2001年1月

京都教区の青年活動

 京都教区の青年達は、個性的で活動的な人達が多いのではないだろうか。他教区と比較検討したわけではないが、今夏の全国青年大会でも歌ったり踊ったりしていた様子。元気で、またそれぞれのつながりが強いように思う。「教区」という意識も強い。初めて教区の集まりやキャンプに参加した時、「教区デビュー」という言葉を口にすることもある。
京都教区では、宣教局の中に教育部があり、毎年、小学生、中学生、高校生(学校へいっていない同世代人:ジュニアユースを含む)のキャンプを行う。その中で、同世代の人々と寝食を共にし、祈り、語り合い、互いの思いを分かち合って行く。そのようにして共に育った仲間が青年となり、今度は子どもたちに奉仕するスタッフの役割を担う。スタッフ間でもミーティングを重ね、キャンプという目標と共に、仲間としてのつながりが深まる。もちろん、教区キャンプと関係なく教会に集う青年も多くいる。しかしキャンプで大切にされた、仲間を受け入れ、思いを分かち合う姿勢は、青年活動の随所に見られると思う。
<2000年の活動>
 京都教区の青年活動として、2000年の一年間、どのようなものがあったかを振り返ってみた。
<寄せ集めの会 2/11-12>青年達が、今やっていること、これからやってみたいと思っていることを「寄せ集め」る会。多くのアイディアが出て、その中からいくつかが実行に移された。
<青年交流キャンプ 5/3-5>
 三重県大淀の海を臨むキャンプ場にて。「子ども達への奉仕だけでなく、青年自身のためのキャンプを」と青年有志が企画実行。のんびり、かつ楽しい。
<リーダー研修会 5/26-27>
 教区キャンプのスタッフとしてのノウハウと心構えを分かち合う。これは教育部の活動として行われたものだが、一人の青年の「リーダー研修会をしたい」という熱い思いに、他の青年達が呼応し、実現した。
<ニュースレター「Face to Face」創刊号発行 7/25>
 「寄せ集めの会」で出た諸企画をフォローし、教区青年全体で分かち合い、祈り会うことで、皆で共に「まったりと元気」になろうとするために発行。
<全国青年大会に参加 8/25―28>
<夏の活動報告会 11/3-4>
 全国青年大会各分科会での内容の分かち合いを中心に、夏の諸活動を分かち合う。内容は「Face to Face第2号」として発行予定。
<サッカー大会 11/23>
 大阪、神戸教区の青年有志と共同で開催。
 ざっと振り返ると、以上のようなことがあげられるだろう。ただ、当然の事ながら、その他にも青年達が活動したことは、はるかに多くある。青年活動は、自主的な活動なので、自由に、多方面 に活動範囲を広げてゆく。全てをフォローすることは不可能である。多彩な活動が、随所随所で分かち合われ、青年活動全体を豊かなものへと揺り動かしてゆく。そしてその活動が、「教会の活性化」につながり、いや、それをも超え、直接的に「神の国」建設に参与していくのである。
(藤原健久/京都教区青年活動窓口)


