2022年1月16日

「Calling(コーリング)」

ヨハネによる福音書2章1-11節

「27年経って、はじめて両親の気持ちがわかりました。」
震災で、幼いころに両親を失った、ある男性がそう語りました。明日1月17日で阪神淡路大震災から27年目を迎えます。テレビや新聞で特集が組まれている中で、インタビューに答える男性の言葉を聴きました。
彼は7歳の時に神戸で震災に遭いました。自宅は全壊。自分と兄は崩れ落ちた瓦礫の下から偶然助け出されましたが、数時間後、両親は遺体で運び出されたそうです。わずか7歳で両親をいっぺんに失った彼は、しかしその痛みや悲しみを誰にも語ることはありませんでした。
27年経って、ようやく自分の体験を話す決意した彼が、インタビューに対して静かに語りはじめたのは、両親を失ってしばらくは、悲しさよりも、両親に対する「怒り」や「恨み」だったということでした。
「なんで急にいなくなってしまったのか…」
「なんで自分を置いてけぼりにしたのか…」
そういう思いで心がいっぱいになって、両親を恨んだそうです。でも、両親のそろっている友達の中で、この気持ちを口にすることはできなかったのでした。彼は言葉をつづけました。
「自分がもしこのまま死ねば、お父さん、お母さんに会えるんじゃないか…」
「自殺したら、お父さんとお母さんのいるところに行けるんじゃないか…」
7歳だった彼は、そんなことも真剣に考えたのでした。でもその気持ちも誰にも語ることはなかったのでした。

その気持ちに変化が起こったのは、結婚して子どもができ、その子が、両親を失った時の自分の年齢に近づいてきた姿を見た時でした。
公園のブランコで遊ぶわが子を見守りながら、彼はつぶやきます。
「今、自分が父親としてこの子を置いて逝かなければならないと考えたら、たまらなく悲しいし苦しいです。そう思った時、あの日、両親が自分に対して持ってくれていたであろう愛情が強く感じられたんです。」
あの時の両親の気持ちに自分自身が重なった時、ずっと恨んでいた気持ちが溶けていって、自分のことしか考えてこなかったことを謝りたいと思ったそうです。両親を失って27年目。震災27年後のことでした。

聖書の「カナの婚礼物語」が語るのは何か。このことをずっと考えていた時、この男性の語りに出会いました。
宴会の席で、ぶどう酒が足りなくなりました。母マリアはイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言うとイエスは「婦人よ、わたしとどんな関りがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と答えました。この前半の言葉にもいろいろ考えさせられますが、ここでは、聖書は、この「婦人よ」という言葉を境に、イエスとマリアの関係を「子-母」の関係から、「神‐人」の関係として描き始めているということを押さえておきたいと思います。そして今日は続く「わたしの時はまだ来ていません」という言葉の意味を考えてみたいのです。

私たちは、物事を始めるとき、目標を立て、そこに向かって一つ一つ実行していくことが大事だと言われます。しかしもう一つの視点があると思います。それは「Calling」(コーリング)と呼ばれる歩みです。それは自分が「こうしよう」「ああしよう」と決めて進むのではなく、「神様が呼んでくださる」声に従って歩くということです。神様が呼んでくださる声に全面的に信頼するということです。
私たちは、人生の歩みの中で「もう、自分はそっちにしか進めない」という呼びかけに出会うことがあります。それは、多くの人が勧める道ではないかもしれません、常識的に考えたらふつうは選ばない道なのかもしれません。しかし、そこにただ「神様が呼んでくださっている」という確信が、自分にその道を歩ませる、ということがあると思うのです。
「わたしの時はまだ来ていない」と言ったイエスの言葉は、裏を返せば(時が来れば)「必ず来る」ということでもあるでしょう。その「時」が27年経って来ることもあるでしょう。しかし、何年経とうが、この「Calling」(神の呼びかけ、召命)があれば、私たちは、そこに向かって歩き出さずにはいられなくなるのです。
召使たちはイエスに言われて、水の入ったカメを運びました。彼らはそれが「正解だから」「常識的だから」水を運んだのではありません。彼らはただ「神に呼びかけられた」のです。呼びかけたから、彼らはその道を歩んだのでした。そうした時に、彼らの水は最後に豊饒なぶどう酒に変えられていた。呼びかけに従って歩いた彼らの労苦は、最後に豊かな実りになったということが言われているのだと思います。
27年経って、両親の愛情をしっかりと受け取った彼の言葉から、そんなことを思いめぐらしました。

司祭 義平 雅夫