クリスマスのご案内(クリックしてください)
☆「きょうくニュース」(12月22日号)が発行されました。
サザンカ(12月21日撮影)
(写真をクリックすると拡大表示されます)
★教会の秋の講演会「パストラル・ハープのつどい」の写真を「写真集」に追加しました。(2024/10/6)
★教会の秋の講演会「パストラルハープのつどい」のポスターを掲載しました。(2024/9/17)
★「聖苑102号(HP)版」を「聖苑」に追加しました。(2024/9/7)
★「聖公会歴史資料研究会だより」6・7月号(宣教師マダム・ペリー)を「トピックス」に追加しました。(2024/8/10)
★「聖公会歴史資料研究会だより」5月号(京都聖ヨハネ教会)を「トピックス」に追加しました。(2024/6/23)
★多摩教会グループの交流会の写真を「写真集」に追加しました。(2024/5/1)
★「聖公会歴史資料研究会だより」4月号(「大阪実業會)を「トピックス」に追加しました。(2024/4/13)
★「聖苑101号(HP版)」を「聖苑」に追加しました。(2024/4/13)
★「聖公会歴史資料研究会だより」3月号(浅草聖ヨハネ教会の伝道)を「トピックス」に追加しました。(2024/3/16)
★「歴史資料研究会だより」1・2月号(日韓聖公会の歴史)を「トピックス」に追加しました。(2024/3/2)
★「聖苑100号(HP版)」を「聖苑」に追加しました。(2023/10/28)
★小金井市キリスト教ネットワーク(KC-NET)の巡回祈祷会の写真を「写真集」に追加しました。(2023/9/9)
★「聖公会歴史資料研究会だより9月号」(関東大震災と我が教会)を「トピックス」に追加しました。(2023/9/8)
ペトロが「ここに仮小屋を三つ建てましょう」と提案した「仮小屋」は幕屋=テントのことです。ユダヤ人にとって幕屋はモーセに率いられてエジプトから脱出した後、荒れ野で40年におよぶ放浪生活を過ごした際に住居として使用した物であると同時に放浪の間中、神が民と共に在ることを示すためにモーセとの会談の場として使用した「臨在の幕屋」を思い起させる物です。「臨在の幕屋」はシロに置かれて契約の箱の安置所となり、後に神殿が建設され「主の宮」と呼ばれますが、ペトロの提案はイエスとモーセとエリヤの会見を記念すると同時に、神の栄光を地上に繋ぎ止める「臨在の幕屋」を建て、この地を新たな聖地にと願ったのかも知れません。しかしながらイエスは聖地に留まって民を来させるのではなく、民の許へと赴かれることを選ばれます。地上の一つ所を聖地にするのではなく、世界を神の国に戻すことが御旨だからです。(倉澤)
イエスが「あなたがたも聞いている通り」と言われた「殺すな」、「姦淫するな」、「偽証するな」はすべて神がモーセに授けた十戒に示された戒めです。モーセの律法では人を殺した者、姦淫した者、主の御名にかけての誓約違反や偽証者はすべて死刑に処せられる定めでした。大変厳しい罰則を伴う戒めであったと言えますが、これは神と人との関係を破壊して修復不可能な状態にしてしまうからだと考えます。これらの破戒は人と人との関係を破壊すると同時に、関係修復が不可能な場合は、相応しい関係の在り方を何よりも望まれる神の御心に背くものとなり、それは神と人との関係の破壊に繋がるからです。神殿での供物の奉献はユダヤ教で極めて大切な儀式ですが、たとえ奉献の途中であったとしても、家族や友人との関係修復を優先せよとイエスは教えられます。神の御心に背いた状態での供物に意味は無く、実際の行為に踏み切らないとしても淫らな感情を抱いたり、達成が十分に可能な誓約であるとしても主の御名に懸けて誓うことは神と人との関係を破壊する第一歩になり得ることを覚え、関係の破壊ではなく修復に努めることをイエスは私たちに求めておられます。(倉澤)
礼拝堂の献花(2月16日)
人間は古代文明を成立させる以前から様々なことに塩を用いるようになりますが、地域によっては同量の金と等しい価値を有する場合も珍しくないほど、あらゆる地で貴重なモノとして接してきました。多くの宗教儀式において塩は神への供物に不可欠な物とされたほか、塩を分け合ったり、交換することを神聖な行為と考える習慣は洋の東西に関係なく見出されます。塩が日常の食事において私たちに大きな満足を与える味を調える上で不可欠な「塩味」を与えてくれるだけでなく、古代人たちが何よりも恐ろしく感じていた「腐敗」を防ぐ効果を有していたからです。古代人たちは「腐敗」という現象を悪魔や悪霊の業と考えていたので、「腐敗」を防ぐ塩には神の力があると信じ、神聖の維持や回復に用いたのです。イエスは「塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう」と言われましたが、塩は常温においては極めて安定した性質を持つため、塩気が失われることはあり得ないそうです。イエスは地の塩である私たちから「塩気」が失われることはなく、この世の腐敗を防ぐ力は神から私たちに常に変わることなく与えられているはずだ、と語られているのです。(倉澤)
礼拝堂の献花(2月9日)
ユダヤ教の律法では男子が生まれた場合、母親は出産後7日の間は穢れた者とされます。8日目に男子は割礼を受けますが、母親はその後も清めの期間として33日の間家に留め置かれます。計40日が過ぎると、男子の場合は焼き尽くす献げ物として1歳の雄羊1匹を、贖罪の献げ物として家鳩か山鳩1羽を祭司に渡して贖いの儀式を行ってもらうことで、母親は穢れから清められるとされました。また、初めて生まれた子は人でも家畜でもすべて神の所有物とされ、家畜の場合は焼き尽くす献げ物に、人の子は神に仕える者として献げる定めでした。ただし、人の子は銀5シェケル(約60g)支払ってレビ人に身代わりとなってもらう「贖い」の規定があり、ルカは母マリアの清めの奉献と、マリアの初子である幼子イエスの奉献の出来事をまとめて「被献日」の出来事として記述したと考えられます。律法の定めによって銀5シェケルでエルサレム神殿から贖われた幼子イエスが、縁辺の地、異邦人の地と見下されていたガリラヤのナザレに戻され、その身を犠牲にして民の罪を贖い、異邦人の光となることがシメオンとアンナによって主の家族と人びとに語られたことに注目したいと思います。(倉澤)
礼拝堂の献花(2月2日)
福音記者マタイは「ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、(中略)異邦人のガリラヤは、栄光を受ける」というイザヤ書8章23節の言葉を引用して、イエスの宣教開始を宣言します。ヨハネ福音書7章52節でも見られるように、当時のユダヤ教指導層においてはガリラヤからは預言者は出ないことが公式見解でしたので、マタイは「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる「みどりご」がガリラヤから出現するイザヤの預言をもって、その「みどりご」こそイエスであると主張したのだと言えます。ゼブルン族もナフタリ族もイスラエル12部族に属しており、異邦人ではありませんが、アッシリアの侵略によって両部族は強制移住させられ、この地は長く異民族の支配下にありました。そのためエルサレム神殿を拠り所として発展したユダヤ教指導層から「周辺(ガーリール)」を意味する「ガリラヤ」と呼ばれるようになります。また、イエスが宣教の拠点に選ばれたカファルナウムはかつてのゼブルンとナフタリの境界に位置し、古代世界の重要な交通・交易の要衝でしたので「異邦人の地」と呼ばれても不思議ではありません。「周辺」や「異邦人の地」と蔑まれた地を宣教の出発点に選ばれたことに、世の闇を照らす光=イエスの在り様を見出すことが出来ます。(倉澤)
礼拝堂の献花(1月26日)
洗礼者ヨハネの二人の弟子は、ヨハネが「神の小羊」だとイエスを指し示したことからヨハネの許を離れてイエスに従っています。イエスはついてきた二人に「何を求めているのか」と尋ね、二人は「どこに泊まっているのですか」と応答しています。イエスは「来なさい。そうすれば分かる」と答えられています。二人はイエスについて行き、その日はイエスの許に泊まったと記されています。日本語の訳文ではイエスと二人の会話は、イエスの逗留先を尋ねる日常会話にしか受け取れませんが、「泊まる」と訳されたギリシア語の「とどまる」は、神の義や神の言葉に「とどまる」という場合にも用いられます。そうしますと二人はイエスがどこに逗留しているのか尋ねたつもりで、イエスは二人からご自分の生き方の根本を問われたように受けて、「(私について)来なさい。そうすれば(私が神のみ言葉にとどまって生きていることが)分かる」と答えたことになり、結果としてイエスと一晩を共にした二人はイエスとの出会いをメシアとの出会いと確信するに至ります。二人はイエスの弟子としてイエスの宣教につき従うことで愛の業の目撃者として「神にとどまる」生き方を学び、イエスのご受難と復活に立ち会うことで、自分たちもイエスの後に続く「神にとどまる」者へ変えられていったのです。(倉澤)
礼拝堂の献花(1月19日)
今日でこそ「主イエス洗礼の日」は顕現後第1主日であり、顕現節中の一主日の扱いですが、古代教会のキリスト者にとっては「顕現日」であると同時に、復活日に備えるために「大斎節」を設けたことに倣い、顕現日に備えるために第2の大斎節として「降臨節」を設けるほどに重視した、復活日と共に年に2回しかない「洗礼の日」として極めて重要な祝日でした。「顕現日(エピファニー)」の語源となったエピファネイアは「降臨節(アドベント)」の語源であるアドベントゥスと同じ「到来」を、それも即位したばかりの「新王の訪問」を意味します。神の救いの計画が主イエスの受難と復活によって成就したのが「復活日」であるならば、神の救いの方法が主イエスの洗礼という目に見える形で私たちに顕されたのが「主イエス洗礼の日」であり、この世への「救い主の訪問」の瞬間であるとされたのです。後に「降誕日」が祝われるようになると顕現日の意味も変わりますが、古い時代ほど救い主の「受肉」の出来事よりも、主イエスの「復活」や「洗礼」の方が神の救いに直結する出来事と捉えられていたと言えます。(倉澤)
礼拝堂の献花(1月12日)
ヘロデの追っ手を逃れてエジプトに避難していたヨセフ一家に、主の天使はヘロデが死んだので「子供とその母を連れ、イスラエルの地に行きなさい」と命じ、ヨセフはマリアと幼子とを連れて「イスラエルの地に帰って来た」とマタイ福音書は記しています。注目すべきはイスラエルの地に「行け」と「帰って来た」と訳された言葉です。「行け」には「赴く」や「旅立つ」の意が、「帰って来た」には「(場所に)入る」の意があり、そこに注意しますと天使の命令は「イスラエル(約束)の地に旅立て」であり、ヨセフの行為は「イスラエル(約束)の地に入った」と解することが出来、幼子イエスのエジプトからイスラエルへの旅は、神に召し出された預言者モーセの「出エジプト」の旅に重なるものとなります。すなわち2度目の、神による民の救いが幼子イエスによって開始されることが示されているのです。神は1度目の救い=「出エジプト」において、モーセを通して救いの道となる「十戒」や「律法」を目に見える形でお与えになり、2度目の救い=独り子の「受難」による救いにおいては、救いの道を御子イエスの具体的行動によって、私たちにも実行可能であることをお示し下さっています。(倉澤)
アドベントキャンドル(1月5日)
神はかつてご自分に背いて散っていった民を、再びご自分の許に集めて救うために、愛する独り子をこの世に遣わされました。それがキリスト・イエスの降誕の出来事です。散り散りになってしまった神の民を一つに集めるというのは大変な事です。神から離れ、神を忘れて長い時を過ごすうちに私たちは部族・民族という意識を強く持つようになり、互いを競争者・敵対者とみなして対立し、争い合うことを繰り返したため、席を共にするどころか言葉を交わすことすら厭う関係になっていたからです。さらには同じ民族であっても、貧富や身分といった隔ての方法を生み出したので、同じ言葉を話す者同士ですら共に集まることが難しくなっていました。しかしながら、キリストの降誕は対立し合い、差別し合っていた者たちを一つ所に集めるという奇跡を起こしました。差別・被差別の関係にあったベツレヘムの住民と羊飼いたちが生まれたばかりの救い主の許に集まり、一緒に誕生を祝いつつ神へ感謝を献げたのです。散らされていた神の民が救い主の許で一つに集められた光景こそ、私たちが目指す神の国の現れと言えます。(倉澤)
アドベントキャンドル(12月29日)
マタイ福音書において主の母マリアの夫となるヨセフは「正しい人であった」と記されています。律法では婚約中の女性が街中で婚約者以外の男性と関係をもったり、花嫁が乙女でなかった場合、娘は石打ちにされると定められていました。当時の律法学者たちの多くは本業を持ち、職人であることが望ましいとされていたので、大工のヨセフも律法に精通していたと考えられます。ヨセフが律法に忠実なだけの「正しい人」であればマリアは石打にされ、主イエスもこの世にお生まれになることはありませんでした。しかしながらヨセフは律法に忠実な道=マリアの処刑を選ばず、マリアを救う道=離縁を選びます。さらには天使のお告げに従って、マリアと結婚することを受け入れています。「正しい人」とは律法に忠実であることではなく、必要であれば律法を超える選択を決断する勇気を持ち、自分の考えよりも神の御旨を優先出来る人を意味しています。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の
