カテゴリー別アーカイブ: 新聞記事より

美浜原発3号機の延長認可

2016年11月17日朝日新聞掲載記事より

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原子力規制委員会は16日、運転開始から40年を迎える福井県美浜町の関西電力美浜原発3号機の運転延長を認可しました。老朽化した原発の運転延長は、福井県高浜町の関西電力高浜原発1、2号機に続き3基目になります。
「40年運転ルール」は、東京電力福島第一原子力発所の事故を教訓に、古い原発を減らす目的で2012年に法改正されたものです。しかし、廃炉が進むと電力不足になりかねないとの懸念から、規制委が認めれば1回だけ「極めて例外的に」最長20年の延長を認めるとしました。
今回の延長の認可は「極めて例外的に」の言葉を無視し、「40年運転ルール」を形骸化するものです。今後、運転延長が定着してゆくのではないかと大きな懸念を抱きます。
美浜原発は今年11月で運転開始から40年になり、規制委が認めなければ廃炉になるはずのものでした。しかし、事故が起きても原子炉容器は破損されないことが確認されたとして、延長が認められました。福島原発の事故が起きた時には、ほとんどのメディアが「崩れた安全神話」と報じたはずです。あまりにも大きな犠牲の上にある、あの教訓はどこへ消え去ったのでしょうか。
関西電力によると、地震や津波対策にかかる改修費は1,650億円に上ると試算され、その完了を2020年ごろとしています。再稼働はそれ以降になる見込みです。それでも岩根茂樹社長は「基本的には経済性があると判断している」と10月の定例会見で強調しています。
先日、日本とインドが原子力協定に署名しました。その際、日本の原子力メーカーは、福島原発の事故後、国内での新規建設が見込めない中、じかに原発を輸出する機会を得たと、大きな期待を寄せています。
この二つは同じ、経済優先、人のいのち軽視の上に成り立っています。ここではいのちが顧みられていないのです。
福島原発事故による放射線の影響などで、いまだに10万人近い福島県民が故郷から離れた場所での避難生活を強いられています。5年半余に及ぶ避難生活の長期化は、高齢者の孤立を招き、心身ともに健康が蝕まれています。自死を選んだ人さえいます。
福島第一原発事故後、人々から当たり前の日常を奪ったばかりでなく、放射能汚染の問題、汚染廃棄物の問題、廃炉の問題、何ひとつ解決することができていません。しかしながら、運転延長を認め、再稼働への道を開き、そして輸出さえも推し進めようとする大きな潮流に、私たちは黙っていてはのみ込まれてしまいます。

日本とインド原子力協定に署名

2016年11月12日朝日新聞掲載記事より

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安倍首相とインドのモディ首相は11日、日本からインドへの原発輸出を可能とする原子力協定を締結することで合意し、両首脳立会いのもと協定に署名した。被爆国であり、福島原発事故の収束もままならない日本が、核拡散防止条約(NPT)に未加盟で核兵器保有国でもあるインドへ日本からの原発輸出に道を開く事には大きな疑問も残る。インドが核実験を再開すれば協力を停止することになっているとは言え、この協定の署名は日本経済の実利を優先した選択であり「核兵器のない世界」を目指すというアピールも説得性を失いつつある(原発問題プロジェクト委員/尾関敏明)

 

「富岡に廃炉実験施設」を計画

(2016年11月9日福島民報掲載記事より)

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JAEAは来年度、溶融燃料(燃料デブリ)の発生した状況を把握するための実験施設を富岡に設置するようです。国はその整備費用として約15億円の予算を盛り込んだとのこと。多額な税金が使われます。

ベラルーシの今と福島の未来

(2016年8月13・14・15日福島民報新聞掲載記事より)

震災と原発事故から5年が過ぎ、避難区域の解除が相次ぎ復興が急速に進んでいますが、今も放射能を忘れることが出来ない生活が続いています。なかでも、こうした環境で多感な時期を過ごす子ども達への対応は、一刻も早く整えなくてはならない事だと思います。

