東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
8人目は、沖縄教区の真栄城美子さんです。
真栄城美子さんは、沖縄の聖マタイ幼稚園で園長先生をされています。『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』で、郡山セントポール幼稚園へ保育補助にも度々来て頂いています。また、夏のプログラム『沖縄でホームステイ』では、参加した福島のご家族をあたたかく受け入れて下さいました。
福島への理解を深め、寄り添い、いつもあたたかく見守ってくれています。
『One family~つながる心~』
沖縄教区 真栄城美子
東日本大震災は地震・津波さらに福島第一原発の事故という言葉で表現できない災害となってしまいました。被災地のこと、被災者のことを思うと祈ることしか出来ませんでした。特に幼稚園関係の被災については自分だったら?自園だったら?と問うことだけしかできませんでした。
自然災害の恐ろしさは言うまでもありませんが、原発事故による放射性物質の拡散という大きな事態が起き、生命に関わる大きな問題が発生しています。被災地を訪問した司祭様や関係者の方から報告を受け、福島の子ども達の遊びがかなり制限されている事を知りました。大きく保育環境が変わった様子は私立幼稚園連合会のニュースでも取り上げられ、先生方のご苦労を知り胸が詰まる思いでした。沖縄教区では2014年7月に聖公会保育連盟の加盟園に対し、福島支援プログラムに教師派遣の要請がでました。私は3回に亘り、郡山市セントポール幼稚園に教師サポートとして訪問しました。
第一回訪問(2014年10月)
先発のなな子先生と共にお手伝いしました。緊張して幼稚園に向かいましたが、子ども達や先生方に暖かく迎えてもらい、直ぐに打ち解ける事ができ毎日有意義でした。出勤後直ぐに除染の為の床拭きです。毎朝2階ホールまで、なな子先生と頑張りました。保育園の床拭きは当然だが目的が違う。ガラス越しにでも入ってくる放射性物質の除去である。保育をしながら毎朝この労働は大変だろうと思いました。
先生方のきびきびとした行動は好感が持てます。連絡が密に行われる姿勢は子ども達の行動にも反映しているようです。子ども達は素直で園庭に外に出る許可がでると歓声を上げます。何処にでもいる子供の姿です。もう慣れたのか室内での遊びも沢山知っていて、工夫して過ごしています。
初日、セントポール幼稚園へは駅からタクシーに乗りました。沖縄では見られない見事な木々の公園前を通り、綺麗な街並みに見とれていました。後で聞いた内容は線量計を持参し数値を確認しないと散歩もできないという事です。確かに住宅の前に汚染土の入った黒い袋が並んでいる状態を見ると、綺麗な空気の中に住んでいる訳ではということになります。「なぜ?」と虚しさを覚えました。
お母さん方のお喋りの会にも参加しましたが、不安を抱えながら郡山に住む事を決めた方が殆どのようです。皆さんの明るさと芯の強さに逆に勇気を貰いました。
第二回訪問(2015年6月)
年度が変わり、進級した子ども達が迎えてくれました。覚えてくれている子も居て直ぐに仲良くなりました。主に2歳児クラスのお手伝いをさせて貰いました。セントポール幼稚園の子ども達は明るくて元気いっぱい。そして「ありがとう」が直ぐに言える、とても気持ちのいい幼稚園です。今回は園庭にプールが設置されており、線量の低い日は水遊びをしたようです。存分に水遊びができる日が、毎日であったらいいのにと願わずにはいられませんでした。
ボランティア訪問と同時に、先生方や保護者に「沖縄へリフレッシュに来ませんか?」の呼びかけもしていました。終了後に亀井さんファミリーが希望していますと連絡が入りました。8月に入り、ご一家と聖マタイ幼稚園で再会しました。ずっと一緒に行動出来た訳ではありませんが、元気に楽しく過ごされたようです。やっと誘致ができたと嬉しく思いました。今でも時々メールを頂いております。
第三回訪問(2015年10月)
みな子先生と参加しました。外での活動は思いっきりできないものの、先生方の保育への取り組みは一人一人を大事にしながら要所要所に於いてはしっかりと指導し、園全体が一つになって取り組んでいる姿勢が見えます。他園に応援に入るという目的を私自身しっかりもっていたのかなと確認しながら今回参加しました。当初は迷惑を掛けない様にという意識がとても強かったのですが、先生方の家族的な雰囲気の中にも節度ある言動、行動は大変参考になり、自分自身の行動にも繋がったのではと感じています。最終日は亀ヶ城公園へ遠足でした。出発前、温子園長はお祈りの前に子ども達に次のように話されました。「沢山の方のお陰で遠足に行けます。感謝を忘れないようにね。私たちは一人ではないのですよ。公園でも楽しく遊んで強い体を作って、人を助ける事が出来るようになりましょう」と。
この5年余、沢山のボランティアが来てくださり除染作業、お楽しみ会等子ども達へはもちろん先生方への応援を沢山受けられたようです。その感謝の言葉が園長先生の出発前の言葉になったのだと思いました。震災後、保育を再開するにあたり、大変なご苦労があったセントポール幼稚園、先生方、子ども達がいつまでも変わりなくこの元気を保って欲しいと思います。