18:28 2018/10/15
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★太田信三 司祭による主日の福音 ★主日の福音(2025年1月12日) (顕現後第1主日・主イエス洗礼の日、C年)「天が開かれた」(ルカによる福音書3:15-17、21-22) 洗礼者ヨハネは、人々が救い主イエスを迎える備えをするために、神によって遣わされました。人々は洗礼者ヨハネを救い主だと思っていました。しかし、洗礼者ヨハネはイエスこそが救い主であると人々に告げます。そして、そのイエスが洗礼者ヨハネのもとに訪れ、なんと民衆と同じ洗礼を受けたのです。 なぜイエスが洗礼を受けたのでしょうか。それは、私たちとご自分が一緒になるためです。民衆はメシアを待ち望んでいました。ヨハネのもとに押し寄せる人々の光景を想像すると、その切実さが伝わってきます。どうしたって神から離れてしまう、罪から離れられず、苦しみつつも、しかし何とかして神とともにある命を生きたい、救われたいと願う人々。これは私たちの姿でもあります。イエスはご自分も洗礼を受けることで、この人間たち=私たちと同じになられたのです。 救い主イエスの歩む先は十字架です。その歩みの始まりこそ、この洗礼でした。神は洗礼によってイエスに霊を降し、これから徹底的に神に従って歩むご自分の独り子、イエスの十字架への歩みを支えます。受洗後すぐに祈るイエスに、天が開け聖霊が鳩のように降りました。イエスの受洗とともに、神の介入が開始されたのです。イエスは洗礼を受け、今、神の霊とともに歩み始めます。さらに、神は声で語りかけます。「あなたは私の愛する子。私の心に適う者。」神は限りない愛と祝福によって、イエスを励まし、勇気づけました。イエスはこうして、神からの霊と励ましを受け、神の救いを待ち望む人々のところへと遣わされていきます。 天が裂けるとは、絶たれていた神との関係が修復され、天と地との間に対話が始まったことを表します。イエスは洗礼により霊を受け、限りない神の愛に包まれ、神と人とを結ぶために十字架への道を歩み始めます。十字架によってもたらされる罪の赦しとは、神から離れていた命が再び神に結ばれることです。イエスの洗礼によって天が開かれ、イエスの十字架上の執り成しによって、私たちは神に結ばれます。こうして、十字架のイエスを通して、私たちと神との道が通じ、イエスに降ったのと同じ神の霊と祝福に満たされた命が私たちにも届けられるのです。神に結ばれ、霊とともにある命。これこそ、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けられた私たちの命です。イエスによってもたらされたこの命を私たちはいただいているのです。 ★主日の福音(2025年1月19日) (顕現後第2主日・主イエス洗礼の日、C年)「最初のしるし」(ヨハネによる福音書2:1-11) 当時の婚宴は数日に渡り、来客をもてなすのが新郎の大事な務めでした。ぶどう酒が尽きてしまっては、お祝いも興ざめ、新郎は恥をかくことになります。そのぶどう酒が無くなりそうなことに気づいた母マリアはイエスに状況の打開を願いました。しかし、イエスはこの願いを断ります。なぜイエスは断ったのでしょうか。それは、イエスはご自分のしたいことをするのではなく、神の御心に従う方だからです。この時も、母マリアが願ったからと言って、イエスはご自分で「はい分かりました」とは言いません。それをするかどうかを決めるのは神だからです。 イエスは、十字架上で御自分が栄光をお受けになるその時まで、徹底してご自分の栄光を求めるのではなく、神の栄光のために行動します。自分が褒めそやされることよりも、神のことを皆が称えるように。自分のためにすることは虚しいけれど、神のためにすることは必ず良い実を結ぶことをイエスは知っています。だからこそ、十字架の死に至るまで、徹底的に神の意志に従いました。イエスは毎日、社会から阻害されている人、人としての扱いを受けていない人のところへ出かけて行き、共にいました。それが神の御心だったからです。しかし、それは危険が伴うことでした。結果、イエスご自身が阻害され、人として扱われず、十字架にかけられるのです。イエスはご自分の危険を顧みるよりも、神の思いを優先させたのです。神はそのイエスを復活させました。