18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年6月29日)
(聖霊降臨後第3主日・特定8、C年)「神のみ心か、自分の思いか」(ルカによる福音書9:51-62)
 これまでのガリラヤ地方中心の活動から、イエスはエルサレムへと歩みを向けます。エルサレムへの歩みとは、十字架への歩みに他なりません。その不安や恐れは計り知れません。そのとてつもない覚悟を、今日の福音では「イエスはエルサレムに向かうことを決意された。」と記しています。この「決意」という言葉は直訳すると「顔」です。神が定めたエルサレムでのその時へと、イエスは決然と顔を向けているのです。今日の福音では、イエスのこの決意と対比されるように、弟子たち、そしてイエスに従おうとする三人が登場します。
 弟子の二人、ヤコブとヨハネはイエス一行を迎えることを拒んだサマリア人の村に、「主よ、お望みなら、天から火を下し、彼らを焼き滅ぼすように言いましょうか。」と言いました。サマリア人とユダヤ人は、同じルーツでありながらも、歴史の中で相容れない関係になっていました。弟子たちにとってサマリア人は、今、村に入ることを拒まれたという意味でも、歴史的背景からも「敵」だったのです。「彼らを焼き滅ぼす」とは、敵ならば滅ぼしても良い、という恐ろしい考えの表れに他なりません。しかしもっと恐ろしいのは、「主よ、お望みなら」と聞いていることです。自分たちの望みを叶えるため、天の力を使わせて殺させて欲しいと主に迫り、神にそれを認めさせようとしているのです。ここにイエスと弟子との違いが鮮明に表れます。ご受難へ向かうイエスは、ひたすら神のみ心に従い、敵とされていたサマリア人のところにも訪れ、神の支配、神の救いを宣べ伝えようとなさいました。他方、弟子たちはサマリア人の命などどうでもよい。「敵」への憎しみに囚われ、すべての人を救おうとされる神の意思などそっちのけです。残念ながらそれが弟子たちでした。
 続いて、イエスに従おうとする三名が登場します。一人目は条件をつけずにイエスに従うと言います。イエスは彼に、「人の子(=主イエス)」の現実を包み隠さず教え、従う弟子も同じ境遇におかれることを伝えます。しかし、他の二人はといえば、弟子たち同様、神の意思よりも別なものにとらわれていました。そんな彼らにイエスは、自分がこれから歩むべき道にまっすぐに目を向けるように諭されました。
 エルサレムへと顔を向け、徹底的に神の救いの計画に従ったイエスにならい、イエスによって示される神の国へとまっすぐに目を向ける者にこそ、神の国は開かれます。そこに信頼して歩む先にこそ、なによりも良い物が用意されています。

★主日の福音(2025年7月6日)
(聖霊降臨後第4主日・特定9、C年)「願いなさい。行きなさい」(ルカによる福音書10:1-11,16-20)
 七十二は異邦民族の数を表すと言われます。ならば、七十二人の弟子たちの派遣とは、全世界へ福音を伝えるための出来事だと解釈することができます。主イエスは派遣する七十二人に対し、宣教の旅において守らなければならないことを告げました。「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」とあるように、彼らはまず「願う人」であることが求められています。さらに「行きなさい。わたしがあなたがたを遣わす。」と続きます。つまり宣教に必要なのは、「願い」「派遣される」ことだと言われたのです。そして、願う先には神がおり、派遣するのは主イエスですから、宣教は弟子たちによるものではなく、その弟子たちを通して働く御父と御子の業だということです。
 宣教者の後ろには神と主イエスとがおられる。それゆえ、「小羊」のように無力な人間であっても、「狼の群れ」からも守られ、使命を果たすことができるのです。背後に主イエスと神がおられるのだから、「財布も袋も履物も」必要ありません。むしろ自分の知識や経験、持ち物に頼るのではなく、積極的に主に寄り頼む宣教者を通してこそ、そこに神の働きが明らかにされるのです。
 さらに弟子たちは、着いた先の家で「この家に平和があるように」と告げることが求められています。今日の福音の後半では、この七十二人によって「悪霊、サタン、敵」という、神と敵対する存在が屈服したことが報告されています。このことから、彼らが告げる平和とは、神と対立する力が滅ぼされた状態のことだと言えます。平和を求める神は、わたしたちの命を祝福し、他者との愛の交わりに生かそうとします。しかし神と対立する力は、人から神の祝福を遠ざけ、他者との交わりを断ち、人を孤独に追いやります。それゆえ、派遣された者たちは、分断の原因である「違い」を超えることが求められます。具体的には、派遣先の家でも町でも、「出される物を食べ、また飲む」こと、さらには「家から家へと渡り歩く」のではなく、関係に留まることが求められます。その交わりにおいて、人種、立場等あらゆる違いは、分断をもたらすものとしてではなく、多様な人々が共に食卓を囲む豊かさに変えられ、そこに神からの平和が実現することになるのです。
 さて、派遣先から喜んで帰ってきた七十二人に主イエスは言います。「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」悪霊を服従させた弟子たちは、自分が誇らしかったことでしょう。しかし、それをなさしめたのは神です。ですから、喜ぶべきはその行いではなく、神に憶えられていることです。
 宣教とは御父と御子の業であり、わたしたちに求められているのは、その主に願い、寄り頼みつつ、この世界のあらゆる違いを超え、平和を告げることです。

★主日の福音(履歴)

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