第十一編 京都時代

第十一編 京都時代

一、京都時代に於ける活動

 明治(めいぢ)二十八(ねん)(ぐわつ)監督(かんとく)京都(きやうと)地方(ちほう)(おい)て、長老(ちやうらう)職務(しよくむ)()らるゝ(こと)となり、同年(どうねん)(ぐわつ)中旬(ちゆうじゆん)東京(とうきやう)より京都(きやうと)(てん)じ、同市(どうし)本木(ぼんぎ)日本(にほん)家屋(かをく)借受(かりう)け、敎役者(けうえきしや)家族(かぞく)同棲(どうせい)し、京都(きやうと)(せい)三一敎會(けうくわい)、五(でう)講義所(()聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)大津(おほづ)基督(きりすと)敎會(けうくわい)(さかひ)聖提摩手(せいてもて)敎會(けうくわい)主任(しゆにん)長老(ちやうらう)となり、孜々(しゝ)として敎務(けうむ)鞅掌(あうしやう)せられた。同年(どうねん)(ぐわつ)(きよ)大阪(おほさか)(うつ)し、三十一(ねん)(ぐわつ)(いた)るまで、西區(にしく)川口町(かはぐちまち)(ぢゆう)された。前期(ぜんき)諸敎會(しよけうくわい)主任(しゆにん)長老(ちやうらう)(しよく)()らるゝと(とも)に、當時(たうじ)大阪(おほさか)にありし傳道女館(でんだうぢよくわん)校長(かうちやう)(けん)敎授(けうじゆ)として、祈禱書(きたうしよ)(およ)敎會(けうくわい)歴史(れきし)の二(くわ)擔任(たんにん)し、婦人(ふじん)敎役者(けうえきしや)養成(やうせい)(つと)められた。()(この)(ころ)()は、新傳道地(しんでんだうち)開始(かいし)目的(もくてき)にて、越前(ゑちぜん)丹波(たんば)丹後(たんご)地方(ちほう)視察(しさつ)(おもむ)かれたるが、歸來(きらい)(たゞち)福井(ふくゐ)舞鶴(まひづる)宮津(みやづ)傳道(でんだう)着手(ちやくしゆ)し、(みづか)舞鶴(まひづる)宮津(みやづ)新傳道地(しんでんだうち)任務(にんむ)()はれた。三十一(ねん)(ぐわつ)(ふたゝ)京都(きやうと)(きよ)(うつ)し、(とき)には(せい)三一敎會(けうくわい)附屬室(ふぞくしつ)假居(かきよ)し、(とき)には京都(きやうと)地方部(ちほうぶ)監督(かんとく)事務所内(じむしよない)の一(しつ)起居(ききよ)せしが()烏丸(からすまる)粗造(そざう)住宅(ぢゆうたく)()てられた。(この)(いへ)は三十三(ねん)(ぐわつ)落成(らくせい)したるが、()我國(わがくに)在留(ざいりう)五十年間(ねんかん)(おい)て、自己(じこ)のために()てられた最初(さいしよ)(いへ)にして、また最後(さいご)(いへ)であった。 (その)(のち)(これ)を五(でう)なる聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)(かたはら)(うつ)し、最後(さいご)まで其處(そこ)(すま)はれた。三十三(ねん)(ぐわつ)長老(ちやうらう)パツトン()(せい)三一敎會(けうくわい)主任(しゆにん)長老(ちやうらう)(にん)ぜられ、()同敎會(どうけうくわい)任務(にんむ)()かれたるも、(さら)同年(どうねん)(ぐわつ)岸和田(きしわだ)傳道(でんだう)開始(かいし)し、定住(ていぢゆう)傳道師(でんだうし)(つかは)し、()(みづか)()(さだ)めて出張(しゆつちやう)する(こと)にせられた。()くして()は、前記(ぜんき)諸敎會(しよけうくわい)(およ)新傳道地(しんでんだうち)主任(しゆにん)長老(ちやうらう)として、()でゝは東奔西走(とうほんせいさう)各地(かくち)牧會(ぼくくわい)傳道(でんだう)全力(ぜんりよく)(つく)し、京都(きやうと)()つては、聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)敎務(けうむ)盡瘁(じんすい)し、()傳道女館(でんだうぢよくわん)當時(たうじ)京都(きやうと)(うつ)りし)に熱心(ねつしん)敎鞭(けうべん)()られた。明治(めいぢ)三十(ねん)より(どう)三十八(ねん)までは、()京都(きやうと)地方(ちほう)(おい)牧會(ぼくくわい)傳道(でんだう)敎育(きよういく)に、全力(ぜんりよく)傾注(けいちゆう)(もつと)(いそが)しく活動(くわつどう)された時期(じき)であつて、(これ)老後(らうご)思出(おもひで)の一合戰(がつせん)最後(さいご)の一大奮鬪(だいふんたう)であつた。

