バルナバ栄一の「聖書談話」(マルコによる福音書 7 ) (4)
安息日に麦の穂を摘む(マタイ12:1〜8 るか6:1〜5)
23ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子達は歩きながら麦の穂を摘み始めた。
24ファリサイ派の人々がイエスに、[御覧なさい。なぜ彼らは安息日にしてはならぬことをするのか]と言った。25イエスは言われた。[ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。26アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかには誰も食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか]。27そして更に言われた。「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。28だから、人の子は安息日の主でもある。」マルコは、第1章でイエスがガリラヤに現れて[神の国]の福音を宣べ伝える活動を始められたことを語った後、直ぐ第2章で、その福音が当時のユダヤ教(律法)と衝突して惹き起こした激しい論争をまとめて記録しています。その論争の最後に安息日についての論争が来ます。
「安息日を覚えて、これを聖とせよ」という規定は、ユダヤ教の中で最も根本的な律法である[モーセの十戒]の中の一つで、[六日の間働いて何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない](出エジプト記20:8〜10)というものです。この律法は[殺してはならない]と言う律法と同じ重さの律法で、これを犯す者は死をもって罰せられると律法に明記されています(出エジプト記31:12〜17)。イスラエルの民は安息日規定の遵守をいかに真剣に受け取っていたか、マカベヤ戦争の時、安息日に異教の軍隊の攻撃を受けた時、安息日を守るために武器を取って戦う事を拒み全滅した事があった程でした。それは、安息日を守る者がヤハウエの民であり、守らぬ者は、ヤハウエとの契約を破る者とされていたからです。それから、捕囚後律法(モーセ5書)が成立して、安息日律法が最終的に確立した後も、社会や生活の具体的な状況においてどのようにすれば[いかなる仕事もしてはならない]と言う安息日の律法を守る事になるのか、学者によって討論され研究されて、多くの細かい規定が生み出されていたのです。たとえば、安息日には2000キュビト(約900メートル)以上の距離は歩いてはならぬ。また、他人の畑であっても、麦の穂を手で摘んで食べる事は許されていた(申命記23:25)。ところが、律法学者の口伝伝承(ハラカ)では、手で穂を摘む事は収穫作業であるとして[してはならぬ事]になっていた。イエスも弟子達もその事は知っていたでしょうから、あえて彼らの前で禁止規定を無視されたのは当時のユダヤ教における律法の支配に対する挑戦と受け取られる。イエスは彼らの追及に対してダビデの、神殿における行為を、『人は生存を脅かされる緊急事態においては律法に違反する行為も許される』と言う事を論証する為に引用されたのではない。そうであれば、ファリサイ派の学者達の律法の支配の枠の中の問題となります。そうではなく、もっと根本的な問題、律法の存在理由そのものを論じるためにダビデ問題を取り上げられました。一体人間にとって律法とは何でしよう? イエスは一言で述べられます。「安息日は人の為にあるもので、人が安息日の為にあるのではない」と。この言葉はまことに革命的です。イエスは当時のユダヤ教が求めているような律法遵守はもはや必要ではない、と言っておられるのです。イエスの中では既に安息日が成就している。律法を行なうのとは全く別に、賜った聖霊により神との交わりが実現し、イエスの中では創造、贖い、完成の祝いが既に明らかになっている。聖霊によりイエスの中に来ている『神の支配』の現実は、律法の細則遵守を要求するユダヤ教に対する挑戦とならないではおれないのです。
バルナバ栄一の「聖書談話」
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