東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
10人目は、沖縄教区の知名尚恵さんです。
知名尚恵さんは、沖縄県沖縄市の諸聖徒保育園で先生をされており、2015年10月に『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』で、郡山セントポール幼稚園へ保育補助に来て下さいました。その際、帰還困難区域と居住制限区域が混在している富岡町や、福島第一原発付近を訪問し、福島の現状と原発の問題への理解を深めています。
『One Family に参加して・・・』
諸聖徒保育園 知名尚恵
One Family の企画の一つである、福島県郡山市にあるセントポール幼稚園での保育補助の機会を与えて頂いてから、あっという間に半年以上が過ぎました。2015年の10月19日から24日までの6日間、緊張と戸惑いの中での始まりは、いつの間にか「もう帰らないといけないのか・・・」という思いに変わっていました。それ程にも郡山で出会った人々は温かく優しい方ばかりでした。
2015年、私は郡山に行くことが決まった時、正直なところ放射線の体への影響はどうなのか不安に思うところもありました。見えない物への恐怖と、その物からどう身を守ればいいのか・・・きっと今でも私以上にその恐怖は変わることなく続いているのではないでしょうか。しかし、それを一瞬でも忘れさせてくれたのは、人と人との繋がりでした。そして何より子ども達の存在でした。セントポール幼稚園の子ども達も、沖縄の子ども達も、変わらない無邪気な笑顔でいきいきとしていました。「先生」と呼ぶ沖縄のイントネーションの違いに、なぜか心地よさを感じたことを覚えています。幼稚園の先生方も、いつも笑顔で明るくて、そういう中に居ると、いつもと変わりなく自然に振る舞うことができる様になっていました。しかし、時々見られる現実がありました。子どもたちが持っている線量計。園庭の砂や人工芝生。そして、時々出かける園外保育では、触れてもいい物といけない物の制限があり、直面する現実は大きいものでした。震災から5年。私が郡山に行ってから半年以上経った今、大きな変化(目に見えて変わったこと)は、どんな環境の中でも子どもたちは育っている、心も体も成長しているということです。私は郡山に行く際に自分には何ができるのか、何かやらなくては・・・と、答えを出せないまま焦りを感じていました。一日一日と過ごす中、そしてその日を振り返ることで形や目に見えることでの支えではなく、『心に寄り添う』ということを学びました。答えの出ない中を、子どもたちは毎日少しずつ確実に成長し、その成長と笑顔を守る為に必死にがんばっている家族や先生方の為に私ができることは、辛いと思った時に弱音を吐いたり、少しでも心を休める場所を作ること。その思いを受止められる程、まだまだ大きい器ではないかも知れませんが、少しでも長く子ども達と家族、先生方のことを忘れることはなく思っていること。いつも繋がっているんだということを伝えていきたいと思います。
郡山で過ごした日から半年が過ぎ、沖縄での生活を過ごす中、テレビから「福島」や「郡山」という言葉が聞こえてくると反応している自分がいます。しかしその内容は、原発問題であったり、震災後の様子を伝える内容であったりと、決して明るいものではないことに、心が痛みます。復興が進み、安心して暮らせる環境が整ったことを知らせるニュースが届く日を、多くの人が待っていることでしょう。
たくさんの人を助ける力は私にはありません。ですが、出会えた人達のことを大事に思い祈ることはできます。そのことを通して、少しでも心の支えになれればといつも願っています。
子ども達とその家族、そしてそれを支える先生方が、一日も早く心からの笑顔で過ごせる日が来ます様に・・・お祈りしています。