つづり始めた「悲しさ」「涙」  福島を発信し続ける詩人・和合亮一さん

(2016年3月27日朝日新聞掲載記事より)

【朝日新聞】 「3・11後、私は変わったか」をたずねた朝日新聞デジタルのアンケートでは、考え方が「変わった」と答えた方々が8割近くにのぼりました。家族や友人への思い、生きるなかで大切にする考えなど、寄せられた心の変化を紹介します。震災後、広く発信を続けている詩人と哲学者にも話を聞きました。
【朝日新聞】
「3・11後、私は変わったか」をたずねた朝日新聞デジタルのアンケートでは、考え方が「変わった」と答えた方々が8割近くにのぼりました。家族や友人への思い、生きるなかで大切にする考えなど、寄せられた心の変化を紹介します。震災後、広く発信を続けている詩人と哲学者にも話を聞きました。

福島県の高校教諭の傍ら詩作活動を行っている、和合亮一さん。
生まれも育ちも福島で、東日本大震災の被災者でもあります。
福島で生きる者の想いを言葉の力で発信してきた和合さんが、震災から5年が経過した今想う事にとても共感しましたので、紹介したいと思います。

『原発事故が起きた後、福島は人が住めない場所として閉ざされてしまうのではないかと絶望的な気持ちになりました。でも、最後まで福島に残ってやろうと思いました。「放射能が降っています。静かな夜です」という詩も、そのとき生まれました。

震災で、自分の中の何かが崩壊しました。世の中の不条理を問いたくて二十数年の間、自分なりに必死に詩を書いてきたが、何の役にも立たなかった。目の前が不条理の世界そのものになり、頭で考えたイメージでは何も語れない。日常ってこんなにもろいんだ、と震撼(しんかん)させられました。

「分かる人だけ分かってくれればいい」と詩を書いてきましたが、「多くの人に伝えたい」と考えが変わりました。目の前の不条理をありのまま表現し、原発事故後の世界を多くの人に知ってほしい。福島で起きていることは社会全体の問題だし、個人の人生や暮らしに関わる問題でもあります。だから言葉を分かりやすくして、「悲しさ」とか「涙」とか、以前は絶対に書かなかった言葉を使うようになりました。

被災地の人々の心には、いまも福島に点在する汚染土の黒い袋のように、置き去りにされた黒いものが積み上がっている気がします。それは詩を読むことで吐き出せることがあります。読者の手紙に「自分の悔しさや悲しみを詩を読むことで分かり、涙が出た」とありました。形にして吐き出さないと、心に他のものが入る隙間が生まれません。不安や恐れ、悲しみを形にして広く共有するため、音楽や演劇の活動も続けています。

同じ調子で同じことしか語れないと、古びて風化していく。新鮮な、これまでにない言葉で震災を語れば、世の中が「震災をもう一回考えてみよう」となるのではないか。多くの人に被災地を見てもらいたいんですが、「観光」に代わる言葉が必要です。

復興という言葉が私には乱暴に聞こえます。加速や成果を求められ、片付けられてしまう気がする。福島では10万人が避難し、津波で家をさらわれた子どもたちは最近やっと海に行けるようになってきました。今の福島の人たちの心を伝える言葉を見つけたいと日々考えています。』


 

福島で暮らす事を選択したからには、放射能はどこかで折り合いをつけて受け入れざるを得ない問題です。どうにもならない現実の中で、年々放射能について話題にする事が難しくなっており、行き場の無い想いは自分でも気がつかないうちに、心の中に少しづつ降り積もっていきます。
そうした心の中に溜まっている澱のようなものは、何らかの形で吐き出し、誰かに理解して貰う事で浄化されていくのを、私自身感じています。

四国電力が伊方1号機の廃炉を決定

(2016年3月26日福島民報新聞・赤旗新聞掲載記事より)

 

四国電力は2016年3月25日、運転開始から来年で40年になる伊方原発1号機(愛媛県伊方町)を5月に廃炉にする方針を決め、経済産業省に届け出ました。地元からは「廃炉判断はあまりにも遅い。2、3号機も廃炉にすべきだ」と声が上がっています。

