~小児甲状腺がんの「多発」をどう考えるか~ 岡山大大学院教授(環境疫学)津田敏秀さんと国立がん研究センターがん予防・検診研究センター長の津金昌一郎さんが述べる

(2015年11月19日朝日新聞掲載記事より)
2015年11月19日朝日

~小児甲状腺がんの「多発」をどう考えるか~
岡山大大学院教授(環境疫学) 津田敏秀さん

国立がん研究センターがん予防・検診研究センター長 津金昌一郎さん

東京電力福島第一原発事故を受けて、福島県が子どもたちを対象に実施している甲状腺検査で、これまでに104人が甲状腺がんと確定しました。この「多発」は放射線の影響なのか、そうではないのか。見解の異なる2人の疫学専門家が自身の考えを述べています。

  • 岡山大大学院教授(環境疫学) 津田敏秀さん

「生涯発症しないような成長の遅いがんを見つけている」という「過剰診断」説を採ると、100人以上の小児甲状腺がんの手術が不適切だったことになってしまう。福島県立医大の報告では、同病院で手術を受け、がんと確定した96人のうち4割はがんが甲状腺の外に広がり、7割以上がリンパ節に転移していた。
福島や北関東の人口密度はチェルノブイリ周辺の何倍もあり、低線量被ばくによる多発の説明もつく。
予想される甲状腺がんの大発生に備えた医療体制の充実が必要だ。妊婦や乳幼児には保養や移住も有意義だろう。放射線量が高い「避難指示区域」への帰還を進める政策は延期すべきで、症例把握を北関東にも成人にも広げる必要がある。
科学の役割は、データに基づいて未来を予測し、住民に必要な施策を、手遅れにならないように提案していく事にある。

 

  • 国立がん研究センターがん予防・検診研究センター長 津金昌一郎さん

現時点では、「過剰診断」による「多発」とみるのが合理的だ。
過剰診断が強く疑われる現状では、調査を県外まで広げるべきではない。たとえ1人が利益を受けたとしても、それよりはるかに多い人が本来診断されないがんを発見され、治療を受ければ、生活の変化を含めて様々な不利益を被ることになる。福島県の子どもたちの場合でも、がんが見つかってもすぐに治療せず、様子を見ることも検討すべきだ。福島県で甲状腺がんで亡くなる人は、死亡率からみて40歳まででも1人以下である。
現行の検査を続けながら、放射線の影響について冷静に分析する必要がある。これは、国の責任でやるべきことだ。

 

私の住む福島県郡山市では、震災から4年余りが過ぎた今でも局所的に放射線量の高いホットスポットが点在しており、生活する上で低線量被ばくの影響を完全に避ける事は出来ない状況にあります。
そうした中、国が小児甲状腺がんの多発を被ばくによる影響と認めるのを先延ばしにする事で対応が遅れ、犠牲となる子どもが増える事を懸念しています。
小児甲状腺がんの診断や治療は慎重に行うと同時に、これ以上の被ばくを避ける対策や、すでに被ばくしている人に対するケアに国は力を入れるべきではないでしょうか。

チェルノブイリ原発事故が発生した年から小児甲状腺がんは多発しており、現地の医師は世界に訴えましたが、広島や長崎の研究によると小児甲状腺がんの発生には10年以上かかるはず、と1990~91年のIAEA調査でも多発は否定されました。結局、放射能による小児甲状腺がんの多発が認められたのは事故から10年後でした。
そうした対応は、世界からの救援の手を激減させてしまいました。

ベラルーシでは被曝した子どもたちの免疫力向上と放射性物質の体内からの除去を目的に、国が支援する保養施設が9か所あります。そこでは現在も保養を行っており、効果は保養を受けたほぼ全員の子どもに明らかという結果が出ています。日本でもこうした事例を参考に、国による保養プログラムを早急に検討するべきだと思います。

子どもたちの健康の保持に責任を持っているのは、私たち大人です。子どもが被ばくにより人生に影を落としてしまう事の無いように、私たち大人が最善を尽くし守っていかなくてはいけないと思います。

