「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:11)
自分を待ち受けている十字架が地平線上に見えるイエスさまは弟子たちに話しておられる。エルサレムの神殿には己の立場ばかり守ろうとする大祭司らがいる。会堂には天のお父さまの憐みを忘れて、弱い人間が守りきれない掟を押し付けようとするファリサイ派の人もいる。あちこちで悪い羊飼い。しかし、イエスさまは良い羊飼いである。そのために天の父に派遣されたのだ。そうなれるようにと心が燃えている。この民、今までちゃんとした羊飼いがいないから弱り果て、打ちひしがれてきたこの民のために良い羊飼いとなる。でも怒り狂う狼のように人々を苦しめ悩ますサタンはおとなしく降伏するわけにはいかない。神の宝物である人間をやっつけるつもりでいる。流血に飢えている。だから良い羊飼いは羊の代わりに、ご自分の血をおささげになるのである。(司祭 ケビン・シーバー)