2001年2月

日韓NCC協議会に参加して

 2000年12月4日〜7日、ソウルにおいて「アジアの和解と平和−日韓NCCの役割−」という主題で第7回日韓NCC協議会が開催されました。
  私はここへNCCJからの青年代表という形で参加しました。日本からの青年代表は3人で、日本基督教団・在日大韓基督教会から一人づつが一緒に参加しました。去年から、聖公会日韓青年交流プログラムのスタッフをやっていることもあり、日韓関係には非常に興味を持っているので、ここに参加できたことは私にとって大きな意味をもっていました。
 この協議会では、朝鮮半島問題、戦争責任、天皇制、日本の軍事化、女性などの問題に対して、私たち日韓の教会がどのように共に働いていくべきかについて議論しました。議論だけでなく、韓国の青年たちと一緒にEYCK(韓国エキュメニカル青年協議会)の活動を学ぶ機会もありました。ここで、私は韓国の青年の社会問題に対する意識の高さとそれに対する使命感の強さを感じました。私たちは、ものの溢れる日本で暮らしていると、平和であることを当たり前だと思ってしまいます。毎日の食事や寝るところがあることに感謝することを忘れがちになって。しかし、私たち青年がもっ と真剣に平和などについて話し合ってもいいんじゃないかと思います。教会に行って いても、青年が真剣に社会問題や平和などについて話し合う時間はあまりないと思う からです。結局、日本の教育では、受験のこともあり、歴史教育といっても試験で出 る出来事の暗記や年号の暗記だけで終わってしまいます。いつ、原爆が落とされたの か、韓国戦争(朝鮮戦争)がいつ始まったのかと。そこから、学ぼうとすることが少 ないと思います。なぜ、日本は韓国を植民地にしたのか、どうして、原爆が落とされ たのか。それらを考えることはあまりないかもしれません。そして、被害者としてだ けでなく、加害者としての日本。学校でこういうことが学べればいいなぁと思いつ つ、現実を考えると無理なのかと思います。だったら、教会だけででも、そのような ことを青年たちが学ぼうとする姿勢が必要だと感じました。無関心であることが、一 番の敵です。
 韓国の信徒たちは、民族の和解と平和統一を神の命令であり、宣教の使命であると信じています。統一などの社会問題に対し、キリスト者として、教会としてどのように働いていくべきかを真剣に考えています。そして、着実にそれらに向けて努力していると思います。正義と平和の神の国が臨むように平和と和解を実現されることを信 じ、それ故に民族の和解と統一に対する関心と努力は信仰の問題だと認識していま す。平和のために働くこと、今の私たちの普段の生活では気にも留めないことではな いでしょうか。
 日韓の歴史は変えることはできません。しかし、過去の歴史は変えることができないから忘れるという、未来志向的な話だけでなく、私たちは両国に潜在している間違っ た歴史観を清算し、正しい歴史を理解するべきです。この時代に生きている私たちは、過去の過ちをもう二度と繰り返してはならないと心に誓って、いまこれからの道を共に歩むことができます。そして、日韓だけにとどまらず、アジア全体の和解と平和のために、私たちは積極的に働いていかなければならないと思います。
 私にとって、今回のエキュメニカルな出会いは、新しい世紀を迎えるにあたり、とても意味のあるものだったと感じています。人権と正義、人類の平和のための新しい議論を広げていくという出会い。このような、機会を与えてくださった神様に感謝しつつ、私自身がこれからさまざまなことに関心をもっていき、それらをみんなと共有していきたいと思います。
(東佳奈/横浜教区千葉復活教会信徒)