郡山セントポール幼稚園内のスマイルひろばで『赤ちゃんヨガ&マッサージ教室』を開催しました。

2015年11月16日(月)郡山セントポール幼稚園内のスマイルひろばで『赤ちゃんヨガ&マッサージ教室』を開催し、当プロジェクトでも一部支援させて頂きました。

講師は畠山よしえ先生です。今回は5組の親子が参加しました。ベビーマッサージ1116_1

オイルでマッサージして貰うと気持ちが良いのか、赤ちゃんも大人しくしていました。ベビーマッサージ1116_2

マッサージ後は、講師からオイルの説明やお母さんご自身の保湿のアドバイスなどもあり、和やかで楽しいひとときとなりました。ベビーマッサージ1116_3

子育てのプレッシャーから解放され、親子共に心とからだの緊張をほぐす事が出来たプログラムでした。

九州教区の牛島和美さんより歌声のプレゼント

2015年11月13日(金)幼児祝福式後、九州教区の牛島和美さんよりコンサートのプレゼントがありました。usiima1

幼稚園の先生方による伴奏に合わせて、牛島さんが心を込めて歌ってくれました。熱い想いのこもった牛島さんの歌は、聞く人の心の奥深くへと届くのを感じます。

1曲目の『虹』では、牛島さんから虹を意味する手話の振りを教えて貰い、園児も一緒に振りを付け、みんなの心がひとつになりました。
続く『君を乗せて』『千と千尋の神隠し』『さよなら僕の幼稚園』では園児も合唱しました。最後の『花は咲く』を歌い終える頃には、会場の空気が明るく澄み渡っているようでした。
アンコールに応えて、大人向けにアカペラで歌った『糸』に感動し涙しているお母さんもいました。

歌い終わった後は、牛島さんへセントポール幼稚園の先生方が一針一針想いを込めて作ったキーホルダーを贈りました。usiima2

牛島さんから「いつも福岡からお祈りしています」との言葉を貰い、郡山セントポール幼稚園では勇気と元気を頂きました。

コンサートの終了時には園児一人一人に握手して貰い、心に残る大切な思い出となりました。usiima3

リフレッシュプログラム 『長崎県の南の島でなつやすみin高島』。
聖公会関連幼稚園の園児とその家族を対象としたこのリフレッシュプログラムは、九州教区の暖かいご支援を頂いて実施しており、今年で4年目となりました。
コンサート終了後、このプログラムに今年参加したお母さん方が、牛島さんと、同行の君原さんに感謝の気持ちを込めて昼食会を開きました。君原さんは、高島のキャンプでスタッフとして参加者のお世話をして下さった方です。久しぶりの再会に、思い出話に花を咲かせました。
お母さん方の手作りした山形の郷土料理である『芋煮』など、心を込めたおもてなしにより感謝の想いをお伝えしました。usiima4

食後には幼稚園や学校が終わった子ども達も加わり、高島で会って以来の対面に子ども達も大喜びでした。
リフレッシュキャンプに参加した子ども達にとって、高島の思い出がどれほどの宝物なのかという事が改めてわかった、心あたたまるひとときでした。

牛島さんや九州教区の皆様の励ましに心より感謝致します。

伊方原発3号機再稼働、愛媛県知事が同意

(2015年10月27・11月5日福島民報新聞・朝日新聞掲載記事より)

愛媛県の中村時広知事は26日、四国電力伊方原発3号機(同県伊方町)の再稼働への同意を表明しました。原発の新規制基準ができて以降、地元同意は九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)に次いで2例目となります。今後は原子力規制委員会による認可手続きや検査を経て、来年1月以降に再稼働する見通しです。

福島第一原発事故から4年が過ぎ、福島県では避難指示が出ている地域だけで今でも約7万人が避難生活を送っています。その教訓を踏まえ、原発の30km圏内は住民の避難計画を作る事を法律で義務付けました。計画づくりや避難の準備、事故時の誘導などを担うのは主に自治体です。にもかかわらず、今回再稼働の同意を得たのは原発がある自治体のみです。又、使用済み核燃料を再処理する際に出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場が、国内で確保出来ずにいる状況も依然変わりはありません。こうした課題を残したまま、手続きが進められています。

中村知事は同意に際し、安倍晋三首相から「政府の責任」との言葉を引き出しました。伊方原発は日本一細長い佐田岬半島の付け根付近にあり、過酷事故の際に住民をどう避難させるかには不安を残したままです。福島原発事故による被害を考えれば、災害対策基本法を改正するなどして避難計画策定と実行確保を国の責務として明確化する必要は明らかです。

