カテゴリー別アーカイブ: スタッフから

原発事故後から異常な成長を見せる植物

 

当プロジェクトの事務所に隣接されている駐車場に、福島原発事故後異常な成長を見せる楓の木と朝顔があります。楓の木は事故直後除染のため幹を残して伐採されたものです。
2年前に種を植えた朝顔はその後手を加えていませんが毎年芽を出しています。葉の形と大きさが様々に混在し、密集しています。昨年同様、今年もほとんど花を付けませんでした。

土壌の計測値

 

根本の土壌部分は除染をしていなく、2015年8月12日に計測した線量は、1.03μ㏜/hありました。

 

 

 


2015年8月12日、伐採した朝顔の葉と楓の葉を郡山市保健所健康管理課へ持参し、放射能測定して頂きました。
右の資料がその測定結果書です。

朝顔楓測定結果

下記の内容が、計測した担当者より受けた説明です。

『今回計測した放射性セシウム134と137は自然界には存在せず、人口のものである。放射性セシウム134は半減期2年、放射性セシウム137は30年である。
放射性セシウム134が検出された場合、半減期から考えるとチェルノブイリ原発事故や核実験の影響からとは考えられず、福島原発事故が由来だと思わる。また、半減期から放射性セシウム134と137の比率は3:10であり、朝顔の葉から放射性セシウム137が1kgあたり12.2ベクレル検出されたことから、放射性セシウム134は1㎏あたり約4ベクレルで、検出限界値を下回るため不検出となったことが想定される。
ちなみに今回の朝顔の葉と楓の葉は伐採後洗浄していないため、検出された値が表面についた放射性物質か土壌から取り込んだものなのかは定かではない。
また、空間線量計を計測対象物の付近に置いた場合、8,000ベクレル/kg程度以上でなければ反応しないので、今回の朝顔の葉から検出された放射線量では空間線量計は反応しないと思われる。』

因みに、昨年も同様な現象が見られました。

▲約16㎝ある巨大化し様々な形の朝顔の葉(2014年9月8日撮影)

朝顔と楓の葉(2014年撮影)

 

【右】通常の大きさの楓の葉
【左】巨大化した楓の葉

(2014年8月11日撮影)

 

福島では、ニュースやラジオ、新聞で毎日必ず県内各地点での空間放射線量や、福島第一原子力発電所近傍の海水のモニタリング結果が報道されています。

海水のモニタリング結果では『セシウム134、137はND(=不検出)』と発表されますが、これは放射性物質がゼロであったという意味ではなく、測定器の性能などの関係で放射性物質を検出できる限界以下になっているという意味で用いられています。ですから、検出せずと報道があっても、『=安全』とは言い切れないので注意が必要です。

また、郡山市が発表している2015年7月時点の市内の平均空間放射線量は0.10~0.20μ㏜/hとなっていますが、スタッフがガイガーカウンターで計測すると1μ㏜/hを超える場所が複数あります。公的に発表されている空間放射線量が低いからと安心することは危険だと言えます。

目に見えない放射線について捉え方も人それぞれであり、安心させるような情報を日々受けていると、実際に生活していて感じる違和感を打ち消そうとする心が働きがちです。
しかしその小さな違和感こそが、大きな問題の前兆であるのかもしれません。
今後も日々の生活から気が付いたことを主観的なものだからと流さず、丁寧に拾い上げて、このサイトで発信していきたいと思います。

あたたかさに触れて

リフレッシュプログラムの一環である『沖縄ホームステイ』に参加していたセントポール幼稚園の園児を持つご家族が、本日旅行のご報告に事務所を訪ねてくれました。

出発前は、皆様初めての沖縄旅行とのことで、少し戸惑いや不安がある様子でした。このプログラム『沖縄ホームステイ』は、沖縄の幼稚園の先生のご自宅にホームステイをするか、もしくは教会に宿泊し、自由行動が基本です。今回始めての試みとなるなか、皆様に楽しんで頂けるか郡山と沖縄のスタッフ共々心配していました。
そんななか、旅行から無事帰ってこられたご家族から『沖縄の人のあたたかさに感激し、今も熱がまだ冷めません。来年も是非また行きたいです』と感想を頂けたのは、私たちスタッフにとって喜びもひとしおでした。

