カテゴリー別アーカイブ: 新聞記事より

凍土遮水壁の設置完了したものの認可・運用めど立たず

(2016年2月10日福島民報・朝日新聞・赤旗掲載記事より)

 

東京電力が福島第一原発の汚染水対策の柱として建設している凍土壁(※)が、凍結を始められない事態に陥っています。地下水の動きによっては汚染水の増加を抑えるどころか、逆に汚染水が漏れ出すおそれがあるとして、原子力規制委員会が凍結開始を認可しないからです。東電は2016年2月9日、工事の完了を発表しましたが、規制委を納得させられるかどうかは見通せません。

【(※)凍土壁とは・・・・福島第一原発では、溶けた燃料が落ちている建屋地下に地下水が流れ込むことで、高濃度汚染水が生まれ続けています。その対策として1~4号機の建屋地下を長さ1500メートルの「氷の壁」で取り囲み、地下水を遮断する計画を立てました。計1568本の凍結管を約1メートル間隔で深さ30メートルまで埋め、零下30度に冷やした液体を循環させて周りの土を凍らせます。しかし、過去にこれほど大規模な凍土壁が造られた前例は無く、凍結期間も2020年までと長期間に及ぶ事を懸念する声もあります。約345億円という巨額の税金を投入した壮大な無駄遣いになりかねないと、実現性を含めて多くの疑問が出されています。】

凍土壁を認可する立場の規制委は当初から効果を疑問視してきました。「氷の壁」で囲んで地下水位が下がりすぎると、建屋にたまっている高濃度汚染水が逆に地中へ漏れ出してしまうリスクがあるからです。

安全に運用できるか審査する検討会で、東電に再三説明を求めてきました。他の対策もある中で凍土壁の早期凍結にこだわる東電への不信感もあり、田中俊一委員長は昨春、「凍土壁ができたら汚染水の問題がなくなるかのような変な錯覚をまき散らしているところに過ちがある」とまで述べました。

実際、昨春に始まった試験凍結では、予想外に水位が下がる場所が見つかりました。水位は場所ごとに異なり、流速や流れる向きも未解明な部分が多いですいったん凍らせると溶けるまでに2カ月ほどかかるといい、問題が起きてもすぐに後戻りできません

敷地内にたまった処理済みの汚染水は70万トンを超え、タンクの増設も難しくなってきました。新たな汚染水の発生をとにかく減らしたい東電と、汚染水漏れは何としても避けたい規制委。隔たりが埋まらないまま工事完了が近づいた2015年12月、規制委は建屋から汚染水が漏れ出すおそれが少ない凍土壁の部分凍結を文書で「提案」する異例の対応をとりました。東電は全面凍結を目指す姿勢を崩していませんが、「提案」の検討も進めています。

電力会社 経営再建は原発頼み

(2016年2月8日朝日新聞掲載記事より)2016年2月8日朝日

東京電力福島第一原発事故からまもなく5年。事故を収束させる見通しも立たないなか、東電は世界最大級の発電規模を持つ柏崎刈羽原発(新潟県)を再稼働させようと、地元で積極的に動いています。
―原発をコントロールする中央制御室。「地震加速度大」「原子炉スクラム」の赤い表示がともる。「確認して」と指示が飛ぶ。事故時に司令塔となる緊急時対策所では「警戒態勢を発令する」と発電所長。建屋の外では、作業員が非常用の電源車を起動し、別の作業員が消防車にホースをつなぎ込み、放水する。
「どんな状況でも対応できるよう、訓練に全力を注ぎます」。作業を担う9人が口々にそう語る。―