二、老衰

 (しかし)ながら、()(うち)なる(ひと)日々(ひゞ)(あらた)にして、(つよく)(すこやか)なりしとはいへ、八十路(やそぢ)(さか)(ちか)老體(らうたい)(こと)とて、(いた)くも(やつ)れたまひ、衰弱(すゐじやく)(いちじる)しく人々(ひとびと)憂慮(いうりよ)する(ところ)となつたのも、(この)(ごろ)からであつた。 三十二年中(ねんちゆう)に、()福知山(ふくちやま)から舞鶴(まひづる)(いた)途中(とちゆう)にて、人車(じんしや)轉覆(てんぷく)大負傷(だいふしやう)せられたことがあつたが、(その)(のち)(しばし)卒倒(そつたう)することがあるので、舞鶴(まひづる)宮津(みやづ)(ごと)き、當時(たうじ)阪鶴線(はんかくせん)(やうや)福知山(ふくちやま)(まで)開通(かいつう)したばかりであつたから、かゝる遠隔(ゑんかく)()老體(らうたい)()を、(ひと)(おもむ)かしむるは危險(きけん)なりと、パートリツチ監督(かんとく)(およ)其他(そのた)人々(ひとびと)は、()()氣遣(きづか)ひて、()長老(ちやうらう)をして(かは)つて巡回せしむるやうと、(しきり)()(すす)めたれど、氣丈(きぢやう)()(ぐわん)として()()れず、自己(じこ)任務(にんむ)のために他人(たにん)(わづら)はすは(こゝろよ)からずと、(わづか)冬季中(とうきちゆう)出張(しゆつちやう)見合(みあは)せたるのみにて、相變(あひかは)らず老軀(らうく)(ひつさ)げて巡回(じゆんくわい)せられ、三十四(ねん)(ぐわつ)(さき)歸國(きこく)されし長老(ちやうらう)グリンク()が、(ふたゝ)來朝(きてう)(あらた)舞鶴(まひづる)赴任(ふにん)(めい)ぜられ、(こゝ)(かは)つて該地方(がいちほう)主任(しゆにん)長老(ちやうらう)(しよく)()らるゝ(ひと)()(まで)は、一(くわい)巡回(じゆんくわい)定日(ていじつ)(かゝ)さず、(その)職責(しよくせき)(つく)された。

三、歸國休養

 明治(めいぢ)三十六(ねん)(ぐわつ)三十(にち)()瓢然(へうぜん)として京都(きやうと)()り、(どう)三十一(にち)橫濱(よこはま)出帆(しゆつぱん)歸米(きべい)()()かれた。()は、パートリツチ監督(かんとく)が、()衰弱(すゐじやく)益々(ますます)(はなはだ)しきを(うれ)ひ、容易(ようい)承諾(しようだく)がなかつた()()ひて(すゝ)め、一年間(ねんかん)休養(きうやう)すべく歸米(きべい)せしめたのであつた。航海中(かうかいちゆう)()(やまひ)(はつ)して、布哇(はわい)上陸(じやうりく)し三週間(しゆうかん)(ほど)療養(れうやう)せられたるが、(さひはい)快復(くわいふく)(つゝが)なく本國(ほんごく)到着(たうちやく)し、カルホルニヤの親戚(しんせき)(もと)()つて、靜養(せいやう)せられた。 滿(まん)(ねん)(のち)、三十七(ねん)(ぐわつ)三十一(にち)米國(べいこく)より橫濱(よこはま)歸着(きちやく)し、十一(ぐわつ)(にち)(ふたゝ)瓢然(へうぜん)として京都(きやうと)(かへ)(きた)られた。()(その)去來(きよらい)(だれ)にも()らせなかつたから、人々(ひとびと)()(こと)意外(いぐわい)(おどろ)くばかりであつた。(ふたゞ)京都(きやうと)(かへ)られた監督(かんとく)は、一年間(ねんかん)休養(きうやう)に、()健康(けんかう)回復(くわいふく)したる(ごと)()へたるが、そは(しば)しの(あひだ)であつた。氣丈(きぢやう)にして容易(ようい)(くつ)せぬ()は、京都(きやうと)聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)大津(おほつ)基督(きりすと)敎會(けうくわい)岸和田(きしわだ)聖保羅(せいぱうろ)敎會(けうくわい)主任(しゆにん)長老(ちやうらう)として、(その)(しよく)(はげ)まれたるが、()歳波(としなみ)如何(いか)にせん、三十八(ねん)末頃(すへごろ)には、(ひと)しほ(やつ)()てられ、次第(しだい)視力(しりよく)(おとろ)身體(しんたい)自由(じいう)(うしな)ひ、(かな)しいかな、最早(もは)當年(たうねん)英姿健軀(えいしけんく)は、(ふたゝ)()(かげ)だに()くなつた。(しか)しながら、()はかくも老衰(らうすゐ)()(もつ)て、()大津(おほつ)岸和田(きしわだ)出張(しゆつちやう)し、(あるひ)聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)敎務(けうむ)()り、餘暇(よか)には敎會(けうくわい)歴史(れきし)問答(もんだふ)編纂(へんさん)完成(くわんせい)(いそ)がれた。

四、聖約翰敎會建設

 (これ)より(さき)()聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)聖堂(せいだう)建設(けんせつ)希望(きばう)せられ、多年(たねん)(ちから)(つく)されたるが、(つひ)同敎會(どうけうくわい)()盡力(じんりよく)により、下京區(しもきやうく)寺町(てらまち)(でう)(くだ)るに土地(とち)購求(こうきう)し、三十九(ねん)聖堂(せいだう)新築(しんちく)着手(ちやくしゆ)するに(いた)つた。(この)(とし)(ぐわつ)()烏丸(からすまる)自邸(じてい)聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)新築(しんちく)地内(ちない)(うつ)した。明治(めいぢ)四十(ねん)(ぐわつ)十六(にち)()多年(たねん)希望(きばう)なりし聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)新聖堂(しんせいだう)竣工(しゆんこう)し、同日(どうじつ)午前(ごぜん)()よりマキム監督(かんとく)司式(ししき)(もと)に、莊嚴(さうごん)なる献堂式(けんだうしき)執行(しつかう)せらるゝに(いた)つた。基督敎(きりすとけう)週報(しうほう)は、當日(たうじつ)光景(くわうけい)(はう)じて、()(ごと)記載(きさい)した。