アドベントキャンドル(12月24日)
アドベント・キャンドルの4本の蝋燭には灯す順に「預言」、「天使」、「羊飼い」、「ベツレヘム」の名があり、「希望」、「平和」、「喜び」、「愛」の意味を持ちます。降臨節第3主日は「喜びの日曜日(ガウデテ・サンデー)」と呼ばれ、この日の蝋燭は「喜び」に因んで紫を薄めたバラ色を用いることから「ローズ・サンデー」とも呼ばれ、英国聖公会などでは司祭はバラ色のストールを、教会員もバラ色の衣服や飾りを身に付ける習慣があります。アドベント・キャンドルの起源は、19世紀前半にルター派の牧師ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィヒェルン(1808~1881)がハンブルクの児童養護施設「ラウエスハウス」の礼拝堂において24本の蝋燭を立て、12月1日から子どもたちと共に祈りを献げながら毎日1本ずつ灯して降誕日を待ち望んだこととされます。後に同師の友人が古い車輪を利用した大きな環状の蝋燭立てを作って集会室の天井から吊るし、周囲の壁を緑の枝で飾り付け、主日を表す4本の白い蝋燭と20本の赤い蝋燭を灯しました。現在の教会では主日を表す4本のみを用いることが多いようですが、24本の蝋燭を用いてアドベント・カレンダーとする家庭もあります。蝋燭の色は聖公会やカトリックでは祭色に合わせた紫を用いますが、白や赤を伝統的に用いる教派・教会もあります。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の
アドベントキャンドル(12月15日)
キリスト教を受け入れる以前の西欧のケルト人や北欧のゲルマン人たちは、神々の力は太陽の力と密接に関係があり、夏至の頃に最も強くなるが、冬至の頃に最も弱くなると信じたため、太陽が再び輝きを取り戻し始める冬至を一年の始まりとする暦を用い、新年祭として冬至祭「ユール」を祝い、豊穣を象徴する猪や豚を神々や先祖の霊に捧げ、料理(ユール・ボード)として分かち合いました。しかしながら、神々の力が弱まる冬の時期、特に最も弱くなる冬至の夜は悪霊や死者の霊が活動を強めると信じていました。そこで寒い冬の森に在っても緑を保っている常緑樹の枝葉で「環」を作り、戸口に掛けて悪霊や死者の霊の侵入を防ぐ魔除けとしました。「環」の切れ目の無い完結した形状が聖なる力を宿していると信じたためで、これがアドベント・クランツ(リース)の起源となりました。キリスト教の広まりと共にユールもローマのサトゥルヌス祭と同様にキリストの降誕を祝う祭りに置き換えられ、「魔除けの環」も「キリストの王冠」に意味が変わります。さらにキリスト受難の血を受けてその実が赤色に変わったと伝えられた柊が素材に加えられることで、「キリストの荊冠」の意味を持つ「環」となりました。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の
アドベントキャンドル(12月8日)
主イエスをお迎えするための備えの時、降臨節(アドベント)は「アドベントゥス(到来)」が語源で、顕現日(エピファニー)の語源である「エピファネイア(新王の初行幸)」と共に「救い主がこの世に来られた」ことを意味します。現代では東方の三博士の到来と救い主イエスへの礼拝が顕現の出来事として取り上げられますが、古代教会ではこの世に来られたキリストが人々の目の前で洗礼を受けられたことを「王の到来」と捉え、復活日に次ぐ「洗礼の日」として守りました。そして「大斎節」に倣い、主イエスの洗礼の日=顕現日に備えるため、「断食」などの克己的生活によって自分の心を整える40日間(土曜夕~日曜夕を除く)の第2の大斎節=降臨節を設けたのです。後に「降誕日」が定められると、降誕日から顕現日までが「降誕節」とされ、降臨節は主のご降誕に備える期節となり、期間も四週間に短縮されます。ですが、大斎節と同じ紫色を祭色として用いているように、大斎節に準じる心と過ごし方をもって主をお迎えする備えに当ることが大切です。自分の一食を食事の無い人と分かち合う「断食」が推奨されたように、日々の生活においてつい忘れがちになる、神が私たちに求めておられる分かち合い、支え合う生き方の実践は、私たちにとっても神の愛を知る恵みの機会となるはずです。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の
アドベントキャンドル(12月1日)
古代地中海世界における王侯貴族は移動に際し、馬に騎乗する、馬が牽く戦車に乗る、奴隷が担ぐ輿に乗ることを好んでいました。騎乗や戦車に乗ることは戦場で軍隊を指揮する司令官としての姿を、奴隷に担がせることは征服者としての姿を表すもので、古代の支配者たちの権力や権威が暴力に拠っていたことを示しています。特に馬という動物は一日当たり10キロの穀物を食べるため、馬を飼うことは富裕であることを誇示することにもなりました。一方イエスが乗られたロバは一日2キロの麦のフスマと草です。粗食に耐えつつ重労働を担えるため、農民にとっては頼りになる存在でした。イエスはご自身が暴力に拠らない、貧しい者と共に在る王であることを示されたと言えます。(倉澤)
礼拝堂の献花(11月24日)
エジプトやメソポタミア、ギリシアなどの地中海周辺の古代文明では、沢山の巨大な石を組み合わせて造る巨大建築物が数多く建立されました。文明以前の地中海周辺地域は多くの森林が存在していたと考えられていますが、人類が集落を形成して生活するようになった頃から燃料として木材を使うようになったことから激減し、砂漠化が進行します。人々は目の前から次々に失われていく木々の緑に対し、乾燥化によってむしろ目に見えて増える岩や石の方に時の経過によっても存在し続ける永遠性を見出し、自分たちの存在の記録を碑文として遺したり、永遠に存在する神の偉大さを表そうとして神殿を建てたと考えられます。しかしながら、古代の巨大建築物は遺跡となり果て、活きた建物としては利用されていません。イエスが言われたように、どれほど堅牢に造られようとも、人によって造られたものに永遠性は無いのです。むしろ、人によって造られたものほど、人によって壊されることになると言えるでしょう。永遠と言えるのは主なる神ただ御ひとりだけなのです。そしてイエスは、イエスを通して神に繋がることで、私たちも永遠の生命に与ると約束して下さいました。これこそが私たちの希望です。(倉澤)
礼拝堂の献花(11月17日)
本日の福音書では、サドカイ派の人が律法に定められたレビラート婚(子どもを得る前に夫と死別した妻が、夫の兄弟と再婚する義務)と、復活後の婚姻関係の矛盾点についてイエスに問いかけます。レビラート婚は最初の婚姻で結ばれた両親族集団の紐帯を維持し続けるために、寡婦となった女性の地位や財産権を保障するものとして古代から中世にかけては一般的で、支配階層では政略的にも当たり前のように行われていました。しかしながら、レビラート婚は親族集団の利益のために個々人の思いが犠牲にされることが多く、極めてイエスの言われる「この世」的な理由の定めであったと言えます。注意すべきは、イエスが使われた「世(アイオーン)」という言葉は「時」や「時間」を意味している点で、「この世」は私たちがイメージし易い地球上の「世界」ではなく、私たちが生きている肉の器にある間の「限られた生涯」であり、「次の世」は肉の器から解放され神の御許に戻ってから過ごす「永遠の時間」を意味していることです。(倉澤)
礼拝堂の献花(11月10日)
当時の習慣では、徴税人ザアカイがイエスを一目見たいがために先回りしようとして「走った」ことと「木に登った」ことは、成人男性がしてはならないとされていた「恥ずかしい振る舞い」に相当します。「走る」ために裾をたくし上げて素足を見せることは戦い等の緊急事態にのみ許された「戦装束」で、普段はどんなに急いでも成人男性は走ったりするものではないと教育されたようです。木に登ることも成人男性には恥ずかしい振る舞いとされ、緊急時以外に走ったり、木に登るのは子どもの遊びか、奴隷の仕事とみなされていたようです。古代世界は私たちの想像以上に「面子」や「面目」に価値を置く社会でしたので、一度でも走ったり、木に登っているところを見られた成人男性は笑話の種にされ、仲間からも相手にされなくなり、築き上げた地位や名誉を失うことにもなりかねなかったそうです。ザアカイにとってイエスを一目でも見ることはこれまでの人生で築き上げてきた地位や財産と引き換えにするだけの価値ある望みであり、なりふり構わぬ彼の姿の内に神を求めて止まない信仰をイエスは見出されたのです。(倉澤)
礼拝堂の献花(11月3日)
譬話はファリサイ派の人と徴税人が「祈るために神殿に上った」ことから始まります。イエスの時代、エルサレム神殿では夜明けと午後3時の2回、贖罪の供犠の礼拝が毎日行われ、祭司が献香と灯心の打ち直しのために至聖所に入る際に、会衆は各自の祈りを献げる時間があり、二人の祈りはその際のものでしょう。ファリサイ派の人は「立って、心の中でこのように祈った」と訳されていますが、「立つ」は王や裁判官の前に独りで立つ場合に使われる言葉で、会衆から進み出て神の前に立つことを示しており、彼は自分が穢れた者とみなした人びとと一緒に並ぶことを忌避したのです。また、ユダヤ教の慣習では祈りは神に届くように声に出して唱えますので、心の中の思いを会衆にも聞こえるように大きな声で唱えたはずです。またユダヤ教では祈りとは①罪の告白、②神からの恵みへの感謝、③自分自身と他者のための嘆願とされており、「~ような者ではないことを感謝」するのは他者を貶め傷つける行為、「週に二度断食し、全収入の十分の一を献げる」ことは律法の定め(断食は年1回、十分の一は収穫物が対象)を大きく超えた自分勝手な行いを善行として誇るものです。他方、徴税人は「胸を打ちながら」祈りますが、これは男性の場合は葬儀においても珍しい位に心からの悲痛を表す行為であり、そこには神以外に自分の罪を贖って下さる方はいないとの真摯な思いが見出されます。「義」=神との相応しい関係性のあり方をイエスは私たちに教えておられます。(倉澤)
礼拝堂の献花(10月27日)
古代ローマ時代の地中海世界では、現代の私たちがイメージするような独立した裁判所はありません。ユダヤではイエスの裁判に登場する最高法院(サンヘドリン)がローマ総督監督下の自治組織として、政治的判断から刑事的裁判までユダヤ教の律法に基づいて審理・議決を行っていました。裁判的には最下級の法廷でも3人の判事が立つ仕組みでしたから、譬話のように一人の裁判官の独断で審判が決することはありませんでした。日常的な揉め事に関しては村や町の長老格が律法に精通した人物と諮って調停する事が多かったようですが、「神を畏れず、人を人とも思わない裁判官」などはユダヤ社会では長老として存在し難く、ルカが福音書の読み手としたローマ人にこそ多かったと言えます。ローマでは法務官(プラエトル)が裁判を担当しますが、この官職を経験した者が属州総督や皇帝の後継候補となれましたので、法に厳格であるよりも政治や軍事の才能を発揮することが求められる場合が多いほか、裁判をローマ市民からの支持を得るための手段として利用する人物が多かったと言えます。属州においては総督が法務官権限を持っていたので、総督ピラトがイエスの裁判を担当して死刑判決を出すことになったのですが、その背景には属州住民に総督のリコール権が認められていたことから、大祭司たちの要求に応えることで彼らからの支持を確保したいとのピラトの計算が伺えます。(倉澤)
礼拝堂の献花(10月20日)
重い皮膚病を患っている10人は律法に則って遠くからイエスに呼びかけていることから、彼らは家族や社会との絶縁などの律法の定めによる苦難に遭いながらも、なおも律法を守って生きていたこと=神を忘れずに生きてきたことが伺えます。イエスはルカ5:12で重い皮膚病から癒された人に「ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい」と厳しくお命じになっており、今回も同じような命令をされたと推察されます。戻って来たサマリア人の行動は命令違反ですが、イエスは彼に「あなたの信仰があなたを救った」と宣言され、命令を優先して戻って来なかった9人には「どこにいるのか」と言われます。苦難の中に在っても神を忘れずに生きてきた彼らが喜びの余りに神への感謝を忘れたことを嘆かれているようで、信仰とは喜びの時であろうと苦難の中に在ろうと、変わらずに神を忘れないことだと主は教えておられます。(倉澤)
礼拝堂の献花(10月13日)
