「5千人の養い」と題されてきたこの話は、4福音書全部に掲載されていまして、とても重要視されてきたことが窺えます。
イエスの噂は人々に伝わり、舟に乗って人里離れた所に行かれても、人々はその後を追ってやって来ました。「舟から上がられたイエスは、大勢の群衆を見て、深く憐み、その中の病人を癒された。」とあります。“深く憐み”は福音書に何度も出てきます。ギリシャ語で“スプランクニゾー“という言葉が使われています。“はらわた”が“スプランクナ“ですから、さしずめ日本語の“断腸の思い”にとても似ています。夕暮れになって、弟子たちは食事の心配をし、「もう解散させて、自分で食事を調達させましょう!」と師イエスに提案をします。しかしイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と命じられました。そこで差し出された“パン5つと魚2匹”を、イエスは「天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになり、・・弟子たちは群衆に与え、すべての人が食べて満腹し・・パン屑を集めると、12の籠一杯になった」のです。父権制の強かった時代の名残で、「食べた人は女と子供を別にして、男が5千人ほどであった」とありますから、実際にはその3倍はいただろうということになります。
いつも苦心して選んでいただいている聖歌ですが、今日は375番(五つのパンと、二匹の魚)です。この歌詞の内容はヨハネによる福音書(6:1-14)のものです。ここでは同じ状況の時に、1人の子どもが、自分が持ち合わせた大麦のパン、つまり粗末なパンと干物の魚を差し出した。持っている粗末な素材を差し出したというものです。ヨハネ版は私たちに“想像の翼“を広げさせてくれるもので、大人たちも実はそれぞれ何がしかの食べ物を持ち合わせていて、子どもに触発されて、差し出した。イエス様の祝福も受けて分かち合ったら、随分のパン屑が発生した。ある面合理的で、しかし美しい話でもあるのです。
考えてみれば、私たちが住むこの世界も、豊かな側に住む者が、分かち合う気持ちを持ち合わせれば、飢える人々は出ないはずなのです。
旧約聖書・列王記上17章に、アハブ王の妃イゼベルの恨みを買って迫害を受けた預言者エリヤが、干ばつの中をヨルダン東部のケリテ川のほとりに留まりましたが、その川も涸れた。神はエリヤにシドンのサレプタに行くことを命じ、「そこにいる一人のやもめに養わせる」と言われたのです。聖書の中で、“孤児とやもめ”は極貧の象徴です。エリヤからパンを求められたそのやもめも、「手元に残っているのは一握りの小麦粉と瓶の中のわずかな油だけです。息子とそれを食べて死を待つのみです」と答えた。しかし、エリヤの言葉に従って差し出し、3人が食べた。するとそれ以後、来る日も来る日も、小麦粉は尽きず、油も無くならなかった話があります。粗末な物を差し出せば、神様は養ってくださるのです。
もう40年ぐらい前、私が博愛社にいた頃のことです。中学3年までそこで世話になり、希望を出せば高校も行けたX君が、「こんなところで世話にはなりたくない。」と自活して定時制高校で学び、働きながら大学の2部で社会福祉の勉強をし、実習で博愛社に戻ってきていまして、その時に知り合いになりました。気概のある子で、親しくなるとこんな話を聞かせてくれました。
高級官僚出身だった理事長の力で、美智子妃殿下が博愛社を訪問されたことがあったのです。分刻みで進むスケジュールの中に、中学生はボーイスカウトの制服をつけて活動しているところで話しかけられる場面があったようです。そのX君に「楽しい?」と尋ねられた。彼は「何が楽しいことがあるものか。あんたらのせいで、こんなことさせられとんじゃ」と答えたというのです。思わず私は「それでどうなった?」と聞くと、「その場が、凍りついたようにシーンなった」のだそうです。その後、体罰をする問題指導員に建物の裏に連れて行かれ、“ボコボコにどつかれた”そうです。後に起こった「幼児リンチ死事件」の後、被害者のことはもちろんですが、加害少年たち(被虐待児)の行く末をも、とても気遣ってくれていました。博愛社再建の際には力になってくれました。
この彼が、17年程前、私が城南キリスト教会の大規模補修や聖公会生野センターの今後で思い悩んでいた時、援助を申し出てくれたのです。それで、本気になって大規模改修に取り組み始めました。ただ気の毒にも彼が保証人となっていた友人が倒産して負債を負い込むはめになり、実現しませんでした。しかし私には援助を申し出てくれたことが後押しになったことは確かでした。神様は不思議なことをなさるものです。人はそのようにして分かち合える喜びを知って次に繋げるエネルギーをいただくこともあるのです。