キリスト教とは?

キリスト教は、聖書という書物に基づいています。別の表現をすれば、聖書(バイブル)はキリスト教の「正典」です。
聖書は、旧約聖書(39巻)と新約聖書(27巻)の2部から構成されています。
旧約聖書は、紀元前1400年頃から約1000年間にわたる神とイスラエル民族との関わりの歴史と、救いの約束を描いた書物です。ヘブル語で書かれ、ユダヤ教の経典です。
新約聖書は、1世紀中頃から2世紀初めにかけて書かれ、イエス・キリストの出来事と、彼に出会い神の存在に触れた人々が残した文書でできています。
キリスト教ではその二つの書物をあわせて聖書としており、世界中で救い主イエス・キリストを信じる人々により、またそうでない人々によっても読まれ親しまれています。
その聖書を用いて、キリスト教についてお話したいと思います。



まず、旧約聖書の世界観として
1. 天地創造(神によって創造された世界・人間)

この世界と人間は、神によって創造されたものであるという世界観をもっています。過去のキリスト教ではこの世界観に基づき、人がいかにこの世界を支配し克服していくかという考えが強調されてきました。しかし20世紀途中からこの考え方は見直されるようになってきました。創世記の神の創造物語は、人がこの世界を支配していくためではなく、調和を保つように人びとにお任せになったのだと聖書を再解釈するようになりました。それは、人びとによる環境破壊や、また民族間、国同士の戦争に対しての深い反省からです。神様から任されたこの世界を、神様が創造のはじめに良しとされた状態に保つための働きが私たちにある、ということを大切にしています。


2. 原罪(アダムとエバの物語から知る、神と人の関係)

神が初めに創造した男女・アダムとエバが、神に食べることを禁じられた善悪を知る木の実を食べたという物語を通して、人の自己中心性という罪、神への裏切り・信頼関係の断絶を示しています。またそれに続いて、兄カインが弟アベルを殺害した人類最初の兄弟殺人事件が描かれていますが、それは、人間のもろさ、弱さを教えてくれます。


3. 人間の力だけでは救われない(律法に従った生き方)

かつて映画にもなった「十戒」というモーセの有名な話があります。神と人、人間同士の関係において大切に守るべきルールが、神から与えられました。イスラエルの民は、これをさらに細かな律法にして守ろうとするのですが、守ることのできない姿や様子が描かれています。また、罪に苦しむ人間が、神の導きと守り、怒りと裁き等を、歴史の進展や文化・宗教の発展に伴って示されるさまざまな啓示として受け止め、民族的信仰が高まり、深まっていく様子が、歴史書や詩、文学、預言書などのかたちでつづられています。



新約聖書の世界観

新約聖書を構成する27巻のうち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと名のつく「福音書」は、イエスがその短い生涯で行ない、教えたことを伝え、イエスの死と復活を語る中心的文書です。それ以外の手紙等の書物も含め、旧約の時代に示された救いの約束が、神の子イエス・キリストを通して実現・成就したことを証言しています。
4. イエスの登場と、その生涯のメッセージ

イエスの登場については、福音書の始めにクリスマス物語として描かれます。彼は30歳頃から、その後十字架につけられ死ぬまで、キリストとして約3年間活動したといわれます。イエスはあまねく巡って人々を教え、また病人をいやしたのです。小さく弱い人々にとって、イエスの存在自体が「福音」でした。神から人々に与えられた嬉しい知らせという意味です。イエスは人びとに対して、神の思いを知り生きること、また、自分を愛するように人びとを愛するようにと教え、また、人びとはキリストを通して、神の呼びかけ、語りかけを聴き、従うようになりました。


5. イエスの十字架と復活

しかしイエスは、当時のユダヤ教の指導者の手で捕われ、政治的支配者であるローマ総督の命によって死刑宣告を受け、十字架上で苦しみながら死にます。彼は、三日後に復活して弟子たちに現われたと、聖書は証言しています。イエスの弟子たちは、神がイエスをよみがえらせたと信じ、また、イエスの十字架上で流した血を、人の罪の身代わりのささげものだと受け止めるようになりました。
一度はイエスを見捨てて逃げた弟子たちは、復活したイエスに出会ってから、人々に次のことを伝える活動を始めました。その内容は、次のとおりです。・神が、この世界を愛してイエスをこの世に送ってくださったこと。・神が、愛するご自身の分身・子であるイエスを十字架にかけ、人々の罪を赦そうとしたこと。・神は、そのイエスを復活させたこと。・復活後、神の元に戻ったイエスは、世の終わりに再び来られるということです。


6. 信仰によって救われる

以上書いたことがらを受け止め・信じる、もしくは、そのような神の存在があることを受け入れるということを、キリスト教では「信仰」といいます。このような思いを受け入れるならば罪のゆるしにあずかり、どのような人でも神と人との新たな関係に生きることができると教えています。「救い主・メシア」という意味のギリシャ語である「キリスト」という言葉と、固有男性名詞「イエス」をならべて「イエス・キリスト」と書き、「イエスはすなわち救い主」であるということを指すようになりました。


7. 弟子達から拡がり伝わった信仰共同体=教会

2000年の間このような信仰が、今ここでこの文書を書いている私を含め、人々から、より多くの人々へと、お読みになっている皆様に伝えられているのです。そして、神の愛とゆるしを心に受け止めて生きようとする人びとが日曜日に集って聖書の教えを聞き、また、神に自分自身を向けようとするのが、キリスト教会の礼拝だといえるでしょう。あなたも神からの招きと愛を受けていることを、ぜひ実感していただけるようお祈りします。