運転を延長するには、40年になる1年前の9月までに原子力規制委員会に申請する必要があります。四国電は1号機の再稼働を検討してきましたが、伊方1号機は出力56・6万キロワットと出力が比較的小さく、その前提となる対策の工事費負担が1700億円超に上ることを考慮し、運転延長を断念しました。東京電力福島第1原発事故後、原発の運転期間を原則40年と定めた国のルールに基づき、廃炉となる原発は昨春の5基と合わせ6基目となります。

政府が掲げる望ましい電源構成(ベストミックス)では、2030年度に原子力で電源の20~22%をまかなう事を目指しており、原発が30基程度稼働している必要があります。しかし、巨額の安全対策費用が再稼働の重荷となっており、実現が厳しくなるかもしれません。

一方、四国電は同3号機について、原子炉起動前の最終手続きとなる使用前検査を同日、原子力規制委員会に申請しました。3号機は昨年7月、再稼働の前提となる新規制基準に「適合」しており、四国電は今年7月下旬の運転再開をねらっています。同社は2号機の再稼働を検討しています。

国は福島第1原発事故後に、原子炉等規制法を改定し、原発の運転期間を原則40年とし、最長20年の延長を容認。延長には電源ケーブルの難燃加工などの対策を行った上で、新規制基準に基づく原子力規制委の審査を終える必要があります。

原発の機器や設備は、高温、高圧の過酷な環境で使われ、振動による金属疲労や、熱疲労で壊れやすくなります。しかも伊方原発の近くには、日本最大級の活断層「中央構造線」が走っています。運転開始から40年になる伊方原発1号機の廃炉は当然です。
しかし、四国電力が伊方原発1号機の廃炉を決めたのは、動かし続けるためにかかる費用が生み出す利益よりも大きいからという経営優先の考えからであり、安全を重視したためではありません。3号機は、国の新規制基準に「合格」したからと7月にも再稼働しようとしています。

住民の訴えを認め、再稼働したばかりの関西電力高浜3、4号機の運転停止を決定した大津地裁は、再稼働を認めた国の新規制基準について東京電力福島第1原発事故を踏まえて形成されたのに、事故の原因究明は道半ばだと指摘しました。そのような状況で、3号機の再稼働など論外です。3号機を含め、全基を廃炉にすべきです。

チェルノブイリ原発事故から30年 遠い廃炉

(2016年3月25日朝日新聞掲載記事より)

(2016年3月25日朝日新聞) 史上最悪の原発事故から来月で30年を迎えるウクライナのチェルノブイリ原発で23日、建設の進む「新シェルター」が報道陣に公開された。事故で爆発した4号機をコンクリートで覆った「石棺」の老朽化がひどく、巨大なかまぼこ形の新シェルターで石棺を丸ごと覆って放射性物質の飛散を防ぐ計画。年内にもレールで移動さログイン前の続きせ、ようやく廃炉作業の準備にたどりつく。 資金を拠出している欧州復興開発銀行(EBRD)が各国メディアに公開した。新シェルターは2012年に本格着工。鋼材などでつくられ、高さ109メートル、幅257メートル、長さ162メートル。建造には最終的に15億ユーロ(約2千億円)かかる見込み。 4号機は1986年4月26日、試験運転中に爆発。火災も起き、10日間で東京電力福島第一原発事故の約6倍の放射性物質を放出した。周辺は今も立ち入りが制限されている。 新シェルターは、地震や竜巻にも耐えるように設計され、今後100年間の封じ込めをめざす。ただ、石棺の解体など廃炉作業の具体的なめどはたっておらず、維持管理の資金面でも不安が残る。
(2016年3月25日朝日新聞)
史上最悪の原発事故から来月で30年を迎えるウクライナのチェルノブイリ原発で2016年3月23日、建設の進む「新シェルター」が報道陣に公開されました。
資金を拠出している欧州復興開発銀行(EBRD)が各国メディアに公開しました。 新シェルターは、今後100年間の封じ込めをめざします。ただ、石棺の解体など廃炉作業の具体的なめどはたっておらず、維持管理の資金面でも不安が残ります。

史上最悪の原発事故から来月で30年を迎えるチェルノブイリ原発で、建設の進む「新シェルター」が報道陣に公開されました。

チェルノブイリ原発4号機は1986年4月26日、試験運転中に爆発しました。火災も起き、10日間で東京電力福島第一原発事故の約6倍の放射性物質を放出しました。直後の消火活動で30人以上が死亡し、周辺は今も立ち入りが制限されています。

