2001年3月25日 152号 《速報版》
日本聖公会管区事務所
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発行者 総主事 司祭 輿石 勇

 
「解離性障害(dissociative disorder)」の時代
管区事務所総主事 司祭 サムエル 輿石 勇
     
 つい最近のことですが、ある本を読んでおりまして、表題に用いました「解離性」という言葉に出会い、非常に興味を惹かれました。その本は、20世紀の最後の10年間に日本人の多くの関心を集めた、猟奇的な殺人事件の犯人であった青少年の姿を追求したものでした。結論から言えば、これらの青少年は解離性人格障害(多重人格)という病にかかっていたということになります。しかし、著者の論点は単に個人がその病にかかったというのではなく、そのような病が日本の社会そのものの病に他ならないというところにあります。

 解離性障害のひとつの特質は、他者との関係を持ちたいのに、関係を持つのを恐れることにあるようです。つまり、他者との関係で人格が傷つけられた過去の体験のために、他者との関係を持っているように見えても、本人は、傷つきやすい自分を保護(防衛)することにしか関心がないのだそうです。防衛すればするほど攻撃のエネルギーが蓄積されます。幼時からの環境に著しい変化が生じない限り、蓄積された攻撃的なエネルギーはある程度コントロールされるようです。しかし、何らかのストレスがかかりますと、そのエネルギーが奔出することになるようです。

 もう何年も前の話ですが、マイホームを建てるために母親が「ほかほか弁当」にパートに出ているので、子供が別の弁当屋で夕飯を買って食べなければならないという、笑えない笑い話がありました。母と子供が濃密な時間を持つよりも、清潔な住宅地に一戸建てのマイホームを持つことが家族の幸福だとする価値観を象徴する話です。子供が他者との関係を持ちたいのに、人格が傷つけられることを恐れて内向してしまうのは、このような価値観に縛られた親との関係で生ずると言えそうです。

 今、ある人びとが作った日本の歴史教科書の検定をめぐって、日本国内からもアジアの国ぐにからも批判の声が上がっています。それは、アジアの人びとの歴史認識と全く違うことがその教科書に書かれているからです。国際会議などの場面では終戦直後から今にいたるまで、日本の戦争責任、自分の親や祖父母の世代が近隣諸国の人びとに対して行ったことの責任を、まるで私個人が日本人の代表ででもあるかのように追及されることが起こって来ました。ことがらが何であれ、自分が責任を追求されるのはつらいことですから、他者との関係を持ちたいのに傷つけられるのが怖くて、内部にいる自分を反動的に保護したいという思いにかられる場面ではあります。現実に目をそむけて、つまり、他者と向き合わないようにして、「悪いのは私だけではなく、欧米諸国はもっと悪いことをしているのに謝りもしないではないか」とか、「悪い面もあったけど、良い面も見なければ」とでも言わないと気がすまないという気持になるのも分からないわけではありません。しかし、他者と向き合うのを避けている限り、信頼関係が成立しないばかりでなく、幼児的な自己防衛に走り、潜在的な攻撃性を蓄積させてしまうのではないでしょうか。

 「解離」という言葉には「対立」とか「分裂」という能動的なニュアンスが薄いように思います。どちらかと言えば「こぼれていく」、「緩みのために外れていく」、あるいは、「内にこもっていく」というようなニュアンスを感じます。日本では、君が代や日の丸を強制することで、何とか結合や繋がりを強化しようとする動きがあります。それは、解離がますます深刻度を深めていることを示していると言えるかも知れません。なぜならば、解離とは結合が緩んでいくことと結びついているからです。結合が堅固であれば、人は家族だとか親族、場合によっては地域あるいは国レベルの社会単位が持つ価値観を、疑うことなく、自分の価値観とすることができます。しかし、結合が緩やかになると、自分が自分なりの価値観を持つことが期待されるのですが、そのためには、人間として成熟していることが求められます。結合が緩やかになっているのに、人間が成熟できていないと、清潔な住宅地にマイホームを建てるといった、他者と横並びのイメージを自分の価値観としてしまうことになるではないでしょうか。それがまさに、解離性障害ではないかと思います。

 解離という世界の傾向を止めることはできないでしょう。だからこそ、いろいろな形で結合を強化するような動きが出て来ます。しかし、解離的な時代である今、人間にとってなくてならない結合性(associative)は、外圧ではなく、成熟した人間の自発性からこそ生じるものであるという地点から、再出発したいと思った次第です。