「私 の い ま」 |
東京聖マルチン教会 竹腰 博子
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3月25日、マルチン教会での最後の礼拝。4月1日のイースターは3教会合同で練馬ガブリエル |
で行われ、いよいよ新しい出発となった。それから二ヶ月経ったが、私の気持ちは、暗闇の中に迷 |
い込んだように動けなくなっている。 |
すでに新しい教会設立のためのエネルギーは眩ゆいばかりに動き出しているというのに・・・。取り |
残されているように動けない。混乱している。予想以上にロス感も強い。昨年のマルチン教会最後 |
のクリスマスイブ礼拝のあたりから私の気持ちは落ち着かない。 |
私の信仰そのものであったマルチン教会がなくなるなんてどういう事なのだろう。洗礼、堅信、故人 |
になられた方も含め、ここで出会った全ての人々と交わり、出来事、毎主日の礼拝、全てが今の私 |
の信仰を育んでくれた。毎夜毎夜それが次々浮かんでくる。 |
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ここ2、3年みんなで必死に礼拝を守ってきた。不思議な事だが、そうなればなる程にあの素朴な |
礼拝堂が神の賛美で満たされる礼拝になっていくのを、神とみんなが一つにされていく礼拝を体 |
験出来た。私が今、胸の中で最も大切にしている感覚である。少人数だから出来たのだろうか・・。 |
私達は徳丸以外の新しい地で新しい教会をつくることを選択した。 |
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今、私は立ち止まっている。フッと立ち留まっている。改めて過去と未来をみつめる。長かったマ |
ルチン教会生活を振り返る。一方これから先、新しく生まれる教会の途方もなく多くの課程と時間。 |
日々の肉体の衰えを感じる今日此頃の事を考え合わせると目まいがしそうである。残された時 |
間、今年喜寿をむかえる私に出来る箏は・・・。静かに見守ることだろうか・・・。 |
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教会を閉じる時の祈りがあるという。教会と係りのあったすべての人々との最後の礼拝が約束 |
されている。その時、マルチンの建物と、全ての人々に万感の思いを込めて感謝をお献げしたい。 |
私のけじめである。その時、私はマルチン教会を離れ、新たな一歩を踏み出せる。(2018-8-17) |
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