『五(ぐわつ)十六(にち)午前(ごぜん)()、マキム監督(かんとく)司式(ししき)(もと)執行(しつかう)せらる。參列(さんれつ)聖職(せいしよく)は、ロイド、コルレル、グリング、ドーマン、カスバート、ライフスナイダー、近重(ちかしげ)名出(ないで)早川(はやかは)多川(たがは)山田(やまだ)袋井(ふくろゐ)山邊(やまべ)諸長老(しよちやうらう)(くわん)曾根(そね)大橋(おほはし)尾形(をがた)岡本(をかもと)中村(なかむら)村田(むらた)諸執事(しよしつじ)にして、名出(ないで)長老(ちやうらう)聖別書(せいべつしよ)朗讀(らうどく)し、早禱(さうたう)村田(むらた)執事(しつじ)早川(はやかは)長老(ちやうらう)により(さゝ)げられ、(だい)日課(につくわ)袋井(ふくろゐ)長老(ちやうらう)(だい)日課(につくわ)山田(やまだ)長老(ちやうらう)使徒書(しとしよ)福音書(ふくいんしよ)は、山邊(やまべ)長老(ちやうらう)コルレル長老(ちやうらう)によりて(よま)れたり。(この)()説敎者(せつけうしや)たる多川(たがは)長老(ちやうらう)は、謹肅莊重(きんしゆくさうちやう)(げん)(もつ)て、會堂(くわいだう)神聖(しんせい)()き、(もつと)狹隘(けふあい)たるを(もつ)有名(いうめい)なりし會堂(くわいだう)が、()莊嚴(さうごん)なるものとなりしに(つい)ての感慨(かんがい)(のべ)るや、敎會(けうくわい)關係者(くわんけいしや)(いづ)れも感極(かんきはま)りて流涕(りうてい)(きん)ずること(あた)はざりき。(この)()聖餐(せいさん)(ばい)せしものは、諸聖職(しよせいしよく)敎會(けうくわい)委員(ゐゐん)奧山(おくやま)(みなみ)佐野(さの)(あづま)安井(やすゐ)の五()(かぎ)られたり。會衆(くわいしゆう)は百七十有餘(いうよ)にして、式後(しきご)茶菓(さくわ)折詰(をりづめ)饗應(きやうおう)ありき。老監督(らうかんとく)ウイリアムス()は、式前(しきぜん)(たちま)()りて、大津(おほつ)瀕死(ひんし)病者(びやうしや)見舞(みま)はれ、式後(しきご)(かへ)(きた)りて、會員(くわいゐん)滿腔(まんこう)感謝(かんしや)喜悅(きえつ)(あら)はされたり。』

五、博士ロイド氏の日本傳道視察談の一節

 當時(たうじ)我國(わがくに)敎條視察(けうじやうしさつ)(きた)りし、米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)傳道(でんだう)會社(くわいしや)理事長(りじちやう)博士(はかせ)ロイド()は、()献堂式(けんだうしき)參列(さんれつ)せられたるが、本國(ほんごく)(かへ)りし(のち)傳道(でんだう)會社(くわいしや)機關紙(きくわんし)(じやう)掲載(けいさい)したる日本(にほん)傳道(でんだう)視察談中(しさつだんちゆう)に、献堂式(けんだうしき)參列(さんれつ)(こと)(しる)し、()つウイリアムス監督(かんとく)()()(ごと)記述(きじゆつ)した。

聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)聖別(せいべつ)が、地方會(ちほうくわい)終結(しゆふけつ)(とき)(さだ)められたるは(しん)滿足(まんぞく)(きはみ)なりき。建物(たてもの)(いう)に四百(にん)()るべく、階下(かいか)會館(くわいくわん)(もち)()るやう都合(つがふ)よく出來(でき)()れり。相當(さうたう)敎會堂(けうくわいだう)()たしとは、監督(かんとく)ウイリアムス()多年(たねん)(ゆめ)なりしが、當日(たうじつ)(この)(ゆめ)實現(じつげん)(よろこび)同師(どうし)(とも)にせんとて、來會(らいくわい)せる(ひと)滿堂(まんだう)(さま)なりき。(しか)るに肝心(かんじん)のウイリアムス監督(かんとく)缺席(けつせき)して、姿(すがた)()せざりしは同師(どうし)特色(とくしよく)とも()ふべき()()當日(たうじつ)早朝(さうてう)マキム監督(かんとく)に一(しよ)(のこ)し、式中(しきちゆう)(おのれ)(こと)に一(ごん)()(およ)ばぬ(やう)呉々(くれぐれ)懇願(こんぐわん)して行方(ゆくへ)()れずになりぬ。説敎者(せつけうしや)()東京(とうきやう)(せい)三一敎會(けうくわい)牧師(ぼくし)にして、(かつ)聖約翰(せいよはね)(おい)てウイリアムス()(たす)けて(はたら)きたる日本(にほん)敎役者(けうえきしや)多川(たがは)幾造(いくざう)()なりき。()成丈(なるた)監督(かんとく)希望(きばう)尊重(そんちよう)されたれども、(その)婉曲(ゑんきよく)同師(どうし)(こと)()べたるところは、(みづか)日本(にほん)敎會(けうくわい)(こゝろ)(みちび)きて、(その)(だい)監督(かんとく)(おも)はしめざるを()ざりき。
 ()(おも)ふ。(およ)(ひと)他人(たにん)()めに(はたら)きて、()くも(いちじる)しく人心(じんしん)感動(かんどう)せしむるといふことは、(まこと)(まれ)人間(にんげん)(いう)する運命(うんめい)なりと、(しかう)して(その)感動(かんどう)(まつた)生涯(しやうがい)活動(くわつどう)に、專心(せんしん)()なるより(きた)れるものなることは、日本人(にほんじん)にも米人(べいじん)にも(とも)(さいはひ)なることならずや。米國(べいこく)日本(にほん)()めに()何事(なにごと)()すとも、(米國(べいこく)文明(ぶんめい)恩澤(おんたく)(とも)隨分(ずゐぶん)ひどきものを(あた)へつゝあり)、日本(にほん)監督(かんとく)ウイリアムス()(あた)へたること()けは、いかにも滿足(まんぞく)(いた)りなり』(基督敎(きりすとけう)週報(しうはう)(だい)十六(くわん)(だい)(がう)