こうした中、原子力規制委員会は2015年11月4日、機器の点検などで管理ミスが相次いでいる高速増殖炉もんじゅについて、所管する文部科学大臣に勧告を出すことを決めました。勧告では、運営主体の日本原子力研究開発機構は「不適格だ」として、代わりの運営主体を、半年をめどに示すよう文科大臣に求めています。これを示せない場合は、もんじゅの廃炉も視野に入ってきます。勧告は規制委員会が発足して初めてのことです。

福島の放射能汚染の問題に終わりは見えません。解決し難い多くの問題を抱えながら原発再稼働が進むなか、福島の惨事が再び起こらない事を願うばかりです。

運営委員長交代のお知らせ

ごあいさつを兼ねて

司祭 ヨハネ 相澤牧人

運営委員長であった野村潔司祭が逝去されたことは、大きな痛手であります。ことにこのプロジェクトに関わる者にとってはなおさらのことでした。彼の魂が、主のもとにあって安らかに憩われますことを祈り続けたいと思います。
さて、その後任として、私が指名されました。ごあいさつを兼ねて記します。
私たちキリスト者が、キリスト者として様々に考え、ものを見ていく視点の根底にあるものは「いのち」です。神さまから一人一人に与えられた一つのいのちが、いかに尊く大切なものであるか、そのことを伝え、実践していくことにあると考えています。主イエスの教えはまさにそのことを語っています。
原子力発電をその視点から見る時、ことに福島の原発事故によって、素人にもその問題が明らかになり、知らされたことを考える時、歩む道は示されているのではないかと思います。
私は、原発を再稼働することを考えている人々が言う「安全」と、いのちの尊さから考える「安全」の違いに苛立ちを感じている者です。原発から出て来る廃棄物の無害化の技術が確立されていない今、稼働すればするほど危険物をどんどん生み出しているということをどう理解するのか、ということです。ましてや電気は原発がなくても足りているという現実、そして、電気を作り出す方法は様々にあるということを思う時、そこに求められることは「決断」なのだと思います。

(横浜教区 市川聖マリヤ教会牧師)

次の園外保育が今から楽しみです。

2015年10月30日(金)にセントポール幼稚園の秋の遠足で猪苗代町の「亀ヶ城公園」に行ってきました。

この前参加した運動会では自分の体力不足を痛感しましたので、この日の散策やかけっこなどに備えて走り込みなどを重ね準備万端の私でした。
当日の郡山はほんの少しだけ肌寒く感じられましたが、太陽の光が燦々と降り注いでおり、たくさんの子ども達と楽しい時間を過ごすことを考えると体が熱くなるのが感じられ、私は半袖一枚でいました。出発前の先生たちの“寒くないですか?”という心配をよそに、気分はルンルン♪もう気持ちは亀ヶ城公園に飛んでいました。
待望の亀ヶ城公園に着くと、まずはみんなでからだをよく伸ばし、そして手足をぶるぶるさせての準備運動をしました。そして、待望のかけっこです!子どもたち全員が、先生を捕まえる「○○先生をつかまえよう」というゲームでした。先生たちは子どもたちにタッチされないように広い亀ヶ城公園の中を逃げ回ります。子どもたちは一生懸命走って先生を捕まえようとします。私自身、普段の生活の中であまり芝生の上を走ることはなく、アスファルトの上を走る時と少し勝手が違うのですが、子どもたちの前で格好悪い所は見せられません!真剣に、本当に真剣に走って逃げました。しかし、悲しいかな5分も走ると息が上がってきますし、足も絡まりそうになります。何よりも、あらゆる方向から捕まえようと追いかけてくる子どもたちの数、そしてその元気さに敢え無く降参し、捕まってしまいました。20151031亀ヶ城公園
次は、亀ヶ城公園の城跡の散策を計画していたのですが、急に天気が変わり、雨が降り出したのでやむを得ず昼食を取り、時間を早めて帰ることにしました。(わたしは事前に亀ヶ城の歴史を調べていたので残念!)

