被災者支援センター しんちの特徴

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
5人目は、福島県相馬郡新地町の仮設住宅内に拠点を置いている『被災地支援センター しんち・がん小屋』のボランティアスタッフである北川恵以子さんです。北川さんは震災直後より南相馬市へ医療チームの一員として訪れていました。現在は、「被災者支援センターしんち・がん小屋」の水曜喫茶で開催している「ほっとコーナー♡親子タイム」で、精神科と小児科の医師である北川さん(けいこ先生)と小児科医の明城和子さん(かこちゃん先生)が交替で、いろいろなお話をしたり相談にものっています。


『被災者支援センター しんちの特徴』

支援センター・しんち がん小屋ボランティア
北川恵以子

 

私は、東日本大震災が起きた翌月から釜石市へ、その年の8月から福島市へ、精神科医として毎月支援に行ってきました。

キリスト教や仏教等の宗教団体やNPOや地元医療機関を通じて、仮設住宅、地元の学校、保護者の相談会、疎開をしている子どもたちの寮、クリニックなどで、傾聴をしたり、医療的なご相談を受けてきました。

「被災者支援センター しんち(新地ベース) 福島県相馬郡新地町」へは2012年から行き始めました。かつて国道6号線沿いにあり、今はがん小屋仮設住宅にある新地ベースの中で、地元の被災者の方々と交流を持ったり、新地ベースや仮設住宅で開かれるお茶会で傾聴をしたり、仮設住宅を訪ねたり、生徒さんについてのご相談で近くの小学校へ行ったりしました。他のボランティアとして、マッサージやヘアーカットや居宅訪問などをなさる方々ともお会いしました。

今まで色々な支援機関、そこで働くスタッフ、仮設住宅の住人、地域の人々に関わってきましたが、新地ベースには他の組織にはない特徴があります。

まずスタッフである松本普さんは、震災直後から新地町に入って支援をし、新地ベースができてからはまるで地域の住民のように被災者の中にとけ込んで共に生きてこられました。支援者から被支援者への一方的な働きかけや、いつの間にかできてしまう上下関係のようなものは感じられません。昨年松本さんが中越地震のあとに数年間長岡市に住んで支援をされた(旧)山古志村に連れて行っていただきました。松本さんがなさる新地町の人と共に生きる支援の仕方は(旧)山古志村での支援の延長であると思いました。

定期的に新地ベースに来られるスタッフの高木栄子さんも土地の人々の中にとけ込み、次に述べる被災者の加藤和子さんや三宅友子さんと家族のように付き合っておられます。

加藤和子さんや三宅友子さんは津波で大切なご家族や隣人をそして家を失い、仮設住宅を経て新しく建てた家に住んでおられます。加藤さんはお茶会を主催し、三宅さんは仮設住宅の訪問をされています。被災者が支援者となり、またお二人はときに被災者として辛い経験を話されます。このようなことは他の支援団体では経験したことがありません。

今お茶会に来られているご高齢の被災者は、センター新地がお茶会を始めたときから来られている方々です。津波で家を失ったり、原発事故で自宅に戻れない方々で、避難先の新地で新しく家を建てたり家を借りたり仮設住宅に住んでおられます。三世代四世代で一緒に住んでいた家族が震災でばらばらになり、家族の関係にひびが入り、多くのものを失い、人間関係が変わりました。その話をしたあと視線を落とし深いまなざしをしてもの思いに沈まれます。震災5年が経った今も、何度話しても被災者の苦しみに答えは出ませんし心は癒えません。支援者にできることはともにたたずみ、ともに悲しむことではないかと思います。

先日、福島県から北上して宮城県と岩手県の沿岸へ行きました。この数年は福島県にだけ関わっていましたので、今仮設住宅に住んでいる人々は原発事故のために自宅に戻れない人々がほとんどだと思っていました。しかし5年が経った今も宮城県や岩手県での津波の被災者の多くが不自由な仮設住宅で生活されていることに驚きました。土地のかさ上げ工事などにまだまだ時間がかかるようです。東京オリンピックの工事に多くの働き手が行き、建築資材が高騰し、震災の被災者はなかなか家を建てることができず、復旧復興が進みません。福島県では、原発事故の被災地で放射線量が高くても避難解除がされると、帰還が促され補償金が打ち切られるので帰らざるを得ない状況があります。

新地ベースの働きは広く浅く支援するのではなく、身近な人一人一人と向かい合い、ともに痛みを分かち合い、ともに重い荷を負って歩む働きなのではないかと思います。そして現実の矛盾を声高にではなく存在をもって訴えておられるのではないかと思います。

新地ベースの働きを見ていますと「ひとりの人間を救うものは全世界を救う」というユダヤ教の言葉を思い出します。