本日、顕現後第3主日の福音書は、ルカ4:14-21 が選ばれています。もう何度もお聞きになったことと思いますが、ルカ福音書は、続編である使徒言行録と共に、ユダヤ人以外の人々を対象に、福音が広められていったことを世界的視野で記そうとしました。
まずは、天使ガブリエルによる祭司ザカリヤへの、不妊の妻・エリサベトの受胎告知から始めました。そして半年後の、ヨセフの許嫁(いいなずけ)マリアへの受胎告知があり、その不思議な受胎の意味を探るべくマリアは親戚でもあるエリサベトを訪ね、二人の胎児が胎内で反応し合う、厳粛でユーモラスな出会いがあり、マリアは神を崇めます。天使の告知通り、バプテスマのヨセフが誕生し、父ザカリアも、我が子の行く末を預言します。そして半年後にイエスの誕生があります。世界の片隅での、救い主誕生の喜びを知らされたのは、ユダヤの宗教的な日々からはほど遠い、律法を守ることのできない過酷な日々を送る羊飼いたちにであったことが記されます。
乳児イエスは、母マリアの産後の肥立ちの後、ユダヤ人の長男として神殿に捧げられる喜びの日に、信仰深いシメオンによって、幼子が救い主であることが強く示唆されます。やがて聖家族はナザレに戻り、そこで育たれた。12歳の祝いでエルサレム神殿に登った折には、少年イエスの神童ぶりが只一度だけ記されています。
3章からは、成人したヨハネが洗礼運動を始めて人々に大きな影響を与えたこと、イエスも洗礼を受けられてこと。そして天からの声「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との声が聞こえます。この言葉を通して、ルカ福音書の主眼点が示されます。マタイ福音書では、ユダヤ人の始祖・アブラハムから始まる系図が記されましたが、ルカはイエス、ヨセフからさかのぼり、アブラハムに辿り着き、さらにさかのぼってアダムに至る。ここに、“人類、皆兄弟” が示されます。そして、行ってみれば、イエス活動前史最後出来事として荒野での誘惑を経て、ガリラヤでの伝道活動が始まります。以上が、イエス様誕生からガリラヤ伝道開始までのダイジェスト版です。
イエス様は生まれ故郷のナザレに来て、安息日の会堂で、聖書を朗読されます。そこで選ばれているのはイザヤ書でした(61章や42章など)。“主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。” という、印象的な言葉が心に響きます。席に戻られると、すべての人の目がイエス様に注がれました。イエス様は「この言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」と言われました。
私の個人的な話になりますが、私の生家はキリスト教徒ではありませんでした。父親代わりの祖父は建築業で、鍬入れ式、棟上げ式等々、すべて神事にまつわるもので、家には “高島易断~” という本があり、暦によって日程や時刻が決められていくのを目の当たりにしていました。信心深い家でもありました。祖父母に連れられて、幼い頃は、よく神社仏閣にお参りに行きました。そんな家の前に、子供たちのために、何人かの人たちが、ある日無料の紙芝居を見せに来てくれました。このような紙芝居が見たければ、ここにいらっしゃいとお誘いのチラシが配られました。それはキリスト教会の日曜学校といわれるグループの人たちだったのです。友人と誘い合わせてそこに出かけたのが、私とキリスト教との出会いになりました。神社仏閣参りでは、無病息災、家内安全、商売繁盛が願われていました。もちろんそれも大事ですが、日曜学校では、視点が随分違うことが子供心に印象に残り、積み重ねられていったことが印象に残っています。
今日の、イエス様の最初の活動で語られた言葉「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし・・・・」に繋がるような、自分中心の考え方を越え、解放されていく印象といっても良いでしょう。それは、子供である私が“耳にした時に実現した”、そういうことが、私と私の家族の中にも、長い年月積み重ねられていったと言えるのは確かなことです。紆余曲折はありましたが、私が中3で洗礼に導かれ、大学3年の時に母が、そして私が29歳で司祭按手された明くる年に、祖父母が洗礼に与りました。私自身、教会に通っていましたが、大学に進む時、この道に進もうとは爪の先も考えたことがありません。志望校の受験には失敗し、経済的理由から浪人は許されず、2次試験のあるところを探し、その一つであった桃大を受けて拾っていただいた。幸いにも素晴らしい先生方との出会いを戴きました。就職を考える頃、時の牧師・小池虔二司祭から神学校行きを勧められ、その気になりましたが、家族の猛反対に遭い、不甲斐なくも断念。トンボ鉛筆に就職。幸いなことに?嫌な上司がいまして辞職。その人がいなかったら今の私はありませんので、不思議なものです。紆余曲折の後に、再決断をして神学校へ進みました。
普段、自分の教会に通っているので、桃大に通っている時は、聖アンデレ教会の礼拝に一度も出たことはありません。ただ一度だけ、大学のクリスマス礼拝に出席してみようと思い参加しました。帰りの電車で、吊革にぶら下がる私の前に座っている学生が、先ほどの礼拝で見た覚えがあり、声を掛けました。やはりその学生で、桃山の中・高・大で学んできたそうです。私の通う教会牧師が元・桃山の中高チャプレンだった小池司祭であることを話しました。「僕が通っている教会に来ないか」と誘ったその次の日曜日から通い出し、やがて洗礼に与りました。「聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」という言葉は、本当に生きている言葉と思えます。大切にしたい御言葉です。“実現する” のです。
司祭 齊藤 壹