北朝鮮4回目核実験「時代に逆行」

(2016年1月7日朝日新聞・福島民報新聞・赤旗新聞掲載記事より)

北朝鮮は2016年1月6日に地下核実験を実施し、初めて水爆の実験に成功したと発表しました。北朝鮮の核実験は2006年、09年、13年に続き4回目となります。
水爆は原爆を起爆装置として用い、核分裂反応で生じる超高温と超高圧、放射線を利用し、重水素や三重水素の核融合反応を起こし、莫大なエネルギーを放出させるものです。そのエネルギーは原爆をはるかに上回ります。

静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員だった見崎(みさき)進さん(88)は1954年3月1日、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇。爆心から約160キロ離れていましたが、実験でサンゴ礁が吹き飛ばされた「死の灰」(放射性降下物)を浴び、乗組員23人が被曝しました。
「水爆の威力はそれほど大きく、広い範囲に被害が出る」。被曝から半年後に無線長の久保山愛吉さん(当時40)が死亡。見崎さんは帰港後、1年2カ月間入院しました。「当時よりも今の爆弾の方が何倍も威力があるだろう。何発か落ちたら日本は終わりかもしれない、と思えば恐ろしい」と話します。

元乗組員小塚博さん(84)の長男の妻(58)は「父はビキニの事件のことで、精神的、肉体的な重荷を背負い、人生の後半のほとんどを費やしてしまった。家族としてつらく胸がいっぱい」と振り返り「子どもたちや、後に続く人のために、核実験はやってほしくなかったし、水爆を使うような世界にはしてほしくない」と涙ながらに訴えました。

核実験は、1945年から約半世紀の間に2379回各国で行われました。そのエネルギーは広島へ投下された原爆3万5千発以上に相当します。
核実験は、軍事的・科学的な実験に留まるものではなく、政治的なプロパガンダの役割を果たす場合も少なくありません。特にソ連や中国においては、「米帝」などに対する「やむにやまれぬ」「苦渋に満ちた」核実験であると表明するケースも少なからずあり、同時に国力を誇示する役割を果たす場合も少なくありません。北朝鮮の核実験もまた、同様の性質を持っているといえます。(参照:ウィキペディア『核実験』より)

ソビエト連邦のセミパラチンスク核実験場では、1949年から1989年の40年間に合計456回の核実験が行われました。1953年8月12日の水爆装置実験の際は、付近の住民のうち一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させました。これは人体実験だと見られています。又、ベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されています。実験場の閉鎖後に実施された健康調査によると、実験場からの放射性降下物によっておよそ20万人の付近の住民が直接的な健康被害を受けたとみられています。特に、様々なタイプの癌の発生率が高く、また放射線被曝と甲状腺異常の間の相関性が観察されています。(参照:ウィキペディア『セミパラチンスク核実験場』より)

国際社会では今、核兵器の非人道性を直視し、核兵器の廃絶を求める国際世論が新たな高まりを見せています。2015年秋の国連総会では「核兵器の禁止と廃絶のための人道の誓い」や「核兵器のない世界への道徳的責務」「核兵器の人道的な結果」などの決議が圧倒時多数で決議されました。核廃絶への世論が高まるこうした世界で北朝鮮が核実験を繰り返し、「核保有国」である事を誇示しようとするのは、歴史への逆行であり、絶対に許される事ではありません。

福島は、原発事故により放射能に汚染される前へは、もう二度と戻す事は出来ません。目に見えない放射能が福島の人の心とからだを蝕んでいる事実が、今ここにあります。それにもかかわらず国は隠蔽し核を利用しようとしていますが、真実はいつもただ一つです。核の無い世界を目指し、私たちひとりひとりが真実を見つめ、伝えていく事の大切さを感じています。