イエスや使徒の活動した時期、ローマでは借金返済のために身を売る債務奴隷が多くなります。債務奴隷の場合、自分の借金は自分を買ってくれた主人が代わりに返済してくれた形となり、奴隷として仕えることは肩代わりしてくれた主人への返済行為となります。自分が負うべきものを肩代わりしてくれた人へお返しする訳ですから、それは当たり前のことですし、報酬や称賛を期待すべき筋のことではありません。一方で古代においては主人への反逆は金銭では負いきれない罪=命をもって償う死罪であり、神への背きに対する罰が死罪とされていたのは神が主人中の主人だったからです。しかしながら神は背いた人間の罪を赦されたばかりか、独り子イエスを犠牲にして滅びから救って下さいました。弟子たちは主の御用を果すに当たり、信仰を増し加えるという褒美を主に願いますが、既に過分な報酬を頂いていることに気付いていません。負うべき罪を赦して頂いた私たちがとるべき神への相応しい向き合い方は、神からのご褒美を期待して務めを果たすのではなく、「しなければならないことをする」姿勢にあるのだとイエスは教えておられます。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花(10月6日)
イスラエル人にとってアブラハムは12部族共通の先祖であり、現在においても最も偉大な父祖と崇めている存在です。本日の譬話において、金持ちはアブラハムに対して「父アブラハムよ」と呼びかけています。また生前「できもの」に苦しめられ、物乞いをして生きながらえていたラザロにとっても「父」であったことは、死後の宴においてアブラハムのそばに招かれたことから明らかで、金持ちとラザロは父祖を同じくする者同士、この地方の感覚では「兄弟」とも言える関係でした。しかしながら生前、金持ちはラザロの名を知っていながら、目の前に横たわる彼に救いの手を差し伸べることをしなかったばかりか、アブラハムが客として迎えたラザロを自分のために遣わせとアブラハムに要求するなど、死後に至ってもラザロと向き合うことを拒否しています。アブラハムが金持ちを「子」と呼んで向き合おうとしているのとは対照的です。聖書における「正しい」という言葉には「相応しく向き合う」という意味があり、神と私たちそれぞれが、また私たち同士が相応しく向き合うことが出来ているか、神が望まれる関係を築けているかが問われます。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花(9月29日)
「無駄使い」と訳された言葉には「ばらまき」という意味があり、単純な「浪費」とは異なります。また、主人に対して「借り」があるという言葉には「負債」の意味のほか、「果たすべき義務」や「負い目」という意味も持ちます。譬話における「借り」は農産物で支払う約束になっているので、小作人が地主に対して支払う地代だと解釈できます。当時のローマ帝国では地主が零細な農民に土地を貸して地代を徴収する農業形態が一般的で、地主は貧しい小作人たちから搾取した農産物を首都ローマの市民へ無償でばらまくことで、市民の支持を得て貴族としての地位や権力を獲得していました。譬話で語られた主人とは神であり、不正な管理人は世の権力者たちと考えます。権力者たちは神に納めるべき以上のものを搾取して勝手にばらまくことで利益を獲得していたのですが、地位を失う瀬戸際になって自分が神の代理人でしかないことに気付くのです。管理人が行った窮余の策=減免は、自分の分として徴収していた分を放棄したに過ぎず、主人が受け取る分には変化がなかったと考えます。抜け目のないやり方とは、管理人が主人には損をさせていない事、余計に集めていた分を放棄することで小作人たちの負い目を軽くして主人の寛大さや慈愛深さを知らしめた事、自分を主人の愛を伝えた者とすることで小作人の友人になった事を指していると言えます。管理人が行った「不正」がもたらした結果こそ、神が望まれる弱く小さくされた者たちの救済であり、神の本意にかなう事であったのです。(倉澤)
一族全体で遊牧を営む遊牧民にとって羊は大切な財産であると同時に、飼育する羊の数は何人の家族が生きられるかということを表す数字です。また遊牧民とは異なりますが職業としての羊飼いもおり、彼らにとって毎日接する羊たちは自分のではなく他人の財産でした。しかしながら、預かった羊を肥育して無事に顧客に返すことが出来なければ信用を失い、家族を飢えさせることになります。羊を飼う者にとっては百頭中の僅か一頭であったとしても見失ったまま帰るなど許容できなかったでしょうし、見つけ出せたならば喜びを分かち合って貰いたくなるはずです。また女性が無くした1ドラクマはギリシアの貨幣で、労働者の一日分の賃金に相当していたようです。10日分の賃金相当の内の1日分というとあまり大した金額でないように聞こえますが、当時の女性の社会的地位を考えますと彼女が1ドラクマ稼ぐには男性の2~3倍は働かねばならなかったでしょう。さらに日雇いが基本の世界で10ドラクマ貯めるにはどれだけの時間と労働が必要であったかを考えると、無くしたから諦めるなどとても出来ないでしょう。家の中で無くしたとの確信があれば何としても見つけ出して喜びを分かち合いたくなるはずです。神は私たち人間のことをそれ位大切な存在と見て下さり、一人も失いたくないと思って下さっているのです。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花(9月15日)
古代世界において高く堅固な塔は攻めて来る敵をまだ遠くにいるうちに発見し、民を町の城壁や村の柵の内に避難させ、敵を迎え撃つ態勢を整えることを可能にする重要施設でした。敵に包囲された場合でも塔に立て籠もれば、味方が救援に来るまでの時を稼ぐことを可能にするので、堅固な塔を備えることは自分たちの生命や財産の安全に直結する重大事でした。ですから資金不足のために塔の建設が未完成に終わるなど、実際に起これば笑い話ではすまされなかったでしょう。また、古代世界では戦いに負けた側の運命は過酷です。王や貴族たちは皆殺し、兵士は奴隷に売られ、民は財産を奪われた上で過酷な税を課せられます。王が戦うか、和を請うかを決断することは塔の建設と同様に多くの民の運命に直結する重大事でした。1万の兵を率いて2万の敵に立ち向かうのも容易な事ではなく、可能かどうかを悩みぬいて決断する必要があります。イエスは自分の弟子になることは神の救いの計画の働き手となることであり、それは塔の建設や多数の敵と戦う事と同様に、多くの人びとの運命を左右する重大事であるから相応しい備えが出来ているかよく確かめよと教えられたのです。そして神を後回しにすることを容易に可能にする、私たち自身の価値観や倫理観に依り頼む愛情や欲望といった思いを捨て、神を最優先とする心を備える事こそが、イエスの弟子として歩むために不可欠な備えと教えておられます。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花(9月8日)
「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい」という言葉は当然の心構えのように聞こえますが、古代地中海世界では全く当然ではありませんでした。宴席はその家の主人を中心にコの字型に設けられ、基本的に主人に近い席ほど上席となります。席では中央の料理が置かれる食卓に顔を向け、左腕をついて上体を支え起こし、両足は外に向けて投げ出す寝そべった姿勢をとります。すると両隣の人以外とは大声でないと話が出来ませんので大事な客ほど主人は近くに座らせたいのですが、招かれた客たちも主人の近くに座るために上席を欲します。全員が納得して席に着くまでは相当に長い時間がかかり、末席を指定された客が怒って帰ることも珍しくありませんでした。イエスの「末席に座れ」との言葉はあり得ない心構えであったと言えますが、席を巡って争う客たちに悩む主人にとってはどれほど嬉しい行動となったことでしょう。自分の心情を理解して助けてくれる人ととらえ、こういう人物こそ身近に招きたいと思うかもしれません。また、お返しができない人を宴席に招けというのも当時の常識からは大きく外れます。当時の宴席の殆どは政治的取引の場で、招き合うことで根回しを進めました。お返しが出来ない人と酒食を分かち合うことは、見返りを期待せずに食事と交わりを楽しもうという場になります。普段は存在を無視されがちな人たちがそんな宴に招かれるのは忘れられない喜びの思い出となるはずですし、神はそのような人たちを招いて宴席を共にしたいとお望みです。私たちに託された務めはこの世での交わりの宴席を設けることで、上席を争うことではありません。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花(9月1日)
当時のユダヤ人には「狭い門」がエルサレムの「糞門」を指していることが分かったでしょうが、首都ローマでは警備のための城門の夜間閉鎖すらしなくなっていましたので、ルカはイエスの譬え話をローマ人にも理解できるように、神の国への入り方をローマ貴族の邸宅で行われる宴席への入り方に仕立て直し、マタイが「狭い門」として記したものを「狭い戸口」に置き換えたようです。当時のローマ貴族にとって宴席は夜の議事堂と言える程に政治的な場でした。宴の出席者は席次で自分の地位や権勢を確認したので、誰が上席に座るかで争いになることも珍しくなく、対立関係にある者を同席させると根回しが失敗となりかねません。そのため主人は招待客を厳選し、扉を閉めたら予定外の客は絶対に入れなかったようです。一方で「狭い戸口」、すなわち邸宅の勝手口はその家の奴隷や業者が使用するため、客が入る正門が閉められても勝手口が閉じられることはありません。イエスは神の国に入りたいと願うならば、招かれて正門から入ることを期待するのではなく、神の使用人となって常時開放されている勝手口から入れと言われたのです。イエスご自身がこの世に仕え人として来られ、ご自身と共に働く仕え人を探しておられるのだと語られたことを覚え、ご一緒に狭い戸口をくぐりましょう。(倉澤)
礼拝堂の献花(8月25日)
イエスが語られた「雲が西に出ると」は地中海からの湿気を含んだ風を、「南風が吹いて」はシナイ砂漠からの暑熱を運ぶ風を指しており、「にわか雨になる」や「「熱く(熱風)なる」という予想は古くから伝えられて来たこの地に暮らす人びとの生活の知恵です。イスラエル・パレスチナ地域は、北はトルコ・アナトリア高原からイラン・イラクのザグロス山脈に至る山岳地帯、東はアラビア砂漠、南はシナイ砂漠、西は地中海に囲まれており、四方から吹き寄せる季節風によって大きく乾季と雨季に分けられる気象が成り立っており、人びとは季節風の影響下で農業や牧畜を営んで暮らして来ました。乾いた砂漠を超えて吹く東風と南風は乾きと暑熱を、山岳地帯を超えて吹く北風は寒気を、地中海を超えて吹く西風は雨と暖かさをこの地にもたらし、例外はありません。そのためイスラエルの人びとは東風や南風は大地から潤いを奪い、アフリカから蝗害をもたらして畑の実りを滅ぼしてしまう「神の怒り」の表れと、また雨を運んで大地を潤し、畑の実りを約束してくれる西風は「神の恵み」の業と考えていました。イエスはにわか雨(神の恵み)と熱風(神の怒り)の到来を大気の運行から見出す知恵を持っていながら、どうして神の救いの時が訪れていることをイエスの言葉や行動から分かろうとしないのかと嘆かれているのです。(倉澤)
礼拝堂の献花(8月18日)
イスラエル人の婚礼は花婿が友人たちとともに花嫁を迎えに行く行進を行い、その後花嫁を伴って花婿の家に戻り、その日から最低1週間、長いと2週間に及ぶ祝宴を連日行いました。両家の親族や友人はもちろんのこと、同じ共同体に属する人は客や手伝いとして全員参加が原則の共同体全体の祝い事でした。この祝宴の間は食事や酒が途切れることなく供され続け、途中で不足することは不面目なこととされていました。また、宴の主人となる花婿の父親が宴席を離れることは大変な失礼とされましたが、招かれた客や手伝いは途中で帰宅して休憩をとり、再度宴席に戻ることが許されていたようです。譬話に登場する主人は宴席を中座して一時帰宅したと思われますが、注目すべきはこの主人は家で留守を守る僕(奴隷)たちのために宴席の料理をお土産にし、自分を待っていてくれた僕に自ら給仕してくれる慈愛に満ちた人物という点です。当時の一般的な主人は奴隷に対してそのような接し方はしませんので、この主人は被造物である人間に仕えて下さる神であり、またそのために神が世に遣わされたイエスご自身にほかなりません。復活の主イエスは既にこの世に来られ、私たちの目の前で私たちのために働いて下さっていることに気付けているかが問われています。(倉澤)
礼拝堂の献花(8月11日)
