今日は降臨節第2主日で、福音書は最後の預言者と呼ばれた“バプテスマのヨハネ”の記事が選ばれています。特祷も預言者に因んだ祈りとなっています。旧約聖書も預言者イザヤの書が取り上げられています。
イザヤ書はユダヤ人たちにとっては大きな歴史的記憶に刻まれたバビロニア捕囚(BC587-538)とその前後に活躍した預言者たちの記したものです。今回の個所は第2イザヤ(イザヤ書40-55章)といわれる個所で、捕囚解放前に記されたものとみられています。1節の「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる」という個所は、ヘンデルのメサイヤの中で、テノールの人が独唱で朗々と歌い始める一節です。自分達の歩みの至らなさからバビロニア帝国の捕囚となっていたが、そこから解放されることを告げる部分です。3節4節に「主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起し、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平に、狭い道は広い谷となれ」などというのは、正義と平等の象徴的な表現です。
福音記者マルコは、その書き出しに、このイザヤ書の言葉から始めているのです。“ナザレのイエス”の名は、新約文書にしか出てきませんが、“バプテスマのヨハネ“の名は、1世紀前半の一般の書物にも登場している人物でした。ローマの圧政下にあったユダヤの人々にとって、ヨハネが救い主なのではないかという思いが強かったのでしょう。しかしそうではない。イエスこそが救い主である。既に名の知れたバプテスマのヨハネの口を通して、救い主はイエスなのだ。自分はその先駆けを務める者である。マルコ福音書はそのように構成したのです。ヨハネを通して、人々がイエスに目を注いだのです。ヨハネは人々に悔改めを説きました”悔改め”とは“神様への方向転換”ということです。神様に顔を向けて生き始めると、実は抵抗も多くなります。せっかく良いことを願っても、なかなか願うようには事がはかどりません。原始キリスト教会の人たちはそういう苦労を今よりずっと多くしたことでしょう。
ペトロの手紙はそのようなことの経験の中で、勧めるのです。「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」(Ⅱペトロ3:8)と。そして、「わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。・・」と述べます。この社会も、各自の人生も、信仰を持ったからと言ってすぐ思いが実現するわけではありません。それでも信仰の歩みに励むことが大事なのです。
かつて私は子どもの施設の処遇を巡って、そこの理事長と対立することになったことがありました。施設の中にいながら、職員が挨拶をしてくれなくなりました。しかし、門の外に出ると、「先生、ごめんね。事務所から見えるところで先生と話をしていると、後で何を話していたか聞かれるので知らん顔して通り過ぎたんです」と言ってくれました。私が警鐘を鳴らして何年か経った後、中2の男子数名が、小学校1年になったばかりの女児をリンチで殺してしまう事件が起きました。既に大阪弁護士会へ「人権侵害救済申立」を出していたことがその時になって功を奏し、首脳部も入れ替わり、施設が変わっていきました。その事件の後、面識のない男の人から電話がかかり、「自分も子どもを別の施設に預けている者です。キリスト教の施設ではまさかそんなことはないと思っていたのでショックでした。でも、実情はそうでない中で、牧師さんが闘っておられたのを知って救われた思いになりました」と言って下さいました。闘っていても自分の力は及ばず、幼い命を失うことを経て施設の体制が変わったのは残念ですが、施設では今もずっとその幼子のことを記念して祈っています。
教会とそこに属する聖職・信徒はバプテスマのヨハネのように、時に預言者の役割が負わされているように思います。今年の日本聖公会の総会で、ヘイトクライム(憎悪犯罪)、ヘイトスピーチ(憎悪宣伝)に反対する決議がなされました。各地の地裁では賠償と禁止を命じる判決が出されていますが、今の時代の中で、私たちも人の尊厳が大切にされていくことに役立つ信仰者でありたいものです。