六、最後の巡回

 明治(めいぢ)四拾壹(ねん)(ぐわつ)(だい)土曜日(どえうび)()(れい)により岸和田(きしわだ)(おもむ)かれたるが、(これ)()最終(さいしゆふ)巡回(じゆんくわい)であつた。(この)()岸和田(きしわだ)巡回(じゆんくわい)定日(ていじつ)であつたので、同地(どうち)(くわん)牧師(ぼくし)はいつもの(ごと)く、()停車場(ていしやば)出迎(でむか)へしに、意外(いぐわい)にも()車掌(しやしよう)(たす)けられ下車(げしや)せしかば、(なに)異變(いへん)にてもありしことかと、(いそ)()せて()()(まゐ)らせしに、()菅氏(くわんし)()らるゝや、(くわん)()(ふたた)岸和田(きしわだ)(きた)(あた)ふまじと()ひ、非常(ひじやう)失望(しつばう)(てい)なりしゆへ、途中(とちゆう)病氣(びやうき)(おこ)りしかと(たづ)ぬれば、()(すこ)疲勞(ひらう)せしのみと()ふ。人車(じんしや)にて菅氏(くわんし)(たく)(いた)りし(のち)も、氣分(きぶん)(すぐ)れざるやうなれば、菅氏(くわんし)家族(かぞく)(おほい)心痛(しんつう)された。(しか)るに夕刻(ゆふこく)(いた)りて機嫌(きげん)平常(へいじやう)(ふく)し、何時(いつ)もの(ごと)子供等(こどもら)(たはむ)れたれば、一(どう)愁眉(しゆうび)(ひら)き、(おもむ)ろに途中(とちゆう)樣子(やうす)(たづね)たるに、(この)()梅田驛(うめだえき)にて下車(げしや)(さい)(はげ)しく顛倒(てんだふ)して一()人事不省(じんじふせい)(おちゐ)つた。驛員(えきゐん)(たす)けられ休息(きうそく)(のち)人車(じんしや)にて難波驛(なんばえき)(いた)切符(きつぷ)(もと)めんとせしに、如何(いか)にしけん、何處(いづこ)()くのか(おも)(いだ)(あた)はず、驛夫(えきふ)巡査(じゆんさ)()親切(しんせつ)沿線(えんせん)驛名(えきめい)順序(じゆんじよ)列擧(れつきよ)されしも、()(おも)(いだ)さず當惑(たうわく)せる折柄(をりから)(さかひ)聖提摩手(せいてもて)敎會(けうくわい)の一靑年(せいねん)來合(きあは)せて、監督(かんとく)さん岸和田(きしわだ)御越(おこし)ですか、と(こゑ)(かけ)られたので、(やうや)行先(ゆくさき)()つたといふ(こと)である。
()仔細(しさい)(かた)(をは)り、(いた)落膽(らくたん)(てい)にて、()()ひたり、()(ため)には(たの)しきホームの岸和田(きしわだ)に、(ふたゝ)(きた)(あた)ふまじと(たん)じられたさうである。あゝ()()(たま)へり、(おとろ)(たま)へり。血氣(けつき)()くが(ごと)少壯(せうさう)當年(たうねん)より、八十路(やそぢ)高齡(かうれい)(たつ)するまで、五十(ねん)生涯(しやうがい)我國(わがくに)(さゝ)げ、牧會(ぼくくわい)傳道(でんだう)敎育(けういく)に、(その)心血(しんけつ)(そゝ)(つく)し、(その)體力(たいりよく)使(つか)(から)して、かくも()ひたまひ、(おとろ)(たま)ふた。(おも)ふに、岸和田(きしわだ)最後(さいご)巡回(じゆんくわい)(この)(こと)ありて、()(ひそ)かに、最早(もはや)無用(むよう)()すなきの老體(らうたい)となりたれば、日本(にほん)()りて敎友(けういう)(わづらは)さんよりは、(むし)廢殘(はいざん)老軀(らうく)故國(ここく)親戚(しんせき)(たく)しに()くは、(いま)我身(わがみ)()るべき(みち)なりとし、(かね)(けつ)せる歸國(きこく)(その)()を、(はや)むるに(いた)つたであらう。とあれ(かく)(ごと)くにして、()牧會(ぼくくわい)傳道(でんだう)任務(にんむ)は、(こゝ)(その)終局(しゆふきよく)(むす)んだ。

七、日本聖公會第九回總會の決議

 明治(めいぢ)四拾壹(ねん)(ぐわつ)(にち)より六()(まで)大阪(おほさか)(おい)(ひら)きたる日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)(だい)(くわい)總會(そうくわい)は、敎務局(けうむきよく)設置(せつち)監督(かんとく)敎區(けうく)制定法(せいていはふ)(とう)(もつと)重要(ぢゆうえう)なる件々(けんけん)議定(ぎてい)せしが、(なか)監督(かんとく)ウイリアムス()關係(くわんけい)ある()の二(けん)は、滿場(まんぢやう)()(もつ)可決(かけつ)した。

日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)傳道(でんだう)開始(かいし)五十(ねん)紀念(きねん)運動(うんどう)(くわん)する(けん)

(一)紀年(きねん)傳道(でんだう)
()各地(かくち)紀年(きねん)傳道(でんだう)大説敎會(だいせつけうくわい)(ひら)(こと)

(イ)長崎(ながさき) (福岡(ふくをか)熊本(くまもと)
(ロ)大阪(おほさか) (廣島(ひろしま)岡山(をかやま)神戸(かうべ)
(ハ)京都(きやうと) (金澤(かなざは)奈良(なら)和歌山(わかやま)
(二)東京(とうきやう) (名古屋(なごや)靜岡(しずをか)橫濱(よこはま)前橋(まへばし)長崎(ながさき)仙臺(せんだい)靑森(あをもり)
(ホ)函館(はこだて) (小樽(をたる)札幌(さつぽろ)旭川(あさひがは)

 (みぎ)實行(じつかう)日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)傳道局(でんだうきよく)(たく)(これ)(えう)する費用(ひよう)として北海道(ほくかいだう)地方(ちはう)より百(ゑん)()の五地方(ちはう)より百五十(ゑん)づゝ出金(しゆつきん)すべき(こと)(たゞ)其他(そのた)費用(ひよう)開會地(かいくわいち)負擔(ふたん)とす。