2001年3月

「韓国語教室を始めました」

 「アンニョンハセヨ〜」「オソオセヨ〜」ずいぶん自然にあいさつが交わせるようになってきました。
 金フナさんに韓国語を習い始めてから約4ヶ月。まだまだ会話までは程遠いですが、韓国語の響きは少し耳慣れてきました。
 韓国語を勉強したいと思ったのは、昨年の夏。日本聖公会と大韓聖公会の共同プログラムである日韓青年交流プログラムに参加したときのことでした。昨年の交流プログラムでは、韓国からの参加者に日本語を話せる人が多かったので、私たちはほとんど言葉の壁に悩まされることなく、楽しく、有意義なときを過ごすことができました。しかし、ふと気付くと、日本からの参加者にはその半分も韓国語を話せる人がいなかったのです。韓国のメンバーともっともっと出会うため、そして、韓国のことを知るためにも韓国語を学ぶ必要があるのではないかと私は考えるようになりました。
 よくよく思い出してみると、韓国語を勉強しようと思ったのは、今回が初めてではありません。一昨年のプログラムに参加した後にも同じことを思ったし、昨年参加を決めたときにも思いました。が、一人で始めるとなかなか続きません。最初の数ページでつまずいてしまい、結局「アンニョンハセヨ」しかわからないままでした。
 でも今回日本から参加したメンバーの中に韓国語を勉強したい、と思っていた人が何人かいたので、大韓聖公会の信徒で、東京で勉強中の金フナさんに講師をお願いし、韓国語教室を開くことにしました。
 5人集まればいいかと思って始めた韓国語教室でしたが、なんと、今では13名の生徒がいます。しかも、大学生から70代までと幅広い年令層。
 韓国語の勉強は、あいさつ、自己紹介などから始まりました。最初は、慣れない発音と慣れない文字で苦労しましたが、最近ではハングルの読み書きもずいぶん出来るようになってきました。12月にはクリスマスや年末年始のあいさつを教えていただいたり、「きよしこのよる」を韓国語で歌ったり・・・と楽しく学んでいます。難しいけど、楽しい。興味を持って学ぶということはこういうことなのだと実感しています。
 今年も夏に交流プログラムが行われる予定です。あと半年弱です。どれくらい韓国語をマスターできるかわからないですが、韓国からの参加者と多少でも話ができたら・・・と思います。また、そのうち韓国語教室の仲間で韓国ツアーなどもできたらと秘かに考えています。
 韓国や韓国語に興味のある方は、今からでも遅くはありません。ぜひご参加ください。東京聖三一教会にて、毎週月曜日午後7時から9時までです。

河崎真理(東京教区池袋聖公会信徒)


2001年4月

長崎で「第2回平和を考えるプログラム」が開催


 去る2月10日から12日まで、長崎聖三一教会を会場として、九州教区の信徒有志による「第2回平和を考えるプログラム」が開催されました。
 昨年は、教区内から25名ほどの参加でしたが、今回は参加者の地域も人数も広がり、教区内教会からはもとより東京教区からの参加も得て40名ほどの青年たちが集いました。
 テーマは、「長崎に立つ 永井博士の信仰に触れる −如己愛人−」。被爆者、医師そしてキリスト者として、己のごとく人を愛することの大切さを説き、身をもって平和を訴え続けられた永井隆博士に学びました。証言者として、永井博士と一緒に働かれた久松シソノ氏。またフィールドワークでは長崎市原爆資料館、永井隆記念館、岡まさはる記念長崎平和資料館、そして聖母の騎士修道院などを訪ねました。主日礼拝では、5人の青年が「私の平和」と題して証をし、平和の実現のためにともに祈りました。この出会いと交わりを通しての学びは、それぞれが捉えてきた平和を問い直すいい機会になったのではないかと思います。最後に、参加者の声として、久留米聖公教会の岸本千春さんの感想を記します。(九州教区 司祭マルコ柴本孝夫)


 今回一番印象に残ったのは「岡まさはる記念館」でした。時間が足りずに全てを見て回る事が出来なかった事が悔やまれます…。そこで私は、加害者としての日本についてほんの一部しか知らない自分に愕然としました。切り落とした首を手に誇らしげに笑う写真…。今でも目に焼きついています。戦争のせいなのか、実はあんな残虐性を持っているのか…本当の人間の姿というのが、分らなくなった場所でもありました。
私の勤務している会社は、表立っては知られていないかもしれませんが、兵器の開発・製造を行っています。このプログラムが終了して間もなくは、「直接手は下さなくとも、虐殺をつづけたあの日本人たちと何一つ変わらないではないか…そんな会社に勤務する自分に、平和を唱える資格があるのだろうか?」と考えたりして、すっかり沈んでいました。
 でも、だからこそ、武器の無い平和な世界に少しでも近づけるように、この活動を続けて行くべきなのかもしれない…今では、そう思っています。
私は、2年程前から久留米の教会に顔を出すようになりました。教会の方々と出会わなければ、きっとこんなに平和について考えること、それに準ずる活動を行うことなど一生無かったかもしれません。のんびりと自分の幸せだけを考えて生きていったでしょう…。今後もこの活動が、より多くの人に影響を与える事が出来ますように…。



