支援センター・しんちより ~「原発被災者」の声なき声~

「支援センター・しんち」は福島県相馬郡新地町にあり、東日本大震災以来、ここで、さまざまな活動をしています。8カ所あった仮設住宅が2カ所に集約され、また不通となっていた常磐線の運転再開…と確かな「復興」が進む一方、「がんご屋仮設住宅」では、6年目の避難生活を余儀なくされている「原発被災者」の声なき声が聴こえてきます。

深刻な放射能汚染は安全かつ確実に除去されなければなりません。樹木や土壌、建造物や道路は伐採や表土除去、洗浄、埋立などで除染し、汚染濃度は下げられまする。しかし、気流や海流、気象変動や自然界の生態系を前に、人の成し得る術など「完全かつ確実に」どころか、決して「安全で安心」ではありません。大自然や生態系を前に、「困難・制限・準備」など、人のつくる区域制限は通用しません。バリケードや立て看板・広告板などで、生息する動植物の繁殖・生死・排泄・移動移住の自由を阻止制限することなど不可能なのです。

新地町表
福島県自然保護協会HP(ホームページ)より引用

国(環境省)と民間(福島県自然保護協会)が調査した同じ場所での結果に、何と大きな差違が出るのでしょう(表)。大切なのは双方の事実を公開し、比較検証する中で隠された真実を知る(知らせる)ことです。しかし現状は、「新基準クリア=安全宣言=原発再稼働」という、国(原子力安全委員会)・電力企業との出来レースが既成事実化され国是に。こうして安全神話の幻想が、「3・11」などまるで無かったのかのように甦っているようです。「これでいいのですか?」と訴え続けている声なき声が、皆さん聴こえますか?(スタッフ/松本普)

これからの働きが問われている

東日本大震災から5年余が経過しました。これまで、さまざまな形で共に歩んできた方々が、これまでを振り返り、また今想う事をリレー形式で掲載しています。
13人目は、愛知聖ルカ教会の日野忠市さんです。
日野忠市さんは、東京教区の小川昌之さんによる『福島を忘れない車の旅』に参加し、頻繁に被災地を訪れてきました。
震災以降、福島の人の心に寄り添い、原発事故が及ぼす影響を見続けてきた日野さん。5年という月日が流れても、変わらず共に歩み続けて下さるその想いに、今も福島で暮らす私たちは励まされています。


『これからの働きが問われている』

愛知聖ルカ教会 日野忠市

東京教区の小川さんの車に乗せてもらう東京―福島往復一泊二日800kmの旅に、中部教区の方々と13回参加させてもらってきました。
管区の「原発と放射能問題プロジェクト本部」がある郡山事務所、松本普さんが常駐しいる雁小屋仮設住宅の方々との交流、飼育を禁止されている300頭以上の牛の命を守り続けておられる吉澤正巳代表の「希望の牧場」、磯山聖ヨハネ教会の跡地、尊い命が津波で失なわれた「ふじ幼稚園」、原発10km圏内での放射線量測定などを組み入れた旅に連れて行ってもらい、現地の状況を少しは知ることができるようになりました。
事故以来5年半を経た今も、人々がさらに過酷な状況に曝されいるのだということも理解できました。
原発問題はもう落ち着いてきているという印象を与えようとする諸策が進められ、人々が根負けするのを待っているのではないかと思いました。
雁小屋仮設にお住まいの方々が、帰り際に「忘れないでね」「また来てね」と言って下さる言葉に励まされ、あまり役に立っていないな、という無力感を救ってもらって来ました。
これからの働きをどう続けてゆくのか、私自身が問われているのだと思っています。

子ども達の笑顔と共に

東日本大震災から5年余が経過しました。これまで、さまざまな形で共に歩んできた方々が、これまでを振り返り、また今想う事をリレー形式で掲載しています。
12人目は、沖縄教区の座安ゆかりさんです。
座安ゆかりさんは、沖縄県豊見城市の聖マタイ幼稚園で先生をされており、2014年10月には『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』で、郡山セントポール幼稚園に保育補助に来られています。
子どもがとても好きな座安さんは、郡山セントポール幼稚園でも園児たちへ深い愛情を注いで下さいました。実際に福島を訪れ、保育の現場に関わる事で、報道では見えない原発事故による被害の実態を学ばれています。