(二)紀年(きねん)禮拜(れいはい)
 明治(めいぢ)四拾貳(ねん)(ぐわつ) ()(すなは)退職(たいしよく)監督(かんとく)ウイリアムス()到着(たうちやく)()(もつ)傳道(でんだう)紀年(きねん)禮拜日(れいはいび)となし(かく)敎會(けうくわい)(および)(かく)講義所(かうぎしよ)(おい)紀年(きねん)禮拜(れいはい)(おこな)日本(にほん)傳道(でんだう)(くわん)する説敎(せつけう)をなし當日(たうじつ)(もち)ふべき特禱(とくたう)制定(せいてい)(およ)當日(たうじつ)説敎(せつけう)題詞(だいし)選定(せんてい)諸監督(しよかんとく)依賴(いらい)する(こと)
 當日(たうじつ)信施(しんせ)紀年(きねん)傳道(でんだう)()寄附(きふ)する(こと)

◎ウイリアムス監督(かんとく)謝意(しやい)(へう)する(けん)

 退職(たいしょく)監督(かんとく)ウイリアムス()傳道(でんだう)五十年間(ねんかん)功勞(こうらう)(たい)し、謝意(しやい)(へう)すること(その)實行(じつかう)方法(はうはふ)日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)敎務(けうむ)局員(きよくゐん)依囑(いしよく)する(こと)

 日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)が、(まさ)日本(にほん)傳道(でんだう)開始(かいし)五十(ねん)(むか)へんとするに(あた)り、(だい)(くわい)總會(そうくわい)(おい)て、過去(くわこ)五十年間(ねんくわん)神恩(しんおん)記臆(きをく)し、感謝(かんしや)(まつり)として、ウイリアムス監督(かんとく)最初(さいしよ)上陸地(じやうりくち)なる長崎(ながさき)より(はじ)め、北海道(ほくかいだう)(いた)(まで)全國(ぜんこく)大都市(だいとし)(おい)傳道(でんだう)運動(うんどう)をなす(こと)決議(けつぎ)し、()聖公會(せいこうくわい)傳道(でんだう)事業(じけふ)開始者(かいししや)日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)(だい)壹の監督(かんとく)たる()(たい)し、(かく)(ごと)く、日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)全體(ぜんたい)敬意(けいい)感謝(かんしや)(へう)せられたるは、(もつと)恰當(かうとう)なる處置(しよち)であつて、また(まさ)()すべき義務(ぎむ)であつた。

八、五十年の回顧

 回顧(くわいこ)すれば、安政(あんせい)(ねん)()日本(にほん)()ける新敎(しんけう)(だい)宣敎師(せんけうし)として、長崎(ながさき)上陸(じやうりく)してより、五十年後(ねんご)明治(めいぢ)四拾貳(ねん)には、日本(にほん)新敎(しんけう)は八百八十五(にん)外國(ぐわいこく)宣敎師(せんけうし)と、四百六十三(にん)日本(にほん)牧師(ぼくし)と、五百六十二(にん)(をとこ)傳道師(でんだうし)と、三百五十四(にん)(をんな)傳道師(でんだうし)(いう)し、五百二十九の敎會(けうくわい)と、六(まん)有餘(いうよ)信徒(しんと)(いう)する一大勢力(だいせいりよく)となつた。()()だ一(にん)日本(にほん)()ける聖公會(せいこうくわい)宣敎師(せんけうし)として、七年間(ねんかん)長崎(ながさき)在留(ざいりう)したるも、一(にん)改宗者(かいしうしや)()ざりし當時(たうじ)よりは、五十(ねん)()らぬ明治(めいぢ)四十二(ねん)には、六十九(にん)外國(ぐわいこく)宣敎師(せんけうし)と七十八(にん)邦人聖職(はうじんせいしよく)と、二百四(にん)男女(だんぢよ)傳道師(でんだうし)と、一萬二千八百七十(にん)信徒(しんと)(いう)する、堂々(だうだう)たる日本聖公會(にほんせいこうくわい)となった。(この)半世紀前(はんせいきぜん)傳道(でんだう)開始(かいし)し、(この)半世紀間(はんせいきかん)努力(どりよく)奮鬪(ふんたう)し、(しか)して、(この)半世紀後(はんせいきご)進歩(しんぽ)目撃(もくげき)せられたる()は、(だい)(くわい)總會(そうくわい)開會(かいくわい)當時(とうじ)(その)老衰(らうすゐ)(たい)京都(きやうと)(でう)隱棲(いんせい)(よこ)たへながらも、(はる)かに(こゝろ)日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)(だい)(くわい)總會(そうくわい)(かよ)はしめて、今昔(こんじやく)(かん)()へず、その()()れぬ滿足(まんぞく)喜悅(きえつ)に、幾度(いくたび)感謝(かんしや)讚美(さんび)(かみ)(さゝ)げたであらう。

九、米國聖公會監督會議の決議  

 日本(にほん)(おい)(だい)(くわい)總會(そうくわい)監督(かんとく)ウイリアムス()(くわん)する如上(ぢよじやう)決議(けつぎ)をした此年(このとし)の十(ぐわつ)米國(べいこく)(おい)てボストン()開會(かいくわい)せし監督(かんとく)會議(くわいぎ)は、()(たい)勳功(くんこう)承認(しようにん)()決議(けつぎ)をした。

千九百四(ねん)監督會議(かんとくくわいぎ)決議(けつぎ)

 總會開會(そうくわいかいくあい)(だい)()(すなは)ち十(ぐわつ)()(おい)て、ミズーラ敎區(けうく)監督(かんとく)なる總會議長(そうくわいぎちやう)は、()議案(ぎあん)提出(ていしゆつ)し、會議(くわいぎ)(これ)可決(かけつ)し、同時(どうじ)監督(かんとく)ウイリアムス()傳達(でんたつ)せんことを(めい)じたり。

