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伊方原発3号機再稼働、愛媛県知事が同意

(2015年10月27・11月5日福島民報新聞・朝日新聞掲載記事より)

愛媛県の中村時広知事は26日、四国電力伊方原発3号機(同県伊方町)の再稼働への同意を表明しました。原発の新規制基準ができて以降、地元同意は九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)に次いで2例目となります。今後は原子力規制委員会による認可手続きや検査を経て、来年1月以降に再稼働する見通しです。

福島第一原発事故から4年が過ぎ、福島県では避難指示が出ている地域だけで今でも約7万人が避難生活を送っています。その教訓を踏まえ、原発の30km圏内は住民の避難計画を作る事を法律で義務付けました。計画づくりや避難の準備、事故時の誘導などを担うのは主に自治体です。にもかかわらず、今回再稼働の同意を得たのは原発がある自治体のみです。又、使用済み核燃料を再処理する際に出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場が、国内で確保出来ずにいる状況も依然変わりはありません。こうした課題を残したまま、手続きが進められています。

中村知事は同意に際し、安倍晋三首相から「政府の責任」との言葉を引き出しました。伊方原発は日本一細長い佐田岬半島の付け根付近にあり、過酷事故の際に住民をどう避難させるかには不安を残したままです。福島原発事故による被害を考えれば、災害対策基本法を改正するなどして避難計画策定と実行確保を国の責務として明確化する必要は明らかです。

こうした中、原子力規制委員会は2015年11月4日、機器の点検などで管理ミスが相次いでいる高速増殖炉もんじゅについて、所管する文部科学大臣に勧告を出すことを決めました。勧告では、運営主体の日本原子力研究開発機構は「不適格だ」として、代わりの運営主体を、半年をめどに示すよう文科大臣に求めています。これを示せない場合は、もんじゅの廃炉も視野に入ってきます。勧告は規制委員会が発足して初めてのことです。

福島の放射能汚染の問題に終わりは見えません。解決し難い多くの問題を抱えながら原発再稼働が進むなか、福島の惨事が再び起こらない事を願うばかりです。

運営委員長交代のお知らせ

ごあいさつを兼ねて

司祭 ヨハネ 相澤牧人

運営委員長であった野村潔司祭が逝去されたことは、大きな痛手であります。ことにこのプロジェクトに関わる者にとってはなおさらのことでした。彼の魂が、主のもとにあって安らかに憩われますことを祈り続けたいと思います。
さて、その後任として、私が指名されました。ごあいさつを兼ねて記します。
私たちキリスト者が、キリスト者として様々に考え、ものを見ていく視点の根底にあるものは「いのち」です。神さまから一人一人に与えられた一つのいのちが、いかに尊く大切なものであるか、そのことを伝え、実践していくことにあると考えています。主イエスの教えはまさにそのことを語っています。
原子力発電をその視点から見る時、ことに福島の原発事故によって、素人にもその問題が明らかになり、知らされたことを考える時、歩む道は示されているのではないかと思います。
私は、原発を再稼働することを考えている人々が言う「安全」と、いのちの尊さから考える「安全」の違いに苛立ちを感じている者です。原発から出て来る廃棄物の無害化の技術が確立されていない今、稼働すればするほど危険物をどんどん生み出しているということをどう理解するのか、ということです。ましてや電気は原発がなくても足りているという現実、そして、電気を作り出す方法は様々にあるということを思う時、そこに求められることは「決断」なのだと思います。

(横浜教区 市川聖マリヤ教会牧師)