本日の譬話は「ある金持ちの畑が豊作だった」で始まりますが、主人公は豊作だったから富んだのではなく、既に富んでおり、その上でさらに富む機会となる豊作が訪れたことを意味します。この譬えを考える上で大事なポイントは、富や豊かさは個人の才能や努力による所得である前に、神から授けられた賜物であると古代の人びとが考えていた点です。ゆえに金銭や穀物の量で目に見える形となった神の恵みは、授けて下さった神が喜ばれるように用いねばならず、個々人の享楽のために用いるのは神の意に反するとされていました。主人公は神の恵みによって「金持ち」とされたことを忘れ、新たに授けられた富をしまい込んで自分の享楽のためにのみ用いようとします。「しまう」や「富を積む」と訳されている言葉には「宝を運用せずに貯め込む」という意味が隠されており、彼が既に持っていた倉を壊して大きな倉を新たに建てること=神から授けられた恵みを神の意に沿う形で用いずに貯め込むことを、神が良しとされなかったことに繋がります。神の前に豊かになることとは、神から授けられた恵みを活用してイエスと共に人びとを神の救いに招き集める働き人となることだとイエスは語られています。(倉澤)
礼拝堂の献花(8月4日)
ローマのような大都市では輸送車両の通行が夜間に限定されていたため、倉庫や飲食店が集中する区画は明け方まで多くの人が出入りして煌々と灯りが点されていましたが、地方都市や村などの住む庶民たちは灯油代の節約や防火の点からも、夕食を終えると早々に就寝していたようです。また大きな都市であっても治安のために日没以降は城門を閉じましたし、盗賊が頻繁に出没したので夜間の旅はしないのが一般的でした。譬話の「旅行中の友達」は真夜中に到着した様子ですので、緊急の旅であったと思われます。主人公はこの「旅行中の友達」のために、常識外れと言える真夜中のパン乞いをしに友の家を訪ねたのです。緊急の旅をして来て疲れ、空腹の友のためにパンを手に入れたい。そのために普段ならば絶対にしないような真夜中の訪問を行い、就寝中の友を叩き起こし、彼が根負けしてパンをくれるまで粘る。そこには自分のためならば諦めて我慢してしまうことでも、大切の友のためであれば諦められないという心情が浮かんできます。「主の祈り」は神への祈願であると同時に神への私たちの宣誓ですが、神の国の到来を願うならば神にお願いして待つのではなく、私たちが諦めずに努め続ける姿勢が大事であり、それには大切な友人のためという思いが一番の原動力となるはずです。(倉澤)
礼拝堂の献花(7月28日)
古代世界では訪れた旅人を快く迎え入れ、丁重にもてなすことはごく一般的に行われていました。多少怪しい人物に思えても、遠方からの旅人は入手不可能な貴重な情報や物品を携えていることが多く、それを入手できるかどうかで自分や一族、王国の将来が大きく変わる可能性があったからです。水が貴重な中東地域にあって、足を洗うために水を提供することは最大級の歓迎を意味し、パン菓子(未発酵パン)を焼き、子牛を屠って料理し、バターとミルクを供えて自ら給仕したことはアブラハムが自分にできる最高のもてなしをもって神と御使いを迎えたことを意味しています。その結果アブラハムはソドムに起きる災いや、諦めていた我が子の誕生を神から知らされますが、神を相応しく迎えられなければそれらの知らせを聞く機会を逃すことになったでしょう。主イエスもこの世に神の赦しという喜びの知らせを伝えに来られましたが、主をお迎えするにあたり、マルタはアブラハムの故事に倣ったもてなしのために心を砕き、マリアは主の膝元で神から主に託された福音に耳を傾けました。姉妹それぞれが自分で考え選んだ最高のもてなしを行っているという点に注目しつつ、私たちも主イエスに相応しい迎え方とはどうすべきかをよく考え、後悔しない選びをもって復活の主をお迎えしましょう。(倉澤)
礼拝堂の献花(7月21日)
エリコはエルサレム神殿に使える祭司のベッドタウンで、祭司やレビ人は当番の日にエルサレムへ通勤していました。律法(申命記)の定めでは、野で誰に殺されたか分からない人を見つけた場合、現場から一番近い集落の長老たちが若い雌牛の首を折って贖いの儀式をすることになっており、祭司はその差配を引き受けることになっていました。また、当時の習慣では死者と出会った場合、自分の衣服を引き裂いて嘆き悲しんでやり、弔いの後は一定期間の潔斎をせねばなりませんでした。街道で追剥ぎに襲われて傷ついた同胞を見ても、祭司やレビ人が近寄らずに通り過ぎたのは、倒れている人の死を確認してしまえば、嘆くために神殿でのお勤め用に着ている一張羅を引き裂いたうえ、贖いの儀式を差配した後には潔斎せねばならず、その間はエルサレム神殿での奉仕が出来なくなることを怖れたためでしょう。祭司やレビ人の価値観では神への奉仕が最優先であり、当然と考えられていたことが譬えから推察されます。イエスは神への奉仕を言い訳にして傷ついた人から離れ去ることと、傷ついた人を憐れんで近寄って手を差し伸べることのどちらが隣人を愛すること、神の望まれる行いであるかを問われています。(倉澤)
礼拝堂の献花(7月14日)
主イエスは弟子たちを派遣するにあたり、「財布も袋も履物も持って行くな。途中で誰にも挨拶するな。」と命じられましたが、当時の習慣を考えますとこれらは大変な命令です。宿に泊まって宿代が払えなければ借金となり、借金を返すために奴隷として売られることが当然だった時代では、財布すなわちお金がなければ宿に泊まることが出来ません。そうしますと弟子たちは一晩の宿どころか食事すらも、赴いた先の町や村の人から無償で提供してもらえなければ宣教の旅を続けられないことになります。吟遊詩人や旅芸人なども同じ方法で生活していましたので珍しくないと言えますが、そうしますと弟子たちはあの町には伝えて、あの村は通り過ぎようといった好き嫌いによる宣教はせず、すべての町や村を訪れてみようという気持ちになるはずです。また当時は娯楽も少なく、情報に飢えていた時代です。見知った人との「挨拶」とは情報交換のための長いおしゃべりも含んでおり、「こんにちは」と「さようなら」で済むものではなかったと考えます。習慣通りの「挨拶」をしていては人類を滅びから救うのが遅れてしまう。イエスが「挨拶」を禁じられたのは宣教することを緊急課題とされていたからです。(倉澤)
礼拝堂の献花(7月7日)
本日の福音書の冒頭で登場するサマリア人は、先祖をユダヤ人と同じくする人々で、彼らはソロモン王の死後に南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂した内の、北イスラエル王国の人々の末裔でした。紀元前722年に北イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、首都サマリアにはアッシリアからの移民が行われ、旧来のイスラエル人とアッシリア人との婚姻によって誕生した人々がサマリア人と呼ばれるようになりました。彼らはサマリアの山に神殿を築き、モーセ五書に基づく古くからの祭儀を守り伝えるようになりますが、バビロン捕囚からの帰還後にエルサレム神殿での祭儀を確立させたユダヤ教とは対立するようになり、イエスの時代にはお互いの村の往来すらも厭う仇敵同然の関係となっていました。「良いサマリア人」の譬えでは、傷ついたユダヤ人をサマリア人がユダヤ人の村へ運ぶ件がありますが、これは命懸けの行為と言えるものです。またヨハネ福音書にはイエスがサマリアの女性と出会い、サマリア人がイエスを信じるようになったことが記されていますが、当時の価値観では出会い自体が考えられないことで、ユダヤ人だけでなく、全人類を救おうとされる神のご意思が示されていると言えます。イエスがエルサレムへ向かわれるのに際してサマリアを通過しようとされたことは、イエスが神の救済からサマリア人たちが除外されていないこと、また十字架への道を最短距離で進もうとされていることが示されており、イエスの神への絶対的な服従の姿勢が表されていると言えます。(倉澤)
礼拝堂の献花(6月30日)
イエスの時代、ユダヤの法廷には律法に基づいて、火刑(姦淫)、石打刑(主のみ名の冒涜、偶像礼拝、安息日の破戒)、絞首刑(父母への傷害、同胞の誘拐、法廷の採決への反抗)、斬首刑(故意の殺人、背教者)の4つの死刑が規定されていました。大祭司カイアファはイエスを「神を冒涜した」と断じますが、それでは石打刑相当(ステパノと同罪)ですし、そもそも律法には十字架刑は規定されていませんでした。また、イエスの裁判自体が律法に適っていない不法の法廷であったため、ユダヤ人たちはイエスをローマへの「反逆者」に仕立て上げ、ローマの手を借りて十字架に架けてもらったのだと言えます。一方、イエスはご自身が十字架に架けられることを弟子たちに何度も予告されていますが、これは神に対する「反逆者」としての私たちの罪をご自身が代わりに引き受けられる、神の私たちを救う計画に従われることを表明されておられたのです。(倉澤)
礼拝堂の献花(6月23日)
弟子たちが聖霊を受けた日が、主イエスが受難された「過越し祭(ペサハ)」の日から数えて七週間目に祝う「七週祭(シャブオット)」であったため、聖霊降臨日を「五十日祭(ペンテコステ)」と呼ぶようになりました。ユダヤ教の「過越し祭」と「七週祭」は麦の刈入れ開始と収穫感謝を祝う古い農耕祭に由来しますが、バビロン捕囚からの解放後に「過越し祭」は出エジプトの出来事と、「七週祭」はシナイ山で神から十戒を授けられた出来事と結び付けられ、神による救いを記念する祝祭となりました。「ペンテコステ」は「神の救い」と「神の民とされたこと」を記念する祭とまとめられますが、ユダヤ教では「神の救い」は神から遣わされるメシアによってこれからもたらされるため、神による過去の救済の出来事を語り伝えて、メシアを迎えるに相応しい備えをすることに重きを置く準備の日となります。一方、キリスト教では神の約束された救いは主イエスの降誕と受難によって果たされましたので、キリスト者はこの世を神の国へと戻すために聖霊=復活のイエスと共に働くことを覚えて祝い、私たちの世界へと出て行く旅立ちの日となります。(倉澤)
礼拝堂の献花(6月16日)
「聖霊降臨」の出来事について、ヨハネが復活の日に主イエスから弟子たちに与えられたと記したのに対し、ルカは「五旬祭(七週祭)」の日に家の中にいた弟子たちに、天から降ってきたと異なる記述をしています。時期もその様子も異なって伝えられている聖霊降臨の出来事ですが、両者に共通するポイントは家の中に籠っていた弟子たちが、聖霊の降臨を受けるや、その心境に大きな変化が訪れたとことです。ヨハネは愛する師イエスを奪われて絶望し、気力を失っていた弟子たちが復活のイエスに会って笑顔を取り戻したことを語り、ルカは聖霊を受けた弟子たちが家の中から外へ出て、様々な言葉で神の業を力強く語るようになったと語りますが、それはイエスの約束された聖霊とは絶望して倒れていた人の傍に在って再び立ち上がる力を与え、新たな出会いへと歩み出す勇気を与えてくれる「弁護者(パラクレートス)」であったことを明らかにすると同時に、肉の器を捨てられた復活の主イエスご自身こそが、神から遣わされた「弁護者(慰め主・擁護者・援護者)」の正体そのものであることを私たちに教えてくれています。(倉澤)
礼拝堂の献花(6月9日)
先主日の福音書で、イエスは「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」と約束されました。「住む」と訳された言葉の直訳は「住む場所とする」で、私たちからは「宿られる」という言葉が相応しいでしょう。すなわち、神と復活のイエスは私たちの内に、=心の中に宿られ、いつも私たちと共に歩んで下さることを意味しており、神の御名「ある」とは私たちと共に「在る」ことを教えて下さいました。神の愛とは私たちと共に在り続けて下さることであり、主が定められた「互いに愛し合いなさい」の掟は、私たちが誰かの隣人(友人)となって人生の旅路を共に歩み続ける関係を築くことと言えます。(倉澤)
礼拝堂の献花(6月2日)
弁護者(パラクレートス)は、法廷で自分を援護してくれる人を「呼ぶ」、敵に対して同盟して助力してくれる人を「招く」という「パラカレイオン」から派生した言葉で、「傍(パラ)」に「呼ばれた人(クレートス)」という意味からの訳語です。民事訴訟が多かったローマでは、弁論によって被告を援護する「証人」が活躍しており、キリスト教の拡大に伴い、最後の審判で神に執り成しをして下さる「執り成し主」イエスの思想が広がりますが、パウロの宣教以降と言えます。戦争の多かったギリシア・ローマで最も多く用いられたパラカレイオンは絶望的な戦いに臨む兵士への「激励」で、激励の声をかける「戦友」がパラクレートスでした。またイザヤ書「わたしの民を慰めよ」の「慰め」もパラカレイオンです。絶望して座り込んでいる人や、困難な状況を前にして怖気づいている人の傍に在って、再び起き上がる力や立ち向かう勇気を与えることが神の求める「慰め」であり、その人と共に歩むイエスが神からの「パラクレートス」なのです。(倉澤)