これは、東電が新潟県だけで流すテレビCMです。2015年6月から始まり、この訓練編を含めて5種類あります。主に、再稼働に向けて十分な準備を進めていることを訴える内容です。毎月約240回。事故後、電気を供給する関東地方でCMを原則自粛している東電としては「異例」の対応です。
そんなCMを流し始めたころ、原発がある柏崎市と刈羽村では、あちこちに東電社員の姿がありました。「ぜひ発電所の安全対策を見てください」。115人の社員が約4カ月かけて、ほぼすべての住戸となる4万戸強を訪ね歩きました。
東電がここまで再稼働にこだわる理由は明快です。柏崎刈羽が動かないと、再建が成り立たないからです。原発1基が動けば、その分、火力の燃料費を減らせるので、月に最大140億円ほど収支が改善するといいます。東電の再建計画は柏崎刈羽6、7号機の再稼働を前提にしています
地元同意のカギを握るのは新潟県知事ですが、知事の東電への不信は消えていません。新潟県は、国会や政府の事故調査委員会とは別に、専門家による技術委員会を独自につくり、福島の事故検証を続けています。7基で821万キロワットを超える世界最大級の柏崎刈羽は、福島と同じ「沸騰水型炉」です。大きな事故が起きれば、その被害は福島とは比べものにならないとされます。知事の決まり文句は「事故の検証と総括がなければ再稼働は議論しない」。東電側は2015年秋、委員会の求めに応じて、当時の社長や現地の作業員ら約30人の聞き取り調査を実施し、内容を報告しました。それでも知事の理解は得られていません。
又、再稼働に慎重な姿勢を見せる知事に対し、国は交付金減額という形で新潟県へ圧力をかけています。(詳しくは2016年1月5日赤旗新聞掲載記事についての投稿をご覧下さい
秋には知事選があります。柏崎市と刈羽村の議会は早期の再稼働を求める請願をすでに採択しました。東電の「地ならし」が選挙にどう影響するのでしょうか。答えはまもなく出ます。

 

原発事故後、全国すべての原発が止まりました。電力の需給は厳しくなる局面もありましたが、5年間で状況は変わりつつあります。
電力10社の2015年夏の電力需要(ピーク時)は、事故前の2010年夏より約13・5%減りました。企業や家庭で節電が進んだほか、新電力による供給が増えたからです。一方で「原発頼み」の経営は変わりませんでした。
原発は長く運転するほど利益を生みます。建設費などの初期投資は巨額ですが、燃料のウランは化石燃料を使う火力より安く、運転にかかる費用を抑えられます。再稼働した川内1、2号機、関西電力高浜3号機(福井県)は運転開始から約30年。原子力規制委員会に申請した26基は建設中を除くと平均25年ほど。初期投資の回収が進み、安定して利益を出す「働き盛りにあたります。震災後に追加した安全対策は2兆円超の見通しですが、各社は再稼働できれば「回収可能」と判断しています。
ただ、震災後に定められた新規制基準では、原発を新たにつくるにも、廃炉にすると定めた原則「40年」を延長して運転するにも、これまで以上の設備投資と安全対策費が必要になります。世界経済の減速で原油安が進み、原油価格に連動する液化天然ガス(LNG)価格は下落。火力の発電コストは下がりつつあります。
コスト面での原発の優位は期間限定でしかありません。原発が経営の「重荷」になった時の答えは、まだ見当たりません。

相馬市、南相馬市で原発事故後慢性疾患が増加

(2016年2月6日福島民報新聞掲載記事より)

相馬中央病院の森田知宏医師、南相馬市立総合病院の坪倉正治医師、尾崎章彦医師らの研究チームは5日、東京電力福島第一原発事故前後の相馬、南相馬両市民の慢性疾患発症の変化について研究結果を公表した。避難の有無にかかわらず、事故後に糖尿病、高脂血症の患者が増えている現状が明らかになった。
相馬中央病院の森田知宏医師、南相馬市立総合病院の坪倉正治医師、尾崎章彦医師らの研究チームは5日、東京電力福島第一原発事故前後の相馬、南相馬両市民の慢性疾患発症の変化について研究結果を公表しました。避難の有無にかかわらず、事故後に糖尿病、高脂血症の患者が増えている現状が明らかになりました。

2016年2月5日、東京電力福島第一原発事故前後の福島県相馬市、南相馬市の両市民の慢性疾患発症の変化について研究結果が公表され、避難の有無にかかわらず、事故後に糖尿病、高脂血症の患者が増えている現状が明らかになりました。

研究では、事故前、事故後にそれぞれ1回以上特定健康診断を受診した両市民(40~74歳)計6406人を対象に、避難区域内の住民と区域外の住民のグループに分けて分析しました。
事故後3年間(平成24~26年)の慢性疾患の発症割合を事故前3年間(20~22年)と比べた値は【表】の通りです。事故前3年間の平均値に対し、区域内の住民は糖尿病が1・21~1・60倍高脂血症は1・16~1・30倍に増加区域外の住民は糖尿病が1・11~1・33倍、高脂血症が1・03~1・14倍に増えていました増加率は避難区域内の方が区域外より高い傾向にあります。
研究チームではこの結果を受け、上昇の原因については「現時点では、生活習慣の変化や社会状況、環境の変化という表現をせざるを得ない」と説明し、「災害後は長期的な慢性疾患の管理が重要」と述べました。