次の園外保育が今から楽しみです。

2015年10月30日(金)にセントポール幼稚園の秋の遠足で猪苗代町の「亀ヶ城公園」に行ってきました。

この前参加した運動会では自分の体力不足を痛感しましたので、この日の散策やかけっこなどに備えて走り込みなどを重ね準備万端の私でした。
当日の郡山はほんの少しだけ肌寒く感じられましたが、太陽の光が燦々と降り注いでおり、たくさんの子ども達と楽しい時間を過ごすことを考えると体が熱くなるのが感じられ、私は半袖一枚でいました。出発前の先生たちの“寒くないですか?”という心配をよそに、気分はルンルン♪もう気持ちは亀ヶ城公園に飛んでいました。
待望の亀ヶ城公園に着くと、まずはみんなでからだをよく伸ばし、そして手足をぶるぶるさせての準備運動をしました。そして、待望のかけっこです!子どもたち全員が、先生を捕まえる「○○先生をつかまえよう」というゲームでした。先生たちは子どもたちにタッチされないように広い亀ヶ城公園の中を逃げ回ります。子どもたちは一生懸命走って先生を捕まえようとします。私自身、普段の生活の中であまり芝生の上を走ることはなく、アスファルトの上を走る時と少し勝手が違うのですが、子どもたちの前で格好悪い所は見せられません!真剣に、本当に真剣に走って逃げました。しかし、悲しいかな5分も走ると息が上がってきますし、足も絡まりそうになります。何よりも、あらゆる方向から捕まえようと追いかけてくる子どもたちの数、そしてその元気さに敢え無く降参し、捕まってしまいました。20151031亀ヶ城公園
次は、亀ヶ城公園の城跡の散策を計画していたのですが、急に天気が変わり、雨が降り出したのでやむを得ず昼食を取り、時間を早めて帰ることにしました。(わたしは事前に亀ヶ城の歴史を調べていたので残念!)

芝生の上を走るのが楽しい事、草木のにおいや吹く風から夏から秋への季節の移ろいを感じた事、山の天候が変わりやすい事、自分には今後も体力作りが必須な事、そしてセントポール幼稚園の子どもたちがいつも、とっても元気いっぱいな事を改めて感じた楽しい秋の遠足でした。
来年の亀ヶ城公園への遠足が今から楽しみです。(スタッフ/佐々木)

郡山セントポール幼稚園で『ロケットくれよん』によるミニコンサート開催

2015年11月9日、郡山セントポール幼稚園にて『ロケットくれよん』によるコンサートが行われました。
園児に大人気の『ロケットくれよん』ですが、来訪は今年で3回目となり子ども達は忘れずに覚えています。

『ロケットくれよん』のメンバーは、山口たかしさんと高田さとしさんの2人組です。
1996年にそれぞれが保育士として保育園に勤務し、子どもたちとかかわる中で子どものつぶやきにメロディーをつけ、うたやあそびうたなどのオリジナルソングをつくりはじめたそうです。
2004年9月に『ロケットくれよん』を結成し、「命と仲間の大切さ」をテーマにみんなの心がぽかぽかにあたたまるコンサートを目指して活動しています。

▼歌に合わせてからだの一部をタッチする『からだかるた』。園児とさとしお兄さんが勝負します。

まい先生も『からだかるた』に参戦し、お兄さんに勝ちました!
まい先生も『からだかるた』に参戦し、お兄さんに勝ちました!
みんなで一緒に振りつけに合わせて歌って踊り、会場が笑い声と熱気に包まれます。
みんなで一緒に振りつけに合わせて歌って踊り、会場が笑い声と熱気に包まれます。
ロケットクレヨン7
続いてはパネルシアター。ぽんぽこたぬきが何に化けたか、シルエットからみんなで当てます。
ソフトクリームだと思ったら、サンタクロースでした!
ソフトクリームだと思ったら、サンタクロースでした!

▼最後に感謝の想いを込めて、先生からクマのぬいぐるみをプレゼントしました。ぬいぐるみの首元には先生方で付けたセントポール幼稚園のロゴマークが付いています。ロケットくれよんのお二人は、とても喜んでくれました。

歌って踊って触れ合って、笑顔いっぱいの楽しいステージに、園児たちはもちろん大人も心があたたまりました。
ロケットくれよんさん、本当にどうもありがとうございました。

10月27日~28日に、主教会が行われました。

2015年10月27日(水)~28日(木)郡山聖ペテロ聖パウロ教会を会場に主教会が開催され、全教区の主教さん11名と管区事務所総主事・矢萩新一司祭が郡山に来られました。

主教会3
28日の昼食歓迎会 教会・幼稚園関係者と共に

10月29日に予定された被災地巡りに備え、前日に当プロジェクトより現在の状況と課題を、パワー・ポイントを用いて報告しました。パワー・ポイントは、主教会に先立ってスタッフが下見をした際に収集した資料を基に作成しました。

主教会4
画面に見入る主教さん方

震災から5年近く経つ現在も、郡山市内では放射能への不安を抱えながら生活している事や、仮設住居ではメンタルケアのニーズが高まっている事、福島県内の植物には放射能の影響と思われる変化が現れている事などを、具体的なデータを示しながら説明しました。

