「東電・政府 津波対策怠る」IAEA報告書 福島事故を総括

(2015年5月25日中日新聞掲載記事より)
国際原子力機関(IAEA)が東京電力福島原発事故を総括し、加盟国に配布した最終報告書の全容が24日、判明した。
東電や日本政府の規制当局は大津波が第一原発を襲う危険を認識していたにもかかわらず実効的な対策を怠り、IAEAの勧告に基づいた安全評価も不十分だったと厳しく批判した。

「東電・政府 津波対策怠る」
「東電・政府 津波対策怠る」

IAEAの批判から、日本は広島・長崎での被爆国でありながら背景に原発は安全との思い込みがあり、福島原発事故を引き起こしてしまったことがわかります。原発の問題が風化してしまう前に、価値観を変える必要があるのだと思います。
犠牲となってしまった福島の線量の高い土地で暮らす人たちは、悲しみに負けないよう平凡を取り戻しながら、でも忘れるわけにはいかない放射能と共に生活しています。

指定廃棄物 行き場迷走

(2015年5月24日中日新聞掲載記事より)
東京電力福島第一原発事故で発生した放射性物質を含む指定廃棄物の処理問題が迷走している。処分場建設のめどが立たず、国は事故当事者の東電の敷地を候補地にしたり、最終処分場の名称を「長期管理施設」に変えるなど、打開策を打ち出すが、逆に候補地となった自治体や住民は不信を深めている。

指定廃棄物 行き場迷走
指定廃棄物 行き場迷走

郡山では、子どもが遊ぶ自宅の庭の下に除染で取り除いた汚染土が埋まっている家が沢山あります。又、道路にはビニールで覆われた行き場の定まらない汚染土があちこちに置いてあります。先日、駐車場に置かれた汚染土の下をガイガーカウンターで計測したところ、1.57μ㏜/hあり目を疑いました。
大地に根差して生きていくのが人間の本来の生き方であるのに、その本能を妨げられて生活している不自由さを、時間の経過と共に慣れてしまいながら、時々その恐ろしさに気がつく自分がいます。

伊方「適合」課題は山積 ー事故発生時 陸の孤島 避難困難ー

(2015年5月21日中日新聞掲載記事より)
再稼働に向けた審査で事実上の適合とされた四国電力伊方原発3号機。立地・周辺自治体は避難態勢の整備を進めるが、原発は「日本一細長い半島」(伊方町)の付け根にあるため、原発から西側の半島で暮らす住民約5千人は事故が起きた場合、原発の前を通り過ぎ逃げる想定となっている。半島の先に逃げフェリーで大分県などに避難するルートもあるが、南海地震と原発事故の複合災害が起きた場合は陸路も海路も使えず半島から逃げ出せなくなる恐れもある。又、周辺の山口県や大分県の住民も不安を抱えており、課題は山積している。
昨年九月の川内1,2号機を皮切りに一年もたたないうちに3原発、計5基が審査に合格し、原発が次々に動く再稼働ドミノが現実味を増してきた。そこにはより高い安全性を目指すという謙虚な姿勢が見えない。

伊方「適合」課題は山積
伊方「適合」課題は山積

福島で暮らし原発事故の痛みを知っている人こそ、事故を教訓とせず人命を犠牲にしている政府の原発回帰路線に疑問や怒りを強く感じることと思います。
しかし地域に根差し暮らしていく上では色々な柵があり、原発に関して自由に発言や行動が出来ないという葛藤を抱えているのが現実です。
今、福島で何事もなかったように暮らしているように見える人たちもきっと、この事故で流した涙を無駄にしたくない、未来に役立てて欲しいと心から願っているのだと思います。

原発コスト大解剖ー政府は「安い」でも海外は「高い」

(2015年5月17日中日新聞掲載記事より)

経済産業省は今月、各電源のコスト試算をとりまとめ、原発が1キロワット時あたり「10.01円~」で最も安いとの結果を示した。
再生可能エネルギーは割高となっているが、太陽光や風力など日本ではまだ少ない再生エネの場合、普及促進に向けた国の支援など政策経費が高くなるのは当たり前で、普及すれば政策経費が下がり、コストはもっと安くなるはずで意図的に高く見せようとしてる。
又、ソフトバンクの孫正義氏が設立した自然エネルギー財団は、事故リスク対応費を政府の試算では9.1兆円に対し20兆円で計算し、建設費は福島の事故後海外では近年2倍以上に増えていることから政府の試算716億円に対し2000億円、廃炉費については諸外国の見積もりを参考に政府の716兆円に対し2000億円と見積もり、1キロワット時あたり14.3~17.4円になると独自に試算している。
安倍晋三政権は今回の経済産業省の試算を根拠に、原発回帰を加速したい考えであり、世論調査により原発は高いという印象を与える狙いであることがわかる。

2015年5月17日(日)中日新聞掲載記事より

福島県外出身である私は、帰省した際など県外の人との交流の中で、時々話題が原発や福島の事に及ぶことがあります。
そのような時、たとえ子どもがいる人でもこの問題に無関心で、原発に肯定的な考えを持っている事に驚き、福島県民とのギャップを痛感することがあります。
残念なことに知識がそれほどない人ほど、関心が薄いようにも感じます。
全ての人がこの問題に関心を持ち、義務教育で正しい知識を与えることが必要なのではないかと思います。
又、自分さえ良ければ良いという発想ではなく、他人の心の痛みを想像出来るような子どもを育てていくことが、この国に住む人の幸せに繋がっていくのではないかと思います。

