2015年5月31日

「新生」

ヨハネによる福音書3章1-16節

本日は「三位一体主日」です。選ばれている旧約聖書(出エジプト記3章1-6節)では、奴隷とされていたエジプトから脱出させられる際、モーセにご自身を現された神が、ご自身を称して「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」として示されました。具体的な人物に働きかける“生ける神”であるということでしょう。

今回の福音書では、ニコデモが登場してきます。この人物はヨハネ福音書に3回登場してきます。1回目はこの個所です。3つの個所を通して分かるのは、彼が(国会)議員で、ファリサイ派に属する人物であったことです。人々に大きな影響を持つ宗教グループでしたから、今回の個所では、人目を憚(はばか)って、“夜、イエスを訪問した”のです。彼はイエス様を高く評価していました。それで、「どうすれば永遠の命を受けることできるでしょうか」と質問しました。そこで返ってきた答えは、「人は、新しく生まれなければ神の国を見ることはできない(3章1節)」というものでした。熟年に達していたニコデモにとっては、「新しく生まれなければ……」と言われたら、少なからぬ戸惑いを覚えたことでしょう。しかし、イエス様との出会いは、若い人だけではありません。年老いたニコデモにとって、イエス様は今までの価値観を覆す存在となってきていたのです。

ニコデモがこの時イエス様から不思議なことを聞きました。それは「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」という言葉でした。

これは、かつて奴隷にされていたエジプトから脱出してシナの荒れ野をさまよった時、人々が彼らの導き手であったモーセに不平を言いました(民数記21章4-9節)。人が自由になるためには時に苦しみが伴うことがあります。彼らは「エジプトにいた時には肉を腹一杯食べることができた」とか不平を言った時、毒のある蛇にかまれ、神に背いたことを知り、モーセに助けを求めました。モーセは神が命じられるところに従い、青銅で蛇を作り、竿に掛けます。そしてそれを仰いだ者は助かった。それは後のイエス様の十字架を仰ぐことに繋がっているのです。

ニコデモが登場する2回目は7章50節です。イエス様のことで群衆の間に対立が起き、イエス様の身が危うくなる場面で、宗教者として公平な目で見るべきであると発言して、結果的にはイエス様を助けています。

3回目は、19章39節以下で、十字架に殺されたイエス様を、そのままでは晒しものにされてしまう時、遺体を引き取り、自分のために用意しておいた墓地に収めたのです。これは相当の覚悟がいる行為でした。彼の心は定まっていたからこその行動でした。

こうしてニコデモが3度もヨハネ福音書に登場しているのは、彼がヨハネの教会でよく知られた人物であったことを示しています。彼は年老いて、イエス様の十字架の死と、復活を目の当たりにしたのです。永遠の命に繋がったのです。

今日の使徒書はローマの信徒への手紙8章12-17節でした。15節に「この霊(聖霊)によってわたしたちは『アッバ、父よ』と呼ぶのです」とあるように、ニコデモも、自分が今まで知っていた神様を、“イエスを通して知る神”として崇めるようになったということです。

今日は三位一体主日です。私たちも今日、悔改めて、神様に顔を向けて、神様を仰いで生きることを肝に銘じましょう。聖三一教会は、この三位一体である神様の名前を戴いていることをしっかりと覚えましょう。140年の歴史を歩ませていただいたことを感謝しましょう。