『子ども達の笑顔と共に』

聖マタイ幼稚園 座安ゆかり

私が郡山セントポール幼稚園に行かせていただいたのは、2014年のことになります。あの東日本大震災、福島の原発事故からは3年が過ぎていました。何かお手伝い出来ることはないかと、いつも思っていましたので、とても有難い気持ちでこのプロジェクトに参加させていただきました。

実際に福島に行かせて頂いた時、まず初めに感じたのは沖縄とは全く違う町並みの美しさです。もう夕暮れという時間帯でしたが、行きかう人たちの表情も柔らかく穏やかな、何か懐かしいような気持ちになりました。地震による建物の被害はある程度復旧されていて、少しずつ生活も安定してきた時期、そして、そこで生活している方々は頑張らなくてはと必死に過ごされていたのだと思います。それを知っているはずなのに自分の勝手な思い込みで見ていたことを申し訳なく思います。

その翌日から幼稚園でのお手伝いが始まりました。園内の掃除は当たり前のことなのですが、ここでは徹底的にしっかりと、順番も決まっていて時間をかけて行います。単純作業、肉体労働で、これくらいのお手伝いなら私にも出来ると喜んでさせて頂きました。そして子ども達と関わり聖歌を歌ってお祈りをし、美味しいお弁当を頂いて、子どもたちの笑顔に癒されとても楽しい時間を過ごさせて頂きました。

園の行事に沿って遠足に参加したり、充実した設備のある2階のホールで遊んだりと、短い時間ではありましたが、少しはお役にたてたのではないかなと思いました。そんな楽しい時間を過ごしていると、沖縄も福島も同じだと感じました。セントポール幼稚園の園長先生や先生たちみなさんとても素敵な方々で、子ども達も可愛いと、ここで生活してみたいと思ったほどです。

でも同時に福島の現状も学ばせて頂き、愕然としました。今でも仮設住宅で暮らしている方々の事、汚染された行く当てのない廃棄物、公園に設置された放射線測定器、虫を触れない子ども達。不安と怒りが込み上げてきました。そして、やはり何も出来ない自分にやりきれない気持ちになりました。そんな不安定な気持ちの私にも、子ども達は笑顔で甘えてきてくれました。この子ども達を守りたいと思いました。

沖縄に戻り、ここでの生活に戻り、その気持ちはさらに強くなりました。でもやはり、何も出来ずに過ごしています。あの時、幼稚園に通っていた子ども達は小学生になり、また新しい子ども達の元気な声が幼稚園に響いているのでしょう。私がお邪魔した時、歓迎会を開いて下さった職員の皆様、その時に感じた、ここで頑張るという保育に対する切実な気持ちを思い出しました。そしてその帰りに「金曜日の夜に、この街にこんな賑わいが戻ってきて嬉しい」と話してくださった幼稚園の理事長先生の御言葉も思い出しました。

福島で過ごさせて頂いた日々を思いながら、お祈りしたいと思います。初めての時に感じたあの町並みは、人々が守りたいと願って復旧させたもの、そして未来に繋げていくべきものだと思います。子ども達の笑顔と共に守っていけますように、心からお祈りします。そしてまたいつかそちらにお伺いできればと思っています。

リフレッシュプログラム/2016年6月17日(金)

2016年6月17日(金)の郡山セントポール幼稚園では、年長組の園児たちと「郡山市ふれあい科学館」へ園外保育に行ってきました。

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郡山ふれあい科学館を目指し、郡山駅前をお行儀良く歩く園児たち。

「郡山市ふれあい科学館」は、宇宙をテーマとした科学館で、福島県郡山市にあります。プラネタリウム施設としては日本でも有数の規模を誇ります。郡山駅西口隣に設置された『ビッグアイ』の20階~23階にあり、地上から世界一高い場所にあるプラネタリウムとして、ギネスブックの認定も受けています。

