つなげてもらって

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
7人目は、沖縄教区の岩佐直人司祭です。
沖縄教区にはこれまで、保育補助の支援である『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』や、夏のリフレッシュプログラム支援などを通して、大きな励ましを頂いてきました。岩佐司祭には、郡山セントポール幼稚園へ保育補助にも度々来て頂いており、園児や先生方にとって心の拠り所となっています。
福島で暮らす私たちは、沖縄の大らかなあたたかさに癒され、厳しい現実と向き合う勇気と元気を貰っています。


『つなげてもらって』

沖縄教区 災害支援室
室長 司祭  岩佐直人

 2011年に沖縄教区の東日本大震災支援室、後の災害支援室の担当に任命されてから、被災された方々のために何かをやりたい・やらなければならないという思いが強くあった。しかし遠く南に離れた沖縄からは人も物も送ることが難しく、何もできない・何をやったらいいのか分からない時がずっと続き、正直に言うと困っていた。何もできていないが、決してこのままで良い訳が無い。やりたい気持ちはあるのに何をやったら良いのか分からない。一人で悩み、一人で焦っているような状況だった。

2014年、沖縄教区の「慰霊の日」礼拝(6月23日・慰霊の日に一番近い主日)の講師に管区原発問題プロジェクトの池住 圭さんが来て下さった。沖縄戦で犠牲となられた国内外すべての方を覚えて祈り、また平和をテーマに講師からお話を聞くことを沖縄教区では毎年行っている。

講師として来て下さった池住さんは、私の派遣されている教会の主日礼拝に参加して下さった。そして礼拝後、池住さんとゆっくり話をする時間が与えられた。今、福島で求められているもの、沖縄教区は何をやったらいいのかを聞くことができた。池住さんは「幼稚園職員の負担軽減、リフレッシュ」を提案して下さり、職員交換などの可能性を話した。

その主日の礼拝には併設保育園の職員がたくさん来てくれていて、池住さんの話を聞いた私は、その場にいた職員を交えて福島との職員交換などの話をした。すると職員たちは「私たちが行きます」と言ってくれた。

その場には教区主教もいらした。話の流れを説明させてもらうとすぐに「進めてもよい」との言葉を頂いた。

一人で悩み、焦っていたのが何だったのかと思うほど、数時間のうちにどんどん話が進んでいった。私が聖職への召命を受けたときと全く同じで、もう自分の力ではコントロールできないスピードで話が進んでいく感覚。ああ、これはみ心に適っているのだと感じられ、また多くの人と繋がり、支えられているのだと感じられ、本当に嬉しかった。

その年の夏に事前準備のためにセントポール幼稚園を訪ね、秋に最初の職員派遣をした。残念ながら福島の職員を沖縄でリフレッシュしてもらうことはできなかったが、私たちが保育補助として伺わせてもらった。セントポール幼稚園の先生たちは温かく迎え入れて下さり、子どもたちは笑顔で遊んでくれた。「お姫様抱っこして~」、「肩車して~」、「ダンス教えて~」。子どもたちが列を作って私と遊ぶ順番を待っていてくれる。時折、日頃の身体の怠けを感じさせられることもあったが、次に行く時までに筋トレを増やしておこうと思ったりしながらも本当に楽しく過ごさせてもらった。

私は毎回伺わせてもらっているので子どもたちに名前も覚えてもらい、前に教えたダンスを覚えていてくれたり、別れ際に「また来てね」と寂しそうに言ってくれる子どもたちに「また来るよ。前も約束守ったでしょ」と答え、子どもたちは少し安心した顔をしてくれる。

沖縄は東北からはるかに遠く、移動に時間がかかる。しかし逆に言えば、何があってもすぐには帰れない距離であり、行く前にできる限りの準備はしておくが、行ったあとは協力してくださる沖縄のみなさんにお任せ・お願いするしかない。そこのこともあって、福島を訪れているときは100%の思いをセントポール幼稚園に向けることができる。今、目の前にいるセントポール幼稚園の子どもたちとだけ向き合う。熱中するとも言えるかもしれない。福島は今でも色々な状況があり、考えなければならないこともたくさんある中ではあるが、本当にセントポール幼稚園を訪れることが楽しくて仕方が無い。

原発問題プロジェクトからすばらしい提案をしてもらい、沖縄の職員に考えてもらい、セントポール幼稚園に受け入れてもらい、沖縄教区はこれからも職員派遣プログラム「One Family~つながる心~」を続けていく。それは私たちのことを待っていてくれる人・福島の家族がいるから。私は一人ではなかったし、福島の皆さんも一人ではない。そのことを主はわたしたちに示してくださったのではないかと思う。これからももっと多くの人と繋がることを期待して、主が示された(福島への)道を歩み続けていきたい。