聖霊降臨後第15主日(A年特定17)朝の礼拝
 
第1日課:エレミヤ書15:15−21
第2日課:マタイによる福音書16:21−27
 
恵みと不安と希望と
 
 7月末からほぼ1ヶ月、この教会を留守にして、イギリスのカンタベリーに研修にでかけ、先週の土曜日、8月20日に無事帰ってまいりました。皆様のお祈りとお支え、そして何よりも神さまの恵みのもとで、多くのことを学び、多くの人びとと出会い、現実の厳しさと共に、明るい希望を見出すことができました。お祈りいただきました皆様に、心からお礼申し上げたいと思います。
 私が出かけましてから、私にとって大切な方を次々と亡くしたのは痛恨の思いです。いつも陰ながら教会のためにご奉仕いただいた中井園子さん、つい2年あまり前までこのテモテ教会で活躍してくださった楠潔さん、そして、西宮ペテロ教会で実習中に、京都聖マリア教会時代のよしみでずっと私たちを支えてくださった速水経明さん、そして私の親友であった津田恵三君のおばさん、北川みゑさん(大阪聖アンデレ教会信徒)。みな、私の留守中にお亡くなりになりました。私たちは、神さまの御許に召されるということは大きな恵みであるということを知ってはおりますけれども、大切な人を失ったことはやはり大きな悲しみであり、痛みであります。特に中井さんは、せめてもう一度おめにかかりたかった、そして宇野主教や小池先生、原田先生と共に中井さんを送る葬送式をして差し上げたかった、そんな思いが今でもこみ上げてまいります。
 しかし、そのような悲しみの中でも、カンタベリーに集められたのは、神さまの命令であると受け止め、世界の16カ国から参加した30名の仲間と共に、3週間の研修期間を全ういたしました。皆様に対して、本当に申し訳ないという気持ちと、感謝の気持ちで一杯です。研修の内容やカンタベリー大聖堂の様子などは今日の午後、報告会で申し上げたいと思っておりますが、2つのことだけについてこの場で触れることをお許し下さい。
 その一つは、世界の教会、そして世界の聖公会は発展している、ということです。参加した30名のうち約半数はアフリカからの参加者でしたが、これには今アフリカでキリスト教が急激な勢いで成長している、ということが背景にあります。アフリカではキリスト教人口が4億人を超え、多くの国で過半数を占めています。国によっては80パーセント以上がクリスチャンという場合もあるそうです。聖公会も成長しており、最近の聖公会新聞にも報道されていましたが、ナイジェリア聖公会は1700万人の信徒を抱え、最近10人以上の主教が按手され、新たな教区が誕生し、全体で90以上の教区があるということです。今回の研修会にはナイジェリアからは参加者がなかったのですが、ともかくアフリカのパワーを感じました。まさに聖霊が働いているという印象です。
 また、ニュージーランドでは、先住民のマオリ族の文化や霊性(英語でスピリチュアリティといいますが、今回の研修会のテーマの一つはこの霊性ということでした。人々の魂の深いところにある感性や感情、霊的なものを求める心を示しています)を取り入れ、人々の生活に密着した形で聖公会が根を下ろしている様子がよく分かりました。浜辺で輪になって聖餐式をしている様子も紹介され、大変感動いたしました。
 本家本元のイギリスでは、宗教離れが進行し、主日の礼拝参加者が人口の4パーセントという状況だそうですが、そんな中で、人々の生活に根を下ろした新しい取り組みがなされています。リバプールという大都市では、都市再生プロジェクトに教会が積極的に取り組み、人々の生活と文化を改善し、守るという運動を行っており、多くの人々が教会に再び結びつき始めています。
 一方、困難な現実もあります。これも聖公会新聞に、ACCという全世界の聖公会の会議に出席された北海道教区の植松主教が書かれていますので、ご存じの方もおられると思いますが、今、世界の聖公会は大きな問題に直面しています。それは、同性愛の生活をされている人々を聖職に叙任して良いかどうかという問題をめぐって、アメリカ、カナダの聖公会と、アフリカを中心とした教会との間に亀裂が入っている、もう少しはっきり申し上げますと分裂の危機があるという問題です。アメリカの聖公会で同性愛の司祭が主教に叙任されたということをきっかけにして、アフリカの一部の教会はすでにアメリカ、カナダの聖公会と関係を絶つという事態にまで至っています。とても悲しく、痛ましい出来事です。今回の研修会でも、この問題をめぐる対立と緊張が浮上してきました。アメリカ、カナダの教会は、同性愛者の中にも神様に忠実で信仰的に素晴らしい人がいる、そのような人を排除するのはすべての人を愛されたイエス・キリストの福音に反すると言います。アフリカの教会には、同性愛なんてとんでもない、それは聖書に反しているという考え方に加えて、他にもっと重要な問題がある、例えば貧困や飢餓、エイズ問題、砂漠化、その他の緊急の課題があるのに、それらを積み残して同性愛者の問題に論議が集中することには耐えられないという思いもあります。アメリカ聖公会から来た教授に対して、きびしい質問が飛び出したりもいたしました。参加者の中にも緊張が感じられ、どうなることかと、韓国から来た司祭とともに、祈りの時を持ちました。そして、ひたすら祈りました。