2001年5月

「日本に住む者」であること

 私の通う聖和大学キリスト教学科には、フィールドワークという授業があり、その一環として3月10日から18日という日程でSCM(Student Christian Movement)の研修に参加した。私は去年の夏に「日韓青年交流キャンプ」に参加し、在日韓国・朝鮮人差別問題を身近に思ったのが、SCMへ参加するきっかけになった。このSCMは9日間のプログラムのうち、5日間が現場研修で、在日の方々が経営されている工場へ働きに行くのである。そのうちの4日間は夕食後に講師の方を招いて、発題があった。聖公会からは大阪教区の原田司祭のお話しを聞くことができた。
 私の行った工場は鉄を加工する製作所だった。仕事をしながら、社長の奥さんと話をしていて、突然尋ねられた。「何でここに来たん?」と。答えに戸惑ってしまった。「在日の人達が何を感じ、どう思って日本で暮らしてるのか知りたいなぁと思ったからです。」と言ったところ、「そんなん同じやわ〜!」と強い口調で奥さんの返事がかえってきた。私も奥さんも同じ日本に住む者。私と同じ大阪弁をしゃべり、食事も変わらない。国籍が韓国にあるか日本にあるかと言う違いだけだった。国籍が違うことが問題なのではなくて、国籍が違うからと言って、どこかで線を引いてしまうことが問題なのだと感じた。
 この研修の中で一番印象に残っているのは原田先生の発題である。原田先生は、「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世紀1:27)」この箇所に注目して、「人間とは神によって創られたものであり、みんなが神の姿をしている。そして、そこに人間としての尊厳を感じる」と話された。この発題を通して感じたことは、人間は神様によって創られたものでみんな等しいものであるということ。一人一人が、違う人間として創造され、違う人間として存在することを神様によって許されている気がする。違いを違いとして、個性として、認め合うこと、受け入れ合うことが大事なのだと感じた。
 この研修を通して、神様が私達一人一人を創ってくださったのは、その一人一人に神様の御業が行われるためではないかと思った。神様が創ってくださった人間一人一人を大事にできる働き人になりたい。今は神様がこの研修を私に用意してくださったことを本当に感謝している。

大阪教区石橋聖トマス教会 村上恵依子


2001年6月

十字架の巡礼(たび)

 10月7日〜8日に中部教区主教座聖堂で中部教区フェスティバル『平和への巡礼
(たび)in21』が開かれる。これまでの歩みを振り返り、平和な未来へ向かって
歩み出せるようにとの思いが込められたこのフェスティバルに向けて教区内でいろい
ろな準備が進められている。
 青年は8日の大礼拝で捧げる十字架を「つくり、ささげる」というかたちでフェス
ティバルに関わろうとしたが、そこに新たな1つの大きな目的が生まれた。「巡礼
(たび)すること」である。十字架が教区内の全ての教会を1主日1教会訪れ、人々
の祈りを受け、大礼拝で献げられるのである。そして青年が中心となって教会間の十
字架の移動をすることとなった。青年が各教会・伝道区での青年会、教区規模で開か
れた交流会、そして全国青年大会等で築いたネットワークを生かすことのできる場が
与えられたのである。
 2月に小布施の新生礼拝堂会衆で開かれた「冬の小さな交流会」に集った青年たち
の手によって十字架は作成され、4月1日に森主教様と共に献げた主教座聖堂での十
字架の巡礼出発式から半年間の長い巡礼が始まった。「巡礼」の様子は毎週教区事務
所から各教会へ報告書として送られている。十字架は主日礼拝だけでなく名古屋聖マ
ルコ・マタイ両教会の創立50周年記念礼拝に於いてもわたしたちと共におり、多く
の人々からの思いを受けた。
 教区内の全ての教会が教区フェスティバルを覚えて毎週代祷の中で「『教区フェス
ティバル』を迎える祈り」を、十字架と共にいる時は「『十字架の巡礼(たび)』の
祈りを献げている。
 青年たちは巡礼の資金を集めるために、宮島ユースコーディネーターの指導のもと
クッキーやパンを焼き、訪れた教会で売り始めた。夜遅くまで作業の続くマルコ教会
のキッチンにはいつしか青年だけでなく、壮年・婦人や中高生、さらには未信徒も参
加し、食卓を囲み、会話を楽しみながら交流を深めている。
 『十字架の巡礼(たび)』のキャッチフレーズは「十字架を通して、つながる・み
つめる・わかちあう」である。十字架が教会をまわることによって新たな出会いが生
まれ、一人ひとりがこの十字架の前で自分自身を省み、自分と同じようにこの十字架
に祈りを込めた仲間と分かち合うことができるようにとの願いが込められている。こ
の「巡礼」によって中部教区がフェスティバルに向けてひとつとなるようにこれから
もわたしたちと十字架の「巡礼(たび)」は続いていく。
(中部教区名古屋聖ステパノ教会信徒)