 

チェルノブイリ原発事故では、甲状腺疾患に限らず様々な病気の増加が報告されています。事故から2年後には、大人については糖尿病、慢性気管支炎、虚血性心疾患、神経系統の病気、胃潰瘍、慢性呼吸器系の病気などが、それ以前に比べて2倍から4倍に増加しています。(1989年 IAEA非公式会議。ベラルーシの保健大臣からの報告より)

そしてチェルノブイリ原発事故から27年経った今も、様々な疾患が依然増加傾向にあります。現地の医師は、研究現段階で実際にチェルノブイリ原発事故が国民にもたらした健康被害を総括するのは時期尚早であり、がんの分野についての結論を出すのはまだ早いと述べています。

福島原発事故かもうすぐ5年となる今、健康被害はまだ始まったばかりと言えます。事故と病気との因果関係について結論が出るのも、きっと果てしなく先の事なのでしょう。今私たちに出来る最善の事が何であるのか、改めて考えさせられます。

指定廃棄物「1県1カ所処分場」行き詰まり

(2016年2月5日朝日新聞・福島民報新聞掲載記事より)

東京電力福島第一原発事故で出た放射性物質で汚染された稲わらやごみの焼却灰などの『指定廃棄物(※)』について環境省は2016年2月4日、放射性物質濃度が基準を下回れば指定を解除して、自治体が処分できるようにする方針を示しました。一部で処分が進む可能性がでてきましたが、国が集めて処分するという方針の転換に、自治体では戸惑いが広がりました。

指定廃棄物は2015年末時点で12都県で計約17万トンが保管されています。環境省は保管量が多い宮城、福島、茨城、栃木、群馬、千葉の6県では1カ所に集める方針でした。福島県では民間産廃処分場への集約が決まりましたが、他5県では処分場の新設計画が候補地の反対で進んでいません。一方、震災から約5年が経ち、放射性物質が減って指定基準を下回る汚染ごみが出てきました。

環境省が示した指定の解除手続きでは、濃度が基準を下回っていることを確認した上で、保管されている自治体などと協議します。解除後に自治体が処分する場合、費用は国が負担します。

 

茨城県では保管場所の漏出防止策を強化し、指定廃棄物を置き続けることを認める考えを示しました。茨城県内の1ヵ所へ指定廃棄物を集約するための処分場の新設が候補地に反対された後、環境省が県内首長の意向を聞いたところ、現在の場所での保管継続を望む声が大勢を占めました。保管場所が10カ所と限られ、浄水場などの公共施設内にあって管理しやすいからです。しかし、25年後も指定基準を超えたままの汚染ごみは、最大でも約0・6トンになるという推計もあります。橋本知事は「現実的に早期に安全確保するにはこの方法しかなかった」と話しました。

一方、保管の量も場所数も多い栃木県の福田富一知事は環境省の新方針に懸念を示しました。県内の指定廃棄物の大半は稲わらで、農家などに一時保管されています。ここ数年、竜巻被害が相次ぎ、2015年9月には関東・東北豪雨にも見舞われました。指定廃棄物の飛散や流出の恐れがあり、福田知事は早く集約管理すべきだと考えています。

 

指定廃棄物を一刻も早く減らすために出されたこの方針ですが、解除された指定廃棄物の処分がすんなり進むとは限りません。指定基準に至らない指定廃棄物でさえ、住民の反対で処分が滞る自治体が少なくないからです。近い将来、指定廃棄物の容器が破損して処理が厄介になることも予想されます。また、今後はこれに不住家屋が加わるので、可燃廃棄物は更に増加するでしょう。

環境省は「8千ベクレル以下では通常の廃棄物と同じ処理で安全性に問題がないという技術的、科学的な知見は示されている」と、理解を求める考えでいます。

※『指定廃棄物』とは・・・・原発事故で出た放射性物質で汚染されたごみのうち、放射性セシウムの濃度が1キロあたり8千ベクレルを超えるものを、自治体の申請に基づき環境相が指定します。セシウム134の半減期は2年セシウム137は30年で、廃棄物の濃度は徐々に下がっていきます。)