チェルノブイリ原発事故により培った経験と知識、そして放射能に汚染された区域の今を学ぶために、現地を訪れる視察事業が福島県で生まれています。

視察事業のひとつである「福島子どもの未来を考える会」では、福島の中高生を対象にベラルーシの首都であるミンスクのキャンプ施設に宿泊しながら、文化活動やスポーツを通じた交流活動を行っています。今年の夏休みはベラルーシにある国立子ども教育保養施設「ズブリョノスク」に10日間滞在しました。
ベラルーシでは、チェルノブイリ原発事故後子ども達の健康のために、国による保養施設が作られました。施設は国内に14カ所あり、子ども達は毎年好きな場所を選んで利用しています。汚染区域に住む幼児から高校生は無料です。
「ズブリョノスク」には、松葉のエキスを使った手足のジェットバスやマッサージ機、アロマセラピー室などの設備が揃っており、滞在した福島の子ども達も積極的に活用し心身共にリフレッシュしました。また、施設内には18世紀末から19世紀初め頃までの農民の生活を伝える博物館が併設されています。そのほかにもわら細工や刺しゅうなどの伝統工芸を教わる施設も充実しており、故郷の文化や歴史を学ぶ事が出来ます。自国の文化を誇りに思っているベラルーシの子ども達の姿を見て、福島の子ども達も故郷への関心を高めたようです。

原発事故以降、福島県内でも子どもたちの健康を考え、線量の低い地域で夏休みなどを過ごす、一時保養事業が様々な団体により行われています。原発問題プロジェクトでもリフレッシュプログラムを行っていますが、放射線量の低い安全な場所で思う存分外遊びを満喫している子どもたちの表情は本当に活き活きとしており、その効果を実感しています。福島で育つ全ての子ども達のために、ベラルーシのような保養施設や、統一したプログラムが一日も早く出来ることを願っています。

老朽原発美浜3号機「適合」 規制委運転40年超3基目

(2016年8月4日朝日新聞・福島民報新聞・赤旗新聞掲載記事より)

運転開始から2016年12月で40年になる関西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)について、原子力規制委員会が延長認可の前提となる審査書案を了承しました。あと二つの認可で、最長で20年寿命を延ばすことが出来ます。

『40年を超える古い原発は、不測の事故を予防するためにも閉じていく』という法律の趣旨に基づき、延長はあくまで例外だったはずです。それにもかかわらず2016年6月、稼働から40年超の高浜原発1、2号機(福井県)の延長が決まりました。立て続けに美浜3号機も認めるのでしょうか?

美浜3号機には、固有の問題も少なくありません。まず原子炉が断層の近くにあるため、規制委は地震の揺れ想定について、関電が当初考えていた基準値より1.3倍大きい値に引き上げました。基準値の見直しに伴い、新たな安全対策に時間を要するとする関電からの要請を受け、規制委は重要設備の耐震性の最終確認について先送りを認めました。これは高浜1・2号機でも適用された手法ですが、本来は先に確認しておくべきです。
また、関電は美浜1、2号機については廃炉を決めました。3号機だけ運転延長を申請したのは、原発と共に歩んできた地元自治体への配慮に加え、出力が比較的大きく、追加対策にお金をかけても採算がとれるとにらんだからです。ここでもやはり、これまで脱原発が進まない原因となってきた、原発に依存する地方の問題や、電力会社の経済優先の構造が透けて見えます。


 

福島第一原発事故により故郷や生業を奪われた人々の苦しみは、今もなお続いています。ひとたび原発事故が起こり放射能に汚染されてしまうと、二度と元の環境に戻せないことは、今の福島を見れば明らかです。除染では限界があり、いくら汚染土を剥がしアスファルト上を洗浄しても、しばらくすれば再び放射線量は上昇してきます。私が住む福島県郡山市内の公園や通学路では、子どもたちが今日も無邪気に歩き、一見平穏な日常が戻っているように見えます。しかし、実際は様々な所にホットスポットが点在しており、親から被ばくを避けるために土や植物に触れることを禁止されていたり、外遊びを制限されていたりするのです。親たちは、子どもが将来健康を損なうことや、差別を受けることへの不安を胸の内に秘めています。ここでは、そうしたことを気軽に話し合うことも出来ません。放射能への不安を見せれば、人間関係を壊しかねないからです。人が人らしく活き活きと生きる自由を、放射能汚染により奪われているのです。

