169人を超える方々にお越し頂き、共に主のご降誕をお祝いできたこと感謝致します。

     2020年に150周年を迎える川口基督教会の、2019年のクリスマスのテーマは、「149回目のクリスマス」でした。 
 開港間もない大阪の川口居留地で、宣教活動を始められたウィリアムズ主教が、1870年に自宅で開いた小さな礼拝堂で、主のご降誕を待ちわびて「晩祷」(夕の礼拝)を献げられたのが、おそらく日本聖公会の最初の日本語のクリスマスイブ礼拝であったと思われます。それから数えて149回目のクリスマスを迎えた私たちは、当時を偲びつつ原点に立ち返り、クリスマス本来の意味を考え、分かち合い、祈る時を過ごしました。

 ステパノ柳時京司祭は説教の中で、次のように語られました。
「1914年12月24日、フランスフランドール地方。第1次世界大戦が勃発して5か月を
 迎えていた。ヨーロッパの各地で多くの兵士らが急に造られた陣地に身を構えて、寒さ
 に耐えながら敵軍と銃口を向き合わせていた。わずか30~50mの距離を挟んで向こうに
 ドイツ軍が、こちらはイギリスやフランスの連合軍が睨み合う中、冬の雨に足元がしびれ、
 ネズミと虫が溢れる塹壕(堀)の中にはまともなトイレもなく、宿もでたらめというみす
 ぼらしい状況。ある兵士は立ったままで眠ったりもした。両軍の間には打たれて死んだ仲
 間の死体が収拾されないまま捨てられていた。
 日が沈み、真っ暗になった時、銃声が止まった静かな夜の暗闇で、奇跡のようなことが
 始まる。ドイツ軍の数人の兵士が、後方の家族から送られてきた小さなツリーの蝋燭を灯
 して、キャロルを歌い始めた。最初の曲は、クリスマスの定番のあの『きよしこの夜~♬』。
 おそらくドイツ語で歌われたであろう。Stille nacht ~♬。連合軍の兵士たちは、最初は
 戸惑いましたが、自然に数人が歌い始め、やがては両方の数千人の兵士が大合唱を響かせ
 るに至った。ある兵士は敵軍の陣地に歩き出して、家族写真を見せたり、一緒にビールを
 飲んだり…。そして、亡くなった同僚の埋葬や追悼の祈りをも共にした。
  しかし、奇跡は束の間で終わり、日が昇ってから再び戦いは続き、結局その後4年も続き、
 1918年11月に終戦を迎えるが、当時としては史上最大の850万人の死者を出した。この話
 を自分の著作『共感する文明』で取り上げたアメリカの未来学者のJ・リフキンは、私たち
 人間にはそのような共感する力がある、と書いている。戦場なのに、クリスマスイブだから
 可能であったあの出来事は、それを見せているのではないか。幼子イエスを通して私たちに
 伝わった平和のメッセージは、その力の源を教えてくれる。」
 このメッセージを胸に、マザー・テレサの祈り「わたしをお使いください」と、アッシジの
 聖フランシスコの「平和を求める祈り」を、声を合わせて唱え、イエスさまの平和と和解の
 業に、私たち一人ひとりが参与できるよう祈りました。
 このあと11時45分からは深夜礼拝(第1聖餐式)、25日(水)8時からは早朝礼拝(第2聖餐式)、
 11 時からは降誕日聖餐式が行われ、多くの方々とともに、イエスさまが来られた喜びを高らか
 に賛美しました。

 
 暗い聖堂の会衆席に置かれたキャンドルに、
 一つひとつ火が灯されます。

 
 イエス様のお人形を、馬小屋にそっとお献げして
 イブ礼拝は始まりました。