 ボストン()(ひら)かれたる總會(そうくわい)(あつ)まれる監督等(かんとくら)は、(ここ)(その)年長議員(ねんちやうぎゐん)立法部(りつぽふふ)より退隱(たいゑん)せしと(いへど)も、今日(こんにち)ヴアジニヤ(しゆう)故山(こざん)(とは)れつゝあることを(みと)めんことを希望(きぼう)す。監督博士(かんとくはかせ)チヤンニング、ムアー、ウイリアムス()が、江戸監督(えどかんとく)(しょく)()して以來(いらい)十五ケ(ねん)經過(けいくわ)したれども、(この)星霜(せいさう)(けつ)して退隱無爲(たいいんむゐ)(とき)にあらずして、活發(くわつぱつ)なる成功的(せいこうてき)傳道(でんだう)日月(じつげつ)なり。監督(かんとく)職衣(しよくい)(これ)(だつ)したれども、(せい)なる説敎家(せつけうか)(あい)()める牧師(ぼくし)熱心(ねつしん)なる傳道者(でんだうしや)としての生涯(しやうがい)は、瞬間(しゆんかん)だにも(やす)みたることなし。
 監督(かんとく)ウイリアムス()は、一千八百六十六(ねん)支那日本(しなにほん)傳道監督(でんだうかんとく)となり、一千八百七十四(ねん)江戸(えど)傳道監督(でんだうかんとく)となれり。()(じつ)日本(にほん)()ける()がミツシヨンの(ちゝ)なり。(その)生涯(しやうがい)(きよ)(その)事業(じけふ)利己心(りこしん)(だつ)せる、()(また)傳道心(でんだうしん)旺盛(わうせい)なる、()生靈(せいれい)(たい)する善事業(ぜんじげふ)をして、(じつ)歴史上(れきしじやう)聖人(せいじん)()れの(ごと)有力(いうりやく)ならしめたり。(こと)()かる偉生涯(ゐしやうがい)支那(しな)日本(にほん)以外(いぐわい)(きこ)へざるは(それ)をして一層深(そうふか)く一(そう)高潔(かうけつ)に、一(そう)強健(きやうけん)に一(そう)感深(かんふか)からしむるものなり。
 監督會議(かんとくくわいぎ)(つゝし)みて、監督(かんとく)ウイリアムス()外國(ぐわいこく)傳道地(でんだうち)()ける半世紀(はんせいき)の間(あひだ)の忠實(ちゆうじつ)なる(はたらき)(みと)むるの光榮(くわうえい)(いう)す。會議(くわいぎ)(その)友愛(いうあい)()(てい)す。會議(くわいぎ)感謝(かんしや)(ねん)(もつ)()歡迎(くわんげい)す。(けだ)()()(たゝか)敎會(けうくわい)率先者(そつせんしや)として、(また)兵卒(へいそつ)として、我等(われら)(しゆ)克己(こくき)足跡(あしあと)()むの規範(きはん)我等(われら)(しめ)したり。會議(くわいぎ)(ひと)としてこの祝福(しゆくふく)()(てい)し、(また)今後(こんご)()(はたらき)(うへ)聖靈(せいれい)恩寵(おんてう)(くは)へられ、(その)(かうべ)(かみ)平和(へいわ)(くだ)らんことを(いの)り、()(いま)()晩年(ばんねん)(おい)て、(その)夕暮(ゆふぐれ)(くわ)して光輝(くわうき)ある(てん)故鄕(こきやう)(あさ)とならんことを熱望(ねつぼう)す。

監督會議長(かんとくくわいぎちやう) ダニエル・タツトル
書記(しよき)    サミユエル・ハート

十、最後の歸國  

 日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)(だい)總會(そうくわい)成功(せいこう)(もつ)(をは)りし(のち)の三週目(しうめ)明治(めいぢ)四拾壹(ねん)(ぐわつ)貳拾九(にち)()瓢然(へうぜん)として京都(きやうと)()り、(どう)參拾(にち)橫濱出帆(よこはましゆつぱん)のサイベリヤ(がう)乘船(じようせん)して、五十(ねん)献身精勵(けんしんせいれい)()其愛(そのあい)する日本(にほん)國土(こくど)(あと)にし、光榮(くわうえい)ある生涯(しやうがい)餘命(よあい)故國(ここく)(おく)らんがために、米國(べいこく)(むか)つて出發(しゆつぱつ)せられた。
 ()はいつかは歸國(きこく)すべしとの()()らしたれど、いよいよ出發(しゆつぱつ)時日(じじつ)(つい)ては、パートリツヂ監督(かんとく)(およ)び一二(にん)(ほか)には、(だれ)にも()げず、多年(たねん)(つか)へしコックの友吉(ともきち)(きび)しく口外(こうぐわい)(いまし)められた。(なか)には(これ)(つた)()きて暇乞(いとまごひ)()つた(ひと)もあつたが、()歸國(きこく)(つい)ては(けつ)して一(ごん)(かた)られなんだ。貳拾九(にち)午前(ごぜん)()、師は()はパートリツヂ監督(かんとく)(および)コックの友吉(ともきち)(ともな)はれ七(でう)停車場(ていしやぢやう)より、神戸發(かうべはつ)富山行(とやまゆき)列車(れつしや)()()み、馬場驛(ばんばえき)下車(げしや)し、同驛(どうえき)にて(さら)神戸發(かうべはつ)新橋行(しんばしゆき)急行(きふかう)列車(れつしや)待受(まちう)け、十()同驛(どうえき)出發(しゆつぱつ)橫濱(よこはま)(むか)ひ、其夜(そのよ)橫濱(よこはま)ホテルに一(ぱく)し、(よく)參拾(にち)午後(ごご)出帆(しゆつぱん)せられたのである。

十一、歸國の理由  

 ()出發(しゆつぱつ)の二()(まへ)()京都(きやうと)()ひたる某氏(ばうし)は、當時(たうじ)事情(じじやう)沈痛悲壯(ちんつうひさう)なる語調(ごてう)にて(かた)つて(いは)く、