 しかし、神様の導きがあり、聖霊が働いておられます。もう少し、俗な言い方をしますと「さすが聖公会」という感じがいたしました。意見は違っても相手の言うことに耳を傾ける、謙虚になり、相手を出来る限り受け入れる、互いに置かれている状況を理解し合う、そんな共通理解が基盤になって、次第に良い雰囲気が戻ってまいりました。小グループに分かれて話し合いを重ね、全体の集まりでも話し合いが進められて、@意見が一致している点、A今のところ一致できない点、B将来の一致に向けて歩むべき道、について全体で一つの文書をまとめ上げるところにまでたどりつきました。「多様性の中の一致」というのは、聖公会が誇るべき特徴であり、考え方です。パウロはコリントの信徒への手紙の中で次のように教えています。「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。」私たちはこの教えの意味をじっくりと考える必要があると思います。
 もちろん、重要な問題について意見が対立しているというのは、良いことではありません。しかし、聖霊と愛に導かれて、互いに耳を傾け合う中で、時間をかけて互いにいわば「魂の巡礼」をする。そして、少しずつ歩み寄る。そんな過程、道行きが大切なのだと感じました。今回の研修会では、「巡礼」ということも大きなテーマでした。巡礼とは人々が聖地を目指して旅することを言うわけですが、それは個人で言えば人生の旅、教会全体でも信仰の巡礼と重ね合わせて理解することができます。さまざまな困難や意見の違いを乗り越えて、教会は未来に向かって巡礼するわけです。教会は、「巡礼の民」ということも出来るのではないかと思います。
 この巡礼の中では、さまざまな人間的な思いが出てくると思います。今から二千年前、イエス様と共に宣教の旅をつづけていた弟子たちの間にも、さまざまな思いが錯綜していました。今日の第2日課として読まれました「マタイによる福音書16:21以下」には、ペトロの複雑な気持ちが記されています。先主日にはその前の部分が読まれ、小池先生もお説教の中で触れられたのですが、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です。」と信仰告白し、イエス様から「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。」とほめられるのですが、今日のところでは、ペトロの人間的な思いが前面に出てまいります。イエス様が私たち人間を罪と死から救うために自らを献げられるということが理解できず、この世での栄光のメシアを夢見ていたのかもしれません。イエス様が十字架につくというご自分の運命についてお話になると、ペトロはそれを必死になってとめるのです。それに対してイエス様の口からは厳しいお叱りの言葉がでてきます。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。(…)」そして、引き続いてこのように諭されます。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」
 私たちの人生の旅の中で、また信仰の旅の中で、さまざまな人間的思いがでてくるのは避けられないことです。教会の中でも、意見の違う人と出会ったり、肌合いの異なる人、なんとなく好きになれない人、様々な人と出会います。そんなときに、自分の中にむらむらっと複雑な思いが出てくる、反発したくなる、それは避けられないことです。また、妬みや羨み、憎しみが頭をもたげることもあるでしょう。どうしても赦せない人もいるかもしれません。私たち人間は、本当に困ったものです。でも、大切なことは共に旅する、未来に向かって巡礼する中で、イエス様と共に歩み、聖霊に導かれ愛に満たされて、次第に平和と赦しの目的地に近づくということではないかと思うのです。そして、目や足、手がそれぞれ相手を大切にしつつ、多様性の中の一致を楽しむことができれば、それこそが神様が喜ばれることではないでしょうか。
 
<祈り>
 いつも私たちを限りなく愛し、豊かな恵みを与えてくださいます神様。あなたを賛美し、あなたの恵みに感謝いたします。私は無事、英国・カンタベリーでの学びの時を終え、今再び聖テモテ教会の兄弟姉妹と共にあなたの前に立っております。この間、中井園子さんをはじめ、楠潔さん、速水経明さん、北川みゑさん、伊藤良三さんのお母様が相次いであなたの御許に召されました。どうか、これらの人々の魂を御許に抱き、あなたの平安をお与え下さい。また、残された家族、友人の上に限りない癒しと励ましをお与え下さい。
 今、世界の聖公会には、意見の違いやその他の違いによって、対立や反目が生じています。どうかあなたが豊かな聖霊を上から注いでくださいまして、私たちが互いに謙虚に耳を傾け、愛を持って互いを理解し、多様性を尊重しつつ和解と一致への道を歩むことが出来ますようにお導き下さい。