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★太田信三 司祭による主日の福音 ★主日の福音(2025年6月8日) (聖霊降臨日)「共に歩む者」(ヨハネによる福音書14:8-17) わたしが在学生当時の聖公会神学院では、神学生全員が霊的同伴者と共に歩むことが求められました。チャプレンと相談し、霊的同伴者が決まります。それから定期的に霊的同伴者と伴に祈り、語り合う中で、自分の霊的状態を見つめます。霊的同伴者の存在は、自分のために祈ってくれる人がいること、また自分も相手のために祈ることができることの大切さを教えてくれました。 創世記で、神は「人が一人でいるのは良くない」と明確に言っています。嬉しい時には一緒に喜び、悲しい時には一緒に悲しみ、悩みある時には一緒に悩み、片方が道を外れそうなら必死で止める。何よりも、いつも祈り合う相手がいる。そういう相手を通して、一人ひとりの命を大切される神さまの思いを知ることができます。主イエスが弟子たちを二人一組で派遣されたこと、パウロがいつも誰かと旅を伴にしたことには大きな意味があるのです。 今日の福音書で聖霊は「弁護者」と言われています。「弁護者」と訳されている単語は、「パラクレートス」というギリシャ語です。前置詞パラ「わきに、傍らに」とカレオー「呼び寄せる、励ます、慰める」から派生した名詞です。聖霊とは、人間が右に行けば右に、左に行けば左に並走してくださり、時に慰め、時に励まして下さる存在だということです。それは、神のわたしたちへの思いそのものです。「人が一人でいるのは良くない」と言い、一人ひとりの命を大切にされる神は、一人の人間の歩みに寄り添ってくださるのです。弟子たちは、この聖霊が伴にいたから、弱く、孤独でありながらも、世界に出かけて行き、宣教の働きを担うことができました。 聖霊は時に、人を通して働くと言われます。クリスチャンはこの世において、聖霊のお働きを誰かに伝える役割を担う者でもあるのです。それゆえ教会では、堅信式という聖霊を求める特別な祈りを大切にしています。聖霊をいただいているクリスチャンは、この世で誰かに神の思いを届ける霊的同伴者として召されています。霊的同伴者は一方的に与える存在ではありません。同伴者自身が、相手との交わりの中で、誰かが伴にいてくれることの喜びを知るのです。つまり、クリスチャンの喜びは、聖霊によって誰かと伴に歩む道にこそあるのです。 人が一人でいるのは良くない。わたしたち一人ひとりが聖霊に助けられ、誰かの同伴者として歩むことができますように。そして、伴に喜び、伴に悲しむ歩みの中で、一人ひとりの命を大切にされる神の思いを誰かに届けることができますように。聖霊の助けを求めて、祈ります。 ★主日の福音(2025年6月15日) (三位一体主日・聖霊降臨後第1主日、C年)「父と子と聖霊によって」(ヨハネによる福音書16:12-15) 今日の福音は主イエスの告別説教と言われる箇所の一部分です。主イエスは、ご自身が天に戻ることは悲しむべきことではない、と言われました。なぜなら、主イエスは私たちの居場所を天に備えるために昇天されるのであり、さらには、主イエスの昇天後に聖霊が降り、いつでも、「今」み言葉を聴く者に真理がもたらされるようになるからです。この直前の箇所で主イエスは、「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。」と言っています。この言葉の通り、主イエスの昇天は、2,000年後を生きるクリスチャンたちにも「今」、真理の霊による導きをもたらすためだったのです。今日の福音の一節です。 「父が持っておられるものはすべて、私のものである。だから、私は、『その方が私のものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」 「父」は神、「私」はイエス、「その方」は聖霊です。神のものはすべて御子イエスのもの、そして聖霊は御子のものを受けて「あなたがた」にすべてのことを告げるということです。「その方は、勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げる」とあるように、聖霊は主イエスの言葉=神の言葉を届けます。 真理、言葉、すべてが聖霊によって「あなたがた」に届けられると主イエスは言いました。「あなたがた」とは誰でしょうか。それはまず、「あなたがたは今はそれに堪えられない。」と言われている弟子たちです。しかし、それだけではありません。私たちも含めた、「今」主イエスのみ言葉を聴いている者すべてが、「あなたがた」です。「今」み言葉を聴く私たちにも聖霊は働き、「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と主イエスが言われたことが、私たちにも実現するのです。 