聖霊降臨後第17主日(A年)
第1日課:シラ書27:30−28:7
第2日課:マタイによる福音書18:21−35
テゼ共同体の奇跡
今日の第二日課として読まれたマタイ福音書の箇所は、赦しと和解がテーマになっています。「7の70倍までも赦しなさい」というイエス様の言葉は、私たちに無限の赦しを求めています。このイエス様のご命令は私たち人間には、とても難しいことなのですが、それでも私たちは、イエス様に従う者として、このみ言葉をしっかりと受け止めなければならないのです。
現代の世界で、この赦しと和解の種を蒔き続け、大きな奇跡を生み出しているキリスト教の運動の一つが、フランスのブルゴーニュ地方に存在する「テゼ共同体」です。ところが8月16日に、この超教派のテゼ共同体の創設者であるブラザー・ロジェ・シュッツが殺されたという衝撃的なニュースが世界をかけめぐりました。英国で第一報を聞いた私は、帰国してからブラザー・ロジェの死亡についての情報をかき集めました。それは事実でした。なんと言うことか、マザーテレサと並ぶ現代の聖人といわれたあの方が亡くなった。しかも、世界中から集まった2500人の若者と共に和解の祈りの最中に、精神的に不安定であったルーマニア人の女性(36歳)に刃物で刺し殺されたというのです。8月23日に執り行われたブラザー・ロジェの葬儀には、ローマ教皇やカンタベリー大主教をはじめとする世界中のキリスト教の指導者、その他の宗教指導者、そして数多くの人々が参列し、キリストの謙虚な僕に徹したこの霊的指導者を神様の御許に送りました。ローワン・ウィリアムス、カンタベリー大主教はブラザー・ロジェを「現代で最も愛されたキリスト教の指導者の1人」と呼び、その死を心から悼むメッセージを語りました。この葬儀でテゼ共同体のブラザー・アロイスは「私たちは、病によってブラザー・ロジェの人生に終止符を打った女性をあなたの赦しに委ねます。十字架のキリストと共に、私たちは祈ります。父よ、彼女をお赦し下さい。彼女は何をしているか知らないのです。聖霊よ、私たちはルーマニアの人々のために、また私たちがテゼで愛してやまないルーマニアの青年たちのために祈ります。」と語っています。今日は、ブラザー・ロジェの魂の平安を皆様とともに祈ると共に、神様がこのテゼ共同体を用いてなさった業を振り返ってみたいと思います。
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ブラザー・ロジェが、フランスのブルゴーニュ地方の寒村テゼに、超教派の修道士会を始めようと決心したのは1940年、25歳の時です。当時フランスは、ナチス・ドイツに占領されていましたが、テゼはドイツに協力的な政府が支配していた地域に属していました。ブラザー・ロジェの思いは、フランスとドイツという二つの国、二つの民族の和解と平和、そして、ローマカトリックとプロテスタントというキリスト教の中に存在していた分裂を克服して、一つの身体となってイエス・キリストの僕として奉仕することでした。ブラザー・ロジェ自身は、スイスのプロテスタントの牧師の息子として生まれ、プロテスタントの神学校で教育を受けていたのですが、「分裂したキリスト者たちの和解と一致」を第一に考えていました。テゼで彼を迎えたのは一人の老婦人でした。ブラザー・ロジェが彼女に、キリスト者の一致のための修道会をここに設立したいという計画を告げると、彼女は「ここに留まってください。私たちはここで孤独なのです。」と語りました。ブラザー・ロジェはこの貧しい女性を通じて神が語られていると感じました。
戦況が激しくなり、弾圧が厳しくなるにつれ、テゼに留まることが難しくなったために、ブラザー・ロジェはいったん故郷のスイスに戻りますが、1944年戦争の終結と共に、それまでに出会った数人のブラザーと共にテゼに戻り、1949年に生涯を修道生活に献げる誓願を立て、「テゼ共同体」を設立したのです。それは、独身生活、物質的・霊的なものすべてを共有し、すべてをイエス・キリストの愛のために献げる誓願でした。年が経つにつれて、テゼに参加するブラザーたちの数は増え続け、1965年に第二バチカン公会議が終わってからはローマ・カトリックのブラザーたちも加わるようになりました。現在では25カ国を出身国とするブラザーたちが、さまざまな仕事をして自分たちの生活を支えながら共に生活を送っています。ブラザーたちだけではありません。巡礼に訪れる人々もたくさんいます。とくに青年たちは、祈りと信仰をテーマとした1週間単位のプログラムに参加し、共同生活を送ります。その数は、夏には5000人から数万人に及び、普段でも500人から千人の青年たちが集っています。