その後4号機は石棺で封印されていましたが、老朽化による一部の壁や屋根の崩壊が始まっており、再び放射性物質が漏れ出そうとしています。そのため、巨大なかまぼこ形の「新シェルター」で石棺を丸ごと覆って放射性物質の飛散を防ぐ計画です。年内にもレールで移動させ、ようやく廃炉作業の準備にたどりつきます。

新シェルターは2012年に本格着工し、建造には最終的に15億ユーロ(約2千億円)かかる見込みです。地震や竜巻にも耐えるように設計され、今後100年間の封じ込めを目指しています。ただ、石棺の解体など廃炉作業の具体的なめどはたっておらず、維持管理の資金面でも不安が残っています。また、放射能による汚染は半減期から考えると1,000年は消えず、シェルターを10回は作る事になります

廃炉への道のりは険しく、その終わりは見えません。


 

一方、福島第一原発の廃炉には40年かかると言われていますが、果たして本当に可能なのでしょうか?

元京都大原子炉実験所助教の小出裕章氏は、『最も重要なのは溶け落ちた核燃料をどうやって取り出すかだが、人もロボットも近づけず、状況がまったく把握できていない。最終的にはチェルノブイリのように石棺で封じ込めるしか手がないのでは』と述べています。(2015年12月9日中日新聞より)

廃炉までにかかる時間や費用、労力はあまりにも果てしなく、まるで予想が尽きません。

今、政府は福島原発周辺立地自治体の避難区域解除を進めていますが、帰還を選択するのは主に高齢者であり、若者はほとんど戻りません。廃炉が終わる頃には無人化しているのではないか、と懸念する声も上がっています。

今も福島で暮らす私は、放射能がどれほど人の心を傷つけ苦しめるのか、震災以降目の当たりにしてきました。

原発事故を風化させないために、1人でも多くの人に原発の問題に興味を持って欲しいー。そしてこの地を訪れ、報道されない福島の『今』を知って貰える事を願っています。

『福島第一原発のような事故は再び起きる』 地震・火山研究者の6割が回答

(2016年3月20日福島民報新聞掲載記事より)2016年3月20日民報

地震や火山の研究者を対象とする共同通信のアンケートで、東日本大震災後も国としての防災対策の在り方は「根本的に変わっていない」として、教訓が生かせていないと懸念する意見が、回答者の9割近くを占めることが分かりました。

このアンケートは震災から5年をきっかけに、地震や活断層、火山の研究者120人に質問票を郵送し、27人から回答を得たものです。
東京電力福島第1原発事故のように、地震や津波と原発事故が複合する「原発震災」が再び起きるとする回答が6割超18人)に上りました。
また、26人(96%)が想定を大きく上回る地震や災害が「今後も起きる」と答えました。研究者自身の判断の誤りや、社会との関わりの薄さを反省する声もありました。


 

私はこのアンケートの回答者が2割程度だった事も気になります。8割の研究者はなぜ回答しなかったのでしょうか?防災問題に科学的に関与する立場である研究者が、もし原発についての言及を避けているのであれば、大変な事だと思います。

原発事故といえば、チェルノブイリ原発や福島第一原発をイメージする方が多いかもしれません。しかし、日本国内だけでも、これまで度々起こっています。1999 年 9 月に東海村 JCO 核燃料工場で、本来あり得ないはずの臨界事故が発生し、2名の従業員が死亡しました。2004 年 8 月には関西電力美浜3号炉で、容易に防止できたはずの2次系配管破断事故が発生し、5名の下請け作業員が亡くなっています。さらに志賀原発や福島第一原発では過去に発生していた臨界事故の隠蔽が明るみになっています。原発事故は実はとても身近なものであり、いつ起こってもおかしくないという事実を、私たち国民は自覚しなくてはならないと思います。

福島の子どもに、遊び、育つ権利を

(2016年3月13日赤旗新聞掲載記事より)2016年3月13日赤旗

福島県郡山市にある、『ペップキッズこおりやま』。ここは放射線を気にせず遊んでもらおうと、2011年12月に開館された屋内施設です。
福島県では自治体の屋内遊び場確保事業を活用して65施設が開設しました。その先駆けである『ペップキッズこおりやま』は毎年約30万人が利用する県内最大規模の施設です。郡山市の委託事業として、NPO法人・郡山ペップ子育てネットワークが運営しています。

