2022年1月9日

「もう一人の博士」

マタイによる福音書2章1-12節

今日は公会暦で「顕現後第1主日・主イエス洗礼の日」です。
「顕現日」は1月6日です。救い主の誕生は、ユダヤ人以外の人にも示された。その象徴的な出来事が、3人の東方の占星術者(ギリシャ語でマゴイまたはマギ。賢者、博士とも訳される。マジックの語源)への知らせとベツレヘムへの来訪でした。3人それぞれが黄金、乳香、没薬を捧げたとマタイ福音書は記しています。イエス様は、世界のあらゆる人にとっても救い主としておいで下さったというわけです。有名なお話です。ローマ帝国の東の中心地コンスタンチノープル(今のイスタンブール)を中心に広げられていったキリスト教会(東方教会-ロシヤ、ギリシャ、シリヤ、エチオピア正教会など)では、1月6日が降誕日(クリスマス)として守られています。ローマを中心に帝国西部に広がっていった教会は西方教会と呼ばれ、ローマ・カトリック教会、そこから分れた聖公会、プロテスタント諸教会はその流れで、クリスマスは12月25日で守っています。

さて、東方の3人の博士の他に、“もう一人の博士” がいたというお話しをご存じでしょうか。
その名はアルタバン。ペルシャの山あい、エクバタナの町、王様の宝物蔵のすぐ外側に住む、拝火教(ゾロアスター教)の僧でした。白い毛織の衣装、絹の衣、房のついた白いとんがり帽子を冠り、自然の秘密をさぐり、木や火や草木を調べて薬を造り、病気を治す人でもありました。そして、あらゆる学問の中で、もっとも高いものは、星の知識を深めることにこそあると考えていました。アルタバンたちは、『時がくれば、勝利者なる救い主が、現れる』とか『ヤコブから一つの星が出、イスラエルから一本の杖が起こるであろう』と予言をしたユダヤ人預言者ダニエルという人のことも知っていました。昔ユダヤ人がバビロニアの捕虜とされて連れて来られ、後にペルシャによって解放され、国王の顧問ベルテシャザルと名前を変えられた人でした。

アルタバンは以前、遠くにいる仲間のカスパル、メルキオール、バルタザルと天体を調べていた時に、救い主が現れる印が出た時には、その星を道標にして一緒に出掛けようと約束をしていました。そしてその星が輝きました。アルタバンは財産を売り払い、3つの宝石、サファイヤ・ルビー・真珠を救い主への贈り物として用意したのです。アルタバンは近くに住む仲間たちにも声をかけましたが加わってはきませんでした。出発が遅れたアルタバンは、3人の博士との約束の日を守ろうと、愛馬に乗って急いで出かけ、10日の旅をしてもうすぐ到着する時、乗ってきた馬が何かを警戒する様子に、馬から降りると、病気になって行き倒れていたユダヤ人がいたのです。アルタバンは、パン、ぶどう酒、薬草を出して懸命に介抱をし、回復のめど立ったのを見届けて約束の場所到着した時には、3人の博士は出かけた後でした。壊れたレンガでこれからの行き先を示し、「待ったけれど、もうこれ以上はむり。先に出かける」とパピルスに書かれた手紙が石の重しの下に置かれていました。

アルタバンは、大切に持ってきたサファイヤを売って、急ぎ旅をするためにラクダの一隊を雇い、用意を整えて旅を続けました。ベツレヘムに到着し、「目立つ服装の3人の博士がやって来たのを見なかったか?」と尋ね歩き、赤子を抱く母親が、「そういう人を見たが、馬小屋に生まれた幼児とその両親は、ヘロデ王による幼児虐殺の危険を逃れてエジプトに向かったようで、博士たちも姿を消した」と一人の女性が教えてくれました。失意のうちに立ち去ろうとしたアルタバンの耳に、荒々しい兵士の声が聞こえてきました。母親は慌てて家の中に入ったところへ兵士たちが現れ「ここに赤ん坊がいるはずだ。そこをのけ。」と言いましたが、アルタバンは戸口に立ちふさがり、救い主への大事な贈物・ルビーを兵士の隊長に渡し、助けを求め、母親と赤子を助けたのです。

アルタバンは結局、救い主にお会いできないまま、病気もせずに年をとっていきました。それから33年。年老いたアルタバンはそれでも、光である救い主を探し求め続けていました。丁度ユダヤ人の過越しの祭りの時に、「エルサレムの近くのゴルゴタの丘で、磔になる罪人たちがいる。2人は強盗、一人はナザレのイエスという人だ。イエスは奇跡で大勢の人を助けていた。あんな素晴らしい人はいなかった。しかし、自分は神の子、ユダヤ人の王だと自称していると言われ、死刑にされるようだ。」と言うのを聞きました。オルタバンは、その人がもしかして救い主なのではないか、会えるのではないかと期待し、行こうとしました。するとその時、目の前をマケドニアの若い兵士たちが、着物は破れ、髪はもじゃもじゃになっている若い娘を、引きずるようにして連れていこうとしていました。その娘は、その服装からアルタバンが拝火教の僧と見て取り、必死に助けを求めたのです。その娘は親の借金の担保で奴隷に売られるところだったのです。アルタバンは最後に残しておいた宝物・真珠を娘に渡し、それを兵士に渡して逃れることが出来ました。

その時、地震が起こりました。老人のアルタバンは、建物の上から落ちてきた瓦の破片が頭に当たって道端に倒れました。また地震がありました。(解説:イエス様が十字架の上に息を引き取られた時刻のこと)先ほど助けた娘がアルタバンを介抱してくれました。アルタバンは何か人の声が聞こえたのか語り始めました。「私は、33年間、主を探し求めてきました…」と。すると何か声が聞こえてきました。耳を澄ますとその娘にも聞こえてきました。
「あなたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらのもっとも小さい者の一人にしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」
こうしてアルタバンの旅は終わりました。アルタバンはこのようにして、遂に主に巡り会ったのです。

以上の話は、日曜学校やクリスチャン・スクールで学ばれて、既にご存知の方も多かったと思います。アメリカの牧師、作家、プリンストン大学英文学教授であるヘンリ・ヴァン・ダイク(1852~1933)の著作になる「もう一人の博士」(「アルタバン物語(の旅)」)を紹介させていただきました。顕現節に入りましたので、有名な「3人の博士」に関連したお話を今日は紹介させていただきました。私たちはどのようなかたちで救い主イエス様に出会うことになるのかは分かりませんが。しっかり心に留めておいていただきたいと思い、お話ししました。

司祭 齊藤 壹