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2003年05月25日 175号 《速報版》

日本聖公会管区事務所
〒162‐0805 東京都新宿区矢来町65
電話03(5228)3171
FAX 03(5228)3175
発行者 総主事 司祭 三鍋 裕


   貧しさと困苦を共有するために

管区事務所総主事 司祭 □−レンス三鍋 裕

貧しさと聞くと先輩聖職の昔を思い出します。結婚する若い聖職に「その給料で結婚するとは勇敢な証拠だ、頑張れよ」と祝辞を言った修道者がいたし、聖職が1日3回も食事をして良いのだろうかと考えた主教様もおられたそうな。でも皆さんお元気で生き生きと仕事をしておられました。今は3食に、時には?晩酌もつきますのに、貧しさについて書くのは少々気が引けますが、お許しください。

びっくりしたのはネパールに行ったとき。あなたのお国ではl日に何回食事をされますかと尋ねられた。ネパールでは1日に2食なのです。旅先で恥はかきすてと厚かましかったのか、カトマンズの大使館で会った日本人の家に泊めてもらうことになりました。正体不明の日本人が何人も住んでいる家でした。ボス格の日本人に「明日一緒に山の病院に行かないか」と誘われたので、「ああ、この人は医療関係者か」と分かった。何も知らずに泊めてもらうのだからひどい話ですが、思えばお互いちゃんと挨拶もせずに、なんとなくそうなったのです。何か若いころは遊んでばかりいたように思われるかもしれませんが、教区主教と神学校長の許可を得た休暇ですから念のため。とにかくお互いの正体を確かめたら、私は神学生、相手は日本キリスト教海外医療協力会のメンバー。ボス格は岩村先生というドクターでした。山奥の病院での簡単な公衆衛生の講習会なのですが、草原の飛行場が雨にぬれて滑りやすく使えないので、陸路で行くことになったらしい。

寝袋を借用して次の朝早くバスで出発。バスの窓から景色を見ながら喜んでいたら、半日進んだところでバスは終わり、そこからは徒歩。そんな話は聞いてなかった。しかもそこから3泊4日の行程、受講生が病院に集まって待っているから、急がなければならないとのこと。文字どおり山を越え谷を越え歩き続けます。一行はドクターと私とネパール人の看護婦、それにポーター1人。このポーター、ブラーモンというのか一番「上」のカーストに属しているらしいけれど、私どもには勿論関係ない。ちょっと別な視点、たとえばわれわれ外国人の視点からすれば何の意味もないことが明白になるのに、ネパール社会では時々問題になるらしい。泊まるのは街道筋の旅篭(小雨なら防げる程度の小)か大きな農家の軒先、勿論トイレはなし。水は谷底まで降りて運んでくるから泥水でも貴重品、コップに入れてから泥がコツプの底に沈むのを待って上をすする。食事だけは特別食を頼みました。白いご飯に豆汁のようなカレーをかける。少しは賛沢しようよとチキンカレーを注文したら、生きた鶏を3匹持ってきて、どれにしますかと聞かれる。幸い自分で選んだ記憶はない。夜は足元が危ないので、日が暮れたら寝る。蛍が恐ろしいほどきれいでした。

  同行者が医師ですから、いろいろと教えられます。まず子ども、基本的には学校はなく年齢に応じて働く。お経を読むために何とか文字は習うみたい。お腹だけ膨れている子どもが目につくのは、炭水化物だけしか与えられていない一種の栄養失調状態。(当時の)乳児死亡率2%、つまり生まれた子どもの4分の11年以内に死ぬ。山間部では男性は余り働かない。昼間から焼酎を飲みながら博打をやっているのをよく見かけた。女性には急な段々畑の耕作、そのための谷底からの水汲みの重労働。しかも裕福な人に限られるのだろうが一夫多妻も残っていた。35年近く前ですから今は違うかもしれませんし、時間の流れがゆっくりですし、価値観や文化の違いもあるのでしょうが、感心できない課題も多い感じでした。反対に戸籍が整備されていないので、兵役も税金も関係ないという部分もあったようです。こういう中でのキリスト教宣教は大変ですね。山奥のゴルカというミッションには教会、病院、学校、農業指導センターがありました。貧困と無知と病の悪循環を何とか断ち切ろうとしているのです。伝道の実が結び、キリスト者になると、問題が発生します。村八分になるのです。農業しかない共同体で村八分になると、実際には生活が成り立たず、インドに出稼ぎに行くしかなくなり、家族がばらぱらになります。

 なぜネパールのことを思い出しているかというと、南アフリカのハイベルド教区からエイズ問題を解決するための働きに関する資料が届いたからです。ここにも同じように貧困と無知と病の、さらに差別の悪循環があるのです。親が病気になると働けません。子どもは教育を受けるどころか食べ物にも不自由します。体力は弱りますし、教育が行き届かなければ働くための能力も高められませんから、貧困から抜け出せません。

皆さんからお預かりしている重債務国援助資金、どうしたら一番献金のご趣旨に合うかといろいろ考えました。世界銀行とIMFが規定する重債務最貧国に限定するべきとのお考えもありました。しかし国としては最貧国でなくても、ある地域では人々が極度の貧困に苦しんでいるという状態はいくらでもあります。そういう困難の中にあって働いている同働キリスト者の喜びや苦難を少しでもご一緒させていただくことから始めたいのです。ACCから紹介されたハイベルド教区、教区内の人の約3分の1はエイズ,患者あるいはエイズウイルス感染者だそうです。ある地域では56%にも上ります。いろいろな働きがなされています。子どもが学校に行けるように、患者が病院ではなくできるだけ家で生活できるように援助もします。そして本当に貧しい人にはお葬式の費用を援助します。教会がお葬式の援助をしなければならない貧しさって、どんな状況なのでしょうか。計画では「子どもと女性は特に大切にされる」という項目があります。つまり今まで大切にされなかった面が多いのでしょう。

この号の別稿にて今手に入っている限りの資料を要約したものをご紹介します。遠いお国の人々の困難を思ってみたいのです。そこで働く人々と協働者でありたいのです。ほんの少しですが喜びと困難を共有したいのです。遠くを、そして近くをもう一度見てみたいのです。私たちのなすべき業が、生きるべき姿がもう一度示されるような気がするので。これからはハイベルド教区の働きに、毎年相談を重ねながらl万ドルず5年間献金したいと思っています。差し上げるのではなく、支え合うこと、一緒に生きている喜びが与えられることを願っているのです。どうぞお祈りくださいますように。

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