小学校の体育館をしのぐ広大な空間に遊具がいっぱい。人間にとって基本的な36の動きを身につけられるといいます。70平方メートルの砂場や全力で走れるランニングコース、三輪車のサーキットやボール遊びの場所もあります。放射能のせいで、外で遊べない子どもが、親と共に県下各地から集まります。

ボールをかき分けて歩く「ボールプール」で5歳と3歳の娘2人と遊んでいた佐藤健太郎さん(36)は「外遊びはまだ不安だけど、ここなら安心。月3回の利用を子ども達が楽しみにしている」と話します。無料で利用でき、1回につき90分間遊べます。

ペップキッズこおりやまの運営にかかわる小児科医・菊池信太郎さんは、幼稚園児を調べ、原発災害の後体重の増え方が前年の3分の1ぐらいに落ちた事を明らかにしています。又、「福島の現状は、子どもが遊び、育つ権利の大切さを教えてくれました。私達大人の責任で、その権利を最大限に補償しなければなりません」と述べています。


 

5年前の原発事故は、福島の子どもから体力や遊び場を奪い、発育や人格形成に少なくない障害をもたらしました。
福島県郡山市で子育て中のあるお母さんは、震災以降子どもに一切外遊びをさせていないと言います。共働きで忙しく土日に車で遠出する事も難しいので、学校が無い日は子どもは家の中でゲームばかりしているそうです。多感な時期に外遊びを制限される事が、将来どのような影響を及ぼすのか、不安を感じていると話してくれました。そして、子どもに自然の中で思い切り遊ぶ思い出を与えてあげられなかった事に、罪悪感を抱いているそうです。
このような環境で子育てをする事は、親のプレッシャーも相当であり、家庭にも何らかの影響を及ぼすのではないだろうかと心配しています。

祈りによって桜を咲かせる

2016年2月6日に、ロンドン・ブリッジ近くに位置するサザーク大聖堂で、東日本大震災5周年記念礼拝が行われました。(詳しくはこちらをご覧ください➡

この礼拝では事前に、参列者一人ひとりに桜の花びらが配布されました。その一枚一枚には震災で死者の出た地名が記されており、亡くなった方々や遺族、そして今もなお困難の中にいる被災者一人ひとりを覚え続けるという強い思いが込められています。参列者全員で祭壇の横に置かれた2本の木に桜の花びらを飾り付け、満開となった桜はライトアップされ希望の光を放っていました。

この桜の祈りの木が3月11日にウェストミンスターアビィのSt. Margaret’s教会でのVigilに使われました。
ウェストミンスターアビィでは、1時間ごとに行われるお祈りの際に、東日本大震災による被災者へのお祈りをして下さいました。

以下は、この追悼礼拝の運営準備に携わったジョンソン友紀さんの言葉です。
『東日本大震災の追悼礼拝の為の Act of Remembrance をどのようにしたらよいか、運営準備に関わることになってから思いを巡らし、「祈りによって桜を咲かせる」ことを考案しました。
津波で被害を受けた桜の木が被災後の翌月に花を咲かせ、多くの被災者に慰めを与えたという話を聞いたことがあります。
また、2012年初めて被災地を訪問した際に、小名浜にある仮設住宅の方々と桜の花見をしたことも考案の下地になっています。原発による放射能汚染の為に大熊町から避難している方が、朝早く起きて支援物資として支給されていた小型の炊飯器で何回もご飯を炊いておにぎりを作ってくれました。それを持って、仮設の住人たちやボランティアを誘って行ったお花見に、私も同行させていただいた貴重な体験です。

桜の花びらを切りながら、大震災を覚えて3月11日当日にロンドンの教会でVigilができないかと願い祈りました。セントポール大聖堂に問い合わせをしましたが、他の行事と重さなりできず、その後、マイケル イプグレイブ主教からの助言でウェストミンスターアビィに問い合わせをしたところ、許可を得たのが2月半ばでした。準備不足もありましたが、日本語英国教会の会衆とその友人たちの協力をいただき、Vigilをもつことができました。

