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今、失ってはならないもの
管区事務所総主事 司祭 □−レンス 三鍋 裕
年のせいでしょうか、2O年も前に死んだ父のことを思うときが多くなりました。幼いときには怖い父だった。普段一緒に生活していない小さな子どもにどう接すればよいか分からず、困っていたのかもしれない。気性は激しかった。「おまえは父に似て気性が激しいから気をつけるように」と手紙が来たので、父の後輩に話したら「坊ちゃん、あなたも本当に気をつけないと」と真顔で言われたのには参りました。子どもの扱いは下手だったけれど大切にしてくれた。私も息子たちからは「大切にはしてくれたけれど下手だった」と思われているかもしれません。
この数週間、戦争のニュースばかりで嫌でしたね。まだまだ続きそうですし、それにしても確かに干物になりそうなほど暑い地域なのですが、もう少し頭を冷やしてから始めるべき戦争じゃあなかったのかと思いませんか。私と同じように大切に育てられた命が、私と同じように大切に育てた命が、「映画のように」簡単に殺されるのですから。我が家では、指の先の怪我でも大騒ぎだったのに。どこのお宅も同じでしょう。もうやめて欲しいものです。
さて父は船乗りだったので、基本的にはいつも留守でした。ちょうど今の私の年、50才半ばで陸に上がって清水の港の仕事に就きました。私どもの住まいは横浜でしたので、教育費を稼ぐための単身赴任。結局一緒に住んだ経験がないわけです。そのためか何を話したという思い出も少ない。戦争中の話も出来るだけ避けていたのではないかと思うのです。手柄話がある様子もなく、唯一の自慢は、「俺は運が強くて一度も泳いだことがない」と言った言葉だけは覚えています。普通は何度か泳いで当たり前の世界があったようです。
つまり民間商船でありながら、軍隊に乗組員ごと強制徴用される時代のことです。もともと商船ですから、飾り程度の自衛手段しかありません。兵員と軍事物資を満載しているのに軍艦と違って反撃しませんから、潜水艦や航空機からは攻撃しやすい船でしょう。沈没寸前には退船したようです。海に飛び込むタイミングとコツもあるそうですが、とにかくそれから泳ぐわけです。どういう計算の仕方かはわかりませんが、太平洋戦争中の船員の損耗率が43%、海軍の16%に比べて非常に高い。商船、機帆船、漁船の沈没7,240隻、戦没船員推定60,600人。彼らは無理やり海軍軍人に仕立て上げられたけれど、船荷を運ぶだけが仕事の民間人なのです。無事に家族のところに帰れるはずの人々だったのです。徴用も陸の召集と同じといえばそれまですが。
父の言葉に従えば、一度も泳ぐことなく陸軍に移されました。毎朝赤い旗をつけた車が迎えにきたと母は言っていましたが、父は多くは語りませんでした。後になって知ったのですが陸軍の兵員、物資の輸送を監督する部署、なるほどこれなら海の人間が使われるわけと理解しました。無事に帰れるはずのない船を出港させる仕事です。目的地の部隊は全滅していても、建前として補給を続けるのです。家族がいるのに、狼の群れに小羊を送り出すわけですから、送り出される方も送り出す方もつらかったことでしょう。泳いででも帰って来いという気持ちだったに違いありません。戦争は一民間人にも過酷な体験を強いました。昭和20年8月時点の所属は陸軍船舶司令部、別名暁部隊でした。年配の方なら、父が戦後多くを語らなかったことをご理解くださるはずです。私には父の沈黙が雄弁な証言として遣された思いがするのです。そして、父が私の成長を楽しみながら、実は戦後の平和の有難さを静かに味わっていたように思えるのです。
今、「国民保護法制」というのが国会で話題になっているそうです。事が有った時のために法制度を準備するとかで、「有事法制」とよばれます。有事に法が不備では、超法規的と称して権力が勝手に働く危険は感じます。同時に有事にあってこそ有事法制が拡大解釈あるいは拡大強化される危険を感じます。法案の詳細が分からない段階で、賛否を論ずるのはいかがかと思いますが、知事は避難民の収容・医療施設として所有者の同意を得て士地や家屋を使用でき、正当な理由なく拒否した場合は同意なしに使用できるのだそうです。有事という混乱の中で「正当な理由」を公正に考えてくれるのでしょうか。万一攻撃があれば、反撃の場にもなりましょう。指定公共機関の役割では運送業者による避難住民・救援物資の運送が求められていますが、住民保護のための隊員や装備、つまり兵員・武器弾薬は本当に除外されるでしょうか。「高度な公共の福祉」のために個人の権利が侵され、一民間人のはずがいつのまにか戦闘員にされている危険はないのでしようか。
有事とはそんなに誠実に冷静に物事を進めることのできる状況を想定しているのなら、有事法制そのものが必要とされないのではないでしょうか。民間機や民間船が軍事力の一端を担うような事態が起こらないようにする方が、誰もが役立つことを期待しないこの法の複雑な立法作業よりも大切ではありませんか。民間人であるわれわれが再び「泳がされる」ことのないように、注意深く見守りたいのです。身勝手といわれても、民間人である私は自分と家族だけを守れば良いのです。正義感の薄さも隠しません。私は少々正義が欠けても平和を選び取ります。失ってからでは遅いのです。
せっかくのイースターに難しいことを言ってごめんなさい。でも、戦争は続いているし、きな臭い法案が話題になるし、気になるのです。ご復活のメツセージは「あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」でした。ご復活の暖かさを抱いて、わたしたちはどこへ遣わされて行きましょうか。
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