神はわたしたちを遠くから眺めているのではありません。そうではなく、父と子と聖霊との聖なる三位一体の交わりのうちに私たちを導き続けます。この三位一体の神の有り様に、神の人への深い思い、愛が溢れています。クリスチャンは聖霊を通して「今」この愛を受け、「今」を歩んでゆくのです。 ★主日の福音(履歴) A年(2022~2023年) → 2022年11月27日 → 2022年12月4日 → 2022年12月11日 → 2022年12月18日 → 2022年12月25日 → 2023年1月1日 → 2023年1月8日 → 2023年1月15日 → 2023年1月22日 → 2023年1月29日 → 2023年2月5日 → 2023年2月12日 → 2023年2月19日 → 2023年2月26日 → 2023年3月5日 → 2023年3月12日 → 2023年3月19日 → 2023年3月26日 → 2023年4月2日 → 2023年4月9日 → 2023年4月16日 → 2023年4月23日 → 2023年4月30日 → 2023年5月7日 → 2023年5月14日 → 2023年5月21日 → 2023年5月28日 → 2023年6月4日 → 2023年6月11日 → 2023年6月18日 → 2023年6月25日 → 2023年7月2日 → 2023年7月9日 → 2023年7月16日 → 2023年7月23日 → 2023年7月30日 → 2023年8月6日 → 2023年8月13日 → 2023年8月20日 → 2023年8月27日 → 2023年9月3日 → 2023年9月10日 → 2023年9月17日 → 2023年9月24日 → 2023年10月1日 → 2023年10月8日 → 2023年10月15日 → 2023年10月22日 → 2023年10月29日 → 2023年11月5日 → 2023年11月12日 → 2023年11月19日 → 2023年11月26日 B年(2023~2024年) → 2023年12月3日 → 2023年12月10日 → 2023年12月17日 → 2023年12月24日 → 2023年12月31日 → 2024年1月7日 → 2024年1月14日 → 2024年1月21日 → 2024年1月28日 → 2024年2月4日 → 2024年2月11日 → 2024年2月18日 → 2024年2月25日 → 2024年3月3日 → 2024年3月10日 → 2024年3月17日 → 2024年3月24日 → 2024年3月31日 → 2024年4月7日 → 2024年4月14日 → 2024年4月21日 → 2024年4月28日 → 2024年5月5日 → 2024年5月12日 → 2024年5月19日 → 2024年5月26日 → 2024年6月2日 → 2024年6月9日 → 2024年6月16日 → 2024年6月23日 → 2024年6月30日 → 2024年7月7日 → 2024年7月14日 → 2024年7月21日 → 2024年7月28日 → 2024年8月4日 → 2024年8月11日 → 2024年8月18日 → 2024年8月25日 → 2024年9月1日 → 2024年9月8日 → 2024年9月15日 → 2024年9月22日 → 2024年9月29日 → 2024年10月6日 → 2024年10月13日 → 2024年10月20日 → 2024年10月27日 → 2024年11月3日 → 2024年11月10日 → 2024年11月17日 → 2024年11月24日 C年(2024~2025年) → 2024年12月1日 → 2024年12月8日 → 2024年12月15日 → 2024年12月22日 → 2024年12月25日 → 2024年12月29日 → 2025年1月5日 → 2025年1月12日 → 2025年1月19日 → 2025年1月26日 → 2025年2月2日 → 2025年2月9日 → 2025年2月16日 → 2025年2月23日 → 2025年3月2日 → 2025年3月9日 → 2025年3月16日 → 2025年3月23日 → 2025年3月30日 → 2025年4月6日 → 2025年4月13日 → 2025年4月20日 → 2025年4月27日 → 2025年5月4日 → 2025年5月11日 → 2025年5月18日 → 2025年5月25日 → 2025年6月1日 → 2025年6月8日 → 2025年6月15日
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