日本領事館から林大使がいらした後に、日本人会、紅葉会、福島県人会、ロンドン在住の英国人たち、ロンドン訪問中の福島からの子どもたちと踊りの先生たち、加えて日本人の旅行者や各国の旅行者たちも次々に訪れて桜の花を掲げ、キャンドルを灯し祈りを捧げました。ウェストミンスターアビィで案内をされている方々も次々と訪れてくれました。多くの方々から、この場を作ってくれてありがとうと言われました。

後日、林大使からは「感動的なVigilに参加させていただき、感謝します。多少とも皆さん方の励ましになれば幸いです。」とのメールをいただきました。

千鶴さんから「たくさんの涙(得に仙台出身の方など)を見て、(地震被害のあった台湾の女性も)改めて心の傷がどんなに深いのかを改めて知りました。――また若い人が日本を支援されていることを知ったり、―――悲しい日であり、また人々をつないでくれる日でもあると思いました。」

馬宮さんから「帰りがけに丁寧にありがとうの言葉を私にくださった方がいらっしゃいました。もしかしたら震災で悲しい経験をされた方かもしれません。ゆきさんのご尽力で国籍や年齢を越えて祈る場が持たれたことは大きな意義が有ったと思います。」

当時いただいた記帳のメッセージは、今年9月被災地へもっていきますが、何らかの形で閲覧できるようにしたいと思っています。どれも心に深く残る感動の言葉です。以下はその一部です。

福島からの訪問者「支援してくださる多くの温かい方々のことは、絶対に忘れません。みなさんのおかげで、今日生きていられることに感謝しています。ありがとうございます。」
「Very sorry for your lost. Our souls crying with you」
「I pray for all the souls affected in this disaster. Thank you so much for offering this opportunity.」

東日本大震災5周年になりますが、今も深い悲しみの中におられる方々が、日本だけでなくここ英国でもたくさんおられることを改めて知りました。日本人だけでなく、国境を越えて自然災害に遭われた方々の痛みを多少でも共有し、分かち合い、共に祈りを捧げることができたこと、そしてVigilの場を提供してくださったSt. Margaret’s Westminster Abbeyに、心から感謝しております。

ウェストミンスターアビィでの一時間ごとの祈りは、St. Margaret’s教会と通じていますが、その祈りの中に東日本大震災の5周年記念であることと、被災者の方々そして支援活動をしている人々、日本聖公会の支援活動を含めてくださり、また、Evensong礼拝の代祷の中でも唱えてくださいました。感謝』

福島第一原発作業員の放射線被ばく 年5ミリシーベルト超3万2000人

(2016年3月7日赤旗新聞・福島民報新聞、9日朝日新聞掲載記事より)

東京電力福島第1原発で事故対応に当たる作業員のうち、厚生労働省が白血病労災認定の基準の一つとする年間被ばく線量5ミリシーベルトを超えた人は、2016年1月末で延べ3万2000人余りとなった事が分かりました。原子炉内部の調査や使用済み燃料プールの核燃料搬出など困難な仕事が控えており、今後も被ばく線量が通常の原発より高くなるのは確実です。2012年度以降は、東電より関連会社の被ばく線量の方が大きく、その差も拡大しています。

 

作業者の被ばくに関しては、電力会社社員に比べ、請負会社などの社外の作業員の放射線被ばくが平均の4倍の線量にのぼることもわかりました。全体の9割近くが社外の作業員であるため、総被ばく線量では約30倍になります。より危険な業務に下請け作業員を当たらせているという実態が次々に明らかになってきています

 

福島第一原発事故後、原発作業員の入れ代わりは激しく、特に放射線量が高い現場では3か月ほどで被ばく線量の限度に近づいて原発を離れるケースもあるそうです。又、その危険に見合った待遇とは言えず、(月平均20万円程度で、除染作業員の方が待遇が良い場合もある)不満の声も上がっています。廃炉まで少なくとも40年はかかると言われるなか、今後ますます人材の確保が難しくなってくる事が予想されます。

福島第一原発は、現場の作業員の人々の努力のおかげで、かろうじて冷温停止状態が保たれています。私達は、彼らの努力に対する敬意と感謝を忘れてはいけないと思います。

そして原発作業員の方々の健康に対し、雇用後まで及ぶ確かな補償制度を国は早急に確立するべきだと思います。

高浜原発3・4号機 運転差し止め 稼働中で初めて

(2016年3月10日朝日新聞・福島民報・赤旗新聞掲載記事より)