-南相馬の『今』- 現地で暮らす作家・柳美里さんの声より

芥川賞作家の柳美里さんは、東京電力福島第一原発事故の直後から、作家として自身の目で原発事故による被害を捉えたいとの想いから、居に構えていた鎌倉から福島県の浜通りに足繁く通われていました。2015年4月には、高校生になる息子さんと共に福島県南相馬市に移住し、地元でのラジオDJや作家活動を続けています。
今回は、柳美里さんの書かれた南相馬の「今」が伝わる記事に深く共感しましたので、ご紹介したいと思います。

 

(2016年1月25日赤旗新聞掲載記事より)2016年1月25日赤旗
(本文より) 『南相馬の友人の娘さんは、全国各地の車のナンバープレートの写真を撮るのが趣味なのだそうです。「震災前は、ディズニーランドの駐車場に行けば撮れたけど、今は地元のスーパーの駐車場で全国各地の市町村のが撮れる」という娘さんの言葉に、父親である友人は苦笑するしかなかったそうです。

年末年始は、地元の「福島」「いわき」ナンバー以外はほとんど見掛けませんでした。全国各地から集まってきている作業員たちが帰省していたからです。(帰省できなかった作業員もいます)
震災後、大型車がひっきりなしに行き来するようになったため、「ダンプ銀座」と自嘲する住民もいます。実際、歩道を歩いていると、風圧を感じるほど飛ばしているダンプカーもあります。
2014年10月14日には、息子が通う原町高校2年生の少女が、修学旅行の前日にトラックにはねられて死亡する、という痛ましい事故が起きました。トラックを運転していたのは、74歳の土木作業員でした。

地元の建設業者の話によると、3月までに、市内20キロ圏外の除染担当の竹中工務店JV(共同企業体)で200人、20キロ圏内の除染担当の大成JVで300人、農地除染担当の清水建設で200人が増員されるそうです。
首都圏では、2020年に開催される東京オリンピックの宿泊・体育施設の建設や、道路などの基盤整備を急ピッチで進めなければならず、作業員の争奪戦になっています。
津波被害の復旧作業や原発の廃炉作業や除染作業に集められるのは、最低賃金が福島県よりも低い地域の日雇い労働者やホームレスの方々です。
なかには、糖尿病や肝硬変や高血圧やアルコール依存症などの重い病を抱えている高齢者もいます。瀕死の状態で救急車で病院に担ぎ込まれてから、健康保険に未加入で、所持金も身寄りもないことが判明するというケースが相次いでいます。
復旧作業中に事故死した作業員の実家に連絡したところ、その名前の人物は生存していたため、作業員は身元不明の「行旅死亡人」として南相馬市によって火葬され、遺骨は市内の寺で保管されています。
福島県は、2014年に「死亡労働災害多発非常事態宣言」を出しました。
東日本大震災と原発事故から5年が経とうとしている今、東京オリンピック開催までの4年間が恨めしくてなりません。「日本を、取り戻す。」というのは、自民党の政権公約です。東北、福島は、日本ですよね?だとしたら、まず、福島を、東北を、取り戻してほしい。東京オリンピックという夢(虚飾)に力を注ぐのは、二の次三の次なのではないでしょうか?』

今、南相馬では、原発や復旧、除染の作業員による犯罪が増加しています。
しかし治安が悪化している事が公になると、町に帰ってくる人がますます減ってしまうという理由で、ネガティブな情報は公にしたくないという雰囲気があるそうです。だからといって問題をなかった事にしようとすれば、犯罪の温床となってしまうので難しい問題となっているそうです。
今後避難指示が解除されるに従い、ますます作業員は増加する事が見込まれます。
放射能により汚染された町を、本来の安心して暮らせる場所へと戻す事の難しさを、改めて実感します。

再稼働した高浜原発で使用済MOX燃料が急増する見込み

2016年1月31日民報
関西電力高浜原発で3号機に続き4号機も再稼働した場合、使用済みMOX燃料が約18.5トンに増える事が分かりました。再稼働前の高浜原発の使用済みMOX燃料は約5.3トンで、3.5倍に急増します。

(2016年1月31日福島民報新聞掲載記事より)