朝から雨が降り出しそうな空模様でしたが、一日雨に降られることなく青空がとても綺麗でした。
プラネタリウムでは季節に応じたプログラムを提供しており、この日は夏の星座がテーマでした。七夕の由来や天の川、織姫と彦星の物語など園児にも分かりやすく説明しており、みんな真剣に耳を傾けていました。

プラネタリウム
プラネタリウムでは、分かりやすい解説に園児たちは熱心に耳を傾けていました。

プラネタリウムの後は、同じビルの中にある展望台へと移動し、郡山市の街並みを上から見下ろします。郡山駅へ次々と走り込んでくる新幹線の様子を眺め、園児たちは歓声をあげていました。

天気も良く、展望台から郡山市が一望出来ました。
澄み渡る青空の下、郡山市内を一望する事が出来ました。
展望台にて記念撮影をしました。
星座の物語と、星空や街並みの景色に癒された園外保育となりました。

One family ~つながるこころ 福島プロジェクト~に参加して

東日本大震災から5年余が経過しました。これまで、さまざまな形で共に歩んできた方々が、これまでを振り返り、また今想う事をリレー形式で掲載しています。
11人目は、沖縄教区の仲田菜な子さんです。
仲田菜な子さんは、沖縄県沖縄市の諸聖徒保育園で先生をされています。2014年10月には『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』で、郡山セントポール幼稚園に保育補助に来て下さいました。
その際、富岡町やがん小屋仮設住宅も訪れており、震災と原発事故がもたらした被害の深刻さを、体験を通して学ばれています。


『One Family ~つながるこころ 福島プロジェクト~に参加して』

諸聖徒保育園 仲田 菜な子

2014年10月23日から11月1日の10日間、園長先生をはじめ保育園の職員、両親の理解と協力があり「One Family~つながるこころ福島プロジェクト~」に参加させて頂くことができました。

1年半前は、私に何ができるのか、何をしたらいいのかと、肩に力が入るほどの気合と不安がありました。実際に現地へ到着した時は、セントポール幼稚園の園長先生、職員の方に温かく迎えていただき、行く時までの不安が和らいだのを今でも覚えています。

セントポール幼稚園の先生方は、子ども達を放射能汚染から守る努力を毎日しており、私が参加した10日間の中で2回ほど(週1回)、線量の低い所へ遠足へ行きました。体を思いきり動かして遊ぶ姿を見ると、その想いに応えるかのように子ども達は楽しく過ごしていました。

又、保護者の方々と関わる機会があり、会話の中で「私達と共に歩いてくれる事が嬉しい。忘れられていない。同じ目線でいる事が嬉しい」とおしゃっていました。

仮設住宅にいる方達とも交流する機会があり、皆さん終始笑顔で話をしている姿を見ると、原発の事を忘れておられるように思われるほど明るくて、前を向いて1歩1歩進んでいこうとする姿に私が励まされました。しかし、その反面「早く地元に帰りたい」と本音を打ち明けてくれる方もありました。この気持ちは、経験した方にしか分からないなと私は思い、上手く声をかけることができませんでした。別れ際に、「来てくれてありがとう」と言われ、幼稚園の保護者との関わりの中でも思いましたが、実際に足を運んで話しをしたり、触れ合いを持つ事で何か“支え”になることが出来たのかなと思いました。

最終日には線量が高い富岡町の方に行きました。線量が高いと聞いてはいましたが、体では感じる事が出来ません。目に見える壊れた建物を作り直し、地元に帰ってこられる状況を作ってほしい、という思いがありました。しかし、線量が高い所で人は住めないのが事実なので、もどかしい気持ちになりました。

それから1年後、私と同じ保育園から1人、職員が富岡町に行った時の状況を聞くと、私が行った時と何ら変わりなく、ショックな気持ちでいっぱいでした。その中で、もうひとつ変わらないことは、このプロジェクトを通しての”人と人との繋がり”が、途切れることなく続いているのは、互いにとって、とても良い”支え”になっていると私は思いました。

