2005年4月10日(復活節第3主日)朝の礼拝(堺聖テモテ教会)
第1日課:使徒言行録2:14a、36−47
第2日課:ルカによる福音書24:13−35
共に歩んでくださるイエス
1週間前、高石市民文化会館(アプラホール)のギャラリーで開かれている『神様からの贈り物』という、中野隆夫さんの遺作展に行ってきました。中野さんは17歳の時多発性関節炎(小児リウマチ)にかかり、60年間寝たきりの生活を送られましたが、30代で文学と絵の世界に入るようになり、その中で聖公会信徒の澄子さんとご結婚になります。そして、ご自身もこの堺聖テモテ教会で洗礼をお受けになり、イエス・キリストを信じる者の群れにお入りになったのです。晩年は身体の移動がとても困難(車の着いたベッドで運ばれるわけです)なため、日本キリスト教団浜寺教会に通われることが多くなったようです。そして、2002年4月6日、78歳で神様のもとに召されました。
中野さんは、朝日新聞の夕刊に連載された『寝たきり関白日記』で有名ですが、他にも、『高石昔ばなし』『花折り峠』など数多くの創作民話、そして民話に基づいた作品を残しておられます。そのいずれもが、今は失われてしまったかに見える、昔の庶民の素朴な心の世界を描き出しており、またその絵の中に昭和初期のご自分の少年時代の生活や、日々の生活で触れる情景を丹念に描いています。それらは読んだり見たりする私たちに、過ぎ去った幸せな時代を思い起こさせてくれます。
澄子さんは、そのような寝たきり生活を送る隆夫さんを献身的にお世話されましたが、決して、「自己犠牲」というような気持ちはお持ちではありませんでした。「どんな生活でしたか」とお尋ねすると、「別に普通の夫婦でしたよ。喧嘩もしました。」とさりげなくおっしゃるのです。でも、お二人がどんなに愛し合っておられたかは、今回の作品展を見るとよく分かります。澄子さんなくして、隆夫さんの作品は生まれたなかったでしょうし、隆夫さんなくして澄子さんの人生はなかったのだと思います。今回、お話をして、とても私の心に鋭くつきささった澄子さんの言葉があります。それは、「夫がいなくなって3年も経つと、本当にいないんだなあということが身にしみるときがあります。例えば、おいしい和菓子をいただくときなど、ああ、これはあの人の好きなお菓子だったなあ、と思うと本当にたまらなくなるのです。」という言葉でした。
私たちは自分の愛する者を失ったとき、本当にそれがしみじみと感じられるときがあります。それを「喪失感」という言葉で呼ぶことができるでしょう。大切な、かけがえのない人を失った悲しみは、次第に大きくなることもあるのです。
さて、私たちはついこの間、大斎節と受難週を迎え、いま復活節を迎えています。自分たちが主と仰ぎ、先生と慕ったイエス様が十字架上で無惨にも殺された。昨日まで一緒に食事をし、病人をいやし、神殿で人々に教えておられたあのイエス様。貧しい人々、苦しみ悩む人々、女性や子供をこよなく愛し、社会の片隅で暮らしている人々に温かい眼差しを向け続けたイエス様。そのイエス様は、今はもうおられない。弟子たちのその悲しみ、その「喪失感」はいかばかりだったでしょうか。ある弟子たちは、イエス様を誤解し、この世に王国を建設してくださると期待したかも知れません。その夢は潰えました。別の弟子たちは、イエス様に土壇場での奇蹟を期待し、神の子であるイエス様が殺されるはずがないと思っていたかも知れません。その期待も外れました。愛するイエス様を失ったばかりか、弟子たちは自分たちの夢と希望をも失ってしまったのです。彼らは言わば絶望の中で茫然自失していたのです。それは、例えばヨハネ福音書20:19節に「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」と記されていることからも想像がつきます。弟子たちは絶望していただけでなく、自分たちも処刑されるかも知れないと恐れ戦いていたのです。ところが、そんな弟子たちが復活のイエス様と出会うことによって、全く別人のように生まれ変わり、イエス・キリストの福音を宣べ伝え始めるのです。ペトロ(あるいはペテロと言った方が通りがよいでしょうか)の場合はさらに深刻でした。彼はイエス様の筆頭の弟子でした。いつもイエスの側にいて、イエスと共に行動しました。そのペトロがイエスが裁判にかけられているときにそっと様子を見に行きます。そして、「お前もあのイエスの仲間だろう」と詰め寄られ、「私はイエスなどという人間は知らない」と三度も言うのです。言わば、イエスを裏切ったわけですね。そしてヨハネ福音書によると、イエスが十字架にかけられると、ペトロは真っ先にイエスを見捨てて故郷ガリラヤに帰り、漁師に戻ってしまうのです。おそらくペトロは喪失感と絶望、ひょっとしたら自暴自棄の状態だったのでしょう。そのペトロのところに復活されたイエスが現れます。初めはペトロはそれがイエスであることが分からなかったのですが、やがてイエスであると気付くと、イエスはペテロに魚を獲らせ、共に食事をします。そして、「わたしを愛しているか。」と三度ペトロに尋ねます。もちろんペトロは三度「はい、あなたを愛しています。」と返事をするのです。それは、三度「知らない」と言ったことに対するペトロの後悔の気持ちを表す記述ではないかと思います。そして、ペトロは復活のイエス様に出会ったことによって絶望から救われ、立ち直り、その後、初代の教会を作り上げる上で指導的な役割を果たすことになります。そのことをヨハネ福音書は、「わたしの羊を飼いなさい。」とイエスが言われたという記事で表現しています。
