2015年のノーベル文学賞に「チェルノブイリの祈り」スベトラーナ・アレクシェービッチさん受賞

(2015年10月9日福島民報新聞、10月9日・14日朝日新聞掲載記事より)

2015年のノーベル文学賞に、チェルノブイリ原発事故で被害を受けた人々の証言を集めたノンフィクション作品「チェルノブイリの祈り」などで知られるベラルーシの作家でジャーナリストのスベトラーナ・アレクシェービッチさん(67)が選ばれました。

彼女は戦争やチェルノブイリ原発事故などに翻弄された多くの人々への取材を積み重ね、証言の集積をそのまま作品化し、国家の圧力に抵抗しながら一貫して社会の真相を描いてきました。

97年に発表された代表作である「チェルノブイリの祈り」(岩波現代文庫)は、世界各地で翻訳され、多くの国際的な賞を受けました。しかし、ベルラーシの大統領から非難を受け、国内では一時出版中止となりました。

スベトラーナ・アレクシェービッチさんは「国家というのは自国の問題や権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えていくのです。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」と明かしています。

福島市在住の詩人である和合亮一さんは、『東日本大震災後、福島の方々のお話を聞き書きしてきた私にとって、今回の受賞は大変な励みになる。激動の時代にあって、こうしたドキュメンタリー文学が深く求められていることが世界規模で示されたのだと思う。チェルノブイリの人々と福島の人々の真実は重なるところがある。復興に向かう中で「なぜいまだに震災の経験を語るのか」という目に見えない空気を感じることもあるが、真実を伝えるためにはためらってはいけないのだと、あらためて思った』と述べています。

私も「チェルノブイリの祈り」を読み、人々の声があまりにもリアルで、福島と共通した言葉が随所に見いだされ、胸に突き刺さるように重くなかなか読み進めることが出来ませんでした。そして、チェルノブイリ原発事故による放射能の被害に終わりは無いということを実感し、福島の将来が少し見えたようで悲しくなりました。

震災後4年という月日が経過する中で、自分自身、放射能に対して感じる想いも日々変化してきています。改めて振り返ってみると、震災当時感じていた放射能への強い恐怖心を、今は忘れている自分がいます。当初は放射能への情報が氾濫し、何を信じて良いのか分からない中、日々被ばくを避ける事で精一杯でしたが、今は不安の内容が将来の健康や差別に関するものへと変化してきています。

もう二度と、福島原発事故のような悲劇が起きて欲しくない。そのためにも今、ここ福島で暮らす人々の何気ない日常で生まれる声を集め、記録に残していく事の大切さを感じています。