 


2001年7月

歴史歪曲教科書の検定承認撤回を求める声明

  教科書問題で、各教派・団体の青年の有志が共同して、メール等で募った多くの賛同者とともに、青年による抗議声明を発表しました。以下、その抗議文の全文です。なお、賛同者は約150名で、そのうち3分の1以上が聖公会の青年たちでした。

内閣総理大臣 小泉純一郎殿
文部科学大臣 遠山敦子殿


歴史歪曲教科書の検定承認撤回を求める声明

 4月3日、文部科学省は、「新しい歴史教科書をつくる会」が主導して編集し、扶桑社が出版する中学校の歴史と公民の教科書を検定に合格させ、二〇〇二年度からの学校教科書としての採用を認めたことを発表しました。私たちは、この事件について怒りと悲しみを覚え、問題の歴史・公民教科書の検定承認に強く抗議します。
 問題の教科書は、日本の利権拡大のための帝国主義侵略であったアジア太平洋戦争を、アジア解放のための大東亜戦争と呼んで美化し、戦争自体を肯定する立場で貫かれています。実際、朝鮮半島をはじめとする植民地支配への反省もなく、従軍慰安婦の事実も無視し、南京大虐殺の否定論を一方的に記述したりしています。
 また、神武東征の地図をそのまま掲載して神話をあたかも史実のごとく記述するなど、天皇を中心とした歴史観で歴史全体を描き出し、一方でアジアの民衆の歴史を蔑視しており、きわめて自国中心主義的な性格を持っています。
 さらに、改憲論を基調に、人権抑圧をもたらした大日本帝国憲法や教育勅語を礼讃し、国防の義務や国家への奉仕を強調しています。
 このように、問題の教科書は日本によって抑圧され、搾取されてきたアジアの民衆の記憶を逆なでするものに他なりません。過去に対する真摯な反省と反省に即した行動とがなければ真の平和が訪れないと考える私たちは、今回の検定承認を到底認めることができません。
 また、帝国主義が正当なものとして扱われる論調は、戦中のアジア諸国への直接的軍事支配だけでなく、戦後今もなお続く日本の間接的経済支配も肯定的にとらえさせ、さらに、今後の軍事行動も含めた日本のさらなる大国化への道を後押しすることにつながります。この教科書が示唆する大国化とは、他者を犠牲にしてまで自分たちだけが富と権力を得ようとする態度に他なりません。
 私たちは、こうした孤立した暴力的な関係ではなく、他者を認めて豊かさを分かち合える正義と平和に満ちた関係を望みます。したがって、こうした教科書が学校教育で用いられることをどうしても認めることはできません。
 若者・子どもたちの歴史認識を歪め、今後の日本を危険な方向へと向かわせる可能性を高めてしまった今回の検定に関する日本政府の責任はきわめて重大です。私たちは日本政府に対して、問題の歴史・公民教科書の検定承認を即刻撤回することを要請します。
  二〇〇一年五月一日
歴史歪曲教科書の検定承認撤回を求めるキリスト者青年有志一同
呼びかけ人
相原太郎(日本聖公会全国青年ネットワーク事務局)、 中村光太郎 (日本バプテスト連盟)、村瀬義史(日本基督教団)、李明生、北村成子(日本カトリック教会正義と平和協議会)、朴亜紀子(在日大韓基督教会青年会全国協議会代表)、韓守賢(在日大韓基督教会青年会全国協議会総務)、佐藤真史(学生キリスト教友愛会)、有住航(関西学院大学学生YMCA)、水谷憲(学生YMCA関西共働スタッフ)、竹内友紀(名古屋YWCA)、金一恵(日本キリスト教協議会関西青年協議会代表)、吉沢託(日本キリスト教協議会関西青年協議会事務局長)