「栄光を受けた」と訳される「ドクサゾー」は、「栄誉」や「栄華」を意味する「ドクサ」に由来します。本来は目で見ることが出来ない皇帝や王の「威信」を目に見える形にして表したものを指しており、旧約聖書エステル書では、ペルシア王クセルクセスが国王暗殺を未然に防いだユダヤ人モルデカイに対して「栄誉」を与えるため、都の広場でモルデカイに王の衣服を着せ、王の馬に騎乗させ、王の重臣に「王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる」と触れさせたことが記されています。古代では王の衣装は専用の色(紫)で飾られており、臣下が勝手に用いることは反逆行為とされましたので、王の服を身に纏う褒賞は最大級の「栄誉」であり、王専用の装飾が施された馬に乗ることも同様と言えます。イエスが語られた、神とイエスがお互いに「栄光」を与え合うということは、当時の常識である王から臣下に対する一方的な「栄誉」とは全く異なるもので、神とイエスの一体性を見事に表現していると言えるでしょう。(倉澤)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花(5月19日)
羊は視野が広い反面、奥行きを知覚することが難しい目と優れた聴覚を持つ動物です。また群れたがる性質と最初に動いたものについていく性質を持っていたため、メソポタミア文明期には既に家畜化されており、羊を養育して生活基盤とする遊牧民のほかに、主人や他人の羊を預かって養育する職業的羊飼いも古くから存在していました。ユダヤ人は羊飼いに良い草場に連れて行ってもらい、捕食者から守ってもらわねば群れ全体が生きられないという、羊飼いと羊の関係を神と自分たちとの関係に重ね、神は羊飼い、自分たちは神の羊と表現し、誇りとしてきたのです。神も預言者たちを通して「お前たちはわたしの群れ、わたしの牧草地の群れである。」、「見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。」と繰り返し語られ、イエスも「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と、人に対する神の愛の深さを語られています。(倉澤)
長崎聖三一教会のみ言葉の礼拝での勧話(5月12日)
この地方で主食となる麦は粉にして焼くことでパンとなり、食べ物となります。地中海周辺の神話では神が麦に化身し、自らを犠牲にして人間を養うと考えられたこともあり、パンが無ければおかずが豊富でも「食事」とはみなされませんでした。また穀物や動物は神からの賜物で、火を通すなどの調理が人の業であり、神の賜物は神の力の具現である直火で焼くことが最良とされ、犠牲の祭儀も火で焼き尽くすものでした。祭儀の多くは食事形式で神の賜物を人が料理して神に供え、人は撤饌を分かち合います。復活のイエスがご自身でパンや魚を用意され、自ら調理して下さったことは、神が主宰される食卓へ私たちを招いて下さり、神がご自身を犠牲にして養って下さる「聖餐式」の本質=神の愛を表しています。イエスは「この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」と語られましたが、神との会食は場所に拘らないことをも示されました。(倉澤)
長崎聖三一教会の礼拝堂(5月5日)
旧石器時代の人類は離れた獲物を狩るために投石や投槍、弓矢を用い始めましたが、思うように的中させることは難しく、外れることの方が多かったようで、ここから「的外れ(ハマルティア)」が日常での些細な「失敗」や「過ち」を意味するようになります。各地での文明や宗教の成立とともに、神意が関与して的中や的外れになると考えられるようになり、射的によって神意を訊くこと(ダビデのゴリアテへの投石)も起こります。「的外れ」=「神意に適わない」と解釈されるようになって、「的外れ」は「罪(神の意に背く)」の意味を含むようになりました。本日の福音書の「だれの罪でも~」と語られたイエスのみ言葉は、私たちがお互いの「的外れ(失敗や過ち)」の赦し合いを実行することは神の意思に沿うものであり、赦し合いを実行せず、交わりの関係を修復しないことは神への「的外れ(神への背き)」となることを留意せよと解釈できます。(倉澤)
(4月28日)
エルサレムの聖墳墓教会はローマ皇帝コンスタンティヌス1世が325年に出したゴルゴタの丘に教会を建てよとの命令によって建てられますが、2度のユダヤ戦争の破壊などによりその位置は不明でした。翌年、皇帝の母ヘレナ皇太后(聖ヘレナ)がエルサレムに巡礼した際、当時ウェヌス神殿のあった地で「真の十字架」の破片や「聖釘」、「聖槍」を発見(他に「主の飼葉桶のまぐさ」や「東方の三賢者」の遺骸も発見)したことでゴルゴタの丘と定められました。現在は複数の東方正教会、アルメニア使徒教会、ローマ・カトリック教会などで共同管理していますが、教会管理権がクリミア戦争の一因になったことから、教会の鍵は中立のイスラム教徒2家族が代々継承・管理しています。(倉澤)
(4月21日)
主イエスのご受難に立ち会った人物の一人として、福音記者はローマの百人隊長を登場させています。百人隊長(ケントゥリオン)は小隊長級から軍団の副司令官級までに至るまで全員が「百人隊長」で、一番下位の者でも一般兵士の15倍、最上位では60倍の年俸を得ていたので、会堂の建設費を提供する(ルカ7:5)ことも出来ましたが、帝政初期頃までは百人隊長への昇進は部隊内での互選であったため、武勇以上に人柄や信仰深さが重視されました。それゆえローマ社会では百人隊長は尊敬と信頼の対象で、百人隊長がイエスを「正しい人」と評したことは当時の人々に大きな衝撃を与えたことでしょう。(倉澤)
江戸東京たてもの園正面入り口(4月13日)
本日の福音書に、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」とあります。「隅の親石」はアーチ建築の「楔石・要石」のことです。ローマ帝国はそれまで余り使われていなかったアーチ構造を、都市の門や水道橋、神殿や宮殿のドーム建築の基礎に用いましたが、アーチ構造は一つだけ形が異なる石を頂点部に嵌め込むことで建物を強固なものとして完成させます。イエスは「家」=「神の家」を建てる祭司や律法学者たちが除こうとした自分こそが、神の家を建てるために不可欠な楔石(要石)であると言われたのです。これを受けてエフェソ2:20でパウロは、聖なる神殿=教会はイエスを要石(楔石)として頂き、使徒や預言者を土台にして信徒が組み合されて形成されることを説きます。また、イエスが信仰を告白したシモンに対し、あなたはペトロ(岩=切り出された石)、私はこの岩の上に教会を建てると言われた意味もここに繋がります。(倉澤)
小金井公園の桜(4月2日)
本日の福音書は、「放蕩息子のたとえ」と小見出しがありますが、物語の文章量、内容ともに注目されるべき存在は、弟の方です。しかし、「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた 」とある通り、実は、ごく短い期間ですが、兄も放蕩していました。「なだめる」という動詞は、「そばで呼ぶ」という動作で、「慰める、弁護する、勧める」と状況によって意味が変わります。戻ってきた弟は勿論のこと、一瞬であっても、迷い出てしまった兄に対しても、父親は寄り添うのです。わたしたちの信じている神様は、そのような方である。物語はそう伝えています。(菅原)
小金井公園の桜(3月28日)
パウロは、本日の使徒書コリントの信徒への手紙一の中で、「神は真実な方です」と述べています。出エジプトにおいて、イスラエルの人々を雲や海を通じて導かれた主なる神様は、「真実な方」であり、今も変わらずに、キリスト者を導いているとパウロは述べているのです。そこから、大切なことは、不安や人間的な思いで、道を間違えないことです。そのための道しるべは、イエス様です。イエス様を通して、歩むべき道が示されるからです。そのことは、21世紀の現代においても、真実であると思います。(菅原)
十字架の道行きの礼拝(3月15日)
本日の旧約日課に「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」とあります。パウロもロマ書4章3節でも引用している有名な文言です。「信じる」というヘブライ語は、わたしたちが唱えるアーメンと語源は同じで、「固くする、確信する」などの意味があります。「義」は、「正義」とも訳すことができます(箴言21:3など)。主なる神様を信じるとは、個人の救いや慰めを確信する意味もありますが、そこから主なる神様が認める、正義が始まることでもあるのです。(菅原)
十字架の道行きの礼拝(3月15日)
本日の旧約日課に「あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい」とあります。祭儀を執り行うレビ人は、ヤコブの子孫ですが、嗣業(土地)を持たない人々です。主なる神様は、それゆえ彼らに賜物を分け与えるように勧めています。大切なのは、同様に「寄留者」への言及があることです。イスラエルのカナン侵入や選民思想は、排他的な要素に注目が集まりがちですが、主なる神様は、見知らぬ土地で困難の中にある人々にも、祭儀を執り行うレビ人と同じように、与えられた土地の賜物を分け与えるようにと勧めているのです。(菅原)
本日の福音書に、「仮小屋」という言葉が出てきます。この言葉は、「幕屋」とも訳すことができます。旧約聖書七十人訳で「幕屋」(出エ25:9など)の訳語として用いられているからです。「幕屋」とは、十戒の契約の箱を安置場所であり、主なる神様が臨在される場所です。そしてその言葉は、礼拝堂正面右にあるタバナクルの起源です。(菅原)
長崎聖三一教会の早咲き桜(3月3日)
本日の旧約日課には、ヨセフが登場します。ヨセフというと、マリアの夫・イエス様の父ヨセフを思い出しますが、聖書全体としては、このヤコブとラケルの子ヨセフの方が有名です。このヨセフは兄たちから虐げられますが、後に彼らを赦し救う、神様の愛を具体化したような善なる人です。そして、このヤコブの子ヨセフは、イエス様の父ヨセフとも共通点があります。それは、両ヨセフとも夢で導かれたということです。ただし、ヤコブの子ヨセフの方は、夢について、特殊な才能と言えるような賜物を神様から授かっていました(創37:5、8、40:9など)。彼は110歳まで生きますが、それも神様の恵みのしるしといえるでしょう。(菅原)
長崎聖三一教会:み言葉の礼拝での高校生による勧話
(2月24日)
本日の使徒書は、コリントの教会の人々に対する、キリストの復活についての教えの後半です。説明の中でパウロは、アダムとキリストを対比させています。そして、死と滅びにいたる生き方と、キリストを復活の初穂とすることによって、復活によって死を克服した生き方を対比させ、コリントの人々に後者を選択するようにと勧めているのです。復活を信じることとは、荒唐無稽の何かをただ信じることでも、自己の究極的願望の成就を望むことでもなく、よりよい生を歩むことに他ならないのです。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花(2月17日)
本日の福音書に「あなたは人間をとる漁師になる」というペトロに対するイエス様の言葉があります。「人間をとる漁師」を直訳すると、「人間を生け捕る者」となります。この「生け捕る」という動詞は、新約全体でここのほかは2テモテ2:26の「生け捕りにされて」にしか用いられていません。マルコ1:17の「人間をとる漁師(直訳:人間の漁師)」とも異なります。ルカの著者は、マルコにある「人間の漁師」という少し衝撃が強すぎる部分を、使徒として宣教活動に従事するという意味が伝わるように、表現を変えたのだと思います。とはいうものの、それでも初めて聞いた人は驚く表現です。一番驚いたのは、ペトロ本人かもしれません。(菅原)
長崎聖三一教会:み言葉の礼拝での高校生による勧話(2月10日)
本日の使徒書でパウロは、「霊的な賜物を熱心に求めているのですから、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい」と語ります。聖書日課としては冒頭にありますが、手紙全体のつながりでは、14章1節~12節のまとめの部分です。パウロは、各個人に神様が与えられる霊的賜物の重要性を認めながら、教会を造り上げるために、それを用いることを勧めています。その勧めの重要性は、現代の教会でも同じです。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花(2月3日)
本日の福音書に「イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた」とあります。この中の「巻物」は、ビブリオンという言葉です。「聖書」を意味するバイブルの語源であるビブロスと同じ語根の言葉です。このビブロスは、レバノンにある港町のことで、そこから良質なパピルス素材が輸出されたから、物自体がこの名前となったと言われています。今もグーグルマップでレバノンの北北東約20キロにその地名があります。(菅原)
(1月27日)
本日の使徒書に「イエスは神から見捨てられよ」という文言があります。肯定的な意味では「奉納物、神への供え物」(ルカ21:5)、否定的な意味では、「呪い、神から見捨てられている」を示す言葉が用いられています(ロマ9:3、ガラ1:18)。新しい訳では、「イエスは呪われよ」となっています。このような表現は、誰かが語っていたというよりも、背景に回心する前のパウロの記憶が、あるのかもしれません。(菅原)
