18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年9月7日)
(聖霊降臨後第13主日・特定18、C年)「あるべき」でなく「あるがまま」(ルカによる福音書14: 25-33)
 十字架が待つエルサレムへの旅に、大勢の群衆が一緒について来ました。主イエスはその群衆の方を振り向き、弟子の条件を語ります。弟子とは、「イエスのもとに行き、父や母、そして自らの命をも憎み、自分の十字架を背負い、イエスの後を行く」人だというのです。このことから、十字架を殉教というと非日常的な感じがしますが、十字架とは決して非日常ではない、ということが分かります。それにしても、今日のお話は、あまりにも身近なものを用いて語られており、それゆえに難解に感じられます。一体、イエスは何を言っているのでしょうか。
 あるがままの人間は様々な欠点を持っています。それゆえ、受け入れ合うことは困難です。しかし、私たちが担うべき十字架とは、共に生きるべき、欠点に満ちた「あるがままの相手」のことです。目の前の「あるがままの相手」と共に生きることは、究極的には、イエスがそうされたように、自らの命を相手のために捧げる生き方です。それが「自分の命を憎む」ということであり、「自分の財産をことごとく捨て去る」ということです。「自分の財産」とは、お金や所有物だけではありません。自分が「命」ほどに大切だと思い込んでいる理想や価値観、夢と言ったものも含まれます。突き詰めると、それらは自分の考える価値を中心にした生き方へと繋がるものです。それを手放し、「あるべき」ではなく「あるがまま」の相手と生きること、そういったものをすべて捨ててでも、「あなたと一緒に生きる」ことを選んで生きようとすること。それこそが、イエスの後に従うということなのです。
 たとえば、私たちは日常において、お互いに「役割」や「あるべき」とされるところに自らや他者を置くことで、安心できる世界を作り、その中で生きています。しかしそこに、「あるがままの相手」との関係を阻害するものが生じます。人が勝手に「あるべき」を作り上げてしまい、父親像、母親像、妻像、子ども像といった理想や姿との比較のなかで、私たちはそこに収まらない他者を受容できず、「あるがまま」を受け入れることができなくなってしまうのです。イエスは、その「像」を憎みなさい、と言っているのです。
 「あるがままのあなたと共に生きる」には、今日の福音の後半で「まず腰をすえる」と二回繰り返されているように、まず腰を据え、今まことに大事なことは何か、向き合わなければなりません。「私と神」、「私と隣人」との関係を妨げているものは何かと、自らの信仰生活を省みるなら、このイエスの言わんとしていることが分かるのではないでしょうか。それらを一旦捨て、神の思いに従う歩みが求められています。

★主日の福音(2025年9月14日)
(聖霊降臨後第14主日・特定19、C年)「一緒に喜んでください」(ルカによる福音書15:1-10)
 ルカによる福音書15章は、「失われた羊」「失われた銀貨」「失われた息子(放蕩息子)」という三つの「失われた」たとえによって、「失われた」ものを「見出した」喜びを伝えます。失われたものを見つけ、喜ぶのは他でもない、神です。迷い出た一匹の羊も、失われた銀貨も何の努力もしていません。ただ、主人が捜し出します。神との関係は、私たちが主体なのではなく神が主体だということです。「失われた」「見失う」「無くす」と訳されている単語は「アポリューミ」という同じギリシャ語で、「死ぬ」とか「滅びる」とも訳されます。すぐに神から離れて、「滅び」や「死」へと向かってしまう私たちを救いたいと心底望み、捜し出してくださるのが神である、ということです。
 「羊が見つかった!」「銀貨が見つかった!」と大喜びしてくださる神は、その羊、その銀貨にこだわります。他の羊でも、他の銀貨でも駄目なのです。たとえば、自分の子どもが一人いなくなったとして、ならば養子をとれば良いじゃないか、とはなりません。それと同じように、神は私たち一人ひとりにこだわり、「あなたでなければ駄目なのだ」と、たった一人の命も失われることを望んでおられないのです。
 失われていた命が帰ってきたことを喜ぶ神は、宴会を催し「一緒に喜んでください」と、共に喜ぶことを求めます。今日の福音書はファリサイ派や律法学者に向けて語られています。彼らは、自分たちは律法を守り、正しいという自負がありました。そして、それを守ることができない徴税人や罪人は救われないと考えていました。ファリサイ派や律法学者にとって、徴税人や罪人は「不要」で「いてはならない」人間だったのです。しかしそれは神の思いに反します。神はたった一人の命にこだわり、失われることを望まないからです。その神は、そのような悪い思いを離れ、共に喜ぶことを望んでおられるのです。
 さて、今日の福音は私たちに、神の深い愛を伝えるとともに、あなたは共に喜んでくれるか?不要な、いてはならないとしている人間はいないか?一緒に食事ができない人間はいないか?と、問いかけます。私たちはこの問に痛みを感じるのではないでしょうか。しかし神は、そんな弱さを持った私たちのことをも、どこまでも捜し、愛し抜いてくださいます。他でもない、「私自身」が神に見つけられ、その愛を知ることで、私たち一人ひとりが共に喜ぶ者へと変えられるのです。

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