5年前、日本中の人々が放射能の恐ろしさを実感し、何が本当に大切であるかを改めて考え直したことと思います。原子力規制委では福島第一原発事故から得た教訓を基に、『原子力の安全には終わりはなく、常により高いレベルのものを目指し続けていく必要がある』と新規制基準を定めました。それが今経済を優先し、ないがしろにされつつあります。

毎日当たり前のように使っている電気について、どこからきているか意識されているでしょうか?私たちには、電力会社の選択の自由もあります。美しい自然や、平穏な生活が、国のエネルギー政策次第で脅かされるかもしれません。原発事故を二度と起こさないために、まずは一人一人が日本のエネルギー政策に関わっている自覚を持つことが、大切なのではないかと思います。

自主避難者3割超が来春後の住居「未定」

(2016年7月30日朝日新聞・2016年8月2日福島民報新聞・8月3日朝日新聞掲載記事より)2016年8月3日朝日

東京電力福島第一原発事故で出されていた「避難指示」が相次いで解除されています。政府は2017年3月末までに、放射線量の高い「帰還困難区域」以外を解除する方針です。2020年の東京五輪を「復興五輪」と位置づけ、世界に復興をアピールしようというねらいもあります。これまでの避難解除に伴い、約2万人が事故前に暮らしていた土地に戻れるようになりました。しかし、実際に戻ったのはわずか5%ほどです。避難生活が長引いた事で、避難先で仕事を得たり、学校に通うようになったり、そこでの生活になじんだ人が多いのです。5年間は“避難”というには長過ぎるという事でしょう。また、放射線への不安のほか、商店や病院の再開もわずかなため、若い人ほど戻る事が難しい環境です。

一方で、東電や政府は賠償や生活支援を打ち切り始めています。
政府からの避難指示を受けずに避難した自主避難者について、福島県などの自治体は「災害救助法」に基づき、県内外の民間アパートを借り上げ、無償で提供しています。福島県ではその住宅供与を、2017年3月をもって終了する事としており、自主避難者は地元に帰還するか、自費で自主避難を続けるか決断を迫られています。

2016年8月2日福島民報東日本大震災と原発事故に伴い福島県外に避難している福島県民(自主避難者を含む)は2016年7月14日現在で、4万982人います。ちなみに福島県内に避難しているのは2016年8月1日現在、4万7922人。避難先不明者は20人で、県内外合わせた避難者数は8万8924人にのぼります。
2016年7月30日朝日

福島県内外の自主避難者に対して、福島県などが戸別訪問したところ、面会できた5190世帯のうち、2017年4月以降の住居が「未定」と答えたのは1693世帯(32.6%)に上ることが分かりました。

自主避難者の中には放射線被ばくから身を守るために着の身着のままで避難してきた母子だけの世帯も多く、住宅支援の打ち切りは深刻な問題です。多くの自主避難者は二重生活の過酷さのみならず、心ない差別や偏見にもさらされています。


 

福島で子育てに関わる人たちは、今も様々な不安や葛藤を抱えています。年月の経過と共に、福島で暮らす人々が放射能について話題にする事はますます少なくなってきました。それは、福島で生きていく事を選んだからには、消えることのない放射能の問題は受け入れざるを得ない事だからです。しかし放射線量は場所によっては今だ高いままであり、放射能の問題はよりタブーとなっていると言えます。
放射能を全く気にしていない人もいれば、自分に出来る範囲で被ばく対策をしている人もおり、各々が放射能に対し自分なりの基準を定めて生活しています。

もう心配いらないという報道、危険だという見解、どちらも溢れています。今、福島へ戻るか迷っている福島県外へ自主避難されている方には、徹底的に情報を収集し、出来る事なら自分の目や足を使い現地を訪れ、福島へ戻るリスクとメリットを明確に把握し悔いのない選択をされる事を願っています。

そしてあらたな生活を始める自主避難者に対し、政府や自治体は様々な方向から支援していかなくてはならないと思います。

福島県2巡目の子ども甲状腺検査 がん確定30人に・前回から14人増える

(2016年6月7日福島民報新聞掲載記事より)2016年6月7日民報新聞

東京電力福島第一原発事故を受け、2014年4月に始まった2巡目の子どもの甲状腺検査(本格調査)で、2016年3月末までに甲状腺がんと確定したのは30人となり、前回公表(2015年12月末現在)の16人から14人増えました。