(1月20日)
本日の使徒書に、「油を注ぐ」という動詞が出てきます。これは、ヘブライ語の「油を塗る、メシアにする」という言葉を、ギリシア語に訳した言葉で、キリストと同じ語幹の言葉です。この言葉は、また「手」という言葉と語幹が同じとも考えられます。その意味では、「注ぐ」のではなく、「手で塗る」という意味になります。手で油を塗られた人が救い主とは、文化的な相違性と類似性を同時に感じる不思議さがあります。(菅原)
(1月13日)
本日の福音書に「占星術の学者たち」という言葉があります。新しい訳では「東方の博士たち」、口語訳では「東からきた博士たち」、文語訳では「東の博士たち」です。訳が異なるのは、もともとの言葉が「学者、博士、魔術師」などいろいろな意味を持ち、「東から」と出発点が書かれているからです。「占星術の学者たち」は、意訳し過ぎであったかもしれませんが、彼らが当初、星を導き手としていたことは確かです。(菅原)
(1月6日)
本日の使徒書に「養育係」という言葉があります。新しい「聖書協会共同訳」でも「養育係」です。口語訳では「養育掛」、文語訳では「守役」でした。原語は、パイダゴーゴスという言葉ですが、この言葉は教育学を学んだ方でしたら、一度は耳にしたことのある言葉と思います。一般的には「教僕」とも訳されます。古代ギリシアのポリス、アテナイなどで、子どもの教育にあたる奴隷のことです。(菅原)
(12月30日)
本日の使徒書「ヘブライ人への手紙」10章9節に、「第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです」とあり、キリストが律法の廃止を語ったとしています。これは、マタイ福音書にある、イエス様の言葉、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5:17)と矛盾すると言えます。大切なのはどちらが真理か、ということではなく、これらの個所から何を見出すかということです。(菅原)
アドベントキャンドル(12月23日)
本日の使徒書、フィリピの信徒へ手紙4章4節に「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」とあります。この中の「喜ぶ」という言葉は、4章しかない短い手紙の中で、9回も用いられています。この手紙が「喜びの手紙」と言われる所以です。この言葉はまた、聖書時代のギリシア語では、あいさつの言葉に用いられます。今の時期にかかわる個所は、天使ガブリエルがマリアに告げる「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」の「おめでとう」です。(菅原)
アドベントキャンドル(12月16日)
本日の旧約はバルク書ですが、その3章38節に次のような言葉があります。「その後、知恵は地上に現れ、人々の間に住んだ」。イエス様を連想してしまう言葉ですが、もちろんバルク書では異なります。それは、地上の誰かではなく、律法に他なりません。つまり、律法を熱心に学び、実行し、主なる神様の慈しみと義、すなわち愛に応える、それがイスラエルの歴史に足りなかった。そう語っているのです。わたしたちが主なる神様に応える方法は、イエス様を通した信仰です。(菅原)
アドベントキャンドル(12月9日)
本日の使徒書は、「テサロニケの信徒への手紙一」です。この手紙は、パウロの手紙の中でもっとも古い文書です。新約聖書全二七文書の中で、ひとつの文書としては、もっとも古いものといえるかもしれません。パウロは、49年の第二回伝道旅行の際に、シルワノとテモテと共に、ピリピからテサロニケにきて、教会を建てました。再度訪れることを願いつつ、それが実現しないために、教会の人々へ思いを寄せて書いたのがこの手紙です。新約聖書の最初の文書も、相手を大切に思う愛に満ちた文書なのです。(菅原)
長崎聖三一教会の礼拝堂のアドベントキャンドル(12月2日)
子ろばに乗ったイエス様のエルサレムに入城は、他の王とは全く違う王であることを示します。ただし、ろばに乗る王の描写は、ゼカリヤ書9章9節に次のようにあります。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って。」イエス様は、旧約が示す待望された平和の王なのです。(菅原)
長崎聖三一教会の礼拝堂の献花(11月18日)
本日のマルコ福音書13章14節に、「読者は悟れ」という表現があります。これは、福音書の実際の著者が、語り手や登場人物を通してではなく、物語世界という枠を超えて、直接読者に語りかける手法です。理由は、強調したい事柄があるからです。強調したいこと、それは、「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つ」ことです。これが歴史的に何であるかを特定するのは、困難ですし、あまり重要ではないかもしれません。むしろ、それぞれの時代の読者が、自分の住む世界で何が起きているのか、しっかりと理解することの大切さ、そのことへの警告と言えると思います。(菅原)
長崎聖三一教会の礼拝堂の献花(11月18日)
本日の旧約日課は、エリアがサレプタの未亡人のところに身を寄せ、そこで「尽きることのない壺の粉と瓶の油」の奇跡を行った物語です。この物語が基となって、イエス様のパンと魚による五千人の食事の物語が、成立したといわれることがあります。しかし、ここでは明らかに、粉と油が増えた物語として読めますが、イエス様の物語は、そうはっきりと書かれてはません。そして、イエス様の物語は、増える奇跡ではなく、食物を分け合うことの大切さを示していると思います。(菅原)
長崎聖三一教会の礼拝堂の献花(11月11日)
本日の福音書は、新共同訳で「最も重要な掟」と小見出しがついている通り、イエス様の最も大切な教えを示しています。それを示したのは、イエス様と敵対している律法学者たちの中の一人でした。彼は、「あらゆる掟のうちで、何が第一でしょうか」という問いに対する、イエス様のごく一般的な答えを敷衍して、イエス様の本来の答えを引き出したのでした。イエス様は、「あなたは神の国から遠くない」と彼を誉めます。マルコ福音書という物語は、そのように語りの技巧を凝らして、イエス様の大切な教えを読者に示そうとしているのです。(菅原)
長崎聖三一教会の礼拝堂の献花(11月4日)
本日の福音書は、盲人バルティマイの物語です。彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫びます。この「憐れんでください」が、聖餐式の中にあるキリエ・エレイソンの基となる言葉です。彼の叫びが今もわたしたちの礼拝の中に生きているのです。そしてもう一つ大切なことは、イエス様が「何をして欲しいのか」と、彼にたずねたことです。その姿に示されているのは、一人ひとりを大切にして下さる神様の愛です。(菅原)
長崎聖三一教会の礼拝堂の献花(10月28日)
本日の旧約日課は、イザヤ書には、「主の僕」の歌と呼ばれる部分が四つあります(42:1-4、49:1-6、50:4-9、52:13-53:12)。本日の個所はその一つです。この「主の僕」がどれかという問いに対して、キリスト教の立場では、すぐにイエス・キリストを連想しますが、ユダヤ教の伝統的理解では、集団としてのイスラエルと理解します。しかし、大切なことは、「主の僕」が誰であるかではなく、主なる神様が、主の僕の苦しみを通して、その愛と恵みを示そうとしているということであると思います。「主の僕」の歌は、そのことを、時を超えて今も示しているのです。(菅原)
長崎聖三一教会の礼拝堂の献花(10月21日)
使徒書「ヘブライ人への手紙」3章1節から6節では、イエス・キリストが、モーセと比較されています。ヘブル書は、イエス様の業と姿とを見て、旧約のどの時代の人物とも違うことを認識し、その背後にある主なる神様の業・働きを明確にしています。そこから、イエス様が救い主であるという確信と希望を持ち続ける限り、自分たちは神の家なのだという信仰を堅く持っているのです。そして聖書日課に続く個所ですが、13節にある通り、時空を超えて「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです」。(菅原)
礼拝堂の献花(10月14日)
本日から使徒書が、ヘブライ人への手紙となりました。ヘブライ人への手紙は、「大祭司キリスト論」が有名ですが、冒頭では、天使(御使い)とイエス様が比較されています。天使は、旧約においても新約においても神様と人間との仲介的役割を持っています。しかし天使はあくまで仲介者に過ぎず、肉体をとり罪の清めの業を成就した、イエス様とは異なります。そのことがまず主張されています。天使は一時的ですが、御子は不変なのです。そこから「大祭司キリスト論」へと展開します。(菅原)
礼拝堂の献花(10月7日)
マルコによる福音書には、「弟子の無理解」というモチーフがあります。弟子たちを反面教師として、読者が大切なことを学ぶという手法です。本日の個所で、弟子の代表の一人であるヨハネは、「先生、お名前を使って悪魔を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」とイエス様に語ります。大切なことは、「わたしたち(弟子たち)に従うことではありません。悪霊によって苦しむ人を救うことです。弟子たちはそのことを理解できませんでした。しかし、それを理解しない以上に気を付けなければならないことは、「わたしたち」にイエス様を含め、自分たちの願望をイエス様に投影して、他者に服従を求めることです。(菅原)
礼拝堂の献花(9月30日)
本日の旧約日課は、「知恵の書」です。この文書は、旧約聖書と新約聖書の中間時代に、ギリシア語で書かれたユダヤ教の文献です。七〇人訳というギリシア語訳の旧約聖書には含まれていましたが、一世紀末にユダヤ教が正典を定めた時に、ヘブライ語の文書のみを正典とするという基準によって、正典から外されました。しかし、キリスト教会では、それ以降も聖書の一つとして保持してきました。プロテスタント教会は、これら旧約外典を正典から外しましたが、聖公会は『アポクリファ:旧約聖書外典)』という名称で用いていました。ただし、「知恵の書」は、「ソロモンの知恵」という名称でした。(菅原)
礼拝堂の献花(9月23日)
マルコ福音書の登場人物としての弟子たちの役割は、反面教師です。イエス様のそばにいながら、イエス様のことを理解できなくなり、失敗していく姿が、読者に示唆を与えるからです。本日の8章32節、33節は、その典型例です。弟子の代表ペトロは、十字架の予告をしたイエス様を「いさめ」、イエス様はそのペトロを「叱り」ます。「いさめる」「叱る」と訳語は異なりますが、原語は同じです。物語は、二人に同じ動詞を用いることによって、両者の方向性の違いを明確にしていると言えます。ペトロは、人間の地平でイエス様を見ようとし、イエス様は神の意志を実現しようとしているからです。(菅原)
礼拝堂の献花(9月16日)
本日の使徒書「ヤコブの手紙」に「御言葉を行う人になりなさい」とあります。ヤコブの手紙は、全体として、聖書の言葉・広い意味でイエス様の教えを、行うことを強調しています。このことは、パウロの書簡、特にロマ書やガラテヤ書にある「信仰義認」の概念と矛盾すると言われることがあります。しかし、そうではありません。聖書全体が示していることは、イエス様を通して主なる神様を信じて、義とされることの大切さと、イエス様のみ跡に従って、その教えをそれぞれの形で具体化することの両方だからです。(菅原)
礼拝堂の献花(9月9日)
本日の使徒書にある「神の武具」の武具は、文字通りに訳せば「完全装備」です。「武器・武具」という言葉と「すべて、あらゆる」という言葉から構成されている単語だからです。当時の完全装備とは、兜、鎧、盾、剣または槍ということになるかと思います。完全装備で戦うとは、穏やかではありませんが、戦う相手が、悪魔だからです。これぐらいで大丈夫だろう、そう思った時点て、悪魔にそそのかされているということでしょう。(菅原)
礼拝堂の献花(9月2日)
ヨシュアは、「主は救い」という意味の名前です。本当の名前は、ヌンの子ホセアですが、モーセがヨシュアと名付けました(民数記13:16)。自分の後継者としたからです。モーセは、約束の地カナン目前にして120歳で亡くなり、ヨシュアが、カナン侵入を指揮します。そのヨシュアも110歳で亡くなりますが、その前に、シケムという場所でイスラエルの民に、主なる神様との契約を示します(ヨシュア22-24章)。本日の旧約日課は、その部分です。このヨシュア(イェホシュア・短縮形イェシュ)という名前のギリシア語表記がイエ―スースです。日本語で、わたしたちのイエス様のイエスという名前です。(菅原)
礼拝堂の献花(8月26日)