素敵なお土産まで頂き、事務所に飾りスタッフ共々あたたかな気持ち、そして沖縄の雰囲気に包まれたのでした。

沖縄おみやげ

放射線測定器を借りてきて思う事

福島県郡山市役所では震災後より郡山市民を対象に、電子積算線量計を1か月間、ガイガーカウンターは1週間希望者に無料で貸出するサービスを実施しています。
私も昨日(2015年7月28日)郡山市役所へ行き、初めて借りて来ました。
電子積算線量計は電源を入れてから電池が切れるまで、1時間あたりに受ける放射線量が常に表示されています。貸出窓口の係員から、電子積算線量計については1ヶ月間毎日、表示された測定値とその日の屋内・屋外活動時間を記録するようにと説明を受けました。1ヶ月後貸出窓口へ電子積算線量計を返却する際に、記録した1か月間の積算線量から1年間の放射線量を推計し、予想される年間積算放射線量をその場で教えて頂けるとのことでした。

震災後、郡山市から郡山セントポール幼稚園に電子積算量計の提供があり、園児全員に配布しました。今は全園児の約半数が身につけて登園しており、幼稚園内では園児の持参した電子積算量計をかごにひとまとめに入れておき、部屋を移動する際にはかごを持って移動するようにしています。

(2015年7月29日福島民報新聞掲載記事より)

建屋カバー撤去始まる
建屋カバー撤去始まる

福島第一原発1号機では2015年7月28日から、原子炉建屋カバーの解体作業を始めました。本来この作業は2年前に始める予定でしたが、工事のトラブルなどで遅れが生じていました。建屋カバーを外すことにより放射性物質の飛散が起こり、空間線量が上がるのではと福島で暮らす方々から不安の声が聞こえています。県外に住む私の家族からも、建屋カバー解体作業予定の報道があるたびに、外出を控えるよう連絡が来ます。
今、原発問題プロジェクト事務所の近辺の定位置で同じ時間に放射線量を毎週3回計測しているので、今回の建屋カバー撤去により空間放射線量に変化があるか、参考になればと思っています。

目に見えない放射線を常に気にしながら生活しなくてはいけない者にとって、ガイガーカウンターや積算線量計は心の拠り所となっています。私の自宅ではガイガーカウンター付の腕時計をリビングのテーブルに置きっぱなしにしていますが、原発廃炉作業のトラブルの報道があったり、大きな地震があった時など、放射線への不安が起こり、ガイガーカウンターに目が行きます。幸い我が家はマンションの4階なので、これまではいつ見ても0.07~0.09µSv/h程度で大きな変化は見られません。小さな腕時計に付いているガイガーカウンターなので、その性能についてもどの程度正確なのか定かではありませんが、私にとってはとても大きな存在となっています。

福島県郡山市には適所にモニタリングポストが設置されており、常に空間線量が表示されていますが、自分で実際にその場所でガイガーカウンターを使って計測してみると、モニタリングポストに表示されているよりもはるかに高い放射線量であることがしばしばあります。
1ヶ月後積算線量計の結果がどのようなものでも、完全に信用することは出来ないかもしれませんが、ひとつの拠り所となると思います。

積算線量計の結果は、またこのホームページでご報告させて頂きたいと思います。

ベトナム・ヨルダンへの原発輸出について

ロシアが建設する予定のニントゥアン第一原発につづいて、日本が建設する予定になっている『ベトナム ニントゥアン第二原発』。もし事故があれば、隣のカンボジアはもちろん、タイにまで影響が及びますが、予定地の人々に危険性が知らされることなく、すぐ近くに移住して生活することになっています。
原発予定地の周辺の特徴としては、ニンチュア国立公園と隣接・重複しており、絶滅危惧種のアオウミガメの生息地となっています。又、人口18万人のファンラン市が20km圏内にありますが避難計画は不明です。
ベトナムは事実上の一党独裁体制で、市民が国家事業に反対することはほぼ不可能です。既にネット上で反対を表明した人々に、暴力や不当拘束などの圧力がかかっており、国家事業ありきで計画が進行しています。

事故のリスクは工事・運転中共に高く、放射性廃棄物の処理についての見込みもたっていません。さらに福島原発事故クラスの事故が生じたときの損害賠償体制も不明です。
原発輸出は日本の経済成長のためとまで言われ、ベトナムに原発を作るための調査には、5億円の復興予算まで流用されています。現在日本政府は、税金により日本企業の原発輸出を推し進めようとしていますが、これらの公的信用付与の際、放射性廃棄物処理や事故の対応、情報公開などに関して十分な審査指針は現段階では存在していません。
福島第一原子力発電所の事故処理もままならず、避難者の将来の先行きも見えない…様々な問題を抱えても、日本政府は福島で大事故を起こした原発を維持する政策を変えていません。