県民調査検討委座長は子どもたちの中でも放射線の影響を比較的受けやすい若い年齢層に多く発症してない状況などを踏まえ「現時点で放射線の影響は考えにくい」とする見解を改めて示しました。

しかし、検査結果【表①】を見てみると『悪性、悪性疑いの割合』が福島第一原発周辺の避難区域となっている自治体や、福島市や郡山市など空間放射線量の高い地域に比例している事が分かります。表①この結果から、原発事故との因果関係を疑わざるを得ませんが、一部の専門家の間では依然として否定する態度に変わりはありません。

原発事故後、福島県では甲状腺がんと診断された、およそ130人の子どもたちが既に手術を受けています。その7割以上にリンパ節転移があり、その内の7割は1センチ以上の腫瘍で、肺転移している例もあります。このことから進行の早いがんである事が分かり、手術は早すぎると決して言えません。

もし仮に、一部の専門家が主張するように、「過剰診断」によるがんの多数診断で不必要な手術を受けてしまうようなケースが万一出た場合には、手術を受けた本人やその家族へ長期に及ぶケアや然るべき補償をするべきだと思います。

定期的な甲状腺検査を強いられる子ども達やその保護者は、一時もその不安やストレスを忘れて日々を過ごすことはできません。

真実に目を向けようとしないどころか、隠蔽しようとさえするような大人の都合で犠牲となり、翻弄される子どもたちが今後増えていく事のないよう、私たちは、真の情報を得る努力をし続けなければならないのではないでしょうか。

 

甲状腺検査
1巡目の先行検査は原発事故当時に18歳以下だった約37万人が対象で、2巡目の本格検査は事故後1年間に生まれた子どもを加えた約38万人が対象。それぞれ1次検査は超音波を使って甲状腺のしこりの大きさや形を調べ、程度の軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定する。大きさが一定以上で「B」「C」とされれば、2次検査で血液や細胞などを詳しく調べる。

つづり始めた「悲しさ」「涙」  福島を発信し続ける詩人・和合亮一さん

(2016年3月27日朝日新聞掲載記事より)

【朝日新聞】 「3・11後、私は変わったか」をたずねた朝日新聞デジタルのアンケートでは、考え方が「変わった」と答えた方々が8割近くにのぼりました。家族や友人への思い、生きるなかで大切にする考えなど、寄せられた心の変化を紹介します。震災後、広く発信を続けている詩人と哲学者にも話を聞きました。
【朝日新聞】
「3・11後、私は変わったか」をたずねた朝日新聞デジタルのアンケートでは、考え方が「変わった」と答えた方々が8割近くにのぼりました。家族や友人への思い、生きるなかで大切にする考えなど、寄せられた心の変化を紹介します。震災後、広く発信を続けている詩人と哲学者にも話を聞きました。

福島県の高校教諭の傍ら詩作活動を行っている、和合亮一さん。
生まれも育ちも福島で、東日本大震災の被災者でもあります。
福島で生きる者の想いを言葉の力で発信してきた和合さんが、震災から5年が経過した今想う事にとても共感しましたので、紹介したいと思います。

『原発事故が起きた後、福島は人が住めない場所として閉ざされてしまうのではないかと絶望的な気持ちになりました。でも、最後まで福島に残ってやろうと思いました。「放射能が降っています。静かな夜です」という詩も、そのとき生まれました。

震災で、自分の中の何かが崩壊しました。世の中の不条理を問いたくて二十数年の間、自分なりに必死に詩を書いてきたが、何の役にも立たなかった。目の前が不条理の世界そのものになり、頭で考えたイメージでは何も語れない。日常ってこんなにもろいんだ、と震撼(しんかん)させられました。

「分かる人だけ分かってくれればいい」と詩を書いてきましたが、「多くの人に伝えたい」と考えが変わりました。目の前の不条理をありのまま表現し、原発事故後の世界を多くの人に知ってほしい。福島で起きていることは社会全体の問題だし、個人の人生や暮らしに関わる問題でもあります。だから言葉を分かりやすくして、「悲しさ」とか「涙」とか、以前は絶対に書かなかった言葉を使うようになりました。

