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★太田信三 司祭による主日の福音 ★主日の福音(2025年11月30日) (降臨節第1主日、A年)「光の武具を身につけて」(マタイによる福音書24:36-44) クリスチャンは、「すでに」と「いまだ」の間を生きる存在です。どういうことかというと、「すでに」イエス・キリストによる救いに与っていますが、「いまだ」イエス・キリストの再臨を待ち望んでいる、ということです。今日からの降臨節は、「すでに」救いを約束してくださった御子の誕生を祝うクリスマスと、「いまだ」訪れていない再臨の時を待ち望み、備える期節です。 必ず訪れる再臨の時は、救いの時であると私たちは「すでに」知っています。神はイエスの死と復活によって、例外なくすべての命を愛し、救うことを「すでに」明らかにしてくださったからです。再臨の時とは、その救いが完全に実現する時、イエスと私たちが顔と顔とを合わせる喜びの時です。必ずそのときが到来するのだから、それがいつ来ようとも、心配せず「今」を大事に生きるのがクリスチャンです。クリスチャンにとって「今」とは、イエスによって示された希望に照らされた「今」なのです。 パウロは、「闇の行いを脱ぎ捨てて、光の武具を身に着けましょう。」と呼びかけています。「光の武具」とはイエス・キリストのことに他なりません。そして、「光の武具を身に着け」て生きるとは、「すでに」示された「キリストの光」を身にまとい、「今」を生きるということです。闇の中では、人と人は互いに争い、ねたみ、不信と恐れの中で生きることになります。しかし、キリストの光に照らされるなら、不信と恐れは、愛すること、信頼することへと変えられます。光であるキリストのみ言葉に聴き、その光に世界が照らされることでこそ、「剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」というイザヤの預言がこの世界に実現します。そのために、私たちクリスチャンはキリストを身にまとう光の子として、愛するため、信頼するためにこの世に派遣されています。降臨節は、あらためてこの光を私たちの真中に見つめ、感じ、歩みをあらたにする時です。 「すでに」示されたキリストの光によってこそ、「いまだ」訪れない世界の実現を私たちは信じ、その実現のために今を生きることができます。この光を私たちに示してくださったキリストの誕生を祝うことができる者は、キリストの再臨を待ち望みながら今を生きることができます。「主の光の中を歩もう」というイザヤの呼びかけを聴き、主の光に照らされて、今日からの降臨節を歩みましょう。そして来たるべき時を、喜び満タンでお祝いしましょう。 ★主日の福音(2025年12月7日) (降臨節第2主日、A年)「イエス様をお迎えする場所を備える」(マタイによる福音書3:1-12) 救い主イエスをお迎する道備えのため、洗礼者ヨハネはこの世に遣わされました。ヨハネは、悔い改めてメシア=救い主の到来に備えるよう人々に呼びかけ、救い主をお迎えするためにどのような備えが必要かを指し示しました。 「天の国は近づいた」というヨハネの宣言は、イエスによって神の国の到来が開始されることを伝えるものでした。この宣言の通り、イエスを通して神がこの世界に介入します。この時にあって、ヨハネが求めた悔い改め(回心)とは、自分の内面に目を向けて反省するということよりも、今すぐにも実現しようとしている神の国の訪れに目を向け、この神の出来事に自らの生き方を合わせることです。それは、来たるべき救い主イエスをお迎えする場所を自らのうちに作る、ということです。イエスをお迎えするなら、そこに神の愛が満たされ、神の出来事に参与して生きる者へと変えられるからです。 ヨハネは罪の告白と洗礼を促しました。罪とは、神と離れて生きる人間と神との間に生まれるズレです。このズレがあっては、イエスが目の前に現れても、そこに神の思い、愛を見出すことができません。ですから、この救い主の到来を目前にしている今、このズレを認め、洗礼によって神の方向へと真っ直ぐに顔を向け直す必要があることをヨハネは示し、人々に求めました。 荒れ野のヨハネのもとには、ファリサイ派やサドカイ派の人々も訪れました。過酷な環境である荒れ野は、人々を飾り立てているものを剥がし、むき出しの人間の姿をあらわにします。