2016年1月29日に関西電力高浜原発(福井県高浜町)3号機が再稼働しました。
新規制基準が施行されてから3基目の再稼働ですが、プルサーマル(※)』を行う原発としては初めてです。
(※『プルサーマル』とは、極めて強い放射線を放つ使用済のプルトニウムとウランを混ぜた「MOX燃料」を、通常の「ウラン」を燃やすために設計された原子力発電所で利用することです。
その発電量はウランを燃やすより高いのですが、その不安定さから事故が起こる確率が高まります。放出される放射性物質もより高濃度です。又、原子炉を停止させる場合でも、制御棒やホウ酸の効果が低下します。)

関西電力は高浜原発4号機も2月下旬に再稼働させる予定です。
3号機に続き4号機も再稼働した場合、使用済みMOX燃料が約18.5トンに増える事が分かりました。再稼働前の高浜原発の使用済みMOX燃料は約5.3トンで、3.5倍に急増します。

MOX燃料はウラン燃料に比べて強い放射能を帯びているので、燃料の加工段階や移送の段階でも被曝の危険が大きくなります。ですから使用開始前から厳重な管理が必要で、危険なものだという点でウラン燃料とは比較になりません。原子炉で使用した後は、普通のウラン燃料でも大変な放射能ですが、使用済みのMOX燃料はそれよりも強い放射能になり、危険も増します

なお、使用済みMOX燃料は処分方法が決まっておらず原発内で長期保管される可能性が高いです。MOX燃料を通常の原子炉で使うプルサーマルが実施された原発のうち、高浜は使用済みMOX燃料の量が最多となります。

そもそも、なぜ日本はプルサーマルを進めてきたのでしょうか?
原発の危険性を40年以上にわたって指摘してきた京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の小出裕章さんは以下のように述べています。『日本ではもんじゅという実験用の原子炉を作りましたが、現在全く動いていません。そのため、高速増殖炉で燃やすために取り出してきたプルトニウムが、使い道のないまま47トンも余ってしまっています。プルトニウムは原爆の材料であり長崎の原爆を作ろうとすれば4000発も出来てしまう量です。そんなプルトニウムを使い道のないまま持っておくということは当然、他国から見れば大変な脅威になります。日本は使い道のないプルトニウムを持たないと国際公約させられていますので危険を承知で、そして経済性も全くないことを承知の上で、普通の原子力発電所で燃やしてしまうということになってしまったのです。』

このように普通の原発よりさらに危険であるプルサーマルですが、電源開発株式会社(Jパワー)では、青森県大間町に世界初のフルMOX炉(すべての燃料がMOX燃料を使える設計)である大間原発を建設しています。

福島第一原発事故による被害は、今も続いており、終わりは見えません。大量の使用済みMOX燃料を原発内で保管する事になる高浜原発は、福島原発事故を上回る規模の被害をもたらす可能性を持っています。このまま再稼働が進めば、もはや誰しも原発のリスクと無縁ではいられないでしょう。全ての人に、もう一度原発の危険性を再認識して貰える事を願っています。

関西電力高浜原発3号機(福井県高浜町)再稼働

(2016年1月27日朝日新聞掲載記事より) 2016年1月28日朝日

関西電力高浜原発3号機(福井県高浜町)が2016年1月29日、九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)に続き、再稼働する見込みでいます。
電力各社は全国43基の原発のうち25基と、建設中の1基について、基準適合審査を原子力規制委員会に申請しました。川内、高浜に続き、四国電力伊方原発3号機(愛媛県)も、次の再稼働が見込まれています。

