聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年7月14日(聖霊降臨後第8主日)(2024/07/18)

チャプレン ヨナ 成成鍾司祭
「 二人 」(マルコ6:7‐13)

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十二人を呼び寄せ、
二人ずつ組にして遣わすことにされた。
(マルコ6:7)

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<マルコ6:7‐13>

そして、十二人を呼び寄せ、
二人ずつ組にして遣わすことにされた。

その際、汚れた霊に対する権能を授け、
旅には杖一本のほか何も持たず、
パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、
ただ履物は履くように、
そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。

また、こうも言われた。

「どこでも、ある家に入ったら、
その土地から旅立つときまで、
その家にとどまりなさい。

しかし、あなたがたを迎え入れず、
あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、
そこを出ていくとき、
彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」

十二人は出かけて行って、
悔い改めさせるために宣教した。

そして、多くの悪霊を追い出し、
油を塗って多くの病人をいやした。


<メッセージ>

「 二人 」


チャプレン ヨナ 成成鍾司祭

二人にはどのような意味があるのでしょうか。キリストは弟子たちを一人でも三人でもなくわざわざ二人を組みにして派遣されましたが、それはなぜでしょうか。「二人は一人よりもまさっている。二人が労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、一人がその仲間を起こす。倒れても起こす者のいない一人ぼっちの人はかわいそうだ。また、二人がいっしょに寝ると暖かいが、一人ではどうして暖かくなろう。」(コヘレトの言葉4:9‐11)確かに二人は一人より勝っています。しかし、親子であろうが夫婦であろうが二人の良さを活かすためには、両者間に求められることがあります。詩集『予言者』で知られているハリール・ジブラーン(Kahlil Gibran、1883-1931)は「結婚について」でこう詠いました。

「夫と妻、二人は共に生まれたもの。また、永遠に、共にあらねばならぬもの。たとえ、白き死の翼が、あなた方の日々を壊そうとも、共にあるもの。そう、たとえ神の静かなる記憶の中にあっても、共にあらねばならないもの。しかし、共にいるということの中にも、空間を置きなさい。天の風が、あなた方二人の間を舞い抜けられるように。お互いに愛し合いなさい。しかし、愛の絆をつくってはいけない。あなた方二人の魂の岸辺に、動く海のあることが望ましいのだから。お互いの盃を満たしなさい。しかし、ひとつの盃から飲んではいけない。お互いのパンを分ち与えなさい。しかし、同じ塊から食べてはいけない。共に歌い、踊り、楽しみ合いなさい。しかし、お互いにひとりであらねばならぬ。ちょうど、リュートの絲が、同じ楽の音にふるえても、それぞれがひとりであるように。お互いの心を与え合いなさい。しかし、お互いが心を抑えあってはいけない。大いなる生命の手だけが、あなた方の心をくるむことができるのだから。一緒に立っていよ。しかし、近よりすぎてはいけない。寺の柱も離れて立ち、樫の木も、絲杉(いとすぎ)の木も、互いの蔭の中では育たないのだから。」

愛し合う関係だからこそ求められることがあります。弦楽器のリュートの糸や寺院の柱のように互いの間に適切な間を置き、天の風が美しい音色を奏でながら二人の間を舞い抜けられるようにする、ということです。天の風のことをキリスト教では聖霊と言います。原語で「息・風」の意味を持つ聖霊は、私たちの命の根幹として今も共におられる神様のことを指します。キリストが「二人、または三人が私の名によって集っているところには、私もその中にいる」(マタイ18:20)と語られたように、聖霊は今も私たちと共におられ守り導いてくださいます。そういった意味で、すべての二人の関係においては聖霊の助けと導きが求められます。知識や経験など自分の能力だけを過信するのでも、また相手ばかりに頼るのでもなく、私たちの間に聖霊が宿れる空間を整えて神様の協力をいただくということです。まるで二人三脚になって心を合わせるように、神様を通して一つになれることだと言えましょう。すべての関係において二人は不完全ですが、神を通してのみ完全な形へと導かれます。



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