その出身国は70カ国におよび、日本からもかなりの数の青年が参加しているようです。それは、宗教離れや白けなどが言われている現代社会において、驚くべき奇跡と言っても良いでしょう。とくに、東ヨーロッパの国境が開かれてからは、東ヨーロッパの国々から多数の若者がテゼを訪れ、分裂していたヨーロッパを一つに結びつける役割を果たしています。ブラザー・ロジェは、青年たちの悩みや苦しみに耳を傾けます。希望がなく、悩みの内にある青年たち。その青年たちとの出会いを、ブラザーロジェはことのほか大切にしました。1974年には、世界規模での「青年会議」がテゼで開かれました。多くの青年がこの会議に参加し、キリスト者の和解と世界の平和の創造に加わるという希望を与えられたのです。
テゼ共同体の働きの中心は、世界の平和と和解、そしてキリスト者の一致です。ブラザーロジェのお祖母さんは熱心なプロテスタントでしたが、カトリック教会にもしばしば足を運び、「分裂したキリスト者たちが互いに憎み合ってきたのです。新たな戦争を防ぐために、キリスト者は和解しなければ…」としばしば口にされていたそうです。引き裂かれたキリストの身体を一つにする、その思いがテゼ共同体というエキュメニカルな修道会に結実したのです。そして、ドイツとフランスだけでなく、すべての民族、すべての国家の和解と平和のため、テゼ共同体は祈りと黙想を通じて世界中の人々の願いと思いとを集めているといってもよいでしょう。ブラザー・ロジェは「あの唯一の交わり、すなわち教会においても、昔も今も、その中の対立がキリストの身体を裂き続けてきました。和解を通して、私たちは福音を真に生きる者となります。そしてその和解は、人類すべての平和と信頼のパン種になっていくのです。」と語っています。テゼ共同体の中心には「和解の教会」が建っています。この教会は建築としては壮麗な大聖堂のような立派なものであるわけではありません。しかし、テゼ共同体に集まる人びとは、朝の8時15分と昼の12時20分、そして夜の8時半になると、ディスカッション中の人びとは論議を止め、食事係の人はエプロンを外し、仕事中の人は仕事を止めて、この教会に集まってきます。そして、黙想と賛美と祈りの礼拝を献げるのです。
テゼ共同体の祈りと黙想の特徴の一つは、素晴らしい音楽による喜びとロウソクの光による静けさです。今日の聖歌として増補版から二つの曲を歌いましたが、いずれもテゼ共同体による賛美の歌です。テゼ共同体の歌は単純で素朴な歌詞を、輪唱やあるいは繰り返し歌う形をとり、覚えやすいようになっています。それは、福音に対する素朴な喜びを歌い上げ、人間の存在の一番深いところに浸透する力をもっています。これらの歌は、世界各国の言葉に翻訳され、キリスト者の一致を世界中に広めているのです。もう一曲ほどお聴きいただきたいと思います。
<CD>
テゼ共同体を訪問された方はみな、この幻想的な素晴らしい雰囲気の礼拝に引き込まれます。それは、心の深いところで起こる神様との対話のひとときだと言うことができるでしょう。しかし、テゼ共同体は自分たちだけで閉じてしまっている自己充足的なグループではありません。テゼのブラザーたちは世界各国、とくにフィリピンなどの東南アジア、アフリカ、南北アメリカの貧しい人々が住む地域にでかけ、そこで人々と生活を共にしているのです。ブラザー・ロジェは、現在の世界が富める者と、貧しい者に引き裂かれている現状を、神さまは悲しんでおられると言います。そして、貧しい人びとと共に苦しみを分かち合う生活をしてこられました。
私は、このようなブラザー・ロジェの死を心から悼みます。と同時に、彼が自分の死においても、イエス様の赦しの業に与ったことに大きな感動を覚えます。「私たちは、病によってブラザー・ロジェの人生に終止符を打った女性をあなたの赦しに委ねます。十字架のキリストと共に、私たちは祈ります。父よ、彼女をお赦し下さい。彼女は何をしているか知らないのです。」もう一度、ブラザー・ロジェの葬儀において語られたこの言葉を私たちもかみしめたいと思います。そこには、赦しとはどのようなものかがはっきりと示されているのではないでしょうか。
<祈り>
神さま。あなたの忠実な僕であるテゼ共同体のブラザー・ロジェの魂を、どうかあなたのみ手に抱き、安らぎを与えてください。また、イエス様が教えられ、兄弟ロジェが身をもって示したように、私たち人間が互いに許し合い、和解し合い、愛し合って、平和な世界、貧困も差別もない世界を築くことができるように、私たちをお導きください。あなたの御霊の力によって、私たちを強め、勇気と力とをお与えください。