2016年1~2月に再稼働した関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)をめぐり、大津地裁の山本善彦裁判長は2016年3月9日、福井に隣接する滋賀県の住民29人の訴えを認め、稼働中の原発2基に対して初めて、運転を差し止める仮処分決定を出しました。福島原発事故の原因が解明されていない中で、地震・津波への対策や避難計画に疑問が残ると指摘。安全性に関する関電の証明は不十分と判断しました。

決定は直ちに効力を持ち、2基のうち4号機はトラブルで既に停止中のため、稼働中の3号機を関電は10日に停止します。一方で、決定の取り消しを求める保全異議や効力を一時的に止める執行停止を地裁に申し立てる方針です。それらが認められない限り、差し止めの法的効力は続きます。
安全性の立証責任は資料を持つ電力会社側にもあるとし、十分に説明できない場合はその判断に不合理な点があると推認されるという立場をとりました。

そして東京電力福島第一原発事故の重大性を踏まえ、原発がいかに効率的でも、事故が起きれば環境破壊の範囲は国境を越える可能性すらあると指摘。安全基準は、対策の見落としで事故が起きても致命的にならないものをめざすべきだとしました。そのうえで、前提となる福島原発事故の原因究明は「今なお道半ば」と言及。その状況で新規制基準を定めた国の原子力規制委員会の姿勢に「非常に不安を覚える」とし、新規制基準や審査について「公共の安寧の基礎となると考えることをためらわざるを得ない」と述べました。

そのうえで、高浜原発の過酷事故対策について検討しました。電力会社が耐震設計の基本とする揺れの大きさ(基準地震動)について、関電が前提とした活断層の長さは正確といえず、十分な余裕があるとは認められないと判断しました。1586年の天正地震で高浜原発のある若狭地方が大津波に襲われたとする古文書も挙げ、関電の地震・津波対策に疑問を示しました。さらに、新規制基準でも使用済み核燃料プールの冷却設備の耐震性原子炉などに比べて低いレベルとされ、関電もプールの破損で冷却水が漏れた場合の備えを十分に説明できていないと述べました。

また、高浜原発の近隣自治体が定めた事故時の避難計画に触れ、「国主導の具体的な計画の策定が早急に必要」と指摘。「この避難計画も視野に入れた幅広い規制基準が望まれ、それを策定すべき信義則上の義務が国には発生している」と述べ、新規制基準のもとで再稼働を進めている政府に異例の注文をつけました

高浜原発から約30~70キロ圏内に住む今回の原告住民らは、過酷事故が起きれば平穏で健康に暮らす人格権が侵されると訴え、決定もそのおそれが高いと認めました。

高浜原発はもともと敷地が狭く、福島第一原発のように汚染水を保管できる場所もありません。それだけに、炉心溶融など重大事故が起きた場合に事故対処ができるのか疑問を抱かざるをえません。避難ルートも乏しいため、大地震が起きれば救援のための車両の運行もままなりません。

福島第一原発事故からちょうど5年。裁判所の判断は、まさに原発の安全対策の弱点を突いた格好です。二度と福島のような大事故を繰り返さぬためにも、原子力規制委や関電には、裁判所が提起した疑問を正面から受け止めるとともに、誠実に答える責務があると思います。

志賀原発直下に活断層 1号機廃炉強まる

(2016年3月4日朝日新聞・福島民報・赤旗新聞掲載記事より)

原子力規制委員会の有識者調査団が北陸電力志賀(しか)原発1号機(石川県)直下の断層について、「活断層と評価するのが合理的」とする評価をまとめました。活断層の可能性を否定できないとした昨年夏の評価書案に続き、これで評価が確定しました。
今後、志賀1号機の廃炉を懸けた議論は審査会合に移ります。調査団の判断は「重要な知見の一つ」として扱われ、北陸電が新たなデータを示すなどして、これを覆せなければ1号機は廃炉に追い込まれます。