主教会6
被災地巡り 現在も全町避難が続いている富岡町にて
主教会5
支援センターがん小屋(相馬郡新地町)にて スタッフ松本晋さんと仮設にお住いの方々と共に、今も続く、それぞれの困難な状況を聴きました。
主教会1
仮設住宅にお住まいの方々と一緒に記念撮影
被災地訪問は、「被災者支援センター・しんち」跡地でのお祈りをもって終了しました。
被災地訪問は、「被災者支援センター・しんち」跡地でのお祈りをもって終了しました。

立教学院諸聖徒礼拝堂ハンドベルクワイアによるミニコンサートの贈り物

2015年10月29日、立教学院諸聖徒礼拝堂ハンドベルクワイアの皆様がセントポール幼稚園でミニコンサートを開催して下さいました。

まずは『こどもの世界』の演奏でスタートし、ハンドベルについてわかりやすく解説がありました。園児達は美しい響きと初めて見るベルに興味津々の様子で、熱心に聞き入っています。
次は園児達にハンドベルを直接触らせて貰う体験コーナーです。実際に音を出し、初めての体験に園児たちはとても嬉しそうです。

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そして最後に、立教学院の方々の美しい合唱と合わせて『小鳥たちは』と『ガリラヤの風薫る丘で』の2曲の演奏がありました。園児達も一緒に歌い、親子共々心癒さされるひとときとなりました。

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ミニコンサート終了後、立教学院諸聖徒礼拝堂ハンドベルクワイアの皆様のご希望により、福島の現状を知りたいとの事から『原発と放射能に関する特別問題プロジェクト』によるプレゼンテーションを実施しました。
この日ちょうど関東からお越し頂いたBSA(日本聖徒アンデレ同胞会)の方々も、是非一緒に聞きたいとの事で同席して頂きました。

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福島原発事故による影響がどのようなものであり、ここ郡山市では現在も放射能によるストレスを感じながら生活している事についてお話し、皆様真剣に耳を傾けて下さいました。

福島原発事故当時まだ未成年であった大学生にとっては、初めて知るような内容も多かったかもしれません。又、東京に住んでいると、日常で放射能について意識する事も少ないでしょう。今回の郡山への訪問が、これから未来を担っていく若者にとって、原発について問題意識を持つきっかけとなってくれる事を願っています。

 

福島第一原発の廃炉作業に伴う廃棄物が2017年3月に構内での保管容量を超える見通し

(2015年10月5日福島民報新聞掲載記事より)2015年10月5日民報新聞掲載記事より

 

東京電力福島第一原発の廃炉作業で発生するがれきなどの廃棄物が2017年3月、構内での保管容量を超える見通しとなり、東電は早急な対策に迫られています。8月末現在の保管量は限度量の約半分となりました。
構内には汚染水タンクが林立しており、貯蔵庫と廃棄物を減容化する焼却炉を設ける敷地の確保は困難な状況です。
放射性物質の付着した廃棄物を構外に運び出すのに法的な制約はありません。東電は外部に持ち出した上で建設資材として再利用する案を検討しています。しかし、原発事故で発生した廃棄物のリサイクルには、業者や一般市民の抵抗感が根強いとの見方も示し、「現状では構内に保管する方法が現実的だ」としています。

原子力規制委員会は専門委員会を設け、廃棄物の建設素材としての再利用を念頭に協議を開始する予定です。

日本より先に「廃炉の時代」に入っている欧米の主要国では低レベル放射性廃棄物の処分地がすでに決まり、埋設処分が進んでいます。
福井県などの資料によると、2014年8月に米国では全127基中、27基の廃炉が決定し、うち10基で廃炉が完了しました。解体で出た低レベル放射性廃棄物は、ユタ州やテキサス州など国内4か所に整備された広大な処分場に埋設されています。
「脱原発」を進めるドイツでは全32基中、7割の23基の廃炉が決まり、稼働中の9基も2022年までに運転を終える予定です。同時期に大量の廃棄物が出る見通しですが、処分責任を電力会社が負う日本とは異なり、国が責任を負い、処分場の建設を進めてきました。
又、最終処分地を決めているのは、世界でフィンランドとスウェーデンだけです。スウェーデンの廃棄物管理会社(SKB)の広報担当者は、「30年のリサーチを要した」と述べています。国内のあらゆる場所を調べ、地震から次の氷河期まで可能性のあるすべてのシナリオを考慮にいれた、とドイツ国際放送Deutsche Welleが報じています。