1年半前は放射線の体への影響に対する理解が少なく、私の事よりも今、目の前で一生懸命に歩んでいこうとしている人と共に歩んでいきたい、という気持ちの方が強くありました。現在も、その気持ちは変わることはありません。

でもいまは、体への影響を考え将来の事を思うと、この気持ちだけで行って良いのだろうか・・・という不安な気持ちがあります。

体調面に関しては、私の不安な気持ちよりも、福島に住んでいる方達の方が不安は大きいと思います。それでも前を向いて歩んで行こうとしている思いや姿に、これからも1日でも早い復興ができるよう祈ることを続けていきたいと思います。

このプロジェクトを通して、沖縄を思うように福島に関するニュースや天気予報が放送されていると、自然にテレビへ目を向けている私がいて、今では福島が身近な存在になっています。この記事で伝えきれない、言葉には出来ない感情と感動がこのプロジェクトにはあります。この思いを沢山の人と分かち合いながら共に歩んでいきたいです。離れていても神様と同じように私達は繋がっていると思います。このような機会を与えて頂いた神様に感謝します。

2016年7月5日郡山セントポール幼稚園で『キッズヨガ&マッサージ』を開催しました。

郡山セントポール幼稚園のわくわく広場で、2~3歳児とお母さんを対象としたプログラム『キッズヨガ&マッサージ』を行いました。
これは、お母さんと子どもが一緒にヨガや手遊びをしたり、アロマ・オイルを使って子どもにマッサージをするなど、親子ともにリラックスできる時間を過ごすプログラムです。講師は畠山良江先生です。

まずは音楽に合わせて、親子で体を動かします。
だっこして揺らしながら、そばに寄って、お互いにご挨拶をすると子ども達は大喜びしました。
小学校入学前に十分身体を使って遊んだ経験のある子どもは、小学校入学後も、ケガが少ないと先生からアドバイスを頂きました。

20160705_0820160705_02続いては色とりどりのオーガンジーを使い、布遊びをします。
丸めたり広げたり、全身をダイナミックに動かします。
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体があたたまったところで、今度は子どもたちにオイルを塗ってマッサージをします。
手のひらを貝のように丸めて、背中をポンポン軽くマッサージしていきます。靴下を脱いで、足の指や足首をくるくる回してあげると、子ども達は気持ち良さそうにしていました。
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新聞紙で作った輪の上をぴょんぴょん跳ねたり、くぐったり。20160705_0720160705_06

プログラムの最後は、先生とのお茶の時間です。
先生自身が、子どもとスキンシップを図りながら、コミュニケーションを深めたという体験談を話してくれました。参加した保護者はリラックスしながら耳を傾けていました。楽しく遊びながらのマッサージで、親子共に笑顔が溢れたプログラムとなりました。

one familyに参加して・・・

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
10人目は、沖縄教区の知名尚恵さんです。
知名尚恵さんは、沖縄県沖縄市の諸聖徒保育園で先生をされており、2015年10月に『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』で、郡山セントポール幼稚園へ保育補助に来て下さいました。その際、帰還困難区域と居住制限区域が混在している富岡町や、福島第一原発付近を訪問し、福島の現状と原発の問題への理解を深めています。


『One Family に参加して・・・』

諸聖徒保育園  知名尚恵

One Family の企画の一つである、福島県郡山市にあるセントポール幼稚園での保育補助の機会を与えて頂いてから、あっという間に半年以上が過ぎました。2015年の10月19日から24日までの6日間、緊張と戸惑いの中での始まりは、いつの間にか「もう帰らないといけないのか・・・」という思いに変わっていました。それ程にも郡山で出会った人々は温かく優しい方ばかりでした。