このようにキリスト教は、実にイエス・キリストが復活された、と信じることから始まります。あのイエス様は、今はおられない。しかし、復活のキリストは、常に私たちと共にいて、私たちを支え、命を与えて下さる。それが、復活の信仰です。大切な、大切な愛する方、自分たちの指導者を失ったその絶望の中から、イエス・キリストは復活され、常に私たちと共にいて下さる、という信仰を持つことで、人々はあの弾圧の中で初代の教会を築き上げていったわけです。
本日の第2日課として読まれましたルカ福音書には、復活のイエス様との不思議な出会いが記されています。エマオ(エルサレムの北西20〜30キロ)という村への道すがら、二人の弟子(クレオパともう一人=この人たちはいわゆる12人の弟子には含まれていません)が復活のイエス様に出会ったのです。ところが、彼らはそれがイエス様であることに気がつきません。不思議なことですが、絶望と苦悩の中にあり、それを肉の目、つまり常識であれこれと判断し、悲しみだけを心の中に持ち続けていると、自分のことしか見えず、イエス様が横におられるということに気付かない。そういうことを、これは示しているのではないでしょうか。彼らは自分たちの望みが潰えてしまったことについて不平を言います。「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。」それなのに…という嘆きの言葉です。それは、イエス様の受難の意味がさっぱり分からなかったからです。イエス・キリストは、この世のすべての罪、すべての憎しみ、すべての辱めを一身に引き受け、十字架上で処刑されました。言い方を変えると、ガリラヤの庶民として、労働の辛さ、貧しさ、ローマ帝国とユダヤ支配層による二重の抑圧を自ら体験し、というよりは生き抜き、罪人や見捨てられたこども、病人、社会の片隅に追いやられた人々を限りなく愛されたイエス・キリストは、その帰結として、ローマとユダヤの支配層に憎まれ、その憎悪を一身に受けて殺されたのです。しかし、そのイエス様を神はご自分の子としてよみがえらせ、私たちに限りない希望をお与え下さったのです。苦悩の中の希望、苦難の果てにえられる喜び、喪失感の後に与えられる充実。それらはすべて、イエス・キリストの復活が私たちに与えてくれるものです。イエス様を復活させることによって、神様は私たちにそれらをお約束下さっているのです。2人の弟子はそのことを理解しなかった。だから、ただただ悲しみに沈んでいたのだと思います。
では、2人の弟子がイエス様に気付いたのはいつでしょうか。それは、彼らがイエス様と知らずに招き入れた家の中で、イエス様がパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを割いて与えられたときでした。そのとき彼ら2人の心の目が開け、イエス様だということを悟ったのです。「パンを取り、賛美の祈りを取り、パンを割き、人々に与える。」それは、まさに主の食卓を囲む聖餐式をあらわしています。本日読まれました使徒言行録を見ますと、初代教会の生活の様子が生き生きと描かれています。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」これについては、意見が分かれるところです。あまり極端に、一面的にこの立場を推し進めますと、今ニュース番組を騒がせている怪しげな宗教団体(キリスト教を名乗っていますが)のようになってしまうかも知れません。でも、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。」というところは、本当に素晴らしいと思います。初代教会のクリスチャンたちは、こうして、パンを裂き分かち合うことによって、復活のイエス様の臨在を本当に身近に感じていたのです。
私たちはどうでしょうか。イエス様の臨在を生活の中で感じ取っているでしょうか。聖餐に与るとき、イエス様を素直に私たちの内にお迎えしているでしょうか。復活のキリストは、いつも、どこでも、私たちと共にいて、私たちに寄り添い、私たちを見守ってくださるイエス様です。私たちは人生の中でさまざまな困難や苦しみ、悩み、試練に出会います。もちろん、よろこびの時もあるでしょう。しかし、どんなときにあっても、神様は決してあなたを見捨てない、いつも共にいて下さる。それが「復活の信仰」です。
そして、自分と共にいて下さる方によって自分が励まされ、立ち直ることができたとき、今度は教会の兄弟姉妹、家族、友人、そして自分よりも弱い立場にある人々、苦しみ悩んでいる人々、小さな子どもたちを励まし、希望を与えることが求められています。イエス様に赦されたペトロは、「わたしの羊を飼いなさい。」というイエス様の言葉に従って、ちりぢりになったイエスに従う人々を励まし、共同体を作り上げます。愛されていることを知った私たちは、人を愛さなければならないのです。ちょうど、復活のイエス様に出会ったクレオパともう一人の弟子が20〜30キロという道のりをものともせず、エルサレムに駆け戻ったように、イエス様に愛され、人を愛することの喜びを人々に伝えなければならないのです。
大切な、大切な愛する人を失った中野澄子さんの喪失感は、きっとこれからの人生を共に歩んでくださる復活のイエス・キリストによって満たされ、新しい生活が始まっていくのだと私は信じています。