福井県の若狭湾周辺には、廃炉中を含めて15基の原子炉があります。世界屈指の集中立地地域です。災害などで複数の原発が同時に事故を起こせばどうなるのか。福島の事故が突き付けたこの疑問に、答えは示されていません。規制委の審査でも、ほとんど検討されませんでした。
福井に11基の原発を持つ関電は2016年、規模が小さく古い2基の廃炉を決めたものの、3基は運転開始から40年を超えて使い続ける方針を決めました。リスクを最小化する努力が不十分と言わざるを得ないでしょう。
高浜は、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を燃やすプルサーマル発電であるため、安全性への不安がより強くあります。
さらに、事故が起きた時の住民の避難計画も心もとない状況です。高浜原発は避難計画の策定が義務づけられた半径30キロ圏に福井、京都、滋賀の3府県12市町が入り、17万9千人が暮らしています。国の原子力防災会議は2015年末に、各府県がまとめた広域避難計画を了承しました。30キロ圏の住民は最悪の場合、福井、兵庫、京都、徳島の4府県56市町へ避難することになります。ところが朝日新聞の調べでは、住民の受け入れ計画をつくったのは56市町のうち7市だけでした。大半の自治体が「施設や人員、物資を確保できるか」「放射性物質に汚染された車が入ってこないか」といった不安があると答えました。
30キロ圏の多くの自治体が住民の不安を受け、再稼働前の「同意権」を関電に求めましたが、関電は拒み、国も立地自治体の同意さえあればいい、との姿勢を崩しませんでした。

福島原発から50キロ離れたところにある飯館村をご存知でしょうか?
ここは、福島第一原発事故前は「日本で一番美しい村」にも選ばれた事もある自然豊かな村でした。飯館村は原発建設時、原発から30km圏外であり絶対に安全な地区とされ、原発建設に伴う財政的措置はありませんでしたが、住民は事故により多大な損害を受けました。事故当初空間放射線量が44.7μ㏜/hもありながら国や県、さらに村からも被害の実態を隠され、事故から1か月後ようやく全村民に避難指示が出されました。避難が遅れてしまった事により、5ミリシーベルトを超える初期被ばくをした福島県民の約8割が飯館村に集中する事になりました。

原子炉が集中して立地している高浜原発で、30キロ圏内の避難計画すら不十分ななか、もし事故が起きたらどうなるのでしょうか?原発の『安全神話』が再び繰り返されているのではないでしょうか?
世論を無視し、多くの課題を置き去りにしたままの原発再稼働は、人命を軽視しているとしか思えません。

再稼働した九州電力川内原発1、2号機で、安全対策を軽視

2016年1月25日赤旗
九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)で再稼働前に行われた原子力規制委員会による使用前検査で、火災防護のためのケーブルの分離敷設状況の現場確認は各号機でわずか1カ所のみであることが分かりました。

(2016年1月25日赤旗新聞掲載記事より)

九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)で再稼働前に行われた原子力規制委員会による使用前検査で、火災防護のためのケーブルの分離敷設状況の現場確認は各号機でわずか1カ所のみであることが分かりました。

問題の発端となった東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)では、多いものでは1基あたり数百本のケーブルで不適切な状態でした。川内原発1、2号機などを特別扱いして、徹底した調査をしていない事が問われます。

新規制基準では、原子炉の緊急停止などに必要な安全上重要な機器のケーブルは、火災の影響軽減のために複数系統を用意し、それぞれ分離して敷設することを求めています。規制委は2016年1月6日、柏崎刈羽原発の中央制御室床下で1000本以上のケーブルが不適切に敷設されていた問題を受けて、すべての事業者に各原発のケーブルの敷設状況を確認することを求めました。しかし、2015年8、10月に再稼働した川内原発1、2号機と再稼働の準備を進めている関西電力高浜原発3、4号機(福井県)は、使用前検査で確認済みあるいは確認中であることを理由に除外されました。

使用前検査のあり方については規制委の定例会合でも「仮に組織として隠蔽しようとした場合、書類上の審査だけで、本当にそれを見抜けるのか」(6日、伴信彦委員)など疑問の声もあります。しかし、田中俊一委員長は「細かいことについて、どこまで検査をするかというところについては、まだ十分に詰め切っていない」と述べています。

(2016年1月27日朝日新聞・赤旗新聞掲載記事より)

2016年1月26日に行われた原子力規制委員会の安全審査の会合で、九州電力から規制委へ、川内原発1、2号機(鹿児島県)が事故を起こした際の前線基地「緊急時対策所」について、免震構造での建設を断念し、耐震構造に変更する計画を初めて説明しました。これに対し規制委は「安全性が向上しているとは見えない」などと批判し、計画の見直しを求めました。

九電は川内原発の再稼働に伴う審査の過程で、2016年3月末までに免震棟(※)を新設すると表明していましたが、1、2号機が再稼働した後の2015年12月、一転して計画を撤回しました。免震棟完成までの暫定的措置として設置した小規模の対策所を使い続けるとしたのです。川内原発の審査では設置が前提とされ、合格証にも盛り込まれていました。
田中委員長は「審査をクリアできればもういいというところが(九電に)あるのかもしれない」と不快感を示しました。

