見つめることを辞めない心

この場所に住み始めて10日が過ぎようとしている。今まで住んでいた実家がある秋田県とは違い、ここ福島県郡山市は緑が多くまた散策できる公園も多い。標高も高いせいか涼しく感じられ、とても過ごしやすく、暑がりの私にとって頬に当たる風はとても心地が良い。自然の恩恵を体全体で感じることの出来るここでの生活を満喫している。先日、住民票の移動手続きの為に郡山市役所に行ってきた。住んでいるアパートから市役所まで歩いて約20分。郡山市に来て初めての仕事場所以外への移動であった。自然を楽しみながら、いつもと違う風景を楽しみながらの市役所までの散策、いつもと違うウキウキ感があった。とても大きな市役所、綺麗な建物で、まるでこれからのここでの新しい生活とダブって感じられた。住民票の移動の書類に書き込み呼ばれるのを待っていた。しばらく時間がかかった為、広く大きな庁舎内を見回していた所、見慣れないコーナーに目が止まった。それは新しく市民になった人、また市民への放射線量測定器の貸し出しのブースであった。今まで他県の市役所に行ったことがあるのだが、そこで見た光景は普通ではありえないものだ。その途端に自分の中で風化しかけていた現実に襲われた気がした。すべての問題が収束に向かっていて、今はもう心配ないと思い込んでいた自分、いや、その様に思ってしまおうと願っていた自分という表現が適切なのかもしれない。ほぼ上の空に近い状態で住民移動手続きを済ませ、市庁舎の中をよく見回した。除染情報コーナーというものだった。今までの除染への取り組み、市の放射線量マップ、食品検査の案内、放射性物質やその影響についての詳しいパンフレットが置いてあった。とても詳しく、また丁寧に書かれており、郡山市の今現在までの放射線対策が一目で判り、放射性物質の基本的知識、健康への影響、食品の放射性物質対策などの記述は不安に駆られた自分を安心させてくれるものであった。しかし、資料の膨大さに驚くと共に、まだ放射線への不安は市民の生活に深く結びついていると感じざるを得なかった。

自分の部屋に帰り、家族が持たせてくれた線量計で部屋の中、ベランダ、外の植え込み、いつも歩く道路を何気なく測ってみた。線量計を貰った時、秋田県の実家で測った数値と桁が違っていた。市役所で見てきた市内の放射線量マップの数値とも違っていた。何回測っても数値は変わらなかった。また突然なんとも表現出来ない不安に襲われた。ついさっきまで眺めていた景色が違って見えた。昨日まで普通に蛇口をひねって水を飲んでいたのが飲めなくなった。風を楽しむために開けていた窓が開けることが出来なくなった。あれだけの資料を見て安心したのにも関わらずその夜は不安で眠ることが出来なかった。

次の日、またその次の日も不安は消える事はなかった。でも、暑いと窓を開け、のどが乾いたら蛇口を捻り水を飲むようになった。全てを気にしていると生活が出来ない事に気が付いた。気持ちが参ってしまう事に気が付いた。いつもと同じ歩く道、頬に当たる風、木々のせせらぎは郡山市に来た時となんら変わりはない。変わったと言えば少しだけ、ほんの少しだけであるが、放射線の問題をここで生活する者としての視点で考え始めたという事だ。生きていく上で、どこで妥協するのかはこれから毎日自分自身を問い続ける事だろう。しかし、この放射線の影響、原発の問題、そしてこの地の現実というものを見つめ、そして見つめ続けてゆきたいと思う。             (スタッフ/佐々木康一郎)

▼郡山市役所の除染情報コーナーに置かれていたパンフレットの一部