復活祭の前、聖金曜日を中心に受難曲の演奏会や講座が多くなります。その中核となるのがバッハの"マタイ"である事はいうまでもありません。偉大であり崇高なこの作品を前にして私達は圧倒されるばかりですが、そんな曲と言えども、ある日突然に出来上がった訳ではありません。幾千年にも及ぶ音楽の歴史、伝統の中でつみ重ねられ育まれてきたものなのです。特にグレゴリオ聖歌やルター派の讃美歌からの影響はいたるところに発見できます。また明らかにお手本になったであろうと思われる曲があります。それが今回お話しするシュッツのマタイ受難曲です。
ハインリヒ・シュッツは一五八五年十月(バッハの生まれる丁度百年前)にドイツのテューリンゲン地方に生まれ、生涯のほとんどドレスデンの宮廷楽長の地位にありました。そして八十七歳の生涯(当時として長命)の最晩年、八十歳を超えてルカ・ヨハネ・マタイの受難曲をたて続けに残したのです。それらはいずれもシュッツを代表する作品となったのですから、その創作力には驚き敬服するばかりです。
シュッツとバッハを比較しますと、まず形式の上で、はっきりとした違いがあります。シュッツはマタイ福音書の二六章と二七章をそのまま音楽にしてゆきます。聖書が示す通り福音史家がグレゴリオ聖歌風に朗唱し、イエスや群集は別の歌手が役柄に応じて歌います。対してバッハでは、合唱団や各パートの独唱者がコラールや長いアリアを延々と歌い、聖句はしばしば中断されます。その結果、演奏時間はシュッツが五十五分。バッハは三時間半と大きな違いが出てしまいました。また、前者に伴奏は一切なく、すべて無伴奏(ア・カペラ)で歌われますが、後者では大規模なオーケストラや色々な独奏楽器(金管と打楽器は除く)が伴奏や助奏に使われています。
当然、曲の壮大さや多彩さを求めればバッハでしょうが、受難週には歌舞音曲を避けるのが習わしとするならば、シュッツの作曲法を支持する人も多いと思われます。当時のドレスデンでは特に厳しくこれを守っていましたから、シュッツもそれに従ったのでしょう。
この時代、教会や宮廷に所属する作曲家達は職務として受難曲を作っていましたから、おそらく数百曲はあったでしょう。しかし今日残っていて耳にする事の出来るのはごく一部でしかありません。是非一度、シュッツの曲も聴いていただけたら幸いです。C・Dではフレーミヒ指揮、ドレスデン聖十字架合唱団(DS-TKCC304089)が唯一、カタログにありますが、美しい演奏です。(ルカ梅本俊和)
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