八月八(日)〜八月十一日(水)長崎にて、四年に一度行われる全国青年大会が開催されました。テーマ「長崎から発つ」に促され教区に戻った青年のうち、二人に感想を寄せていただきました。
浦上天主堂の「鐘楼ドーム」。爆心地の北東約五百メートルに位置し約五十トンあるが、爆風で約三五メートル吹き飛んだ。
全国青年大会に参加して
私は、初めて長崎という地を訪れ、八月九日は、長崎聖三一教会で被爆者や信徒の方と一緒に礼拝に参加しました。礼拝中、十一時二分には沈黙のなか街中にサイレンと汽笛の音が響き渡り、なんとも言えない思いとともに涙が溢れました。五九年前の今日、原爆が投下されたという事実があり、礼拝堂ではお母さんに抱かれた赤ちゃんがすやすやと寝ている現実がありました。私たち大人は子供たちに何を伝えていけるのか、彼らの未来にどう責任をもつのか。学ぶこと、やるべきことはいっぱいあり、長崎にはその原点があるように強く感じました。礼拝後には、被爆者の方の証言がありました。実際にその場所で体験された方の声はどんな史料や文献よりも力があります。少しではありますがその痛みを感じ取ることができました。
平和公園・城山小学校・爆心地公園・原爆資料館・平和資料館などを歩いて巡るなか、真実を知り、それを伝えていくことがどれだけ大切かということを改めて感じました。目を背けてはいけない事実があります。毎日の生活では、忙しさという言葉を理由に戦争や平和について考える時間があまりありません。しかし、長崎を訪れたことで、考えるきっかけが与えられました。一番怖いことは無関心であることです。何事も直接見聞きし、感じることが本当に大切だと思います。世の中の操られた情報だけに迷わされることなく、現場へ足を運ぶことで得られるものが長崎にはありました。事実をしっかりと心に刻み、平和を創り出す者になりたいと強く思いました。(千葉復活教会 ユニケ東佳奈)
「戦争は いかん。」
八月九日、わたしは長崎にいました。暑い日差しの中、たくさんの長崎市民とともに、五九年前に起きた原爆のことを思い平和式典に参加していました。
全国に友達を増やしたい、戦争のことをもっと学びたいという気持ちで初参加しました。北海道から沖縄まで百名ほどの聖公会の仲間が集まりました。大会初日はみんな緊張しつつもすぐに打ち解け、会話が弾みました。夕食後、被爆者である城臺美彌子さんによる証言がありました。戦争開始に至るまでと原爆が落とされるまでの経緯(軍事施設爆破を目標とされた投下であったこと)、原爆の被害の大きさ、戦争の好きな子に育てる戦中の教育のこと、戦後、長崎ではできなかった平和教育への制圧の問題点など、決して表には出てこないような事柄まで、とてもわかりやすくお話してくださいました。あまりの残酷さに聞いていて涙があふれ胸が苦しくなりました。そして、原爆は「落下した」のではなく、「投下された」のだという真実を受け止めさせられました。
二日目は長崎の平和式典に参加して、浦上天主堂や城山小学校など、実際に被爆した建物を一つひとつ自分の目で確かめに行きました。五九年前と同じと地で同じ空を見上げ、当時の人々の悲しみや苦しみに共感し、八月九日に長崎の地に立てて良かったと強く思いました。三日目は長崎平和資料館へ行き日本軍の行った各国への虐殺の事実を見、私たちは戦争の被害者でありながらも加害者であるという真実を知りました。
この三日間を通し、私は戦争の語り部になり「戦争はいかん」と大きな声で言わなければならないと強く感じました。まずは隣人から伝えていこうと思います。全国の仲間との交わりもとっても楽しかったです。本当、来なかった人が残念。次回の青年大会もあるゲナ。今度は横浜からたくさんの青年とご一緒できればと考えています。
(林間聖バルナバ教会 ルツ吉川恵)
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