原発事故から5年 いまだ消えない不安と溝に苦しむ母親達

(2016年2月23日朝日新聞掲載記事より)

東京電力福島第一原発事故からまもなく5年がたちます。除染などで放射線量は下がりつつありますが、日々の暮らしやなりわいなど至るところに事故の影響はなお残っています。
東京電力福島第一原発事故からまもなく5年がたちます。除染などで放射線量は下がりつつありますが、日々の暮らしやなりわいなど至るところに事故の影響はなお残っています。

東京電力福島第一原発事故からまもなく5年が経過します。

いまだ7万人もの人が政府の指示で避難を続けているとはいえ、福島県ではスーパーに並ぶ地元産の食材を買う親子も増え、子ども服がベランダで揺れるようになりました。しかし、事故前の日常を取り戻せない人も少なくありません。人々の間に生まれた溝は、時がたっても埋まりません。

事故直後に親子3人で、福島県沿岸部から郡山市に引っ越した母親(40)もその溝に苦しんでいます。5年生の娘(11)はクラスメートが給食を配膳し始めると、ランドセルからお弁当をとり出します。給食には放射性物質の検査を通った県内産の米や野菜が使われています。しかし、母親は娘の体への影響を心配し弁当を持たせています。

娘は「机を並べている他の子と違っていても、気にならなくなった」と言います。でも、クラスメートに「給食を食べないなんてノイローゼ?」と陰で言われているのも知っています。仲良しだったが今は口をきかないそうです。母親は「いつか娘が病気になるかもしれない。そう思うともう押しつぶされそうで」と話しています。
福島県教委職員は「数は多くないとはいえ学校に弁当を持ってくる子はいる。屋外の運動会でマスクをしたまま徒競走をする子もいる。放射能への思いは様々で強要できない」といいます。

(2016年2月21日福島民報新聞掲載記事より)

平成27年度の学校給食の福島県産品活用割合は27.3%で、前年度を5.4ポイント上回り、三割近くまで回復しました。
2015年度の学校給食の福島県産品活用割合は27.3%で、前年度を5.4ポイント上回り、三割近くまで回復しました。

上記のグラフから分かるように、福島県内の学校給食では福島県産品の活用率が震災後から年々上がっています。
郡山市在住の、ある小学生の子を持つお母さんは、震災以降福島県産の飲食物は一切購入せず、北関東の食品の購入でも躊躇しています。それでも、子どもの学校給食は仕方が無いので食べさせているのだそうです。震災から5年経った今も食品への不安に変化は無く、今後もずっと福島県産は避けるつもりでいる、とお話してくれました。
福島では、誰にも言えず1人で不安を抱えているお母さん達が沢山います。母親の緊張感は、子どもや家庭に少なからず何らかの影響を及ぼす事と思います。学校給食に福島県産を活用する事は、復興のアピールになるのかもしれませんが、そのようなお母さん達の気持ちに寄り添う事も大切な事だと思います。

この他にも同新聞では、母子避難をきっかけに離婚したケースや、賠償金を理由に誹謗中傷を受け傷ついている母親のケースが紹介されています。

中京大学の成元哲(ソンウォンチョル)教授らは事故後から継続して、福島市など9市町村で、事故当時1~2歳の子どもがいた母親を対象に以下の調査をしました。2015年回答を寄せた1200人余りの5割「(福島での)子育てに不安がある」と答えました。「地元産の食材を使用しない」の項目では、「あてはまる(『どちらかといえば』を含む)」が、事故後半年の8割超からは大幅に下がりましたが、まだ3割近くいました。賠償には7割以上が「不公平感がある」と答えました。成教授は放射能への不安は人それぞれで対策が難しい。せめて不満の矛先が避難者に向かわないような施策が必要だ」と述べています。

人の心が形成されるうえで一番大切な子どもの頃、その日々が放射能のせいで傷つく事が無いように、子育てに安心して取り掛かれる環境を取り戻すことが、今しなければならないことなのだと思います。手遅れになる前に・・・・。