監督(かんとく)ウイリアムス()は、(とほ)からず歸國(きこく)せらるゝと()き、()は四(ぐわつ)貳拾七(にち)()京都(きやうと)隱棲(いんせい)()ひぬ。(とき)()忠僕(ちゆうぼく)秋山夫婦(あきやまふうふ)(とも)に、書齋(しよさい)(おい)朝禱(てうたう)(さゝ)げんとしつゝありき。()()依賴(いらい)により(かはつ)(しき)(つかさど)りぬ。()視力(しりよく)(おとろ)日課(につくわ)祈禱書(きたうしよ)朗讀(らうどく)すらなすに()へざりき。(あゝ)、さても(おとろ)(たま)へる(かな)
 朝禱後(てうたうご)()()暫時(ざんじ)會談(くわいだん)()()たり。()(だい)總會(そうくわい)(おい)ては、明年(みやうねん)聖公會(せいこうくわい)傳道(でんだう)開始(かいし)五十(ねん)相當(さうたう)するを(もつ)て、(これ)紀念(きねん)せん(ため)傳道運動(でんだううんどう)をなす(こと)決議(けつぎ)し、(また)貴下(きか)長崎上陸(ながさきじやうりく)()(ぼく)して、全日本(ぜんにほん)聖公會(せいこうくわい)紀念(きねん)禮拜式(れいはいしき)執行(しつかう)する(こと)(さだ)めたりと(かた)りしに、()は非常(ひじゃう)に滿足(まんぞく)樣子(やうす)にて(これ)贊同(さんどう)せられたり。(しか)れども、日本最初(にほんさいしよ)宣敎者(せんけうしや)自分(じぶん)(あら)ず、ジヨン,リギンス()なれば、同氏(どうし)上陸(じやうりく)()(もつ)禮拜日(れいはいび)となすが()ならん、自分(じぶん)()(ごと)きは(あらは)すべからずと(かた)りたまひぬ。()貴下(きか)近日(きんじつ)歸國(きこく)せらると()きしが如何(いか)にと()ひしに、()(ひと)はさう(まを)します。一(にん)()へばだんだん(ひろま)つて()ます。(わたし)(かへ)らうと(おも)へば()(かへ)りますと(こた)へられしのみ、(つひ)歸國(きこく)時日(じじつ)(もら)されざりき。()()るに(のぞ)永別(えいべつ)()りつゝ(わかれ)(つげ)(あた)はず、()(また)無言(むごん)()()()()()(その)老軀(らうく)をさゝへつゝ、()玄關(けんくわん)(おく)(しば)(たゝず)みて()()るを目送(もくさう)されぬ。あゝ()温乎(をんこ)たる(よう)崇高(すうかう)なる風姿(ふうし)地上(ちじやう)(ふたゝ)(せつ)するの機會(きくわい)ありやを(おも)へば、()低徊顧望(ていくわいこぼう)()るに(しの)びざりき。當時(たうじ)(かん)()到底(たうてい)筆舌(ひつぜつ)()えざるなり。
 翌日(よくじつ)()瓢然(へうぜん)京都(きやうと)()りぬ。()歸國(きこく)()きて(ひそ)かに告別(こくべつ)(きた)りし三四の敎役者(けうえきしや)(おく)られ、橫濱(よこはま)よりサイベリア(がう)乘船(じようせん)し、(こゝ)日本宣敎(にほんせんけう)五十(ねん)大使命(だいしめい)(まつた)()へ、(その)光榮(くわうえい)ある生涯(しやうがい)餘命(よめい)鄕里(きやうり)(すご)さんために出發(しゆつぱつ)せられぬ。
 ()日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)()(ごと)聖徒(せいと)を、最初(さいしよ)宣敎師(せんけうし)(だい)壱の日本監督(にほんかんとく)として(あた)へられしは、(しゆ)特殊(とくしゆ)なる恩寵(おんてう)として感謝(かんしや)すると(とも)に、(かゝ)聖徒(せいと)(おく)りし母敎會(ぼけうくわい)なる米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)感謝(かんしや)せざるべからず。吾人(ごじん)()()ける生涯(しやうがい)のみならず、(その)尊體(そんたい)をも()聖公會(せいこうかい)重寶(ちやうほう)として、(あた)へられんことを希望(きばう)したりしに、米國(べいこく)にある()親族(しんぞく)(しき)りに歸國(きこく)(うなが)し、()()生前(せいぜん)歸國(きこく)せざるに(おい)ては、遺骸(ゐがい)(かなら)本國(ほんごく)(うつ)して(うづ)むべしとの()(けつ)したりと。されば()永眠後(えいみんご)かゝる手數(てすう)(わづらは)さんことを(おそ)れて、(つひ)にいつかは歸國(きこく)すべしと決心(けつしん)しつゝありしに、近來(きんらい)益々(ますます)衰弱(すゐじやく)(くは)りたれば、最早(もはや)老朽(らうきう)()すなしと(みづか)(かん)ぜられ、此上(このうへ)は一(にち)(はや)(おの)歸國(きこく)せば、(かは)りて一(にん)(しん)宣敎師(せんけうし)(おく)らるべき餘地(よち)(しやう)ずべしと、さてこそ()吾人(ごじん)()せしよりも(はや)く、(なみだ)(ふる)つて(その)(あい)する我國(わがくに)()るに(いた)りしなりといふ。あゝ何等(なんら)無私(むし)何等(なんらの)献身(けんしん)何等(なんら)忠誠(ちうせい)ぞ』。((めぐみ)音所載(おとづれしよざう)

十二、橫濱出帆  

 ()橫濱出帆(よこはましゆつぱん)(さい)(ひそ)かに永別(えいべつ)(じやう)(へう)せん(ため)(いた)りし兄弟(きやうだい)は、當時(たうじ)(こと)()(ごと)基督敎(きりすとけう)週報(しゆうはう)紙上(しじやう)記載(きさい)した。