 


2001年8月

「永田町プチ座り込み日記」

 2001年4月20日早朝5時、超教派の青年たちで「歴史教科書」の検定合格への抗議の座り込みをするため、永田町へ。国会議事堂の真後ろに到着!。でかすぎてビビりました。メンバーは全協、SCF、NCCY、聖公会で、たったの6人。少なすぎにビビりました。
 早朝、おまわりさんの気配はなっしんぐ。さっそく看板づくりに。大もめの末、「子供達に事実を!!右寄り教科書いらん」「歪曲された歴史教育、世界が糾弾!」(金さん時のパクリ)にけってー。マジックでキュッキュッキュ。にわか看板のできあがり。
 準備が整い、朝のミニ礼拝で1人、1人、口頭でお祈りをし、自分の番がまわってきた、その時。来るわ来るわ警察車両。「特2」「特4」とか書いた青の装甲バス、覆面パトカーにノーマルパトカー、中には警官がうじゃうじゃ。はっきりいってお祈りどころじゃなくなりました。一気にみんなの血の気がひく。思わず心の中で「きゃいん!」パトカーからおりてきた警官がおれの肩をたたき「ちょっといいかなー」(いいはずない。)
 礼拝後、「これは一体なんの集まりか、何の組織か、責任者は誰か、何時から何時までやるのか、あと何人来るか」と、なだれのような質問攻め。(きょわい!)なんやかんや繰り返し尋問した後「鳴り物をしたり、通行人にビラ配ったり、トラメガ使ったりしなければ、黙認します。ただし、苦情があれば、即刻退いていただくのでそのつもりで。あと、右翼がくる心配があるから気をつけて」と無責任なことを付け加えて、パトカーに戻っていきはりました。尋問が終った後も、下品な特殊車両が遠巻きに見張っていて、とても、やらしい。
 午後になって慣れてくると公安なんぞ、ただの風景の一部に。夕方には、見張っている警官に「衆議院会館のトイレって使っていいすか?」とか聞きに行く始末。人間慣れます
 きつかったのが座り込みレギュラーメンバー6人によるハンスト。おかげで、終ってから食ったラーメンが、死ぬほどおいしく感じたものです。6日間、水だけで座り続けたキム・ヨンジンさん、「アンタ、すげーわ・・」と誰もが感じていたことでしょう。
 平日なのに友達や他教派の人達がいっしょに座り込んでくれたり、がんばれファックスをくれたり痛く心がカンドー。人間不安な時ってこーゆーのがとても嬉しく感じるものですね。
 はっきりいって文部科学省や、作る会にとっちゃ痛くもかゆくもなかったであろう今回のプチ座り込み。僕らが座り来んでいたことさえ知らんでしょう。クヤシい限り。でも、よかったのは普段見えないもの、知らないことに、たくさん気づけたことや、知ったこっちゃなかったことも、知れば考え方や見方が変わるもんと感じたことです。後、いろんな人と話し、聞き、ホンマおもろかったのす。(本気でしんどかったんすが・・。)
(九州教区・福岡教会信徒) 