2015年、私は郡山に行くことが決まった時、正直なところ放射線の体への影響はどうなのか不安に思うところもありました。見えない物への恐怖と、その物からどう身を守ればいいのか・・・きっと今でも私以上にその恐怖は変わることなく続いているのではないでしょうか。しかし、それを一瞬でも忘れさせてくれたのは、人と人との繋がりでした。そして何より子ども達の存在でした。セントポール幼稚園の子ども達も、沖縄の子ども達も、変わらない無邪気な笑顔でいきいきとしていました。「先生」と呼ぶ沖縄のイントネーションの違いに、なぜか心地よさを感じたことを覚えています。幼稚園の先生方も、いつも笑顔で明るくて、そういう中に居ると、いつもと変わりなく自然に振る舞うことができる様になっていました。しかし、時々見られる現実がありました。子どもたちが持っている線量計。園庭の砂や人工芝生。そして、時々出かける園外保育では、触れてもいい物といけない物の制限があり、直面する現実は大きいものでした。震災から5年。私が郡山に行ってから半年以上経った今、大きな変化(目に見えて変わったこと)は、どんな環境の中でも子どもたちは育っている、心も体も成長しているということです。私は郡山に行く際に自分には何ができるのか、何かやらなくては・・・と、答えを出せないまま焦りを感じていました。一日一日と過ごす中、そしてその日を振り返ることで形や目に見えることでの支えではなく、『心に寄り添う』ということを学びました。答えの出ない中を、子どもたちは毎日少しずつ確実に成長し、その成長と笑顔を守る為に必死にがんばっている家族や先生方の為に私ができることは、辛いと思った時に弱音を吐いたり、少しでも心を休める場所を作ること。その思いを受止められる程、まだまだ大きい器ではないかも知れませんが、少しでも長く子ども達と家族、先生方のことを忘れることはなく思っていること。いつも繋がっているんだということを伝えていきたいと思います。

郡山で過ごした日から半年が過ぎ、沖縄での生活を過ごす中、テレビから「福島」や「郡山」という言葉が聞こえてくると反応している自分がいます。しかしその内容は、原発問題であったり、震災後の様子を伝える内容であったりと、決して明るいものではないことに、心が痛みます。復興が進み、安心して暮らせる環境が整ったことを知らせるニュースが届く日を、多くの人が待っていることでしょう。

たくさんの人を助ける力は私にはありません。ですが、出会えた人達のことを大事に思い祈ることはできます。そのことを通して、少しでも心の支えになれればといつも願っています。

子ども達とその家族、そしてそれを支える先生方が、一日も早く心からの笑顔で過ごせる日が来ます様に・・・お祈りしています。

 

One Family ~つながる心 福島支援プログラム~に携わって

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
9人目は、沖縄教区の崎原美奈子さんです。
崎原美奈子さんは、沖縄県沖縄市の諸聖徒保育園で先生をされています。『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』では郡山セントポール幼稚園へ保育補助にも度々来て頂いており、絆を深めています。また、夏のプログラム『沖縄でホームステイ』では、参加者をご家族の皆さんであたたかく受け入れて下さいました。
沖縄と福島で距離は遠く離れていても、絶えず関心を向けて寄り添って下さるその姿勢に、福島で暮らす私たちは明日へと向かう勇気を貰っています。


 

『One Family ~つながる心 福島支援プログラム~に携わって』

 諸聖徒保育園 崎原美奈子

1.はじめに

2011年に起こった東日本大震災の時のことを今でも鮮明に覚えている。「東北が地震で大変なことになっている!」との大きな声が保育中の園内に響き、急いでテレビを付けた。巨大地震に伴い大きな津波が発生し濁流となって、いろいろなものをあっという間にのみこんでいく映像に愕然とした。こんなことが、同じ日本で今起きているのかと信じられず、神さま!止めて下さい!と祈る事しかできなかった。震災のニュースを聞くたびに、被災された人たちのために私にできることは何だろう…と心が揺さぶられた。そんな中、原発問題プロジェクトの池住圭さんとの出会いがあった。

 

2.プロジェクト立ち上げ

池住圭さんより、福島には目に見えない放射線を心配しながら、幼稚園で子どもたちのために懸命に働く先生方がいること、その先生方の心と体のリフレッシュを沖縄の地でできないか、その間、沖縄から職員を派遣することは可能か、などの話があった。ちょうど同じ場に上原主教や岩佐司祭、園の保育士も数名いて、できることをすぐに始めようとの事でプロジェクトを発足。福島の人たちに寄り添っていきたいという思いを込め「One Family」という名前を付けた。