監督(かんとく)チヤニング、ムーア、ウイリアムス先生(せんせい)は、去月(きよげつ)廿九(にち)いよいよ(ふたゝ)(かへ)らざる覺悟(かくご)(もつ)故國(ここく)北米(ほくべい)合衆國(がつしゆうこく)(むか)つて橫濱(よこはま)出發(しゆつぱつ)されたり。元來(がんらい)先生(せんせい)日本(にほん)(もつ)墳墓(ふんぼ)()(さだ)められたるものゝ(ごと)く、(しゆ)(たい)する忠勤(ちゆうきん)殘軀(ざんく)をば、(とこし)へに日本(にほん)一片(ぺん)(つち)(くわ)(をは)らんことを素志(そし)とせられしよう()へしが、如何(いか)なる事情(じじやう)ありけん、(には)かに最終(さいしゆふ)歸鄕(ききやう)()すべく決意(けつい)せられ、内外(ないぐわい)友人(いうじん)(せつ)なる懇願(こんぐわん)あるにも(かゝわ)らず、先生(せんせい)特質(とくしつ)として一(たん)決定(けつてい)したることを(うご)かさるべくもあらずして愈々(いよいよ)出發(しゆつぱつ)(けつ)したり。先生(せんせい)明言(めいげん)せらるゝ理由(りいう)としては、()最早(もはや)無用(むよう)()すなきの老體(らうたい)となりたれば、(この)廢殘(はいざん)老軀(らうく)故國(ここく)にありて歸國(きこく)切望(せつぼう)する(めい)()(たく)しに()くなり、()()歸國(きこく)せば()(かは)りに()人物(じんぶつ)(おく)らるべし、祈禱(きたう)米國(べいこく)にありても日本(にほん)()めに(さゝ)()べしと。()れど(この)老軀(らうく)日本(にほん)(つち)とせぬには(あま)りに貴重(きちよう)なるものを、遺憾(ゐかん)(きはま)りなしと()ふべし。(かね)ての氣質(きしつ)なれば先生(せんせい)出發(しゆつぱつ)(さい)送別(さうべつ)見送(みおくり)(いと)ひ、歸國(きこく)といふ(こと)を一(さい)祕密(ひみつ)()し、突然(とつぜん)(ぐわつ)二十九(にち)午前(ごぜん)()二十三(ぷん)(わづ)かにバートリツヂ監督(かんとく)(および)忠僕(ちゆうぼく)秋山(あきやま)友次郞(ともじらう)(ともな)はれて、多年(たねん)住馴(すみな)れし京都(きやうと)(はつ)し、同夜(どうや)橫濱(よこはま)に一(ぱく)(よく)三十(にち)十一()(はん)ボートにて本船(ほんせん)サイベリヤ(がう)(うつ)られたり。
祕密(ひみつ)歸國(きこく)素志(そし)尊敬(そんけい)して略々(ほゞ)先生(せんせい)出發(しゆつぱつ)聞知(ぶんち)せるものも(あえ)(きた)(もの)なかりしが、しかも多年(たねん)敎導(けうだう)感化(かんくわ)()けたる三四の日本人(にほんじん)は、先生(せんせい)同行人(どうかうにん)世話人(せわにん)なるガーデナー()見送(みおくり)()(もと)に、橫濱(よこはま)埠頭(ふとう)先生(せんせい)待受(まちう)けて、せめて(その)後影(うしろかげ)なりとも見送(みおく)らんと(くはだ)つるを(きん)ぞざりき。十一()二十五(ふん)(はや)くも先生(せんせい)は、ガーデナー()(および)橫濱(よこはま)英國(えいこく)牧師(ぼくし)リウスチン二()(かた)双手(さうしゆ)をかけ、(ほと)んど吊下(つりさが)らんばかりになりて石階(いしだん)()乘込棧橋(のりこみさんばし)(きた)る。當年(たうねん)颯爽(さつさう)健脚(けんきやく)今安(いまいづ)くぞさても(おとろ)(たま)へる(かな)見送(みおく)(もの)暗涙(あんるゐ)あるのみ。(とく)(ちん)したる西洋形(せいやうがた)ボートは(はし)()して(よこたは)れり。ボート(ちやう)前兩氏(ぜんりやうし)(ちから)(あは)せて(から)ふじて艀船(はしけぶね)(うつ)す。先生(せんせい)(はじ)めて橋上(けうじやう)(ひと)正面(せいめん)す。舊容(きうよう)依然(いぜん)たりといへども、高齡(かうれい)(とも)()()きたる()奈何(いか)にせん、淸姿(せいし)ひたすら(しろ)くして大理石(だいりせき)(ごと)く、(いろ)(うら)春風(はるかぜ)()(みだ)さるゝ銀色(ぎんしよく)鬚髮(しゆはつ)(あざむ)く。五十(ねん)献身精勵(けんしんせいれい)()(いま)足趾(そくし)(なが)其土(そのど)(はな)る、()無限(むげん)感慨(かんがい)なからんや。(ぼう)(だつ)し、(くび)()げ、視力(しりよく)(おとろ)へたる兩眼(りやうがん)(もつ)橋上(けうじやう)(ひと)(しき)りに打眺(うちなが)(たま)ふ。見送人等(みおくりにんら)(こゝ)(おい)(ぼう)(だつ)(こえ)をあげ訣別(けつべつ)()()ぶ。やがて艀舟は漕ぎ出でぬ。見送人中(みおくりにんちゆう)數名(すうめい)本船迄(ほんせんまで)(べつ)のボートにて()()けぬ。(さいはひ)舟房(せんぼう)歡迎(くわんげい)されて懷舊(くわいきゆう)(だん)感謝(かんしや)陳述(ちんじゆつ)訣別(けつべつ)(かん)など長時間(ちやうじがん)打語(うちかた)らふを()たりしは(うらや)ましきことゝ()うふべし。午後(ごご)()無情(むじやう)火船(くわせん)汽笛(きてき)(とも)此無價(このむか)分捕(ぶんどり)()せて、(ひがし)(かた)茫々(はうばう)たる(しほ)の八重路(へぢ)(のぼ)りぬ。』