規制委の対応について、免震棟計画撤回を九電に抗議した反原発の市民団体「玄海原発プルサーマルと全基を止める裁判の会」の石丸初美会長は『この問題は規制委の本気度が問われている。(計画変更の)申請を突き返すぐらいなら、稼働自体を止めろと命じるのが筋。都合が悪いことは、適合性審査で合格した後に修正すればいいという悪例をつくっては絶対にいけない』と批判しました。

 

これらの報道から、電力会社や規制委の「再稼働さえ出来れば、後はどうにでもなる」という態度が透けて見えてきます。
政府は、今もなお原発事故のために苦難を強いられている被災者や、国民の過半数が再稼働に反対している現実を無視し、原発再稼働へ加速しようとしています。
これからは、私たち国民一人一人が電力会社や規制委へ厳しい目を向け、世論で対抗していかなくてはならないのだと思います。そして福島原発事故以前のような根拠のない「安全神話」が再び蘇る事の無いように、願っています。

 

※免震棟とは・・・ 2007年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の事務棟が使えなくなった教訓から東京電力が所有する原発に設置し、福島第一原発事故では対応拠点として極めて重要な役割を果たしました。免震装置で地震の揺れを大幅に低減する構造で、自家発電機や通信設備、被ばく対策設備のほか、休憩施設や物資置き場も備えています。原発の新規制基準では義務付けられていないが、ほとんどの原発で設置が進んでいます。

 

『山や川や海を返してほしい』 -福島の森林除染を行わず帰還はありえない-

(2016年1月17日福島民報新聞掲載記事より)

2016年1月17日民報
環境省は2015年12月21日、民家や農地から約20メートル以上離れた森林については除染を実施しない事を決めました。 しかしそれは福島県や市町村が森林全体を除染するよう繰り返し要望してきたものを拒否し、県民生活にとって森林は生活の一部であるという指摘を無視したものでした。 福島県立博物館長の赤坂憲雄さんが、この問題について、民俗学者の立場から政府に問う文章を発表しました。

環境省は2015年12月21日、民家や農地から約20メートル以上離れた森林については除染を実施しない事を決めました。
しかしそれは福島県や市町村が森林全体を除染するよう繰り返し要望してきたものを拒否し、県民生活にとって森林は生活の一部であるという指摘を無視したものでした。
福島県立博物館長の赤坂憲雄さんが、この問題について、民俗学者の立場から政府に問う文章を発表しました。

※本文より・・・『かつて「前の畑と裏のヤマ」という言葉を、仙台近郊で聞いたことがある。平野部の稲作のムラであっても、田んぼのほかに、野菜などを作る畑と、イグネと呼ばれる屋敷林を持たずには暮らしていけなかった。イグネはたんなる防風林ではない。たくさんの樹種が周到に選ばれた。果樹、燃料となる木、小さな竹林、家を建て直すときの材となる樹々などが植えられていた。小さな里山そのものだった。裏のヤマだったのだ。このイグネが除染のために伐採された、という話をくりかえし聞いている。
『会津学』という地域誌の創刊号に掲載された、渡部和さんの「渡部家の歳時記」という長編エッセーを思いだす。奥会津の小さなムラの、小さな家で営まれている食文化の、なんと多彩で豊かであることか。正月に始まり、季節の移ろいのなかに重ねられてゆく年中行事には、それぞれに儀礼食が主婦によって準備される。その食材は家まわりや里山で調達されてきた。
福島の伝統的な食文化は、原発事故によって痛手を蒙っている。それはみな、福島の豊かな山野や川や海などの自然環境から、山の幸や海の幸としてもたらされる食材をもとに、女性たちがそれぞれの味付けで守ってきた、家の文化であり、地域の文化である。
生活圏とは家屋から20メートルの範囲内を指すわけではない。人々は山野河海のすべてを生活圏として、この土地に暮らしを営んできたのだ。汚れた里山のかたわらに「帰還」して、どのような生活を再建せよと言うのか。山や川や海を返してほしい、と呟く声が聞こえる。』

