(2016年1月17日福島民報新聞掲載記事より)
環境省は2015年12月21日、民家や農地から約20メートル以上離れた森林については除染を実施しない事を決めました。
しかしそれは福島県や市町村が森林全体を除染するよう繰り返し要望してきたものを拒否し、県民生活にとって森林は生活の一部であるという指摘を無視したものでした。
福島県立博物館長の赤坂憲雄さんが、この問題について、民俗学者の立場から政府に問う文章を発表しました。
※本文より・・・『かつて「前の畑と裏のヤマ」という言葉を、仙台近郊で聞いたことがある。平野部の稲作のムラであっても、田んぼのほかに、野菜などを作る畑と、イグネと呼ばれる屋敷林を持たずには暮らしていけなかった。イグネはたんなる防風林ではない。たくさんの樹種が周到に選ばれた。果樹、燃料となる木、小さな竹林、家を建て直すときの材となる樹々などが植えられていた。小さな里山そのものだった。裏のヤマだったのだ。このイグネが除染のために伐採された、という話をくりかえし聞いている。
『会津学』という地域誌の創刊号に掲載された、渡部和さんの「渡部家の歳時記」という長編エッセーを思いだす。奥会津の小さなムラの、小さな家で営まれている食文化の、なんと多彩で豊かであることか。正月に始まり、季節の移ろいのなかに重ねられてゆく年中行事には、それぞれに儀礼食が主婦によって準備される。その食材は家まわりや里山で調達されてきた。
福島の伝統的な食文化は、原発事故によって痛手を蒙っている。それはみな、福島の豊かな山野や川や海などの自然環境から、山の幸や海の幸としてもたらされる食材をもとに、女性たちがそれぞれの味付けで守ってきた、家の文化であり、地域の文化である。
生活圏とは家屋から20メートルの範囲内を指すわけではない。人々は山野河海のすべてを生活圏として、この土地に暮らしを営んできたのだ。汚れた里山のかたわらに「帰還」して、どのような生活を再建せよと言うのか。山や川や海を返してほしい、と呟く声が聞こえる。』
数千年の時を重ねて人々が育んできたものが、原発が建ってからたった40数年で失われようとしています。原発は、人が人らしく生きるために必要なものを破壊します。それは除染や補償では決して取り戻せないものです。
福島出身の方で、福島を「フクシマ」や「FUKUSHIMA」と、カタカナやローマ字で書き表される事に嫌悪感を持つという人がいます。どうか、想像してみてください。自分の故郷が、カタカナやローマ字で表されるようになったら、どのように感じるでしょうか?四季の移ろいと共に、その土地ならではの文化に親しみ慈しんできた原風景に、人の心は支えられているのではないでしょうか。
人が人らしく生きる事を無視したこのような強引な帰還は、許すべきではないと思います。