問題になったのは三つの断層。1号機の真下を通るS-1断層は「地盤をずらす可能性がある断層(活断層)」との最終判断となりました。1号機と2号機のタービン建屋直下を走るS-2、S-6断層については「ずれが地表に及んでいないものの、12万~13万年前以降に活動した可能性がある」としました。
規制委は、前身の経済産業省原子力安全・保安院から活断層の追加調査を指摘された6原発を対象に有識者による現地調査を続けてきました。志賀1、2号機と日本原子力発電敦賀2号機(福井県)、東北電力東通1号機(青森県)について、活断層の可能性が指摘されました。原発立地の不適が今ごろ問題になるのは、建設当時のずさんな審査にあると考えられます。志賀1号機の安全審査は旧通商産業省と原子力安全委員会が1987~88年に行いました。北陸電はその際、断層の追加調査を実施しました。有識者調査団が活断層と指摘するのはその時の図面です。活断層を疑わせる試掘溝の断面が、なぜか見落とされた可能性が高いのです安全審査の公正さを疑わせますが、保安院はさかのぼって検証することに否定的な姿勢を崩しませんでした

~児玉一八原発問題住民運動石川県連絡センター事務局長の話~
より踏み込んだ表現で認識を示しており、活断層の可能性が否定できないというのが結論。北陸電力はデータを出してきても、活断層であることを否定できていません。北陸電力は、この結論を受け止めて志賀原発を廃炉にすべきです。
原子炉建屋の真下に断層がある1号機はアウトと宣告されました。2号機も、重要施設である冷却水を取水する配管やタービン建屋の下を通っている断層があります。改修して再稼働を目指すのではなくて、無駄なお金を使うのはやめて、資金や技術力は自然エネルギーの開発、普及に振り向けるべきではないでしょうか。
北陸電力は、9電力の先頭を切って原発から脱却すべきだし、それが最も賢明な判断です。今回の結論を県民に広く知らせ、廃炉を求めていく運動をいっそう強めたいと思います。

志賀原発1、2号機は、東京電力福島第1原発事故の直前から停止していますが、これまで北陸電の電力供給に大きな支障は出ていません。同社は大規模な水力発電も持つことで知られます。見通しの立たない原発再稼働に今後も資金を投入し続けるのは疑問です。
はたして、規制委は科学的根拠に基づき、厳正公平な判断を示せるのでしょうかー。
活断層の存在を無視した再稼働を許すことになれば、原発の安全規制そのものが揺らぐでしょう。

志賀原発・・・北陸電力が、日本海に面した能登半島の石川県志賀町に建設した原発。
福島第1原発と同型の沸騰水型軽水炉(BWR)2基の原子炉があり、1号機は1993年に運転を開始し、出力は54万キロワット。2号機は2006年に運転を開始し、出力は135・8万キロワット。2007年、操作ミスで起きた1号機の臨界事故を8年間隠していたことが発覚。1号機ではその後も制御棒にかかわる事故が続きました。2011年3月から定期検査のため運転停止中。志賀原発には周囲に活断層がいくつもあり、2013年に北陸電がこれまで活断層でないとしていた、志賀原発から約1キロの福浦(ふくら)断層について活断層と認めています。

核燃料サイクルが経済性を持たない事実が明らかに

(2016年2月28日朝日新聞掲載記事より)

電力各社は「契約に関わる事項」などとしてMOX燃料の価格を明らかにしていませんが、貿易統計で輸送費や保険料を含むとされる総額が公表されています。それを輸入本数で割ると、MOX燃料1本あたり2億604万~9億2570万円。時期でみると、99年の福島第一は1本2億3444万円なのに対し、直近の2010年と13年は7億~9億円台。13年6月に高浜に搬入されたものは1本9億2570万円となりました。 ウラン燃料の価格も非公表ですが、同様に98年7月輸入分は1本1億1873万円。13年10月の輸入分は同1億259万円で、13年6月輸入のMOX燃料はこの約9倍にあたります。
電力各社はMOX燃料の価格を明らかにしていませんが、貿易統計で輸送費や保険料を含むとされる総額が公表されています。それを輸入本数で割ると、MOX燃料1本あたり2億604万~9億2570万円。時期でみると、99年の福島第一は1本2億3444万円なのに対し、直近の2010年と13年は7億~9億円台。13年6月に高浜に搬入されたものは1本9億2570万円となりました。 ウラン燃料の価格も非公表ですが、同様に98年7月輸入分は1本1億1873万円。13年10月の輸入分は同1億259万円で、13年6月輸入のMOX燃料はこの約9倍にあたります。

