東日本大震災から5年余が経過しました。これまで、さまざまな形で共に歩んできた方々が、これまでを振り返り、また今想う事をリレー形式で掲載しています。
12人目は、沖縄教区の座安ゆかりさんです。
座安ゆかりさんは、沖縄県豊見城市の聖マタイ幼稚園で先生をされており、2014年10月には『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』で、郡山セントポール幼稚園に保育補助に来られています。
子どもがとても好きな座安さんは、郡山セントポール幼稚園でも園児たちへ深い愛情を注いで下さいました。実際に福島を訪れ、保育の現場に関わる事で、報道では見えない原発事故による被害の実態を学ばれています。
『子ども達の笑顔と共に』
聖マタイ幼稚園 座安ゆかり
私が郡山セントポール幼稚園に行かせていただいたのは、2014年のことになります。あの東日本大震災、福島の原発事故からは3年が過ぎていました。何かお手伝い出来ることはないかと、いつも思っていましたので、とても有難い気持ちでこのプロジェクトに参加させていただきました。
実際に福島に行かせて頂いた時、まず初めに感じたのは沖縄とは全く違う町並みの美しさです。もう夕暮れという時間帯でしたが、行きかう人たちの表情も柔らかく穏やかな、何か懐かしいような気持ちになりました。地震による建物の被害はある程度復旧されていて、少しずつ生活も安定してきた時期、そして、そこで生活している方々は頑張らなくてはと必死に過ごされていたのだと思います。それを知っているはずなのに自分の勝手な思い込みで見ていたことを申し訳なく思います。
その翌日から幼稚園でのお手伝いが始まりました。園内の掃除は当たり前のことなのですが、ここでは徹底的にしっかりと、順番も決まっていて時間をかけて行います。単純作業、肉体労働で、これくらいのお手伝いなら私にも出来ると喜んでさせて頂きました。そして子ども達と関わり聖歌を歌ってお祈りをし、美味しいお弁当を頂いて、子どもたちの笑顔に癒されとても楽しい時間を過ごさせて頂きました。
園の行事に沿って遠足に参加したり、充実した設備のある2階のホールで遊んだりと、短い時間ではありましたが、少しはお役にたてたのではないかなと思いました。そんな楽しい時間を過ごしていると、沖縄も福島も同じだと感じました。セントポール幼稚園の園長先生や先生たちみなさんとても素敵な方々で、子ども達も可愛いと、ここで生活してみたいと思ったほどです。
でも同時に福島の現状も学ばせて頂き、愕然としました。今でも仮設住宅で暮らしている方々の事、汚染された行く当てのない廃棄物、公園に設置された放射線測定器、虫を触れない子ども達。不安と怒りが込み上げてきました。そして、やはり何も出来ない自分にやりきれない気持ちになりました。そんな不安定な気持ちの私にも、子ども達は笑顔で甘えてきてくれました。この子ども達を守りたいと思いました。
沖縄に戻り、ここでの生活に戻り、その気持ちはさらに強くなりました。でもやはり、何も出来ずに過ごしています。あの時、幼稚園に通っていた子ども達は小学生になり、また新しい子ども達の元気な声が幼稚園に響いているのでしょう。私がお邪魔した時、歓迎会を開いて下さった職員の皆様、その時に感じた、ここで頑張るという保育に対する切実な気持ちを思い出しました。そしてその帰りに「金曜日の夜に、この街にこんな賑わいが戻ってきて嬉しい」と話してくださった幼稚園の理事長先生の御言葉も思い出しました。
福島で過ごさせて頂いた日々を思いながら、お祈りしたいと思います。初めての時に感じたあの町並みは、人々が守りたいと願って復旧させたもの、そして未来に繋げていくべきものだと思います。子ども達の笑顔と共に守っていけますように、心からお祈りします。そしてまたいつかそちらにお伺いできればと思っています。