なぜなら神は、イエスのように神の思いに従い、神が喜ぶことを求めて生きる人間を、必ず生かす方だからです。神に従う命に、神はこの世のどんなものよりも素晴らしい栄光をくださる。このことがイエスの死と復活によってわたしたちに明らかにされたことです。 今日の福音の一番始めには「三日目に」とあります。ここにイエスの死と「三日目」の復活が暗示されています。ガリラヤのカナでの「最初のしるし」は、イエスの死と復活によって示される神の有り様が明らかにされた出来事です。わたしたちの信じる神は、神の栄光を求め、主に従う者に必ず善いものを与えてくださいます。 ★主日の福音(履歴) A年(2022~2023年) → 2022年11月27日 → 2022年12月4日 → 2022年12月11日 → 2022年12月18日 → 2022年12月25日 → 2023年1月1日 → 2023年1月8日 → 2023年1月15日 → 2023年1月22日 → 2023年1月29日 → 2023年2月5日 → 2023年2月12日 → 2023年2月19日 → 2023年2月26日 → 2023年3月5日 → 2023年3月12日 → 2023年3月19日 → 2023年3月26日 → 2023年4月2日 → 2023年4月9日 → 2023年4月16日 → 2023年4月23日 → 2023年4月30日 → 2023年5月7日 → 2023年5月14日 → 2023年5月21日 → 2023年5月28日 → 2023年6月4日 → 2023年6月11日 → 2023年6月18日 → 2023年6月25日 → 2023年7月2日 → 2023年7月9日 → 2023年7月16日 → 2023年7月23日 → 2023年7月30日 → 2023年8月6日 → 2023年8月13日 → 2023年8月20日 → 2023年8月27日 → 2023年9月3日 → 2023年9月10日 → 2023年9月17日 → 2023年9月24日 → 2023年10月1日 → 2023年10月8日 → 2023年10月15日 → 2023年10月22日 → 2023年10月29日 → 2023年11月5日 → 2023年11月12日 → 2023年11月19日 → 2023年11月26日 B年(2023~2024年) → 2023年12月3日 → 2023年12月10日 → 2023年12月17日 → 2023年12月24日 → 2023年12月31日 → 2024年1月7日 → 2024年1月14日 → 2024年1月21日 → 2024年1月28日 → 2024年2月4日 → 2024年2月11日 → 2024年2月18日 → 2024年2月25日 → 2024年3月3日 → 2024年3月10日 → 2024年3月17日 → 2024年3月24日 → 2024年3月31日 → 2024年4月7日 → 2024年4月14日 → 2024年4月21日 → 2024年4月28日 → 2024年5月5日 → 2024年5月12日 → 2024年5月19日 → 2024年5月26日 → 2024年6月2日 → 2024年6月9日 → 2024年6月16日 → 2024年6月23日 → 2024年6月30日 → 2024年7月7日 → 2024年7月14日 → 2024年7月21日 → 2024年7月28日 → 2024年8月4日 → 2024年8月11日 → 2024年8月18日 → 2024年8月25日 → 2024年9月1日 → 2024年9月8日 → 2024年9月15日 → 2024年9月22日 → 2024年9月29日 → 2024年10月6日 → 2024年10月13日 → 2024年10月20日 → 2024年10月27日 → 2024年11月3日 → 2024年11月10日 → 2024年11月17日 → 2024年11月24日 C年(2024~2025年) → 2024年12月1日 → 2024年12月8日 → 2024年12月15日 → 2024年12月22日 → 2024年12月25日 → 2024年12月29日 → 2025年1月5日 → 2025年1月12日 → 2025年1月19日
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