使用済み核燃料を再処理して作るウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料は、通常のウラン燃料より約9倍高価なことが、財務省の貿易統計などから分かりました。再稼働した関西電力高浜原発3、4号機(福井県)などプルサーマル発電を行う原発で使われますが、高浜で使うMOX燃料は1本約9億円となっています。

プルサーマル発電は使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを再利用する国の核燃料サイクル政策の柱とされます。核兵器に転用できるプルトニウムの日本保有量(47・8トン)を増やさない狙いもありますが、国内の再処理施設は未完成なうえ、コスト面でも利点が乏しいことが浮き彫りになりました

1本のMOX燃料で利用できるプルトニウムは多くありません。一方、燃料の値段は電気料金に反映されます。原発のコストに詳しい立命館大の大島堅一教授(環境経済学)は「安価になるからリサイクルするはずなのに、MOX燃料は逆に高価で、経済的におかしい。国は商業的にも技術的にも破綻している政策を続けており、負担は国民に回ってくる」と指摘します。

そもそも、MOX燃料は当初高速増殖炉で使うはずでした。しかし原型炉もんじゅ(福井県)は実現の見通しが立っておらず、プルサーマルが核燃料サイクル政策の軸とされます。電力各社は、16~18基の原発でプルサーマル発電をすれば年間6トン前後のプルトニウムを利用できると想定しています。しかし、青森県六ケ所村の使用済み核燃料の再処理工場とMOX燃料加工工場は、稼働が大幅に遅れています。加えて、使用済みMOX燃料は建設中の加工工場で処理できず、その処分方法も決まっていません。

内閣府原子力委員会の小委員会は2012年、核燃料サイクルのコストの試算を発表しました。将来の電源に占める原子力の比率にかかわらず、使用済み核燃料を再処理せずに地下に埋める「直接処分」の方が、再処理してプルトニウムを利用するより安いとしています

(2016年3月3日朝日新聞掲載記事より)

2016年3月3日朝日
MOX計画の発端は、冷戦終結を受けて米国とロシアが2000年に結んだ核軍縮協定にさかのぼります。解体した核兵器のプルトニウムをMOX燃料にして、それぞれ原発と高速炉で消費することで合意しました。米国は07年に工場を建設し始めましたが、計画は思うように進んでいません。 代替案の「希釈処分」は、プルトニウムをほかの物質と混ぜて分離しにくくして、ニューメキシコ州にある核廃棄物隔離試験施設で地下655メートルに地層処分することを想定しています。米エネルギー省のモニツ長官は「(MOX工場に比べ)確実に技術的な挑戦が少なく、今からでも半分以下のコストですむ」と評価。MOX工場より15年以上早い20年代前半には搬入を始められるとしています。

米政府では、サウスカロライナ州で進めていたウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料工場の建設を打ち切る方針を打ち出しました。核兵器の余剰プルトニウムをプルサーマルで利用する計画でしたが、総額400億ドル(約4・5兆円)ともされる費用高騰が「重荷」になっているからです。代替案として、プルトニウムをほかの物質と混ぜて捨てる「希釈処分」を検討しています。

米国が陥った苦境は「プルトニウム利用はコスト高で割に合わない」ことを改めて示すものです。費用面から考えてプルトニウムを地中に捨てざるを得ないという米国の判断は世界に影響を与えるでしょう。約100トンもつ英国もMOX燃料での利用をめざすとしながら、同時に地中に捨てる研究もしています。
「捨てる時代」が始まる中で、日本は再処理工場を新たに動かしプルトニウムをつくろうとしています。すでに50トン近くあり、主な利用先としていた高速増殖炉の開発が全く見通せないのに、です。核燃料サイクルが経済性をもたない事実から目をそむけず、原子力政策を見直すことが必要です

日本が核燃料サイクルから手を引けないのは、やめると原発を動かせなくなる事があります。原発のプールにある使用済み燃料が「資源」から「ごみ」に変わると、捨て場を見つけない限り、プールが満杯になってしまいます。このため、すべての使用済み燃料を再処理する「全量処理」という非現実的な政策を捨てられないのです。
しかし国際的に見ても、破綻している事が明らかとなってきました。これ以上リスクや負担を増やさないためにも、国民一人一人がエネルギー事情へ関心を持ち、正しい方向を示していく事が今求められているのだと思います。