芝生の上を走るのが楽しい事、草木のにおいや吹く風から夏から秋への季節の移ろいを感じた事、山の天候が変わりやすい事、自分には今後も体力作りが必須な事、そしてセントポール幼稚園の子どもたちがいつも、とっても元気いっぱいな事を改めて感じた楽しい秋の遠足でした。
来年の亀ヶ城公園への遠足が今から楽しみです。(スタッフ/佐々木)

郡山セントポール幼稚園で『ロケットくれよん』によるミニコンサート開催

2015年11月9日、郡山セントポール幼稚園にて『ロケットくれよん』によるコンサートが行われました。
園児に大人気の『ロケットくれよん』ですが、来訪は今年で3回目となり子ども達は忘れずに覚えています。

『ロケットくれよん』のメンバーは、山口たかしさんと高田さとしさんの2人組です。
1996年にそれぞれが保育士として保育園に勤務し、子どもたちとかかわる中で子どものつぶやきにメロディーをつけ、うたやあそびうたなどのオリジナルソングをつくりはじめたそうです。
2004年9月に『ロケットくれよん』を結成し、「命と仲間の大切さ」をテーマにみんなの心がぽかぽかにあたたまるコンサートを目指して活動しています。

▼歌に合わせてからだの一部をタッチする『からだかるた』。園児とさとしお兄さんが勝負します。

まい先生も『からだかるた』に参戦し、お兄さんに勝ちました!
まい先生も『からだかるた』に参戦し、お兄さんに勝ちました!
みんなで一緒に振りつけに合わせて歌って踊り、会場が笑い声と熱気に包まれます。
みんなで一緒に振りつけに合わせて歌って踊り、会場が笑い声と熱気に包まれます。
ロケットクレヨン7
続いてはパネルシアター。ぽんぽこたぬきが何に化けたか、シルエットからみんなで当てます。
ソフトクリームだと思ったら、サンタクロースでした!
ソフトクリームだと思ったら、サンタクロースでした!

▼最後に感謝の想いを込めて、先生からクマのぬいぐるみをプレゼントしました。ぬいぐるみの首元には先生方で付けたセントポール幼稚園のロゴマークが付いています。ロケットくれよんのお二人は、とても喜んでくれました。

歌って踊って触れ合って、笑顔いっぱいの楽しいステージに、園児たちはもちろん大人も心があたたまりました。
ロケットくれよんさん、本当にどうもありがとうございました。

10月27日~28日に、主教会が行われました。

2015年10月27日(水)~28日(木)郡山聖ペテロ聖パウロ教会を会場に主教会が開催され、全教区の主教さん11名と管区事務所総主事・矢萩新一司祭が郡山に来られました。

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28日の昼食歓迎会 教会・幼稚園関係者と共に

10月29日に予定された被災地巡りに備え、前日に当プロジェクトより現在の状況と課題を、パワー・ポイントを用いて報告しました。パワー・ポイントは、主教会に先立ってスタッフが下見をした際に収集した資料を基に作成しました。

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画面に見入る主教さん方

震災から5年近く経つ現在も、郡山市内では放射能への不安を抱えながら生活している事や、仮設住居ではメンタルケアのニーズが高まっている事、福島県内の植物には放射能の影響と思われる変化が現れている事などを、具体的なデータを示しながら説明しました。

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被災地巡り 現在も全町避難が続いている富岡町にて
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支援センターがん小屋(相馬郡新地町)にて スタッフ松本晋さんと仮設にお住いの方々と共に、今も続く、それぞれの困難な状況を聴きました。
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仮設住宅にお住まいの方々と一緒に記念撮影
被災地訪問は、「被災者支援センター・しんち」跡地でのお祈りをもって終了しました。
被災地訪問は、「被災者支援センター・しんち」跡地でのお祈りをもって終了しました。

立教学院諸聖徒礼拝堂ハンドベルクワイアによるミニコンサートの贈り物

2015年10月29日、立教学院諸聖徒礼拝堂ハンドベルクワイアの皆様がセントポール幼稚園でミニコンサートを開催して下さいました。

まずは『こどもの世界』の演奏でスタートし、ハンドベルについてわかりやすく解説がありました。園児達は美しい響きと初めて見るベルに興味津々の様子で、熱心に聞き入っています。
次は園児達にハンドベルを直接触らせて貰う体験コーナーです。実際に音を出し、初めての体験に園児たちはとても嬉しそうです。

