本日の礼拝は「諸聖徒日礼拝」として守っています。選ばれている福音書は「山上の説教」と呼ばれるところです。マタイより先に書かれたルカ福音書(6:20-26)には「平地の説教」として出てきます。ここには神様の喜ばれる生き方が示されていると言えるでしょう。お金持ちになるとか、有名人になるとかではなく、却って正反対の存在にされる、小さな存在とされている時、実はそこに真の幸せがあると述べられます。私たちに、価値の基準の逆転を求める内容になっています。キリスト者とは、ここに述べられるところを大切にして生きようとする者と言えば良いでしょう。自分の生き方を、キリストに向けた者、それが聖徒-Saint’s(セインツ)です。元来11月1日は「諸聖徒日」‐主を信じて歩み、聖人位(聖~)には挙げられてはいない殉教者を覚える日‐です。それ以外の一般信徒を覚えるのは11月2日で「諸魂日(All soul's day)」として守られてきました。その前夜祭がハロウィーンです。私たちが今日ここに連なっているのは、それぞれ、そうした先輩の信徒、家族、友人と、何らかのつながりがあって、今ここにいる。そう考えつつ、この日を大切に守りたいと思います。
さて私は先週、「日本聖公会人権セミナー」が横浜でありまして参加してきました(私は大阪教区人権担当です)。11月30日(日)が「(日本聖公会)人権活動を支える主日」で、全国で祈りと信施が献げられますが、その献金によってこのセミナーも支えられてきており、感謝申し上げます。
43年前の聖公会神学院カリキュラム改革後、私も教えていただいた元青山学院大学教授の関田寛雄牧師による「キリスト教信仰と人権」という講演から始まりました。2日目は4グループに分かれてフィールドワークに行きました。①横浜市内寿町(大阪で言えば釜ケ崎)の労働者の居場所「さなぎ達」②東京入国管理局の収容者面会支援 ③は横浜市内・関東大震災における朝鮮人虐殺現場と慰霊碑を訪ねる ④川崎市内・桜本「ふれあい館」(在日の集う場)に分かれました。私は前任教会が鶴橋・生野区界隈で、在日韓国・朝鮮人の方たちとの交わりがありましたが、入国管理局(略称:入管)には入ったことがないので、そちらを選びました。
ここで知ったことは、日本にも大勢の難民が来ていること、しかし難民申請をしていても認定されることが非常に少なく、つまり「難民鎖国」状態にあり、「人権後進国」であることを知りました。先進国はカナダで、日本は130位以下です。国際テロを始めとした治安の悪化への懸念なども理由の一つですが、日本の意識の問題もあります。面会したネパール人は、日本へ行けば儲かるという言葉に乗せられ、借金した250万円ものお金をブローカーに払って来日し、給与は貰えず、不法滞在で摘発された、借金しているので戻れない人でした。従来の、人種、宗教、国籍、特定の社会集団、政治的意見による難民の枠を越えて“経済難民”と呼ばれる、こういう人が多くなってきている現実を見せ付けられました。もう3年も入管で放置状態に置かれ、実際、うつや自殺者も多いのです。日本の中の“ブラック・ボックス”となっているのです。ショックでした。
今回の研修の最後に、関田先生が下さったコメントが大変示唆に富むものでした。先生は、1960年代のアメリカで黒人の公民権運動をリードしていたマルチン・ルーサー・キング Jr 牧師に手紙を書き、返事をもらった話を披露してくださいました。キング牧師は、「自分のしている運動は、非暴力で、先はどうなるか分からない、命を失うことになるかも知れない。しかし実はもう勝利していると感じている。」(イエス様は「わたしは既に世に勝っている」に似ています。)と書かれていたそうです。実際、1963年ワシントン大行進、1964年のノーベル平和賞を経て、1968年に暗殺されました。
関田先生は、「少数者のために心を尽くす。なかなか結果は出ない。人権のことは特にそうだ。キリスト者も少数派だが、“人権”のことに関心を向けるキリスト者も、更にその中でも少数者だ。けれども既に世に勝たれたイエスに従うことは光栄なことだ」。概略以上のようなお話でした。キリスト者の何たるかの自覚を促されました。
今日の諸聖徒日礼拝に当たって、キリスト者の歩みをもう一度自覚するために、今回は人権セミナーのお話をさせていただきました。