日本でもこれから原発の廃炉が進む中、廃棄場の問題について電力会社任せにする事には限界が見えおり、国が主導となり決めざるを得ないでしょう。その場合、東京で使う電力を福島の原発で発電していたように、災害の危険性が低く自然豊かな地方が犠牲となるのではないかと不安を感じています。
又、政府はごくレベルの低い放射性廃棄物は放射性廃棄物とせず、一般ごみとして処分してかまわないとする「クリアランスレベルの設定」をしました。これにより放射性廃棄物が再利用され私たちの生活環境へ入り込む事となりましたが、どのような影響をもたらすのかは定かではありません。(参考:河田昌東氏による連載より http://www.chernobyl-chubu-jp.org/_userdata/kawata42.pdf

豊かさを求め続けてきた資本主義の影である原発のツケを、私たちの子孫が支払わされる未来はどのような世界なのでしょうか。福島原発事故を礎として、これまでの価値観を変えていかなくてはいけない事を忘れてはならないと思います。

福島第一原発事故後に元作業員が被ばくし白血病、労災初認定

(2015年10月21日福島民報新聞、10月21日朝日新聞掲載記事より)

厚生労働省は20日、東京電力福島第一原発事故後の作業に従事し、白血病になった元作業員に、労災を認定したと発表しました。原発事故への対応に伴う被ばくと疾病に一定の因果関係があるとして労災が認められたのは初めてとなります。

労災が認められたのは北九州市在住の男性(41)。男性によると、2012年から13年まで、東京電力の協力企業の作業員として、3号機や4号機周辺で、構造物の設置や溶接の作業に当たり、14年1月に急性骨髄性白血病と診断されました。累積の被ばく線量は福島第一原発で約16ミリシーベルト、定期点検の工事で12年に約3カ月間働いた九州電力玄海原発で約4ミリでした。

放射線被ばくによる白血病の労災は、年間5ミリシーベルトを被ばくし、被ばくから少なくとも1年を超えてから発症した場合について、業務以外の要因が明らかでなければ認定するとの基準があります。

公益財団法人放射線影響協会の原発作業員の疫学調査などによると、90年度から09年度までに累積被ばく量が10ミリ以上で白血病で死亡した人が34人いました。100ミリ以上被ばくした後に胃や肺などの固形がんで死亡した作業員も60人以上います。

福島原発事故後に作業に当たり、累計被ばく量が5ミリシーベルトを超えた人は8月末で2万人以上おり、今後も増え続けるでしょう。労災認定に必要な被ばく量や健康状態の把握は万全とは言えず、申請も容易ではありません。

一方、被ばくした一般住民ががんを発症しても治療費や休業補償が支払われる仕組みはありません。福島県民約46万人を調べた外部被ばくの推計調査では、事故後4カ月間で5ミリ以上被ばくした人が原発作業員ら以外に約950人いました。

原発作業員の被ばく管理に詳しい阪南中央病院(大阪府)の村田三郎・副院長は「作業員は十分とはいえないにせよ放射線防護対策をとった上で被ばくし、被ばく線量も管理されている。一般住民は無防備な状態で被ばくして、線量管理もされていない。作業員の目安より低い線量で治療費や休業補償が受けられる枠組みを作るべきだ」と訴えています。

福島県で暮らす人にとって、放射能にまつわる不安の大部分は、将来の健康に対する事だと思います。原発作業員はもちろん、一般住民に対しても、被ばくから受ける健康への補償制度を国で確立することなく進める原発の再稼働など、あり得ない事だと思います。

2015年のノーベル文学賞に「チェルノブイリの祈り」スベトラーナ・アレクシェービッチさん受賞

(2015年10月9日福島民報新聞、10月9日・14日朝日新聞掲載記事より)

2015年のノーベル文学賞に、チェルノブイリ原発事故で被害を受けた人々の証言を集めたノンフィクション作品「チェルノブイリの祈り」などで知られるベラルーシの作家でジャーナリストのスベトラーナ・アレクシェービッチさん(67)が選ばれました。

