18:28 2018/10/15
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★太田信三 司祭による主日の福音 ★主日の福音(2025年7月6日) (聖霊降臨後第4主日・特定9、C年)「願いなさい。行きなさい」(ルカによる福音書10:1-11,16-20) 七十二は異邦民族の数を表すと言われます。ならば、七十二人の弟子たちの派遣とは、全世界へ福音を伝えるための出来事だと解釈することができます。主イエスは派遣する七十二人に対し、宣教の旅において守らなければならないことを告げました。「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」とあるように、彼らはまず「願う人」であることが求められています。さらに「行きなさい。わたしがあなたがたを遣わす。」と続きます。つまり宣教に必要なのは、「願い」「派遣される」ことだと言われたのです。そして、願う先には神がおり、派遣するのは主イエスですから、宣教は弟子たちによるものではなく、その弟子たちを通して働く御父と御子の業だということです。 宣教者の後ろには神と主イエスとがおられる。それゆえ、「小羊」のように無力な人間であっても、「狼の群れ」からも守られ、使命を果たすことができるのです。背後に主イエスと神がおられるのだから、「財布も袋も履物も」必要ありません。むしろ自分の知識や経験、持ち物に頼るのではなく、積極的に主に寄り頼む宣教者を通してこそ、そこに神の働きが明らかにされるのです。 さらに弟子たちは、着いた先の家で「この家に平和があるように」と告げることが求められています。今日の福音の後半では、この七十二人によって「悪霊、サタン、敵」という、神と敵対する存在が屈服したことが報告されています。このことから、彼らが告げる平和とは、神と対立する力が滅ぼされた状態のことだと言えます。平和を求める神は、わたしたちの命を祝福し、他者との愛の交わりに生かそうとします。しかし神と対立する力は、人から神の祝福を遠ざけ、他者との交わりを断ち、人を孤独に追いやります。それゆえ、派遣された者たちは、分断の原因である「違い」を超えることが求められます。具体的には、派遣先の家でも町でも、「出される物を食べ、また飲む」こと、さらには「家から家へと渡り歩く」のではなく、関係に留まることが求められます。その交わりにおいて、人種、立場等あらゆる違いは、分断をもたらすものとしてではなく、多様な人々が共に食卓を囲む豊かさに変えられ、そこに神からの平和が実現することになるのです。 さて、派遣先から喜んで帰ってきた七十二人に主イエスは言います。「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」悪霊を服従させた弟子たちは、自分が誇らしかったことでしょう。しかし、それをなさしめたのは神です。ですから、喜ぶべきはその行いではなく、神に憶えられていることです。 宣教とは御父と御子の業であり、わたしたちに求められているのは、その主に願い、寄り頼みつつ、この世界のあらゆる違いを超え、平和を告げることです。 ★主日の福音(2025年7月13日) (聖霊降臨後第5主日・特定10、C年)「誰が隣人に「なった」か」(ルカによる福音書19:25-37) 今日の福音は、律法の専門家がイエスを試そうとして質問することから始まります。そこから始まる問答を通して、イエスはとても大切なことを私たちに伝えました。この律法の専門家は、「神を愛し、隣人を愛する」という律法の核心をもって答え、イエスからも「正しい」と言われました。しかし、「それを実行しなさい」と言われたことで、律法学者は、「隣人とは誰ですか?」とイエスに続けて問うことになりました。ここで示されていることは、律法の核心を知ってはいても、それを知っているだけではまったく意味が無い、ということです。 「隣人とは誰か」と問うた彼の発想は、「愛する」ということを実行する前に、まずは隣人を特定し、その特定された人だけを愛そう、というものです。それは果たして正しい姿勢でしょうか。それが彼に問われた事です。ユダヤ人である彼の愛する対象=「隣人」には、サマリア人は入っていませんでした。なぜなら、ユダヤ人とサマリア人は対立してきた歴史があるからです。そして、彼にとって隣人とは、レビ人や祭司といった、正統とされるユダヤ人でした。しかし、イエスが話された、「眼の前に瀕死の人がいるのに、祭司とレビ人は通り過ぎ、サマリア人がその人を助けた」という話しは、まったく異なる隣人を彼に示しました。イエスは彼に問いかけます。「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」彼は「サマリア人」をよほど嫌悪していたのでしょう。「サマリア人」という言葉を口にすることを拒むように、「その人に憐れみをかけた人です」と答えました。 「誰が隣人であるか」と問うた律法学者に対し、「誰が隣人になったか」と問うたイエス。ここに大きな違いがあります。祭司やレビ人は、瀕死の人が目の前にいても、その人を思うよりも、その危険な場所から身を避けることを考えました。しかしサマリア人は瀕死の人を憐れみ、近寄って介抱し、この人に尽くしました。