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そして最後に、立教学院の方々の美しい合唱と合わせて『小鳥たちは』と『ガリラヤの風薫る丘で』の2曲の演奏がありました。園児達も一緒に歌い、親子共々心癒さされるひとときとなりました。

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ミニコンサート終了後、立教学院諸聖徒礼拝堂ハンドベルクワイアの皆様のご希望により、福島の現状を知りたいとの事から『原発と放射能に関する特別問題プロジェクト』によるプレゼンテーションを実施しました。
この日ちょうど関東からお越し頂いたBSA(日本聖徒アンデレ同胞会)の方々も、是非一緒に聞きたいとの事で同席して頂きました。

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福島原発事故による影響がどのようなものであり、ここ郡山市では現在も放射能によるストレスを感じながら生活している事についてお話し、皆様真剣に耳を傾けて下さいました。

福島原発事故当時まだ未成年であった大学生にとっては、初めて知るような内容も多かったかもしれません。又、東京に住んでいると、日常で放射能について意識する事も少ないでしょう。今回の郡山への訪問が、これから未来を担っていく若者にとって、原発について問題意識を持つきっかけとなってくれる事を願っています。

 

福島第一原発の廃炉作業に伴う廃棄物が2017年3月に構内での保管容量を超える見通し

(2015年10月5日福島民報新聞掲載記事より)2015年10月5日民報新聞掲載記事より

 

東京電力福島第一原発の廃炉作業で発生するがれきなどの廃棄物が2017年3月、構内での保管容量を超える見通しとなり、東電は早急な対策に迫られています。8月末現在の保管量は限度量の約半分となりました。
構内には汚染水タンクが林立しており、貯蔵庫と廃棄物を減容化する焼却炉を設ける敷地の確保は困難な状況です。
放射性物質の付着した廃棄物を構外に運び出すのに法的な制約はありません。東電は外部に持ち出した上で建設資材として再利用する案を検討しています。しかし、原発事故で発生した廃棄物のリサイクルには、業者や一般市民の抵抗感が根強いとの見方も示し、「現状では構内に保管する方法が現実的だ」としています。

原子力規制委員会は専門委員会を設け、廃棄物の建設素材としての再利用を念頭に協議を開始する予定です。

日本より先に「廃炉の時代」に入っている欧米の主要国では低レベル放射性廃棄物の処分地がすでに決まり、埋設処分が進んでいます。
福井県などの資料によると、2014年8月に米国では全127基中、27基の廃炉が決定し、うち10基で廃炉が完了しました。解体で出た低レベル放射性廃棄物は、ユタ州やテキサス州など国内4か所に整備された広大な処分場に埋設されています。
「脱原発」を進めるドイツでは全32基中、7割の23基の廃炉が決まり、稼働中の9基も2022年までに運転を終える予定です。同時期に大量の廃棄物が出る見通しですが、処分責任を電力会社が負う日本とは異なり、国が責任を負い、処分場の建設を進めてきました。
又、最終処分地を決めているのは、世界でフィンランドとスウェーデンだけです。スウェーデンの廃棄物管理会社(SKB)の広報担当者は、「30年のリサーチを要した」と述べています。国内のあらゆる場所を調べ、地震から次の氷河期まで可能性のあるすべてのシナリオを考慮にいれた、とドイツ国際放送Deutsche Welleが報じています。

日本でもこれから原発の廃炉が進む中、廃棄場の問題について電力会社任せにする事には限界が見えおり、国が主導となり決めざるを得ないでしょう。その場合、東京で使う電力を福島の原発で発電していたように、災害の危険性が低く自然豊かな地方が犠牲となるのではないかと不安を感じています。
又、政府はごくレベルの低い放射性廃棄物は放射性廃棄物とせず、一般ごみとして処分してかまわないとする「クリアランスレベルの設定」をしました。これにより放射性廃棄物が再利用され私たちの生活環境へ入り込む事となりましたが、どのような影響をもたらすのかは定かではありません。(参考:河田昌東氏による連載より http://www.chernobyl-chubu-jp.org/_userdata/kawata42.pdf

豊かさを求め続けてきた資本主義の影である原発のツケを、私たちの子孫が支払わされる未来はどのような世界なのでしょうか。福島原発事故を礎として、これまでの価値観を変えていかなくてはいけない事を忘れてはならないと思います。