広島、長崎の原爆、そして福島での原発事故を経験した日本の政府こそが、世界の脱原発をリードできるのではないでしょうか。

いっしょに歩こう!プロジェクト・パートⅡ  新たな歩みを始めました

いっしょに歩こう!プロジェクト・パートⅡ
新たな歩みを始めました

これまで「だいじに・東北」が担って来られた、がん小屋仮設に住まう人々への支援活動を、「支援センター・しんち がん小屋」として、6月から原発問題プロジェクトが引き継いでいます。

福島県相馬郡新地町谷地小屋にあった「被災者支援センター・しんち」を5月末で閉じ、同所から車で20分ほどの、杉目がんご屋仮設に支援センターを移しての再出発です。と申しましても、これまで通り松本普さんは常駐しておりますし、高木栄子さんや秦純子さんも定期的に支援センターを訪れ、水曜カフェや居宅訪問などの 諸活動を支えてくれています。

新・支援センターしんち開所にあたって/松本 普

「だいじに東北」閉所式(5月16日)では、挨拶に立った各界より、旧支援センターとの4年余に亘る歩みへの謝意と共に、《 明日への更なる協働》の熱意が表明されていました。

既にこの6月から始動している「新・支援センターしんち」の立ち位置は本質的にも実態的にも4年前のあの大震災直後から変わりようがありません。今日もセンターに集う人びとの想いに心を砕き、耳を傾けつづけること。「これからもいっしょに歩いて!!だいじにし て!!」と言う声なき声と、その想いに・・・・・・。

~支援センター しんち・がん小屋開所の集い~

6月10日 午前10:00から、開所の集いが、がんご屋仮設住宅の集会室で行われました。東北教区主教ご夫妻を初め、横浜、山形、福島からそれぞれ、中原兄、小貫兄、矢代兄も出席してくださいました。

詳しい様子は、支援センター・しんち がん小屋のブログをご覧ください。

 

 

 

 

日常の生活

放射線を計測する機械がある。手のひらにのる大きさで、ボタンを押してスイッチを入れ、数字が出る窓を何分か注視すると測定された放射線の数値が出る、という手軽で便利な仕組みになっている。測った放射線の数値が高いとか低いとかの基準は毎時0.23マイクロシーベルトという数値である(国は、1年間に受ける被ばく線量を1ミリシーベルト以下とすることと定めています。この年間1ミリシーベルトを1時間当たりに換算し、それに自然被ばく量を加えた数値が毎時0.23マイクロシーベルトとされています。この数値は、除染実施計画を策定する基準にもなっています。ただ、この数値の算出方法や基準値そのものに対しては様々な意見があり、これ以下であれば、必ずしも安全であるということは言えません)。
測定器の小窓に出た数値がこれより高いと不安になり、低いとまあほっとするという感じである。自分の生活している環境の放射線の量を測るのは正直なところ落ち込みます。それは高い数値がでると不安になるからであるし、ここで生きている者だからだと思う。じゃあ測らなければいいのにと思いつつも、やはり知りたいという気持ちが勝ってしまい、ついつい測ってしまう。数値が0.23より低いとニヤリと安堵し、数値が高いと“この道を歩いて大丈夫だろうか?”“ここにいて安全なのだろうか?”“健康に影響はいつ来るんだろうか?”といった自分自身への質問の嵐が来る。毎回いつもこんな調子である。どうしてこうなるのが判っていていながら知りたいという気持ちが勝ってしまうのだろう?
たぶん不安になるのはここで生きている者だから、そして知りたいという気持ちが勝ってしまうのはここで生きていく者だからだと思う。

たまたま測った2015年6月2日の郡山オフィスの周辺の線量の測定結果です。

◆オフィスの中・・・・・・毎時0.13マイクロシーベルト

◆セントポール会館の中・・・・・・毎時0.18マイクロシーベルト

◆オフィスの外の花壇・・・・・・毎時0.32マイクロシーベルト

◆オフィスの外のアスファルトの上・・・・・・毎時0.78マイクロシーベルト

◆オフィスの外の垣根・・・・・・毎時0.32マイクロシーベルト

◆オフィスへ向かう道の途中・・・・・・毎時0.26マイクロシーベルト

◆その手前の交差点・・・・・・毎時0.31マイクロシーベルト

(スタッフ/佐々木)

 

セントポール幼稚園「花の日」

セントポール幼稚園では、子供たちから「花の日」の感謝の気持ちがいっぱい詰まった綺麗な花束をいただきました。(スタッフ/佐々木)