憐れみとは、相手の痛みや悲しみへの痛みを伴うほどの共感であり、思いやりです。それは、虐げられた人や病にある人を見つめるイエスの思いであり、放蕩息子が帰ってきた時に駆け寄って迎えた父親の思いと同じものです。そしてそれは、神のわたしたち一人ひとりへの思いです。神がそれほどに大切にしてくださっている「命」そのものを心から大切にするとき、眼の前の人が「隣人になる」のです。それは決して人種や立場、そういう違いによって限定されるものではありません。イエスは言います。 「行って、あなたも同じようにしなさい。」 わたしたちが誰かの隣人になることを妨げるものは何でしょうか。ただひたすら、単純に、目の前の命を見つめ、駆け寄る人間でありたいと願います。 ★主日の福音(履歴) A年(2022~2023年) → 2022年11月27日 → 2022年12月4日 → 2022年12月11日 → 2022年12月18日 → 2022年12月25日 → 2023年1月1日 → 2023年1月8日 → 2023年1月15日 → 2023年1月22日 → 2023年1月29日 → 2023年2月5日 → 2023年2月12日 → 2023年2月19日 → 2023年2月26日 → 2023年3月5日 → 2023年3月12日 → 2023年3月19日 → 2023年3月26日 → 2023年4月2日 → 2023年4月9日 → 2023年4月16日 → 2023年4月23日 → 2023年4月30日 → 2023年5月7日 → 2023年5月14日 → 2023年5月21日 → 2023年5月28日 → 2023年6月4日 → 2023年6月11日 → 2023年6月18日 → 2023年6月25日 → 2023年7月2日 → 2023年7月9日 → 2023年7月16日 → 2023年7月23日 → 2023年7月30日 → 2023年8月6日 → 2023年8月13日 → 2023年8月20日 → 2023年8月27日 → 2023年9月3日 → 2023年9月10日 → 2023年9月17日 → 2023年9月24日 → 2023年10月1日 → 2023年10月8日 → 2023年10月15日 → 2023年10月22日 → 2023年10月29日 → 2023年11月5日 → 2023年11月12日 → 2023年11月19日 → 2023年11月26日 B年(2023~2024年) → 2023年12月3日 → 2023年12月10日 → 2023年12月17日 → 2023年12月24日 → 2023年12月31日 → 2024年1月7日 → 2024年1月14日 → 2024年1月21日 → 2024年1月28日 → 2024年2月4日 → 2024年2月11日 → 2024年2月18日 → 2024年2月25日 → 2024年3月3日 → 2024年3月10日 → 2024年3月17日 → 2024年3月24日 → 2024年3月31日 → 2024年4月7日 → 2024年4月14日 → 2024年4月21日 → 2024年4月28日 → 2024年5月5日 → 2024年5月12日 → 2024年5月19日 → 2024年5月26日 → 2024年6月2日 → 2024年6月9日 → 2024年6月16日 → 2024年6月23日 → 2024年6月30日 → 2024年7月7日 → 2024年7月14日 → 2024年7月21日 → 2024年7月28日 → 2024年8月4日 → 2024年8月11日 → 2024年8月18日 → 2024年8月25日 → 2024年9月1日 → 2024年9月8日 → 2024年9月15日 → 2024年9月22日 → 2024年9月29日 → 2024年10月6日 → 2024年10月13日 → 2024年10月20日 → 2024年10月27日 → 2024年11月3日 → 2024年11月10日 → 2024年11月17日 → 2024年11月24日 C年(2024~2025年) → 2024年12月1日 → 2024年12月8日 → 2024年12月15日 → 2024年12月22日 → 2024年12月25日 → 2024年12月29日 → 2025年1月5日 → 2025年1月12日 → 2025年1月19日 → 2025年1月26日 → 2025年2月2日 → 2025年2月9日 → 2025年2月16日 → 2025年2月23日 → 2025年3月2日 → 2025年3月9日 → 2025年3月16日 → 2025年3月23日 → 2025年3月30日 → 2025年4月6日 → 2025年4月13日 → 2025年4月20日 → 2025年4月27日 → 2025年5月4日 → 2025年5月11日 → 2025年5月18日 → 2025年5月25日 → 2025年6月1日 → 2025年6月8日 → 2025年6月15日 → 2025年6月22日 → 2025年6月29日 → 2025年7月6日 → 2025年7月13日
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