原発作業員の被ばく上限250ミリシーベルトに引き上げ

(2015年5月21日福島民報掲載記事より)
新聞の記事、テレビのニュース、そして本や雑誌は日々大切な情報を与えてくれます。
それをもとに私たちは考え、行動します。
また同時にどの様な情報にも、伝えたい意図があるというのも事実であると思います。
“どうしてこの記事が載っているんだろう?”“この情報は何を伝えようとしているんだろう?”“どういう意味があるんだろう?”
その様なことを皆さんと一緒に考えていきたいと願っています。
(スタッフ)

被ばく上限250ミリシーベルトに
被ばく上限250ミリシーベルトに

福島県民健康調査結果から感じる事

(福島民報2015年5月19日掲載記事より)
私も平成26年2月25日にホールボディカウンターによる内部被ばく検査を受け、結果はセシウムは検出されず、預託実効線量は1mSv未満とのことでした。
この結果で少しは安心する事が出来ましたが、いまだ放射線量の高い郡山で暮らす限り今後も油断は出来ないのだと思います。
友人で小学生のお子さんがいるお母さんは、子どもがホールボディカウンター検査を受ける際に、一人で検査機器の狭い空間に入りそれがまたトラウマになるのでは、もし悪い結果がどうしたら良いのか悩みは尽きないと言っていました。
今回の検査の結果、甲状腺がんと確定された子どもが増えていることに放射線の影響は本当に無いのか、納得できるような答えがあれば多くの福島のお母さんとお子さんは救われることと思います。
(スタッフ)

福島民報2015年5月19日新聞記事
福島民報2015年5月19日新聞記事

 

中部教区からお客様が来訪します

「福島を忘れない、福島を知り、ともに祈る車の旅」

日程/6月17日~6月18日
主催/中部教区  いっしょに歩こう!プロジェクト中部

中部教区からお客様が来訪します。

冨岡、大熊、双葉、浪江の各町を訪問し、被災地の現況に触れます。また、南相馬郡新地町にある雁小屋仮設住宅でのお茶会に参加し、仮設に住まう人々との交流をします。旅の最終日には、原発プロジェクト郡山事務所にも来られます。

原発事故の風化が懸念される中、いつも心に留めて頂き、訪問して下さることは、大きな喜びであり、励ましでもあります。

なお、この旅は、7月、10月、11月にも予定されています。

見つめることを辞めない心

この場所に住み始めて10日が過ぎようとしている。今まで住んでいた実家がある秋田県とは違い、ここ福島県郡山市は緑が多くまた散策できる公園も多い。標高も高いせいか涼しく感じられ、とても過ごしやすく、暑がりの私にとって頬に当たる風はとても心地が良い。自然の恩恵を体全体で感じることの出来るここでの生活を満喫している。先日、住民票の移動手続きの為に郡山市役所に行ってきた。住んでいるアパートから市役所まで歩いて約20分。郡山市に来て初めての仕事場所以外への移動であった。自然を楽しみながら、いつもと違う風景を楽しみながらの市役所までの散策、いつもと違うウキウキ感があった。とても大きな市役所、綺麗な建物で、まるでこれからのここでの新しい生活とダブって感じられた。住民票の移動の書類に書き込み呼ばれるのを待っていた。しばらく時間がかかった為、広く大きな庁舎内を見回していた所、見慣れないコーナーに目が止まった。それは新しく市民になった人、また市民への放射線量測定器の貸し出しのブースであった。今まで他県の市役所に行ったことがあるのだが、そこで見た光景は普通ではありえないものだ。その途端に自分の中で風化しかけていた現実に襲われた気がした。すべての問題が収束に向かっていて、今はもう心配ないと思い込んでいた自分、いや、その様に思ってしまおうと願っていた自分という表現が適切なのかもしれない。ほぼ上の空に近い状態で住民移動手続きを済ませ、市庁舎の中をよく見回した。除染情報コーナーというものだった。今までの除染への取り組み、市の放射線量マップ、食品検査の案内、放射性物質やその影響についての詳しいパンフレットが置いてあった。とても詳しく、また丁寧に書かれており、郡山市の今現在までの放射線対策が一目で判り、放射性物質の基本的知識、健康への影響、食品の放射性物質対策などの記述は不安に駆られた自分を安心させてくれるものであった。しかし、資料の膨大さに驚くと共に、まだ放射線への不安は市民の生活に深く結びついていると感じざるを得なかった。

自分の部屋に帰り、家族が持たせてくれた線量計で部屋の中、ベランダ、外の植え込み、いつも歩く道路を何気なく測ってみた。線量計を貰った時、秋田県の実家で測った数値と桁が違っていた。市役所で見てきた市内の放射線量マップの数値とも違っていた。何回測っても数値は変わらなかった。また突然なんとも表現出来ない不安に襲われた。ついさっきまで眺めていた景色が違って見えた。昨日まで普通に蛇口をひねって水を飲んでいたのが飲めなくなった。風を楽しむために開けていた窓が開けることが出来なくなった。あれだけの資料を見て安心したのにも関わらずその夜は不安で眠ることが出来なかった。

次の日、またその次の日も不安は消える事はなかった。でも、暑いと窓を開け、のどが乾いたら蛇口を捻り水を飲むようになった。全てを気にしていると生活が出来ない事に気が付いた。気持ちが参ってしまう事に気が付いた。いつもと同じ歩く道、頬に当たる風、木々のせせらぎは郡山市に来た時となんら変わりはない。変わったと言えば少しだけ、ほんの少しだけであるが、放射線の問題をここで生活する者としての視点で考え始めたという事だ。生きていく上で、どこで妥協するのかはこれから毎日自分自身を問い続ける事だろう。しかし、この放射線の影響、原発の問題、そしてこの地の現実というものを見つめ、そして見つめ続けてゆきたいと思う。             (スタッフ/佐々木康一郎)

▼郡山市役所の除染情報コーナーに置かれていたパンフレットの一部