(2016年3月27日朝日新聞掲載記事より)
福島県の高校教諭の傍ら詩作活動を行っている、和合亮一さん。
生まれも育ちも福島で、東日本大震災の被災者でもあります。
福島で生きる者の想いを言葉の力で発信してきた和合さんが、震災から5年が経過した今想う事にとても共感しましたので、紹介したいと思います。
『原発事故が起きた後、福島は人が住めない場所として閉ざされてしまうのではないかと絶望的な気持ちになりました。でも、最後まで福島に残ってやろうと思いました。「放射能が降っています。静かな夜です」という詩も、そのとき生まれました。
震災で、自分の中の何かが崩壊しました。世の中の不条理を問いたくて二十数年の間、自分なりに必死に詩を書いてきたが、何の役にも立たなかった。目の前が不条理の世界そのものになり、頭で考えたイメージでは何も語れない。日常ってこんなにもろいんだ、と震撼(しんかん)させられました。
「分かる人だけ分かってくれればいい」と詩を書いてきましたが、「多くの人に伝えたい」と考えが変わりました。目の前の不条理をありのまま表現し、原発事故後の世界を多くの人に知ってほしい。福島で起きていることは社会全体の問題だし、個人の人生や暮らしに関わる問題でもあります。だから言葉を分かりやすくして、「悲しさ」とか「涙」とか、以前は絶対に書かなかった言葉を使うようになりました。
被災地の人々の心には、いまも福島に点在する汚染土の黒い袋のように、置き去りにされた黒いものが積み上がっている気がします。それは詩を読むことで吐き出せることがあります。読者の手紙に「自分の悔しさや悲しみを詩を読むことで分かり、涙が出た」とありました。形にして吐き出さないと、心に他のものが入る隙間が生まれません。不安や恐れ、悲しみを形にして広く共有するため、音楽や演劇の活動も続けています。
同じ調子で同じことしか語れないと、古びて風化していく。新鮮な、これまでにない言葉で震災を語れば、世の中が「震災をもう一回考えてみよう」となるのではないか。多くの人に被災地を見てもらいたいんですが、「観光」に代わる言葉が必要です。
復興という言葉が私には乱暴に聞こえます。加速や成果を求められ、片付けられてしまう気がする。福島では10万人が避難し、津波で家をさらわれた子どもたちは最近やっと海に行けるようになってきました。今の福島の人たちの心を伝える言葉を見つけたいと日々考えています。』
福島で暮らす事を選択したからには、放射能はどこかで折り合いをつけて受け入れざるを得ない問題です。どうにもならない現実の中で、年々放射能について話題にする事が難しくなっており、行き場の無い想いは自分でも気がつかないうちに、心の中に少しづつ降り積もっていきます。
そうした心の中に溜まっている澱のようなものは、何らかの形で吐き出し、誰かに理解して貰う事で浄化されていくのを、私自身感じています。