2001年9・10月

日韓青年交流プログラムに参加して

 8月に行われた聖公会日韓青年交流プログラムは、私にとって今年で3回目の参加。このキャンプは普通のキャンプと違い、日本語、韓国語、英語が飛び交うすごく楽しい場所です。今回は寿町と在日についてというのがテーマで、横浜・川崎を中心に行われました。
 今まで日雇い労働者についてあまり深く考えたことがなかったのですが、寿町という町を見て、感じた事は路上で生活している人たちの顔がとても明るいと思ったこと
です。自由に生きている人の顔だなぁと思いました。
 町を見学させてもらった後アルコール依存症についてのお話を聞きました。アルコール依存症の症状とそれに対する偏見について知り、何も知らなかった私が恥ずかしく感じました。そしてアルコール依存症から立ち直る事の大変さを知りました。
 今回のキャンプでは様々な教会に分かれて宿泊する日がありました。教会では暖か
い歓迎会をしていただいて、信者さんとの交流もあり、楽しいひとときを過ごすこと
ができました。
 そして在日韓国・朝鮮人についても勉強しました。今まで私は在日問題について何
も知らなかったのですが、講演を聞いて正直ショックと驚きが頭の中で渦巻いていま
した。そして未だに残っているこの根深い差別に悲しみを感じました。私の住む大阪
は在日韓国・朝鮮人の方々が多くすんでいるにもかかわらず今まで詳しい話を聞いた
ことがなかったこともショックでした。
 今回のキャンプで私が一番感じたことは先入観がどれだけ偏見をもたらすのかとい
うことでした。寿町で住む人たちにしても、在日韓国・朝鮮人の人たちにしても、私
は頭の中で勝手に想像して通り過ぎていました。もっと深く知れば見る視点も変わる
のだという事がこのキャンプで学ぶことができました。
(京都教区 岸和田復活教会 中村暖子)


2001年11月

債務帳消しを訴えて

 昨年の夏、英国教会のロジャー・ハリントン司祭をリーダーとする一行が、ジュビリー2000サイクリングキャンペーンのために、来日しました。彼らは自転車でアメリカを横断し、九州・沖縄サミットに合わせて日本では福岡から沖縄まで走りました。その数ヶ月前に、僕はこのようなことがあると聞き、自転車好きでもあったので参加をしたのです。
 なぜ彼らがサイクリングキャンペーンをしたのかというと、途上国の返済不可能な債務の帳消しをより多くの人へ訴えるためです。貧しい国では、債務返済のために教育や医療の予算が削られ、子どもや立場の弱い一般の人々のもとへしわ寄せが来ていて、国によっては、国家予算の50パーセント以上が債務返済のために使われています。債務問題の影響により1分間に13人の子どもたちが命を落としていると言われています。すでに借りたお金は返してしまっているのに、利子や通貨価値の変動により返せないほどの債務になっているのには、貸す側のやり方にも多くの問題があります。債務返済により富裕国がさらに豊かになるというのは問題でしょう。
 さて、「今年もサミットに向かってイギリスからイタリアまで走るがどうする?」とメールが届きました。英語が分からないし、知識もとぼしい、しかも海外旅行経験なし。かなり悩みました。しかし、サイクリングキャンペーンならば債務問題解決のために自分にもできることだと思い、まわりからの応援や、自分自身も彼らともう一度会いたいと思ったため一緒に参加したのでした。
 旅には、僕とは別に京都から、もう一人参加していて英語の方はかなり助けられました。イギリスを400キロ走り、フランスを縦断して、アルプス山脈を越えて、イタリアのジェノバまで約二千キロ、全23名、サポートカー2台でした。イギリスでは、クリスチャンエイドという、教会のNGOのメンバーの家に泊まらせてもらっていました。フランスからジェノバまではキャンプでした。
 途中、イギリスからフランスに渡る時、パスポートを忘れていて取りに戻り、三日後に皆とフランスで合流なんてこともありました。アルプスでは雨と寒さでとても苦しかった。サミット中のジェノバでは、しきりにヘリコプターが飛び回り、あちこちで煙が上がっていました。20万人以上がこの街に集まってきていたとも言われています。修道院のホテルに泊まっていましたが、外に出たら命の補償はないとも言われました。サミットが終わってからは、街はいつもどおりの平静を取り戻した感じでしたが、ガラス片がいたるところに散らばっていて、商店街の一部が焼失していて、車の残骸もたくさんありました。
 今回の旅は、ほんとにいろいろな体験をすることになりました。来年も債務帳消しの取り組みが進まなければ、ロジャーたちは走るでしょう。その時はまたいっしょに走れればと思っています。
(九州教区宗像聖パウロ教会/緒崎智一)