本日の使徒書に「詩編と賛歌と霊的な歌」とあります。「詩編」は、旧約の詩編です。詩編は歌うことが前提です。「賛歌」は、「賛美する、ほめたたえる」という動詞の名詞で、「聖歌、賛美歌」の語源です。「霊的な歌」ですが、この「歌」は、ギリシア語では、一般的な歌を意味します。「霊的」とは、即興的に歌うことを意味していると思います。初代教会の礼拝は、ユダヤ教の伝統を引き継いだ聖書に基づく歌、集まった人々が共に声を合わせる歌、そしてその場で感じたことを自由に歌う歌、それらが含まれていたことが分かります。これらは歌にとどまらず、教会が何によって成り立つかを示していると思います。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花です(8月19日)
本日の福音書に「終わりの日」という言葉があります。この言葉は、この世の終末の日のことですが、すべての信仰者の救いの完成を意味します。その日に、信仰者の復活があり、永遠の命を歩み始めるからです。旧約には、永遠の命という直接的表現はありませんが、「終わりの日」という言葉はあります。ことに、イザヤ書に2章2-4節、ミカ書の4章1-3節は、まったく同じ文言であり、そこにあるのは、主なる神様の支配始まり、完全な平和の出現です。私たちがイエス様を通して、永遠の命を求めることは、この世界にまことの平和が訪れることを求めることと同じなのです。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花です(8月12日)
本日の旧約日課にあるパンは、31節で「マナ」と名付けられます。「マナ」はヘブライ語では、「マーン」です。それは、15節の「これは一体なんだろう?」(直訳:「何これ?」)のヘブライ語(マーン フー)に由来すると思われます。この言葉がギリシア語に訳された時、「マンナ」と表記され、日本語訳の「マナ」へとつながります。「マナ」は今でも正確に何であるかわかりません。しかし、大切なのは、何であるか知ることではなく、「何これ」と人間の理解を超えて、人間を養って下さる神様の愛を知ることです。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花です(8月5日)
本日の旧約日課に登場するエリヤは、紀元前9世紀ごろに北イスラエルで活動した預言者です。彼は、政治的不正と宗教的堕落が横行するイスラエル王国において、王やバール宗教の預言者たちと対決しました。またエリヤは、「見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った」とある通り、天に上げられ、死んだとは記されていません。またマラキ書に「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす」(3:23)という言葉もあり、終末時にエリヤが到来するという期待もありました。イエス様がエリヤに間違われたり、十字架の際に、「エリヤを呼んでいる」と言われたりしたのはこのためです。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花です(7月29日)
本日の福音書に「深く憐れむ」という言葉があります。1:41、8:2、9:22でも用いられています。キリエ・エレイソンのもととなった「憐れむ」(5:19、10:47、48)とは異なり、「内臓が裂ける」という現象の表現から、苦しんでいる相手の苦しみを、自分の苦しみとして憐れむことを意味する言葉です。英語は、” compassion”という言葉を用いて訳すのが一般的ですが、日本語では、「深く憐れむ」と訳すしかなく、理解するにはつねに注釈が必要です。ただしそれは悪いことではありません。福音書の物語は、イエス様が、他者の苦しみを自分のこととして共に苦しんでくださる方、そのような方だと描いている、いつもそのことを忘れないようになるからです。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花です(7月22日)
本日の旧約日課の預言者アモスは、北イスラエル王国ヤラベアム2世の時代に活躍した、社会正義を訴える預言者です。当時は経済的発展と同時に、貧富の差、政治腐敗が激しい時代でした。本日の個所に「下げ振り」とあります。重りをつけてつり下げ、建物などの傾きを明示する道具です。旧約全体で用例はここだけですが、非常に象徴的な言葉です。主なる神様は、北イスラエルの不正義と腐敗を、具体的な出来事を通して明示し、そのままにしておかないと語っているのです。主なる神様のこの「下げ振り」は、社会に不正義がある限り、いつの時代にも響く言葉だと思います。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花です
本日の使徒書に「第三の天」という表現があります。旧新共に聖書は総体として「天」を示す場合、複数形ですが、第何番目という表現はここのみです。この表現は、紀元後のユダヤ教やイスラム教の七層の天という詳細な区分とは異なりますが、そこが神様の領域であることを示しています。パウロはそこに上げられたと認識しているのですが、そのことを誇りません。パウロが誇るのは、天上の素晴らしい体験ではなく、イエス様と同じ地上の弱さに他ならないからです。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花です
本日の旧約日課、申命記は、同胞の貧しい人への配慮について、教えている律法の部分です。「その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい」という言葉、また7年目の負債の免除を語るこの個所は、神の民の中では、貧富の差があってはならないことを意味しています。この主なる神様の教えから、二千年以上超えた現代でも、貧富の差をなくすという目標は達成されていません。しかし、主なる神様は、今も、そのことを望んでおられるのです。(菅原)
長崎聖三一教会礼拝堂の献花です
本日の福音書の[ ]にある部分に、汚れた霊(レギオン)に取りつかれたゲラサ人の癒しの物語があります。この物語には、溺れ死ぬ二千匹が登場します。なぜ、二千匹の豚か。歴史的には、ユダヤ戦争に参加したローマ第10軍団(レギオン)のシンボル「猪」への皮肉とも考えられます。しかし、物語としては、汚れた霊に取りつかれた人の苦しみが、豚二千匹分の費用に匹敵すると語っていると思えます。周囲の人々は、失った豚を惜しみましたが、イエス様はその人をそれだけの苦しみから解放したのでした。(菅原)
イエス様は、「たとえ」を用いて教えられました。「たとえ」は、何かをわかりやすく説明するために、ほかの事柄に置き換えて語ることです。しかし、置き換えられた事柄が、未知のものであったり、理解が異なったりすると、「たとえ」は、謎となってしまいます。そのため、イエス様は、弟子たちには、さらにわかりやすく説明されたのでしょう。教えることにも、イエス様の愛と優しさが示されていると思います。(菅原)
主なる神様は、エデンの園でアダムを呼ばれます。この呼びかけは、アダムに何もやましいことがなかったときは、喜びに満ちた事柄であったと思います。しかし、アダムにやましい思いができてしまったとき、同じ呼びかけが恐怖に変わってしまいました。神様に変化はありません。愛の呼びかけを恐怖に変えてしまったのは、アダムでした。神様は、今も、イエス様を通して、すべての人(アダム)に愛をもって呼びかけておられます。わたしたちは、神様の呼びかけに喜びをもって、応える存在でありたいと思います。(菅原)
本日の旧約に、「熱情の神」という表現があります。この部分は、口語訳では、「ねたむ神」、文語訳でも「嫉む神」でした。ほとんどの英語の聖書でも「a jealous God」と訳されています。これは排他的信仰をもとめていると、批判の対象となる場合があります。しかし、もし誰かが、自分は誰からも愛されないと悲しむならば、この言葉は、その人に響くと思います。聖書の神様は、あなたを妬むほど愛しておられると示しているからです。(菅原)
本日の旧約に、「聖なる土地」という言葉が出てきます。この「聖」という概念は、聖書的に言えば、物質的または場所的現象としての意味ではありません。神様と人との関わり、そこにおける行動の中で明白になる事柄が聖です。本日の個所では、土地自体が聖なのではありません。神様がモーセと出会うから、その場所が聖なのです。それは私たちの小金井聖公会も同じです。(菅原)
本日は、聖霊降臨日です。いくつかの教会では、野外礼拝を行っていると思います。聖霊降臨日になぜ野外礼拝か。それは風を感じるためです。ギリシア語であれ、ヘブライ語であれ、「霊」は、「風、息」も意味します。聖霊はとらえにくい概念ですが、風を感じることが大切なことは確かです。神の息によって、わたしたち被造物は、みんな生かされている。そう感じるだけで、平和への歩みが始まるように思えるからです。(菅原)
本日の福音書に「世に属していない」という表現があります。「~から、の中から」という意味の前置詞が用いられており、直訳すれば、「世から(の出身)ではない」となります。イエス様もわたしたちも、肉によればこの世界の出身です。しかし、信仰によって、この世界にあっても、永遠の命を生きる信仰の世界に属するものとなります。そこにまことの喜びと希望があります。イエス様は、わたしたちがその命を生きるために、今も祈ってくださっています。(菅原)
本日の福音書15章16節に「あなたがたが出かけて行って実を結び」とあります。この「結ぶ」という動詞は、第一の意味は「運ぶ」です。日本語でも樹木が何かの実を付けることを、「恵みを運んでくる」などと表現することと同じ感性かもしれません。わたしたちは、教会に何を運び、教会から何を運ぶのか。教会に運ぶものはさまざまかもしれませんが、わたしたちが教会で神様の愛にとどまっているならば、教会から運ぶものは、愛に他ならないと思います。(菅原)
イエス様は、弟子に「弁護者」を与えるようにと、神様に祈ります。この「弁護者」という言葉は、「聖霊」を意味するヨハネによる福音書独特の表現です。この言葉は、「そばで」と「呼ぶ人」という要素から構成される言葉です。誰かの「そばで呼ぶ人」です。そのため、その動作の意味する内容は様々です。口語訳では「助け主」と訳されていました。悲しんでいるときは、「慰める人、励ます人」です。イエス様は、いつも聖霊を通して、わたしたちを励まし、慰め、助け、また弁護してくださる方なのです。(菅原)
「イエス様とは誰か」、その素朴な問いは、昔も今もあります。ヨハネによる福音書は、その問いにイエス様ご自身が答えて下さっています。今日の聖書個所では「わたしは良い羊飼いである」とありますが、それが答えです。ヨハネによる福音書には、そのほかにも答えがあります。いくつも答えがあるのは、おかしいと思う方もいるかもしれませんが、それはすべての人を受け入れようとなさっているイエス様の愛の表れです。(菅原)
◆先週の水曜日は東京教区の教区会がありました。午前中から午後3時までは駆け足教区会でした。午後3時からは主教選出の教区会でしたが、7回投票して終了。選出には至りませんでした。3ヶ月以内の教区会で再度選出する機会がありますが、そこで出来なければ日本聖公会総会での選出となります。良き主教が与えられますように祈りましょう。◆さて、今週の聖書の言葉を覚えましょう。聖週(受難週)の前の福音書はマルコ福音書が朗読されます。今週は朗読劇のスタイルです。イエスの受難の出来事は各福音書にありますが、それぞれ記述の仕方は違っています。それではマルコ福音書の受難の記事を読んで見ましょう。本田哲郎神父訳の順序で中見出しを追うと、「イエス、沈黙をもってピラトの司法権を否定する」「イエス、死刑の宣告を受ける」「イエス、ローマ軍の兵士たちのなぶりものにされる」「イエス、十字架につけられて、なお、あざけりを受ける」「イエス、十字架の上で息をひきとる」。これらの聖書を読むと、すべてのことが終わりに向い、弟子たちにとって大きな敗北の中にあるその時に、今日の福音書は「この人はほんとうに神の子だった」という百人隊長の言葉で終わります。人間的な思いでここを見るとイエスが神の子であるというしるしは何一つ出ていません。権力に押しつぶされ、殺されていった人の姿でしかありません。このイエスの十字架の道行からは神の香りを感じとることは出来ないでしょう。徹底的に打ちのめされて顔をそむけることしかできないイエスの姿です。なぜ百人隊長は「この人はほんとうに神の子だった」と告白が出来たのでしょうか。百人隊長はイエスの活動を知っていたでしょう。どのような教えで、誰を大切に生きたのか。ご自分に降りかかってくる苦難を、弟子たちが逃げ去ろうともご自分の生を全うされようと歩む十字架の道行のイエスの姿に、百人隊長は「神の子」を見たのではないでしょうか。◆今週は聖週でイエスの十字架の道行の只中を祈る時となります。祈りと黙想の日々を通してご復活日を迎えましょう。◆この一年間ありがとうございました。(前田)
◆「もういくつ寝るとお正月」という歌がありますが、あと2週間で「定年」ということになっています。家探しや部屋の整理が緊急の課題なのですが、この数年に集めた資料をどのようにしようかと悩む日々。興味のない人から見ればただの「ゴミ」なのですが、さて、どうしようと思い悩んでいます。◆今週は2回連続の教区会です。主教を選出しなければなりません。困難を乗り越えるために共に歩むことの出来る人は誰なのか。黙想と祈りを持って投票に臨みたいものです。