ヨハネはそれらの人々に向かって「毒蛇の子らよ、我々の父はアブラハムだなどと思うな」と言います。「アブラハムの子ら」とは、自分たちは選民であり、救いが約束されているのだと、ユダヤ人たちが誇って使う言葉でした。しかし、神は石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことができ、血筋は何の役にも立たないとヨハネは言います。こうして荒れ野のヨハネのもとを訪れたすべての人々が裸にされ、罪を告白し、洗礼が施されます。そして、人々の心はこじ開けられ、来たるべき救い主をお迎えする場所がそれぞれのうちに備えられたのです。 ヨハネは、来たるべき方の洗礼は、「聖霊と火」によるものだと言います。ヨハネの呼びかけに応え、罪を認め、自らを開き、イエスをお迎えするなら、わたしたちはイエスの洗礼により、罪の殻が燃やされ、聖霊によって新たな命が授けられます。 ★主日の福音(履歴) B年(2023~2024年) → 2023年12月3日 → 2023年12月10日 → 2023年12月17日 → 2023年12月24日 → 2023年12月31日 → 2024年1月7日 → 2024年1月14日 → 2024年1月21日 → 2024年1月28日 → 2024年2月4日 → 2024年2月11日 → 2024年2月18日 → 2024年2月25日 → 2024年3月3日 → 2024年3月10日 → 2024年3月17日 → 2024年3月24日 → 2024年3月31日 → 2024年4月7日 → 2024年4月14日 → 2024年4月21日 → 2024年4月28日 → 2024年5月5日 → 2024年5月12日 → 2024年5月19日 → 2024年5月26日 → 2024年6月2日 → 2024年6月9日 → 2024年6月16日 → 2024年6月23日 → 2024年6月30日 → 2024年7月7日 → 2024年7月14日 → 2024年7月21日 → 2024年7月28日 → 2024年8月4日 → 2024年8月11日 → 2024年8月18日 → 2024年8月25日 → 2024年9月1日 → 2024年9月8日 → 2024年9月15日 → 2024年9月22日 → 2024年9月29日 → 2024年10月6日 → 2024年10月13日 → 2024年10月20日 → 2024年10月27日 → 2024年11月3日 → 2024年11月10日 → 2024年11月17日 → 2024年11月24日 C年(2024~2025年) → 2024年12月1日 → 2024年12月8日 → 2024年12月15日 → 2024年12月22日 → 2024年12月25日 → 2024年12月29日 → 2025年1月5日 → 2025年1月12日 → 2025年1月19日 → 2025年1月26日 → 2025年2月2日 → 2025年2月9日 → 2025年2月16日 → 2025年2月23日 → 2025年3月2日 → 2025年3月9日 → 2025年3月16日 → 2025年3月23日 → 2025年3月30日 → 2025年4月6日 → 2025年4月13日 → 2025年4月20日 → 2025年4月27日 → 2025年5月4日 → 2025年5月11日 → 2025年5月18日 → 2025年5月25日 → 2025年6月1日 → 2025年6月8日 → 2025年6月15日 → 2025年6月22日 → 2025年6月29日 → 2025年7月6日 → 2025年7月13日 → 2025年7月20日 → 2025年7月27日 → 2025年8月3日 → 2025年8月10日 → 2025年8月17日 → 2025年8月24日 → 2025年8月31日 → 2025年9月7日 → 2025年9月14日 → 2025年9月21日 → 2025年9月28日 → 2025年10月5日 → 2025年10月12日 → 2025年10月19日 → 2025年10月26日 → 2025年11月2日 → 2025年11月9日 → 2025年11月16日 → 2025年11月23日 A年(2025~2026年) → 2025年11月30日 → 2025年12月7日
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