2001年12月

中部教区フェスティバルで

 2月に青年たちによって作られた十字架が、青年たちを中心にして中部教区の25教会を「巡礼」したことは、既に聖公会新聞紙上でも紹介されているのでご存じの方もいらっしゃると思います。このほかに、今回のフェスティバルでは青年たちの活躍が随所にみられたので、その報告をしたいと思います。
 まず、礼拝においては、フェスティバルの実行委員会の礼拝担当部門に数人の青年が加わりました。結果、彼らの斬新なアイデアが多数検討・実施されました。イエスが民衆の中で語り共に食事をする光景を想像し、主教座聖堂のチャンセルから聖卓を会集席の真ん中に下ろし、その聖卓を囲むように席を作りました。パンは青年たち有志が礼拝前夜に祈りをもって、静寂のうちに焼き上げられました。当日の礼拝も今までの伝統的な粛々とした礼拝諸式に始まり、だんだんと近年海外の多くの教会でも採り入れられているようなバンドによる奏楽が入り、最後は派遣を意識して増補版7番「おどりでる姿で」を手拍子とともに歌いながら信徒と教役者が一緒に礼拝堂を出ていくというもの。会衆も聖餐式に積極的に参加できる礼拝ができたと思います。
 特筆すべきもう一点として、今回のフェスティバルに中部教区の大礼拝では初めて手話通訳と要約筆記がついたことです。それぞれ、2001年の1月、3月から名古屋聖マルコ教会を会場にしてサークル活動を始め、フェスティバルで奉仕することができました。その中で、手話通訳は8割が青年たちという構成で行いました。7月から定例のサークルの中で、祈祷書や聖書を手話に通訳し、直前には合宿もし、それぞれのパートの手話を一生懸命習得しました。当日二人の聾者が礼拝に参加されていましたが、お二人とも喜んでおられました。今後、中部教区の合同礼拝に手話通訳と要約筆記が必ずつけられるようになることを願っています。ちなみに、名古屋聖マルコ教会では、毎主日の聖餐式に要約筆記がついています。
 さて、青年たち自身の「わたしたちもフェスティバルに参加したい」という意見から始まった様々な活動は、やがて多くの人を巻き込み、乱暴な言い方ですが、ある意味フェスティバルを乗っ取ってしまう勢いがありました。また、十字架の「巡礼」のスタッフたちもそれぞれの立場からお互いに率直な意見を交換していました。時には激しい言い合いになることもありましたが、それが青年たち自身がお互いに「出会う」ことにつながったとも思います。時には青年たちは自分たちの意見を真剣に「大人」たちにぶつけ、「大人」たちも真剣にその意見を聞こうとしてくれていました。こうした「真剣さ」「必死さ」が教区フェスティバルを豊かにしたのだと思います。現在の教会に欠落しているのはまさにこの点ではないでしょうか。「私にできること」を言われるのを待っている、そんな信者でいることをそろそろやめ、「私にできること」を必死に探してみませんか?
(中部教区 名古屋聖マルコ教会 下条展大)