 

3.One Familyプログラム

・セントポール幼稚園での保育支援(2015.10.27~10.30)

どのクラスに入っても、子ども達や先生方が快く受け入れてくれることに感謝し、ゆったり楽しく過ごせた日々。天気のいい日の園庭は、元気に遊び駆けまわる子どもたちの笑顔でいっぱいだった。子ども達の表情を見ている先生も笑顔で嬉しそうだった。そんな当たり前の、ほのぼのとした光景の裏には、子ども達の安全を守るために、常に放射能線量の事を考え、風向きや風の強さを見ながら、外遊びの制限時間を設け対応していく先生方の苦労がある。また、園児が登園する前に、園舎内外の水拭きをしたりと、震災から5年経った今でも張り詰めた気持ちのまま保育をしている。先生方の心と体は大丈夫なのだろうか?いつになったら本当の意味で復興されるのだろう…と複雑な心境になった。聖公会の保育施設で働く福島の先生だけが背負わされている現実を、もっとみんなで担うことができたら、いや担わなければならないと強く思った。セントポール幼稚園がいつでも笑いの絶えない、子どもたちにとってホッとする場所であってほしい。

 

・ホームステイの受け入れを通して

昨年の夏休み、我が家に福島からステキな女性がホームステイに来てくれた。家族のようにリビングで一緒にテレビを観たり、小学生の娘たちのラジオ体操に付いて行ってもらったり、食事を共にしながらおしゃべりを楽しんだりと過ごした。又、地域の行事へも参加し、沖縄の盆踊りを踊ったり、エイサーを見たりと沖縄の文化にも触れる機会があり、楽しい時間となった。彼女との出会いがきっかけとなり、家族で福島の事をよく話すようになった。原発の関連ニュースが流れると「○○さん、大丈夫かな」と心配する子ども達。「お母さん、学校で福島の話を聞いたよ!」「原発は悪いことなのに鹿児島はどうして再稼働するの?」など原発の問題にも関心を持っているようだ。私たち大人は、原発が許されない理由を子どもたちにしっかりと伝え、福島の問題を風化させないようにする責任があると強く思った。

 

4.おわりに

初めて福島に行った時、汚染土が黒いシートに入れられ、住宅の庭に置かれている光景に驚いた。除染が進んでも汚染土を保管する施設が足りないらしい。あまりにも進まない復興に、福島で生活する人たちの心が折れてしまわないか心配である。私にできることは、これからも福島の現状に思いを寄せ、周りの人へ伝えていく、できる限りの支援を続けていくことだと思う。ゆっくりとした小さな歩みかもしれないが、この取り組みを長く続けていきたい。

One family~つながる心~

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
8人目は、沖縄教区の真栄城美子さんです。
真栄城美子さんは、沖縄の聖マタイ幼稚園で園長先生をされています。『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』で、郡山セントポール幼稚園へ保育補助にも度々来て頂いています。また、夏のプログラム『沖縄でホームステイ』では、参加した福島のご家族をあたたかく受け入れて下さいました。
福島への理解を深め、寄り添い、いつもあたたかく見守ってくれています。


『One family~つながる心~』

沖縄教区  真栄城美子

東日本大震災は地震・津波さらに福島第一原発の事故という言葉で表現できない災害となってしまいました。被災地のこと、被災者のことを思うと祈ることしか出来ませんでした。特に幼稚園関係の被災については自分だったら?自園だったら?と問うことだけしかできませんでした。

自然災害の恐ろしさは言うまでもありませんが、原発事故による放射性物質の拡散という大きな事態が起き、生命に関わる大きな問題が発生しています。被災地を訪問した司祭様や関係者の方から報告を受け、福島の子ども達の遊びがかなり制限されている事を知りました。大きく保育環境が変わった様子は私立幼稚園連合会のニュースでも取り上げられ、先生方のご苦労を知り胸が詰まる思いでした。沖縄教区では2014年7月に聖公会保育連盟の加盟園に対し、福島支援プログラムに教師派遣の要請がでました。私は3回に亘り、郡山市セントポール幼稚園に教師サポートとして訪問しました。

