モーツアルトの死の謎は二十一世紀になった今も変わることがありません。映画「アマデウス」は彼の天才的音楽を見事にとらえて私達を感動させましたが、死因にサリエリが係わったとする点について現在では否定されています。
一七九一年十二月五日、午前零時五十五分逝去、三十五歳の生涯でした。そして七日(六日説も)にウィーン・聖シュテファン教会(コンスタンツェと結婚式をしたのもここ)の十字架小聖堂で葬儀が行われ、市門外の聖マルクス墓地に運ばれたことは確かですが、彼の柩は誰の立会いもなく、当時の慣習に従い数人の死者と一緒に共同埋葬されてしまったのです。だから遺体も見つからず永久に謎となってしまいました。現在あるモーツアルトのお墓はすべて記念碑でしかありません。
毒殺説、病死説、色々な憶説が小説になりドラマになり、ついにはフリーメイソンと結びつき、別の面で彼を有名にしたりしました。また後世の人達に推理小説もどきの興味を与えたことも事実です。
さて、モーツアルトのミステリアスな死を語る時、必ず引き合いに出されるのが未完成の名作"レクイエム"です。未完成なのにモーツアルトの代表作と誰もが認めるのは、彼の作品中で最も崇高な美しさと気品に満ちているからです。第一曲キリエを聴けばすぐ納得できるでしょう。死ぬ前日まで病床の中で、ほぼ中ほどのラクリモーザ(涙の日)の初めの部分を歌い作曲し、後半のプランを弟子のジェスマイヤーに指示していたのを義妹のゾフィーが証言しています。その時、彼は自分にはもう時間がないことを知っていたのです。
つまりこのレクイエムは約半分がモーツアルトの自作、残る半分が彼の指示を受けたジェスマイヤーの作ということになるのですが、全曲を聴いた場合にそれほど違和感がないのは、冒頭のキリエを最後に再登場させて曲に統一感を与えたジェスマイヤーの手腕とも思えます。
さて、この曲は誰が依頼し、誰の為に作曲したのでしょう。ひょっとしたら自分の為に・・。天才は、しばしば自分の運命を知っているものです。また彼はおびただしい数の手紙を残していますが(約四百通)、唯一この曲に関したものがあります。それらをひもとくとモーツアルトの死の謎が益々深まるのですが、残念ながら紙面がありません。次回に続けたいと思います。
そんな話とは別に、このレクイエムは今も全世界の人々に愛され続けています。私はカール・ベーム指揮、ウィーン・フィルの演奏(G-POCG20044)を好んで聴きます。 (ルカ 梅本俊和)
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