◆今週の福音書をいくつかの聖書で読み比べてみますと、なかなか興味深い言葉が出てきます。今日の福音書はイエスが弟子に語った「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のまま残るが、死ねば豊かに実を結ぶ」という有名な言葉が出てきます。生物学的には「死ぬ」のではなく、形を変え、新しい命に変容しているのです。これは生物学的な教えというよりは、麦を用いているのは、麦は地の中に落ちて、自分の存在を隠すこと、すなわち一度自分を否定することを意味しているようです。麦でありつづけることを否定するのです。自分の生を断ち切りことなのでしょう。人は自分の生に執着します。ありもしない「不死薬」を追い求めるのです。自分がまず幸せになることを優先します。「○○ファースト」という表現が流行っていますが、まず自分と自分たちという恥ずかしい表現だと思えます。「自分の命」の命はプシュケーという言葉で人間の本能的な命をさしています。それに対して「永遠の命」の「いのち」は生物学的な命が終わっても、決して消え去ることなく輝き続け、働き続ける命を指しています。ヨハネ福音書の特徴的な言葉ですので覚えておいてください。イエスもまた生きていたいという心からの思いを断ち切らなければならない状況を前に苦悩する姿が出てきています。しかし、イエスはこの状況を踏まえて一歩前に進んでいくことを読み取っていきたいものです。もうすぐ受難の週です。(前田)
◆今日はクロフツ司祭も前田司祭も小金井、阿佐谷で最後の主日礼拝となります。クロフツ司祭は4月から阿佐谷の牧師です。応援しましょう。
◆今日、大斎節第4主日はカトリックの日課はニコデモのお話なのですが、聖公会は山上でパンを増やす奇跡の話です。カトリックと聖公会の3年周期日課はかなり共通しているのですが、今週は違っています。◆さて今週の福音書がパンの奇跡です。奇跡の出来事を皆さんはどのように受け止められるでしょうか。奇跡を理解するのはとても難しいのは確かです。自分自身の持っている知識をもっても判断しきれないことがたくさんあるでしょうが、否定も出来ないという微妙なことになっているのではないでしょうか。今日の奇跡は他の福音書でも取り扱われていますが、その内容は微妙に違っています。共観福音書は「人々のあわれな姿」が前面に出てきます。イエスから見て「あわれな」状況にある人たちが描写されています。あわれむという言葉は「人の痛みに共感する」という意味ですからこれはよくわかります。ヨハネ福音書ではイエスは別なねらいがあるようです。イエスはパンが永遠の命を表すものであることを示そうとしますが、人々はイエスの奇跡を見てローマ帝国に代わる国のために王にしようとします。人々は自分たちの思いだけが目の前にあってイエスの思いを受け取ることが出来なかったことを今日の福音書は示しているのでしょう。(前田)
◆思わぬプレゼントで「十字架の道行」の絵が礼拝堂に飾られました。絵のタイトルも付けられて、式文も20部買いました。先週の金曜日から始まりました。どうぞ参加してみてください。大斎中に相応しい礼拝となることでしょう。◆今日の福音書のイエスの行動は驚くべき姿をとります。神殿では両替や様々なな捧げものが売られています。古今東西宗教の門前は似たような姿を取っています。金銭と宗教が結びつくとそこに腐敗の芽が生まれてきます。イエスはそれに対してどのような姿を現したのでしょう。それは神殿に腐敗の芽を育ててはならないということでありました。イエスは徹底的に神に向かうとはどういうことかを弟子たちにも示したということが出来るでしょう。◆十字架への道はイエスの姿勢が現れているのです。教会がイエスの道を歩むことは容易ではありません。高齢化の波の只中にあって、しかも新しいメンバーが増えることも難しい状況でしょう。しかしわたしたちの信仰の中にイエスの思いを胸に刻み一所懸命考えて何が出来るのかを模索することが必要なのではないでしょうか。
◆先々週、野村さんがピエタにパテンの修理に行かれた。その際「十字架の道行」の絵を求める方法を聞いたそうです。そうしたらお願いされている「十字架の道行」の絵を預かってきました。先週の日曜日に教会の皆さんと見て「いいね」ということでピエタを通してお願いした。その残り13の絵が22日に届いた。
今年の大斎で十字架の道行が出来るようになりますが、どうしましょうか。◆今日の福音書でイエスは受難の予告をされます。そうするとペトロはイエスをいさめたのです。それに対してイエスはペトロに「サタン」と言います。そして「自分を捨て、自分の十字架を背負え」と言われます。本田神父訳「自分のことはかえりみず、自分の十字架を背負って」とあります。ペトロのイエス理解はこの地上の勝利者として受け止めていたのです。それに対してイエスは人の子が十字架の
道を歩むことを示しています。意訳すれば自分のことをかえりみないで十字架=神の思いを背負って生きることを示しているのです。
大斎節前主日
◆本日は大斎節前主日。14日大斎始日から復活日に向けて40日の大斎節となります。本日の福音書はイエス様の変容が示されます。ペテロは本日の福音書の前にイエスさまから「あなたたちはわたしを何者だと思うのか」と問われます。ペトロは「あなたはキリストです」と答えました。イエスさまはご自分の受難の予告をされます。するとペトロはイエスさまをいさめます。そのときペトロは「イエスさまから「サタン、引き下がれ。あなたは神のことをおもわず、人間のことを思っている」。本田神父は「サタン(悪霊)、わたしの前から立ち去れ。おまえは、神の思いではなく、人の思いで判断している」です。◆ペトロはイエスが苦しみを受け殺されるなどと考えることが出来なかったのでしょう。ペトロはイエスの最初の弟子です。人々からは権威ある真実を解き明かす人であり、悩み苦しみのある人々を癒す力ある人なのです。「あなたはキリストです」との告白は、いかにペトロがイエスに期待したことでしょうか。しかしイエスから「サタン」と呼ばれてしまいます。それは人間の思いだと言われてしまうのです。◆十字架の道を通して人間を救うことは人間の思いを超えたものでしょう。それを知らせるのが本日のイエスの変容の出来事だったのです。神の輝きに変容する姿は誰も近づくことが出来ない神秘でした。しかしこのイエスは神と等しいことを固辞せず、むしろ奴隷の姿で、苦しむしもべの姿で十字架に死に至るのです。「これにきけ」と天からの声がするのです。わたしたちもまたイエスに聞く者になりたいものです。
顕現後第五主日
◆今日はハンセン氏病啓蒙の日というポスターが掲示されています。マルコ福音書の後半に重い皮膚病の癒しの出来事が記されています。本日の福音書の続きなのです。来週は大斎説前主日なので、本日の持ってきたのでしょう。私は神学院に入学する前に大郷博先生に誘われて沖縄でボランティアに参加しました。まだ沖縄は復帰しておりませんでした。那覇から名護までバスに乗り更に乗り換えて愛楽園まで行きます。とうじは3-4時間かかったように思います。ボランティア活動が始まり、病気についてお医者さん、看護婦さんの講義を聴き、活動が始まりました。「自分には偏見と差別の意識はない」と思っていましたが、やがて地金が出てきました。差し出されたご飯を一緒に食べることが出来なかったのです。しかしそのような私を愛楽園の患者さんたちはずーと見守ってくださいました。「前田さん乗り越えることが出来るから、私たちは待っているから」と支えてくれました。今思うとこの人たちの祈りによって活動することが出来て、支えられてきたのだと思います。かつてはライ病と呼ばれ正しい知識のない私たちによって偏見と差別の中に生きることを強いられたのです。◆イエスさまは病気で苦しんでいる人を憐れみました。人の痛みに共感するということ)そしてどのような病気であれ、手を触れて祈り癒されました。病気から解放されて立ち上がるような力を与えてくださったのです。聖書を読む会で「病気を受け入れて病気と共に生きる力を与えてくださった」との思いが語られました。そうなのかも知れません。私たちは誰しもが弱くなることがあります。私たちはそのようなときに辛い自己対話を繰り返すのですが、そのようなときに神との出会いが待っているのでしょう。
降誕後第4主日、
◆今週の福音書はイエスの教えが「権威ある者としてお教えになった」と書かれています。本田神父は「権威ある者として真実をときあかしたからである」としています。権威とは何でしょうか。英語ではオーソリティー、ラテン語の権威という語ではアウクトリタスで、アウジェーレという動詞から来ているそうです。これは「ふやす、ます、育てていく」という意味だそうです。ギリシャ語はエクスーシアーですが意味は神から来る力は超自然的な知識を伴う。そこで、力と知識の両方がエクスーシアーで表される。だからイエスの教えを聞いた聴衆は、イエスはエクスーシアー〈権威〉を持っているに違いないと結論するのです。語源を辿っていくとその人が生きて、つみかさね、育てて人生の知恵、生命を他の未熟で未完成の魂の中に伝え、与えていくためのものだということが分かります。◆今の時代では自らを「権威者」として語る人が多いかもしれません。自らを権威づけるのはとても危ないような気がします。権威を振りかざすのはいかがなものでしょうか。イエスが宣教の場に立ち始めて誰にも知られず、イエスという人さえ知られていないのに、その教えを聞いた者たちはそこに今までには感じたことのない「権威」を感じとったのでしょう。「真実をときあかす」ことが人々の魂を揺すったに違いありません。私たちもまたみ言葉に触れて魂を揺する体験をしてみたいと思います。
降誕後第3主日
◆本日の福音書「時はみち、神の国はすぐそこに来ている。低みに立って見なおし、福音を信じてあゆみを起こせ」(本田哲郎訳)。福音とはどのように捉えたらよいのか、という問題提起でもあるでしょう。「福音」とはいかなる宗教の枠も超えた、改宗をも条件にしない、救いと解放の知らせです。この福音を受け入れるためには「低みに立って見直す」(メタノイア)ことが求められています。イエスが身をもって示した「低み」に立つ人、その道をあゆもうとするすべてに告げられる救いと解放の知らせなのです。メタノイアとは痛みに視点を向けるように視点を変えることです。人は人の痛み、苦しみを理解することは難しいことです。恐らく相当意識的に共感する姿勢を整えない限りは難しいのではないでしょうか。イエスの生き方を見つめ続け、何を大事にされたかを繰り返し読み取ってそれを実践することでイエスが語られた福音を体験することではないでしょうか。イエスの生き方はこの世を上手に渡って生きる知恵ではありません。むしろ逆の生き方かも知れません。しかしこの福音によって私たちは生きる力が与えられるのです。様々な困難を抱えてもなお立ち上がる力が与えられるのです。(本田哲郎神父の解説書の要約です)
顕現後第1主日
◆今日の福音書は主イエス洗礼の出来事が記されています。本田哲郎神父は「イエス、低みから見直す沈めの式(洗礼)を受けて、荒れ野に立つ」と見出しをつけています。Baptismaは低みから低みへと流れる水の水面下に全身を沈めて「低みから見直させる」民間儀式であり、汚れを洗い流すというようないわゆる浄-不浄とは関係のないことでした。ユダヤでは律法で定められた「供物」を祭司にささげることを通してなされていたのです。本当に貧しい人々は清めの儀式を受けることが出来なかったため「けがれを引きずる者」=「罪人」と見なされたのです。イエスもその一人でした。イエスがヨハネからBaptismaをしてもらうときに「抑圧からの解放にかかわることをみな実行するのは、だいじなことです」と言ったのも、「正義」ということが底辺に視座をおき、人の痛みを共感共有するところから判断し、行動する解放にかかわることであることから、地上でいちばん低いところを流れるヨルダン川に「身を沈める」ことにその象徴を読み取っていたからだと言えそうです。
降誕後第1主日
◆今日は文字通り大晦日が主日のため、誰もがマルタ的忙しさに身を置くようあ状況でしょう。クリスマス礼拝が終わるとちょっときにしながら「よいお年を!」と言って帰る方々がいらっしゃる。それもまた現実でしょう。◆さて、今日はみことばの礼拝ですが、読まれる聖書は日課B年の通りですから福音書はヨハネ福音書の冒頭部分が朗読されます。ヨハネ福音書は、イエス・キリストがことばであったと語ります。わたしたちのまわり・出来事はほとんどのことがことばで成り立っています。心を痛める出来事もことばが中心です。いじめもハラスメントもです。ことばをどのように用いるのかで人は生きることも死に陥ることさえあることを示しています。私たちもまたことばによって生きることを実感しているのではないでしょうか。ことばにわたしたちの中に入り、命を輝かすことになります。◆明日は「主イエス命名の日」の聖餐式をささsげます。どうぞおでかけください。◆よいお年をお迎えください。