第一回訪問(2014年10月)
先発のなな子先生と共にお手伝いしました。緊張して幼稚園に向かいましたが、子ども達や先生方に暖かく迎えてもらい、直ぐに打ち解ける事ができ毎日有意義でした。出勤後直ぐに除染の為の床拭きです。毎朝2階ホールまで、なな子先生と頑張りました。保育園の床拭きは当然だが目的が違う。ガラス越しにでも入ってくる放射性物質の除去である。保育をしながら毎朝この労働は大変だろうと思いました。

先生方のきびきびとした行動は好感が持てます。連絡が密に行われる姿勢は子ども達の行動にも反映しているようです。子ども達は素直で園庭に外に出る許可がでると歓声を上げます。何処にでもいる子供の姿です。もう慣れたのか室内での遊びも沢山知っていて、工夫して過ごしています。

初日、セントポール幼稚園へは駅からタクシーに乗りました。沖縄では見られない見事な木々の公園前を通り、綺麗な街並みに見とれていました。後で聞いた内容は線量計を持参し数値を確認しないと散歩もできないという事です。確かに住宅の前に汚染土の入った黒い袋が並んでいる状態を見ると、綺麗な空気の中に住んでいる訳ではということになります。「なぜ?」と虚しさを覚えました。

お母さん方のお喋りの会にも参加しましたが、不安を抱えながら郡山に住む事を決めた方が殆どのようです。皆さんの明るさと芯の強さに逆に勇気を貰いました。

第二回訪問(2015年6月)
年度が変わり、進級した子ども達が迎えてくれました。覚えてくれている子も居て直ぐに仲良くなりました。主に2歳児クラスのお手伝いをさせて貰いました。セントポール幼稚園の子ども達は明るくて元気いっぱい。そして「ありがとう」が直ぐに言える、とても気持ちのいい幼稚園です。今回は園庭にプールが設置されており、線量の低い日は水遊びをしたようです。存分に水遊びができる日が、毎日であったらいいのにと願わずにはいられませんでした。

ボランティア訪問と同時に、先生方や保護者に「沖縄へリフレッシュに来ませんか?」の呼びかけもしていました。終了後に亀井さんファミリーが希望していますと連絡が入りました。8月に入り、ご一家と聖マタイ幼稚園で再会しました。ずっと一緒に行動出来た訳ではありませんが、元気に楽しく過ごされたようです。やっと誘致ができたと嬉しく思いました。今でも時々メールを頂いております。

第三回訪問(2015年10月)
みな子先生と参加しました。外での活動は思いっきりできないものの、先生方の保育への取り組みは一人一人を大事にしながら要所要所に於いてはしっかりと指導し、園全体が一つになって取り組んでいる姿勢が見えます。他園に応援に入るという目的を私自身しっかりもっていたのかなと確認しながら今回参加しました。当初は迷惑を掛けない様にという意識がとても強かったのですが、先生方の家族的な雰囲気の中にも節度ある言動、行動は大変参考になり、自分自身の行動にも繋がったのではと感じています。最終日は亀ヶ城公園へ遠足でした。出発前、温子園長はお祈りの前に子ども達に次のように話されました。「沢山の方のお陰で遠足に行けます。感謝を忘れないようにね。私たちは一人ではないのですよ。公園でも楽しく遊んで強い体を作って、人を助ける事が出来るようになりましょう」と。

この5年余、沢山のボランティアが来てくださり除染作業、お楽しみ会等子ども達へはもちろん先生方への応援を沢山受けられたようです。その感謝の言葉が園長先生の出発前の言葉になったのだと思いました。震災後、保育を再開するにあたり、大変なご苦労があったセントポール幼稚園、先生方、子ども達がいつまでも変わりなくこの元気を保って欲しいと思います。