数千年の時を重ねて人々が育んできたものが、原発が建ってからたった40数年で失われようとしています。原発は、人が人らしく生きるために必要なものを破壊します。それは除染や補償では決して取り戻せないものです。
福島出身の方で、福島を「フクシマ」や「FUKUSHIMA」と、カタカナやローマ字で書き表される事に嫌悪感を持つという人がいます。どうか、想像してみてください。自分の故郷が、カタカナやローマ字で表されるようになったら、どのように感じるでしょうか?四季の移ろいと共に、その土地ならではの文化に親しみ慈しんできた原風景に、人の心は支えられているのではないでしょうか。
人が人らしく生きる事を無視したこのような強引な帰還は、許すべきではないと思います。

北朝鮮4回目核実験「時代に逆行」

(2016年1月7日朝日新聞・福島民報新聞・赤旗新聞掲載記事より)

北朝鮮は2016年1月6日に地下核実験を実施し、初めて水爆の実験に成功したと発表しました。北朝鮮の核実験は2006年、09年、13年に続き4回目となります。
水爆は原爆を起爆装置として用い、核分裂反応で生じる超高温と超高圧、放射線を利用し、重水素や三重水素の核融合反応を起こし、莫大なエネルギーを放出させるものです。そのエネルギーは原爆をはるかに上回ります。

静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員だった見崎(みさき)進さん(88)は1954年3月1日、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇。爆心から約160キロ離れていましたが、実験でサンゴ礁が吹き飛ばされた「死の灰」(放射性降下物)を浴び、乗組員23人が被曝しました。
「水爆の威力はそれほど大きく、広い範囲に被害が出る」。被曝から半年後に無線長の久保山愛吉さん(当時40)が死亡。見崎さんは帰港後、1年2カ月間入院しました。「当時よりも今の爆弾の方が何倍も威力があるだろう。何発か落ちたら日本は終わりかもしれない、と思えば恐ろしい」と話します。

元乗組員小塚博さん(84)の長男の妻(58)は「父はビキニの事件のことで、精神的、肉体的な重荷を背負い、人生の後半のほとんどを費やしてしまった。家族としてつらく胸がいっぱい」と振り返り「子どもたちや、後に続く人のために、核実験はやってほしくなかったし、水爆を使うような世界にはしてほしくない」と涙ながらに訴えました。

核実験は、1945年から約半世紀の間に2379回各国で行われました。そのエネルギーは広島へ投下された原爆3万5千発以上に相当します。
核実験は、軍事的・科学的な実験に留まるものではなく、政治的なプロパガンダの役割を果たす場合も少なくありません。特にソ連や中国においては、「米帝」などに対する「やむにやまれぬ」「苦渋に満ちた」核実験であると表明するケースも少なからずあり、同時に国力を誇示する役割を果たす場合も少なくありません。北朝鮮の核実験もまた、同様の性質を持っているといえます。(参照:ウィキペディア『核実験』より)

ソビエト連邦のセミパラチンスク核実験場では、1949年から1989年の40年間に合計456回の核実験が行われました。1953年8月12日の水爆装置実験の際は、付近の住民のうち一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させました。これは人体実験だと見られています。又、ベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されています。実験場の閉鎖後に実施された健康調査によると、実験場からの放射性降下物によっておよそ20万人の付近の住民が直接的な健康被害を受けたとみられています。特に、様々なタイプの癌の発生率が高く、また放射線被曝と甲状腺異常の間の相関性が観察されています。(参照:ウィキペディア『セミパラチンスク核実験場』より)

国際社会では今、核兵器の非人道性を直視し、核兵器の廃絶を求める国際世論が新たな高まりを見せています。2015年秋の国連総会では「核兵器の禁止と廃絶のための人道の誓い」や「核兵器のない世界への道徳的責務」「核兵器の人道的な結果」などの決議が圧倒時多数で決議されました。核廃絶への世論が高まるこうした世界で北朝鮮が核実験を繰り返し、「核保有国」である事を誇示しようとするのは、歴史への逆行であり、絶対に許される事ではありません。

福島は、原発事故により放射能に汚染される前へは、もう二度と戻す事は出来ません。目に見えない放射能が福島の人の心とからだを蝕んでいる事実が、今ここにあります。それにもかかわらず国は隠蔽し核を利用しようとしていますが、真実はいつもただ一つです。核の無い世界を目指し、私たちひとりひとりが真実を見つめ、伝えていく事の大切さを感じています。