18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年4月20日)
(復活日、C年)「婦人たちはイエスの言葉を思い出した」(ルカによる福音書24:1-12)
 本日は、ヨハネによる福音書とルカによる福音書が選択できるようになっています。東京聖テモテ教会の10時半の聖餐式は山口司祭がヨハネによる福音書で説教してくださいますので、私は皆さんがどちらの福音にも聴くことができることを願い、ルカによる福音書でこの原稿を記します。
 今日のルカによる福音書の箇所では、最初の宣教者の姿が示されています。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして他の婦人たちです。ルターは彼女たちが「十一人と他の人皆に一部始終を知らせた。」という「知らせた」を「宣教した」と翻訳しています。宣教とは、彼女たち自身が経験した復活を証しすることでした。そして、彼女たちが使徒たちに宣教したことに始まり、脈々と語り継がれて、ご復活の福音は私たちのところまで届けられています。二人の天の使いは彼女たちにこう言いました。
 「ガリラヤでイエスが言われたことを思い出しなさい。」
この言葉に従い、イエスの言葉を思い出した婦人たちは、「そうだ、あのお言葉は本当だったのだ!イエス様は三日目に復活すると言っていたではないか!」と確信し、その「本当だ!」という確信を伝えたのです。この確信は、彼女たち自身にも復活の経験をもたらしました。絶望のなか、せめて遺体に香油を塗ることしかできなかった彼女たちが、復活を証しする者へとまったく変えられたのです。それはまさに、希望を失い、生きながら死んでいた彼女たち自身が復活の命に与った、ということです。この自分自身に起こった復活を伝えることこそ宣教だったのです。
 はじめの宣教者となった彼女たちのように、私たちもみ言葉が真実であることをこの身を持って知りたいと心から願います。イエスの復活。それは絶望の先に必ず希望があることを約束する出来事です。婦人たちがそうであったように、絶望の中で、イエスのみ言葉を思い出すなら、私たちも婦人たちと同じ復活の命をいただくことができます。復活日、私たちは神が愛する御子の命を差し出してまでも伝えたかった神の思い、絶望の先の希望を確信を持って受け取りたいと思います。そしてその確信と共に、世界に宣言するのです。イエスはまことに復活されました。死も、絶望も、どんなに強力な悪の力も神に勝つことはできません。心からお祝いしましょう。イースターおめでとうございます。

★主日の福音(2025年4月27日)
(復活節第2主日、C年)「疑いの先の信仰告白」(ヨハネによる福音書20:19-31)
 「その日、すなわち週の初めの日の夕方」とあるように、今日の場面は主イエスの復活の日の夕方です。同じ日の朝、主イエスは復活しました。しかし、弟子たちはすぐにそのことを信じることができませんでした。しかし、信じることができなかった弟子たちの真ん中にご復活の主イエスは現れ、「あなたがたに平和があるように」と言いました。裏切り、信じることもできなかった弟子たちを叱るでもなく、平和があるようにと、赦しと平和をそこに届けました。弟子たちは本当に嬉しかったと思います。救われたと思います。しかし、なぜかそこにトマスは立ち会うことができませんでした。トマスは頑なに主のご復活を信じようとはせず、復活が事実だということの確証を求めました。
 私はトマスがいてくれて本当に良かったと思います。トマスのおかげで、信仰の一つの大切なあり様が示されたように感じられるからです。もしかすると、トマスは他の弟子たちがご復活の主イエスに会ったことが羨ましくて仕方がなかったのかもしれません。他の弟子たちに嫉妬するほど主イエスに会いたかった彼は、まるで子どものようにふてくされて、「傷を見るまでは信じない!」などと頑なになってしまいました。私は自らを省みるとき、トマスのように素直に、嫉妬して、ふてくされるほどに主イエスを求めているだろうかと思わされます。何よりも、私たちはトマスがいてくれたおかげで、主イエスの優しさを知ることができます。傷を見るまで信じないと言ったトマスにも主イエスは現れ、ご自分の傷に触れるようにと声をかけました。ここに主イエスの愛の深さを感じずにはいられません。その愛に触れたからこそ、「信じないものではなく、信じるものになりなさい」と言われたトマスは、傷に触れるまでもなく、「私の主、私の神よ」と言いました。つまり、トマスは主イエスを「神」として信仰告白したのです。これは、それまでどの弟子たちもしなかった最初の信仰告白です。トマスは疑いました。しかし、疑いの先に主イエスに出会い、その愛に触れ、主イエスへの深い信仰へと導かれたのです。
 信仰において、疑問を抱くことは決して悪いことではありません。それどころか、その疑問を主にぶつけるなら、トマスのように深い信仰へと迎えられます。しかし、主に疑問をぶつけぬままに自己完結してしまっては、信仰の旅はそこでストップしてしまいます。

★主日の福音(履歴)

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