彼女は戦争やチェルノブイリ原発事故などに翻弄された多くの人々への取材を積み重ね、証言の集積をそのまま作品化し、国家の圧力に抵抗しながら一貫して社会の真相を描いてきました。

97年に発表された代表作である「チェルノブイリの祈り」(岩波現代文庫)は、世界各地で翻訳され、多くの国際的な賞を受けました。しかし、ベルラーシの大統領から非難を受け、国内では一時出版中止となりました。

スベトラーナ・アレクシェービッチさんは「国家というのは自国の問題や権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えていくのです。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」と明かしています。

福島市在住の詩人である和合亮一さんは、『東日本大震災後、福島の方々のお話を聞き書きしてきた私にとって、今回の受賞は大変な励みになる。激動の時代にあって、こうしたドキュメンタリー文学が深く求められていることが世界規模で示されたのだと思う。チェルノブイリの人々と福島の人々の真実は重なるところがある。復興に向かう中で「なぜいまだに震災の経験を語るのか」という目に見えない空気を感じることもあるが、真実を伝えるためにはためらってはいけないのだと、あらためて思った』と述べています。

私も「チェルノブイリの祈り」を読み、人々の声があまりにもリアルで、福島と共通した言葉が随所に見いだされ、胸に突き刺さるように重くなかなか読み進めることが出来ませんでした。そして、チェルノブイリ原発事故による放射能の被害に終わりは無いということを実感し、福島の将来が少し見えたようで悲しくなりました。

震災後4年という月日が経過する中で、自分自身、放射能に対して感じる想いも日々変化してきています。改めて振り返ってみると、震災当時感じていた放射能への強い恐怖心を、今は忘れている自分がいます。当初は放射能への情報が氾濫し、何を信じて良いのか分からない中、日々被ばくを避ける事で精一杯でしたが、今は不安の内容が将来の健康や差別に関するものへと変化してきています。

もう二度と、福島原発事故のような悲劇が起きて欲しくない。そのためにも今、ここ福島で暮らす人々の何気ない日常で生まれる声を集め、記録に残していく事の大切さを感じています。

福島県内乳幼児の保護者アンケートにより県産農産物・水道水の利用率が居住地によって差がある事が判明

(2015年10月9日福島民報新聞掲載記事より)2015年10月9日福島民報新聞掲載記事より

東京電力福島第一原発事故に伴い、内部被ばく検査を受けた乳幼児らの保護者に対するアンケートでは、居住地によって県産農産物や水道水の利用に大きな差があるとの結果が出ました。
受検者の多い市町の保護者に対するアンケート結果では、県産のコメや野菜、水道水を避ける保護者は三春町で4%にとどまりました。一方、南相馬市は57%、相馬市は65%に上っています。坪倉正治東京大医科学研究所特任研究員は「東京電力福島第一原発に近い自治体の保護者の中では、食べ物や飲料水を気にする状況が変わっていないのではないか」との見方を示しました。

郡山市では、208人の保護者のうち
水道水を避ける・・・106人(51%)
県産米を避ける・・・89人(43%)
県野菜を避ける・・・96人(46%)
県産米と県産野菜・水道水を全て避ける・・・47人(23%)
との結果が出ています。

私の住む郡山市のスーパーでは、地元産の野菜は通常の野菜よりも値段を抑えて販売しています。それにも関わらず購入する人は少なく、売れ残っているのは福島県産が目立ちます。

郡山市在住のある一児のお母さんは、震災後から今でも変わらず福島県産の生鮮食品は一切購入せず、水道水も飲まないと言います。

チェルノブイリでは、10年前より汚染した森の木の葉が今腐葉土になり、植物に吸収しやすくなっているそうです。森の土壌の表面から5~10㎝くらい下が現在最も放射能レベルが高く、木材中の放射能は最近になって急に増加し始めていると河田昌東氏は述べています。つまり、飲食物の汚染は年月の経過と共に減少するとは限らないという事になります。(参考/河田昌東氏による『今後も続く体内被ばく』よりhttp://www.chernobyl-chubu-jp.org/_src/sc425/kawata004.pdf

震災を境に、福島で子育てをするという事は大きく変わってしまいました。今後も、福島のお母さん達の飲食物による内部被ばくへの不安が消える事は無いでしょう。そうしたストレスが、子どもの成長にどのような影響を与えるのか心配しています。