2回はぜひ福島で」と言って第1回は解散しました。そのときは興奮もありそのように言いましたが、自宅に戻ってからは「どこでするか」というところで悩みました。山古志の子供たちは海水浴がしたい、ということを聞いていましたが、津波で流された東北の海でキャンプができるだろうか?福島には猪苗代湖があるが、山古志の保護者は福島でのキャンプに参加させてくれるだろうか?(実際の会津周辺の放射線量は0.1μSV以下なので他の地域と変わりません)そのような思いでいました。
 昨年末に第1回ジョイントキャンプのふり返りを福島(伊達郡桑折町)の子供たちと福島聖ステパノ教会でしたとき、当時小学6年生だった男子2人が「来年はサブリーダーで参加したい」といってくれました。それを聞いて「東北でやらなきゃだめだな」と思いました。
東北教区に来てキャンプを1から作るのは初めてでした。場所もない状態で言うと0からのスタートでした。そんな中で仙台市内の青葉静修館に宿泊をして、そこからバスで移動して遊びに行くことになりました。
 残念ながら男子2人が中学生になるとき1人は他県に転校してしまい、1人(翔君)になってしまいました。それでも「1人でもサブリーダーするよ」といってくれたのですごく頼もしかったです。
 翔君と2人でキャンプの準備をしました。私の自宅で3回ミーティングをし、現在新地町にボランティアスタッフできている松本普さんとステパノ教会の西間木美恵子さんとで現地の下見をしたり、4人という少人数での準備でした。
 キャンプの直前に青葉静修館のお風呂が水圧の関係で使えないことが分かり、急遽近くのスーパー銭湯に行くことにしましたが、近くといっても片道30分以上かかるところでしたので、プログラムが大きく変わってしまいました。また2日目は雨が降りそれも大幅なプログラム変更をしなければならない要因でした。雨の場合のプログラムを本来はしなければならないのですが、今回はそこまでの準備ができませんでした。神様から「きちんと準備をしなさい」といわれているようでなりませんでした。
 今回の「山古志・福島ジョイントキャンプ」はとてもキャンプと呼べるものではなかったと思います。場所の確認不足、プログラムの作成の甘さ、周りの環境の調査不足など、小学生やスタッフの人たちに迷惑を掛けっぱなしだったと思います。
 最終日、みんなとのお別れのときには小学生やスタッフが「楽しかった、来年もまた来たい」という声といっしょに泣いてくれました。その声を聞いて私も泣いてしまいました。
 東日本大震災から2年半が過ぎ、新潟県中越地震から9年近くが過ぎようとしています。時間がたてば環境の復興は進みますが、私たちの心に刺さった傷跡は簡単には消えることはありません。特に東京電力福島第一原発の大惨事は収束はしていません。政府はもう終わったかのように言っていますが、爆発した建屋からはいまだに爆発した当時のまま放射能を出し続けています。このことを忘れないためにもこのキャンプを続けていきたいと考えています。
 中部教区と東北教区だけではちょっと限界があるような気がします。今回の数多い失敗をバネに来年の「第3回山古志・福島ジョイントキャンプ」は大成功に終わらせたいと思いますので、どうか他の教区の方も力を貸してください。





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