18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年9月14日)
(聖霊降臨後第14主日・特定19、C年)「一緒に喜んでください」(ルカによる福音書15:1-10)
 ルカによる福音書15章は、「失われた羊」「失われた銀貨」「失われた息子(放蕩息子)」という三つの「失われた」たとえによって、「失われた」ものを「見出した」喜びを伝えます。失われたものを見つけ、喜ぶのは他でもない、神です。迷い出た一匹の羊も、失われた銀貨も何の努力もしていません。ただ、主人が捜し出します。神との関係は、私たちが主体なのではなく神が主体だということです。「失われた」「見失う」「無くす」と訳されている単語は「アポリューミ」という同じギリシャ語で、「死ぬ」とか「滅びる」とも訳されます。すぐに神から離れて、「滅び」や「死」へと向かってしまう私たちを救いたいと心底望み、捜し出してくださるのが神である、ということです。
 「羊が見つかった!」「銀貨が見つかった!」と大喜びしてくださる神は、その羊、その銀貨にこだわります。他の羊でも、他の銀貨でも駄目なのです。たとえば、自分の子どもが一人いなくなったとして、ならば養子をとれば良いじゃないか、とはなりません。それと同じように、神は私たち一人ひとりにこだわり、「あなたでなければ駄目なのだ」と、たった一人の命も失われることを望んでおられないのです。
 失われていた命が帰ってきたことを喜ぶ神は、宴会を催し「一緒に喜んでください」と、共に喜ぶことを求めます。今日の福音書はファリサイ派や律法学者に向けて語られています。彼らは、自分たちは律法を守り、正しいという自負がありました。そして、それを守ることができない徴税人や罪人は救われないと考えていました。ファリサイ派や律法学者にとって、徴税人や罪人は「不要」で「いてはならない」人間だったのです。しかしそれは神の思いに反します。神はたった一人の命にこだわり、失われることを望まないからです。その神は、そのような悪い思いを離れ、共に喜ぶことを望んでおられるのです。
 さて、今日の福音は私たちに、神の深い愛を伝えるとともに、あなたは共に喜んでくれるか?不要な、いてはならないとしている人間はいないか?一緒に食事ができない人間はいないか?と、問いかけます。私たちはこの問に痛みを感じるのではないでしょうか。しかし神は、そんな弱さを持った私たちのことをも、どこまでも捜し、愛し抜いてくださいます。他でもない、「私自身」が神に見つけられ、その愛を知ることで、私たち一人ひとりが共に喜ぶ者へと変えられるのです。

★主日の福音(2025年9月21日)
(聖霊降臨後第14主日・特定19、C年)「不正にまみれた富で友達を作りなさい」(ルカによる福音書16:1-13)
 「不正にまみれた富で友を作る」とは、どういう意味なのでしょうか。富はわたしたちが生活をしていく上で必要不可欠なものです。そもそも富は神様からの賜物であり、わたしたちがそれを正しく用いることができるなら、それはすばらしいものです。しかし富は、神に成り代わる程の魅力を放ち、人間を引き寄せ、いつの間にか人間を支配します。そして堕落させ、道を踏み誤らせる力があります。この富の力に対し、人間は神様からの賜物を正しく用いることができない弱さを持っています。今日の旧約聖書で読まれるアモス書は、その良い例を示します。
 アモスは紀元前8世紀、繁栄した北イスラエル王国で活躍した預言者です。しかし当時の北イスラエル王国は、繁栄していてもその現実は不正がはびこっていました。貧しい人々から不正に搾取し、私腹を肥やしていた金持ち達がおり、そのような人々をアモスは厳しく糾弾しています。金持ち達はどうすれば利益を増やすことができるかで頭がいっぱいでした。彼らは、大切な宗教祭儀や安息日は商売ができなくなるから邪魔だと思っています。確かに豊かな生活を享受する者は、それなりの努力をして豊かさを手に入れたのかもしれません。他人を踏み台にしているとは、おそらく思ってもいないでしょう。それゆえ、搾取されている側、痛めつけられている人間の痛みが分からず、実に無自覚に、おおらかに豊な生活を享受しています。アモスはその無頓着さを批判し、滅びの到来を預言したのです。一部の人間が富を独占する、しかも不正に独占すること。それは、一方では誰かの富は取り上げられ、その命すら奪っているということに他ならないからです。そして人の命をも奪うその富は、もはや「不正にまみれた」ものとなってしまっているのです。
 残念ながら、この現実は今もまったく変わっていない、わたしたちの世界の現実です。どうしても人は富に魅了され、人がそれを用いる限り「不正にまみれた」ものとなってしまいます。そういう意味で、富そのものは汚れたものではないにもかかわらず、主イエスは「不正にまみれた富」と言われ、しかし、そのような不正にまみれた富であっても、どのように用いるかが大切だと仰っているのです。
 富は人を狂わせ、人を殺しもします。しかし、まったく逆に、人を生かし、人と人との関係を繋ぐものにもなりうる、と主イエスは今日のたとえで教えています。誰も「神と富とに仕えること」はできません。たとえ「汚れた富」でも、それを神と人とにささげ、賢明に用いるならば、「良くやった」と言って、まことの友と永遠の住まいを与えてくださるのがわたしたちの神です。ですから、自分は今、神に仕えているか、富に仕えているか、それが分かれ道であることを忘れずにいたいと思います。

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