被災地の人々の心には、いまも福島に点在する汚染土の黒い袋のように、置き去りにされた黒いものが積み上がっている気がします。それは詩を読むことで吐き出せることがあります。読者の手紙に「自分の悔しさや悲しみを詩を読むことで分かり、涙が出た」とありました。形にして吐き出さないと、心に他のものが入る隙間が生まれません。不安や恐れ、悲しみを形にして広く共有するため、音楽や演劇の活動も続けています。

同じ調子で同じことしか語れないと、古びて風化していく。新鮮な、これまでにない言葉で震災を語れば、世の中が「震災をもう一回考えてみよう」となるのではないか。多くの人に被災地を見てもらいたいんですが、「観光」に代わる言葉が必要です。

復興という言葉が私には乱暴に聞こえます。加速や成果を求められ、片付けられてしまう気がする。福島では10万人が避難し、津波で家をさらわれた子どもたちは最近やっと海に行けるようになってきました。今の福島の人たちの心を伝える言葉を見つけたいと日々考えています。』


 

福島で暮らす事を選択したからには、放射能はどこかで折り合いをつけて受け入れざるを得ない問題です。どうにもならない現実の中で、年々放射能について話題にする事が難しくなっており、行き場の無い想いは自分でも気がつかないうちに、心の中に少しづつ降り積もっていきます。
そうした心の中に溜まっている澱のようなものは、何らかの形で吐き出し、誰かに理解して貰う事で浄化されていくのを、私自身感じています。

四国電力が伊方1号機の廃炉を決定

(2016年3月26日福島民報新聞・赤旗新聞掲載記事より)

 

四国電力は2016年3月25日、運転開始から来年で40年になる伊方原発1号機(愛媛県伊方町)を5月に廃炉にする方針を決め、経済産業省に届け出ました。地元からは「廃炉判断はあまりにも遅い。2、3号機も廃炉にすべきだ」と声が上がっています。

運転を延長するには、40年になる1年前の9月までに原子力規制委員会に申請する必要があります。四国電は1号機の再稼働を検討してきましたが、伊方1号機は出力56・6万キロワットと出力が比較的小さく、その前提となる対策の工事費負担が1700億円超に上ることを考慮し、運転延長を断念しました。東京電力福島第1原発事故後、原発の運転期間を原則40年と定めた国のルールに基づき、廃炉となる原発は昨春の5基と合わせ6基目となります。

政府が掲げる望ましい電源構成(ベストミックス)では、2030年度に原子力で電源の20~22%をまかなう事を目指しており、原発が30基程度稼働している必要があります。しかし、巨額の安全対策費用が再稼働の重荷となっており、実現が厳しくなるかもしれません。

一方、四国電は同3号機について、原子炉起動前の最終手続きとなる使用前検査を同日、原子力規制委員会に申請しました。3号機は昨年7月、再稼働の前提となる新規制基準に「適合」しており、四国電は今年7月下旬の運転再開をねらっています。同社は2号機の再稼働を検討しています。

国は福島第1原発事故後に、原子炉等規制法を改定し、原発の運転期間を原則40年とし、最長20年の延長を容認。延長には電源ケーブルの難燃加工などの対策を行った上で、新規制基準に基づく原子力規制委の審査を終える必要があります。

原発の機器や設備は、高温、高圧の過酷な環境で使われ、振動による金属疲労や、熱疲労で壊れやすくなります。しかも伊方原発の近くには、日本最大級の活断層「中央構造線」が走っています。運転開始から40年になる伊方原発1号機の廃炉は当然です。
しかし、四国電力が伊方原発1号機の廃炉を決めたのは、動かし続けるためにかかる費用が生み出す利益よりも大きいからという経営優先の考えからであり、安全を重視したためではありません。3号機は、国の新規制基準に「合格」したからと7月にも再稼働しようとしています。

住民の訴えを認め、再稼働したばかりの関西電力高浜3、4号機の運転停止を決定した大津地裁は、再稼働を認めた国の新規制基準について東京電力福島第1原発事故を踏まえて形成されたのに、事故の原因究明は道半ばだと指摘しました。そのような状況で、3号機の再稼働など論外です。3号機を含め、全基を廃炉にすべきです。

