本日の福音書はマルコ10:35-45で、新共同訳では「ヤコブとヨハネの願い」と題されています。この並行個所はマタイ20:20-28にあり、標題には「ヤコブとヨハネの母の願い」となっています。その違いの理由は後でお話します。
まず今回の個所を読みますと、弟子たちが非常に人間的であったことが窺えて、面白いものです。早い話が、出世を願っていたということです。それを聞いていた他の弟子も、このことで憤慨した。つまり彼らにとっては「お前兄弟よ、抜け駆けするのか!」というわけです。
私たちにとって救い主とは、すぐイエス様が頭に浮かびますが、当時のヘブライ人にとって、救い主(ヘブライ語でメシア、ギリシャ語でキリスト)とは、大国ローマ帝国の圧政から、自分たち神の民・イスラエルを解放してくれる人物を指す称号だったのです。そこには政治的・軍事的な意味合いも含まれたリーダーが意識されていました。ヤコブとヨハネはこの方はそれに違いないと考えた。だから、「栄光の座に就かれる時には、右大臣・左大臣にして下さい」とお願いしたのでした。すると、「あなたたちは分かっていない。・・このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」と問われた。それは十字架に死ぬことを意味していたことを今の私たちは知っていますが、当時よく分かっていなかった彼らは即座に「できます」と答えたのでした。すると不思議なことに「確かに、あなたがたは私が飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、・・・」と言われたのでした。また、最後には「あなたがたの間で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者はすべての人の僕になりなさい・・」と教えられたのでした。イエス様のご生涯をみれば、一貫して言われている大切なメッセージです。
その後、ヤコブはどうなったかと言うと、12弟子では最初の殉教者になり、ヨハネは一番長生きして、イエス様の母親・マリアを最後まで看取ったと伝えられています。彼らの当初の思いからは及びもつかないそれぞれの生涯を生きたのでした。
最初に書かれた福音書マルコはAD70年頃で、それから20年近く後になって書かれたマタイ福音書では、「ヤコブとヨハネの母の願い」として記されています。20年近く立って、一人は殉教者として尊敬され、一人は生き延びて、もうすっかり偉い先生として崇められていた頃、大阪弁でいえば、「あの先生がたが、そんなアホなお願いをしはったんかいな?」と言われないように、「いやいや、あれはお母さんが言いはったんや」ということにして人々に語ったということです。そういうことを、そうしたければ修正できる長い年月はあったでしょうが、辻褄を合わせずに残したところに、却って聖書の正直さを見ることができます。
さて、種々の事情があったようで、私の幼名は繁男と言い、親戚では「あかんたれの“しげちゃん”」で知られていました。青年期には誰かが私の“壹”と壺とを読み間違えて、“つぼやん”と呼ばれました。出身教会の年上の方々からすれば「齊藤先生?ツボヤン違うの」って感じでしょう。大学生時代の友人からすれば「齊藤が牧師に?」と言われそうです。聖書にあるように、預言者も故郷では敬われません。思い返せば、失敗も多々してきました。しかし、いろいろな人との出会いを経て、人は徐々に変えられてゆくのではないかと思っています。だから、弟子たちがおかしなことを言っていても、なんら不思議ではありません。
そして、原始キリスト教会は、イエス様の捉え方を、本日の旧約聖書日課イザヤ書53章に発見したのです。ここは「苦難の僕の歌」と呼ばれるところです。カッコ良いリーダーではなく、私たちの愚かさ・弱さを担って下さった方として見いだしたのです。今日の使徒書ヘブライ人への手紙4:13にあるように“すべてのものが神の目には裸”なのです。イエス様はそういう私たちを神様の元へと取り成して下さった“大祭司”というわけです。私たちは赦されて生きている。何と有り難いことでしょう。