※「花の日」とは・・・6月の第2週目の聖日は、日本基督教団の教会暦において定められている、花の日であり、子どもの日です。
1856年、アメリカのマサチューセッツ州チュルシイ市にある教会のレオナルド牧師の提案で、6月のある日曜日を定めて少年少女のために特別のプログラムを作り、子ども中心の集会を行ったのがはじまりです。1866年には、アメリカのメソジスト教会が年会において6月第2日曜日を「子どもの日」として教会行事に加えることを決議しました。この日は少年少女たちの宗教教育を強調する日であったそうです。同時に、一年中で最も多くの花の咲く季節であることから、信者は各々花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝後、その花を子どもたちに持たせて病院を訪問させ、病人を見舞い、また警察(派出所)や各社会施設を慰問したのだそうです。この行いは、子どもたちに奉仕と感謝を実地に学ばせるためのものでもありました。このように最初は、子どものために計画されたものが、花の日と呼ばれるようになったのです。それため、花の日は同時に子供の日として日本の教会において礼拝が守られ、定められた教会の暦となって定着していきました。

見つめることを辞めない心

この場所に住み始めて10日が過ぎようとしている。今まで住んでいた実家がある秋田県とは違い、ここ福島県郡山市は緑が多くまた散策できる公園も多い。標高も高いせいか涼しく感じられ、とても過ごしやすく、暑がりの私にとって頬に当たる風はとても心地が良い。自然の恩恵を体全体で感じることの出来るここでの生活を満喫している。先日、住民票の移動手続きの為に郡山市役所に行ってきた。住んでいるアパートから市役所まで歩いて約20分。郡山市に来て初めての仕事場所以外への移動であった。自然を楽しみながら、いつもと違う風景を楽しみながらの市役所までの散策、いつもと違うウキウキ感があった。とても大きな市役所、綺麗な建物で、まるでこれからのここでの新しい生活とダブって感じられた。住民票の移動の書類に書き込み呼ばれるのを待っていた。しばらく時間がかかった為、広く大きな庁舎内を見回していた所、見慣れないコーナーに目が止まった。それは新しく市民になった人、また市民への放射線量測定器の貸し出しのブースであった。今まで他県の市役所に行ったことがあるのだが、そこで見た光景は普通ではありえないものだ。その途端に自分の中で風化しかけていた現実に襲われた気がした。すべての問題が収束に向かっていて、今はもう心配ないと思い込んでいた自分、いや、その様に思ってしまおうと願っていた自分という表現が適切なのかもしれない。ほぼ上の空に近い状態で住民移動手続きを済ませ、市庁舎の中をよく見回した。除染情報コーナーというものだった。今までの除染への取り組み、市の放射線量マップ、食品検査の案内、放射性物質やその影響についての詳しいパンフレットが置いてあった。とても詳しく、また丁寧に書かれており、郡山市の今現在までの放射線対策が一目で判り、放射性物質の基本的知識、健康への影響、食品の放射性物質対策などの記述は不安に駆られた自分を安心させてくれるものであった。しかし、資料の膨大さに驚くと共に、まだ放射線への不安は市民の生活に深く結びついていると感じざるを得なかった。

自分の部屋に帰り、家族が持たせてくれた線量計で部屋の中、ベランダ、外の植え込み、いつも歩く道路を何気なく測ってみた。線量計を貰った時、秋田県の実家で測った数値と桁が違っていた。市役所で見てきた市内の放射線量マップの数値とも違っていた。何回測っても数値は変わらなかった。また突然なんとも表現出来ない不安に襲われた。ついさっきまで眺めていた景色が違って見えた。昨日まで普通に蛇口をひねって水を飲んでいたのが飲めなくなった。風を楽しむために開けていた窓が開けることが出来なくなった。あれだけの資料を見て安心したのにも関わらずその夜は不安で眠ることが出来なかった。

次の日、またその次の日も不安は消える事はなかった。でも、暑いと窓を開け、のどが乾いたら蛇口を捻り水を飲むようになった。全てを気にしていると生活が出来ない事に気が付いた。気持ちが参ってしまう事に気が付いた。いつもと同じ歩く道、頬に当たる風、木々のせせらぎは郡山市に来た時となんら変わりはない。変わったと言えば少しだけ、ほんの少しだけであるが、放射線の問題をここで生活する者としての視点で考え始めたという事だ。生きていく上で、どこで妥協するのかはこれから毎日自分自身を問い続ける事だろう。しかし、この放射線の影響、原発の問題、そしてこの地の現実というものを見つめ、そして見つめ続けてゆきたいと思う。             (スタッフ/佐々木康一郎)

▼郡山市役所の除染情報コーナーに置かれていたパンフレットの一部