東日本大震災から5年余が経過しました。これまで、さまざまな形で共に歩んできた方々が、これまでを振り返り、また今想う事をリレー形式で掲載しています。
11人目は、沖縄教区の仲田菜な子さんです。
仲田菜な子さんは、沖縄県沖縄市の諸聖徒保育園で先生をされています。2014年10月には『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』で、郡山セントポール幼稚園に保育補助に来て下さいました。
その際、富岡町やがん小屋仮設住宅も訪れており、震災と原発事故がもたらした被害の深刻さを、体験を通して学ばれています。
『One Family ~つながるこころ 福島プロジェクト~に参加して』
諸聖徒保育園 仲田 菜な子
2014年10月23日から11月1日の10日間、園長先生をはじめ保育園の職員、両親の理解と協力があり「One Family~つながるこころ福島プロジェクト~」に参加させて頂くことができました。
1年半前は、私に何ができるのか、何をしたらいいのかと、肩に力が入るほどの気合と不安がありました。実際に現地へ到着した時は、セントポール幼稚園の園長先生、職員の方に温かく迎えていただき、行く時までの不安が和らいだのを今でも覚えています。
セントポール幼稚園の先生方は、子ども達を放射能汚染から守る努力を毎日しており、私が参加した10日間の中で2回ほど(週1回)、線量の低い所へ遠足へ行きました。体を思いきり動かして遊ぶ姿を見ると、その想いに応えるかのように子ども達は楽しく過ごしていました。
又、保護者の方々と関わる機会があり、会話の中で「私達と共に歩いてくれる事が嬉しい。忘れられていない。同じ目線でいる事が嬉しい」とおしゃっていました。
仮設住宅にいる方達とも交流する機会があり、皆さん終始笑顔で話をしている姿を見ると、原発の事を忘れておられるように思われるほど明るくて、前を向いて1歩1歩進んでいこうとする姿に私が励まされました。しかし、その反面「早く地元に帰りたい」と本音を打ち明けてくれる方もありました。この気持ちは、経験した方にしか分からないなと私は思い、上手く声をかけることができませんでした。別れ際に、「来てくれてありがとう」と言われ、幼稚園の保護者との関わりの中でも思いましたが、実際に足を運んで話しをしたり、触れ合いを持つ事で何か“支え”になることが出来たのかなと思いました。
最終日には線量が高い富岡町の方に行きました。線量が高いと聞いてはいましたが、体では感じる事が出来ません。目に見える壊れた建物を作り直し、地元に帰ってこられる状況を作ってほしい、という思いがありました。しかし、線量が高い所で人は住めないのが事実なので、もどかしい気持ちになりました。
それから1年後、私と同じ保育園から1人、職員が富岡町に行った時の状況を聞くと、私が行った時と何ら変わりなく、ショックな気持ちでいっぱいでした。その中で、もうひとつ変わらないことは、このプロジェクトを通しての”人と人との繋がり”が、途切れることなく続いているのは、互いにとって、とても良い”支え”になっていると私は思いました。
1年半前は放射線の体への影響に対する理解が少なく、私の事よりも今、目の前で一生懸命に歩んでいこうとしている人と共に歩んでいきたい、という気持ちの方が強くありました。現在も、その気持ちは変わることはありません。
でもいまは、体への影響を考え将来の事を思うと、この気持ちだけで行って良いのだろうか・・・という不安な気持ちがあります。
体調面に関しては、私の不安な気持ちよりも、福島に住んでいる方達の方が不安は大きいと思います。それでも前を向いて歩んで行こうとしている思いや姿に、これからも1日でも早い復興ができるよう祈ることを続けていきたいと思います。
このプロジェクトを通して、沖縄を思うように福島に関するニュースや天気予報が放送されていると、自然にテレビへ目を向けている私がいて、今では福島が身近な存在になっています。この記事で伝えきれない、言葉には出来ない感情と感動がこのプロジェクトにはあります。この思いを沢山の人と分かち合いながら共に歩んでいきたいです。離れていても神様と同じように私達は繋がっていると思います。このような機会を与えて頂いた神様に感謝します。