チェルノブイリ原発事故から30年 遠い廃炉

(2016年3月25日朝日新聞掲載記事より)

(2016年3月25日朝日新聞) 史上最悪の原発事故から来月で30年を迎えるウクライナのチェルノブイリ原発で23日、建設の進む「新シェルター」が報道陣に公開された。事故で爆発した4号機をコンクリートで覆った「石棺」の老朽化がひどく、巨大なかまぼこ形の新シェルターで石棺を丸ごと覆って放射性物質の飛散を防ぐ計画。年内にもレールで移動さログイン前の続きせ、ようやく廃炉作業の準備にたどりつく。 資金を拠出している欧州復興開発銀行(EBRD)が各国メディアに公開した。新シェルターは2012年に本格着工。鋼材などでつくられ、高さ109メートル、幅257メートル、長さ162メートル。建造には最終的に15億ユーロ(約2千億円)かかる見込み。 4号機は1986年4月26日、試験運転中に爆発。火災も起き、10日間で東京電力福島第一原発事故の約6倍の放射性物質を放出した。周辺は今も立ち入りが制限されている。 新シェルターは、地震や竜巻にも耐えるように設計され、今後100年間の封じ込めをめざす。ただ、石棺の解体など廃炉作業の具体的なめどはたっておらず、維持管理の資金面でも不安が残る。
(2016年3月25日朝日新聞)
史上最悪の原発事故から来月で30年を迎えるウクライナのチェルノブイリ原発で2016年3月23日、建設の進む「新シェルター」が報道陣に公開されました。
資金を拠出している欧州復興開発銀行(EBRD)が各国メディアに公開しました。 新シェルターは、今後100年間の封じ込めをめざします。ただ、石棺の解体など廃炉作業の具体的なめどはたっておらず、維持管理の資金面でも不安が残ります。

史上最悪の原発事故から来月で30年を迎えるチェルノブイリ原発で、建設の進む「新シェルター」が報道陣に公開されました。

チェルノブイリ原発4号機は1986年4月26日、試験運転中に爆発しました。火災も起き、10日間で東京電力福島第一原発事故の約6倍の放射性物質を放出しました。直後の消火活動で30人以上が死亡し、周辺は今も立ち入りが制限されています。

その後4号機は石棺で封印されていましたが、老朽化による一部の壁や屋根の崩壊が始まっており、再び放射性物質が漏れ出そうとしています。そのため、巨大なかまぼこ形の「新シェルター」で石棺を丸ごと覆って放射性物質の飛散を防ぐ計画です。年内にもレールで移動させ、ようやく廃炉作業の準備にたどりつきます。

新シェルターは2012年に本格着工し、建造には最終的に15億ユーロ(約2千億円)かかる見込みです。地震や竜巻にも耐えるように設計され、今後100年間の封じ込めを目指しています。ただ、石棺の解体など廃炉作業の具体的なめどはたっておらず、維持管理の資金面でも不安が残っています。また、放射能による汚染は半減期から考えると1,000年は消えず、シェルターを10回は作る事になります

廃炉への道のりは険しく、その終わりは見えません。


 

一方、福島第一原発の廃炉には40年かかると言われていますが、果たして本当に可能なのでしょうか?

元京都大原子炉実験所助教の小出裕章氏は、『最も重要なのは溶け落ちた核燃料をどうやって取り出すかだが、人もロボットも近づけず、状況がまったく把握できていない。最終的にはチェルノブイリのように石棺で封じ込めるしか手がないのでは』と述べています。(2015年12月9日中日新聞より)

廃炉までにかかる時間や費用、労力はあまりにも果てしなく、まるで予想が尽きません。

今、政府は福島原発周辺立地自治体の避難区域解除を進めていますが、帰還を選択するのは主に高齢者であり、若者はほとんど戻りません。廃炉が終わる頃には無人化しているのではないか、と懸念する声も上がっています。

今も福島で暮らす私は、放射能がどれほど人の心を傷つけ苦しめるのか、震災以降目の当たりにしてきました。

原発事故を風化させないために、1人でも多くの人に原発の問題に興味を持って欲しいー。そしてこの地を訪れ、報道されない福島の『今』を知って貰える事を願っています。