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高齢化のなかで聖書から何を聴くか
わたしはあなたたちの老いる日まで、
白髪になるまで、背負っていこう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。

              〔イザヤ書第46章4節〕

高齢者が差別されたり、疎外されたり、
役立たないものとされてはならないのです。
教会はこのメッセージを社会に向けて発信し続けなければなりません。

だから、わたしたちは落胆しません。
たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、
わたしたちの「内なる人」は日々新たにされています。

              〔コリントの信徒への手紙二第4章16節〕

人生の意味は、年齢とともに深まる
もの。高齢期は、人生の意味を問い、
ひとりひとりの人生を完成させる時期です。この人生を完成させる営みを霊的に支えることは、牧師の重要なつとめです。


だれかが弱っているなら、わたしは
弱らないでいられるでしょうか。
だれかがつまづくなら、わたしが
心を燃やさないでいられるでしょうか。

      〔コリントの信徒への手紙二第11章29節〕

      

現代の社会は高齢者に対して優しくはありません。私たちのそばに弱っている人がいれば、黙って通りすぎることはできません。その人と関係をもち、与えることによって私たちは生かされ、真の喜びを知ることができます。
世を去るときが近づきました。わたしは、
戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、
信仰を守り抜きました。

              〔テモテへの手紙二第4章6〜7節〕

高齢者に対する福音伝道が、宣教の最前線になるべき時代がきています。そして、高齢者自身こそ、その役割をになうのにふさわしいのです。教会は、高齢者が新しい経験をし、この世を変えるために、参加するところでもあります。

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