芥川賞作家の柳美里さんは、東京電力福島第一原発事故の直後から、作家として自身の目で原発事故による被害を捉えたいとの想いから、居に構えていた鎌倉から福島県の浜通りに足繁く通われていました。2015年4月には、高校生になる息子さんと共に福島県南相馬市に移住し、地元でのラジオDJや作家活動を続けています。
今回は、柳美里さんの書かれた南相馬の「今」が伝わる記事に深く共感しましたので、ご紹介したいと思います。
(2016年1月25日赤旗新聞掲載記事より)
(本文より) 『南相馬の友人の娘さんは、全国各地の車のナンバープレートの写真を撮るのが趣味なのだそうです。「震災前は、ディズニーランドの駐車場に行けば撮れたけど、今は地元のスーパーの駐車場で全国各地の市町村のが撮れる」という娘さんの言葉に、父親である友人は苦笑するしかなかったそうです。
年末年始は、地元の「福島」「いわき」ナンバー以外はほとんど見掛けませんでした。全国各地から集まってきている作業員たちが帰省していたからです。(帰省できなかった作業員もいます)
震災後、大型車がひっきりなしに行き来するようになったため、「ダンプ銀座」と自嘲する住民もいます。実際、歩道を歩いていると、風圧を感じるほど飛ばしているダンプカーもあります。
2014年10月14日には、息子が通う原町高校2年生の少女が、修学旅行の前日にトラックにはねられて死亡する、という痛ましい事故が起きました。トラックを運転していたのは、74歳の土木作業員でした。
地元の建設業者の話によると、3月までに、市内20キロ圏外の除染担当の竹中工務店JV(共同企業体)で200人、20キロ圏内の除染担当の大成JVで300人、農地除染担当の清水建設で200人が増員されるそうです。
首都圏では、2020年に開催される東京オリンピックの宿泊・体育施設の建設や、道路などの基盤整備を急ピッチで進めなければならず、作業員の争奪戦になっています。
津波被害の復旧作業や原発の廃炉作業や除染作業に集められるのは、最低賃金が福島県よりも低い地域の日雇い労働者やホームレスの方々です。
なかには、糖尿病や肝硬変や高血圧やアルコール依存症などの重い病を抱えている高齢者もいます。瀕死の状態で救急車で病院に担ぎ込まれてから、健康保険に未加入で、所持金も身寄りもないことが判明するというケースが相次いでいます。
復旧作業中に事故死した作業員の実家に連絡したところ、その名前の人物は生存していたため、作業員は身元不明の「行旅死亡人」として南相馬市によって火葬され、遺骨は市内の寺で保管されています。
福島県は、2014年に「死亡労働災害多発非常事態宣言」を出しました。
東日本大震災と原発事故から5年が経とうとしている今、東京オリンピック開催までの4年間が恨めしくてなりません。「日本を、取り戻す。」というのは、自民党の政権公約です。東北、福島は、日本ですよね?だとしたら、まず、福島を、東北を、取り戻してほしい。東京オリンピックという夢(虚飾)に力を注ぐのは、二の次三の次なのではないでしょうか?』
今、南相馬では、原発や復旧、除染の作業員による犯罪が増加しています。
しかし治安が悪化している事が公になると、町に帰ってくる人がますます減ってしまうという理由で、ネガティブな情報は公にしたくないという雰囲気があるそうです。だからといって問題をなかった事にしようとすれば、犯罪の温床となってしまうので難しい問題となっているそうです。
今後避難指示が解除されるに従い、ますます作業員は増加する事が見込まれます。
放射能により汚染された町を、本来の安心して暮らせる場所へと戻す事の難しさを、改めて実感します。